4、どこの子!? マルク先生隠し子疑惑
『そんなことする子だなんて思わなかった!!』
――そうだよ。してないもん。
『本当の娘のように可愛がってあげたのに! この恩知らず!』
――違うよ。誤解だよ。本当の娘のように可愛がってもらったって思ってるよ。だから私の話を聞いて。
『私の前では懐いてるふりしてニコニコして、裏じゃあの人と一緒に私を笑ってたんでしょう?』
――そんなことない。笑ってなんていない。それに、何もしてないよ。本当だよ。
『私たちの前から消えて! あなたの顔なんか、もう二度と見たくない!』
頭の中に、あのときの声が響いている。
言われたときにはあまりにショックで言い返せなかった言葉たちが、あの声を必死で押し返そうとしている。
いつも穏やかで上品だと思っていた人の激昂する姿が怖くて、言われたときは何も言葉が出なかった。
だから、これは夢だとわかる。疲れているからだろうか。悪い夢だ。
そんな夢からは早く覚めなくてはいけない。
夢からの脱出を試みるために、まずは意識を浮上させていく。肉体の主導権を取り戻していくイメージだ。
夢の世界へと旅立っていた魂が、空の器になっている肉体に還っていくのを想像する。
そしたら、指先に感覚が戻ってきた。肌の表面にも。
それから、ほっぺたを誰かに突かれている感じがして、私は目を開けた。
「あ、起きた」
「…………え? だ、誰?」
目を開けて視界に飛び込んできたのは、小さな女の子だった。たぶん、七、八歳くらい。クリクリの目を大きく見開いて、私のことを見つめている。
何が起こっているのかわからなくて、私は周囲を見回した。そして、ここが自宅ではなく、魔法学校のマルク先生の寮の部屋だと思い出す。
そうすると、ますます目の前の女の子が何なのかわからなくなる。
肝心の先生は、どこに行っているのか部屋にはいない。
「リリベル。あなたは、魔女っ子ルーラ?」
「えっと、んー……」
目の前の子にはリリベルと名乗られたけれど、名前がわかっただけで何も解決していない。それに、魔女っ子ルーラだと気づかれているのも厄介だ。
――誰なの? 先生の部屋に朝から堂々といるけど、一体先生の何なの? もしかして、隠し子!?
そんなことを思ってじっと見てみると、似ているような気がしてくる。ちょっとボサボサな栗色の髪なんて、そっくりとしか言いようがない。
「本物じゃなくて、マルク先生が作ったの? だから可愛い衣装を着てないの?」
リリベルは私が本物なのか偽物なのか確認するために、再びペタペタと触ってくる。つねったり強く押したりはしないから、悪意はないみたいだ。でも、「マルク先生が作った」という言い方が気になる。
それに“先生”と呼ぶってことは、小さく見えてもここの生徒なのだろうか。
「ルー、起きてるかー? って……リリベル! こんなとこで、ルーにくっついて何してるんだ!?」
わけがわからないままリリベルに触られるがままになっていると、ドアが開いてマルク先生が戻ってきた。手にはパンと飲み物が乗ったお盆を持っている。
リリベルの存在に驚いているけれど、どうやら顔見知りのようだ。
「このルーラが先生の作った面影鏡じゃなくて本物の魔女っ子ルーラなのか確かめようとしてたの」
「……先生が作った面影鏡?」
「あー! リリベル、そういうこと言わなくていいから!」
自分の行動の説明をしようとしたリリベルを、マルク先生はなぜか焦った様子で私から引き離した。
先生が作った面影鏡とは何なのか。ぜひとも詳しく聞きたいのだけれど、何だか聞けそうにはない。
「そうだ、ルー。朝食を持ってきたんだった。町に出るにしても店が開くまで空腹なのもどうかと思ってな」
「ありがとう」
リリベルを私から引き離した先生は、ちょっぴり取りつくろうみたいに朝食の乗ったお盆を差し出してくる。でも、お腹が空いてるのは間違いないから、ありがたくちょうだいしておく。
――先生が焦るなんてめずらしい。やっぱりリリベルは、先生と何か……?
二人の関係性を探ろうとパンをかじりながら見つめていると、リリベルと目があった。それから先生とも。
「この小さな闖入者について説明しとかなきゃいけなかったな。この子はリリベル。魔法の才能があるんだが、入学できる年齢に達してないし、ちょっとワケありで、俺とかテレサ先生あたりで持ち回りで預かってるんだ」
先生はそう言いながら、リリベルの頭をポンポンと撫でた。リリベルは嫌そうにするでも嬉しそうにするでもなく、無表情でされるがままだ。
――ちょっと難しい子なのかな。
私はリリベルのその不器用そうな感じに、自分がこの魔法学校へ来たばかりの頃のことを思い出した。
「そういうことだったんだ。てっきり、マルク先生の隠し子なのかと」
「おいおい。リリベルは七歳だぞ? それだと、お前が在学中から隠してることになるじゃないか。そんな暇なかったのは、ルーが一番よく知ってるだろ」
「そうだね。手がかかる教え子ですみません」
冗談めかして考えていたことを言えば、マルク先生は困った顔をした。その顔を見れば、先生に恋人や特別な人がいないのがわかる。
わかって安心したところで、私が先生に振り向いてもらえるということにはならないのだけれど。
「そういえばリリベル。何で朝から俺の部屋にいるんだ? この時間なら、テレサ先生と一緒に朝食をとってるはずだろう?」
私が食べる様子をじっと見続けているリリベルに、先生が尋ねた。そうか、お腹が空いていたのかと気がついてまだ手つかずのパンを差し出すと、リリベルはむしゃむしゃとそれを食べる。
「“星読み派”のじいさまたちが朝からテレサ先生のところに来て、それどころじゃなかったの。それで、隙を見て逃されたってわけ」
パンを食べてひと心地ついて、ようやくリリベルは口を開いた。それを聞いて、マルク先生の眉間に皺が寄る。
「じいさまたち、またか。てことは、ここにいるのも安心できないな」
「何か今、問題が起きてるの?」
先生があまりに深刻そうだから、つい口を挟んでしまった。
星読み派っていうのはおそらく、マルク先生に門戸を閉ざしているじいさん連中のことだろう。だから、先生にも関係があることなら聞いておきたいと思ったのだ。
「問題というか、何というか……。星読みを研究してる人たちがな、少し前から騒いでて大変なんだよ。『このあたりに大きな厄災が来る。すぐにでも学校を封鎖して、生徒ともども避難せよ』だってさ。何でも、凶相の星を見たとか」
「へえ。自分たちだけで逃げたりしないんだ」
「そうなんだよ。生徒の安全を確保したいって意識があるから、自分たちよりも信用されてる占星術のテレサ先生に、生徒たちの避難を促して欲しいらしい。俺のほうは、単に受け持ってる生徒が多いから、拡声器代わりになるだろって感じで突かれてる」
「そういうことか」
何が起きているのかということは理解できたものの、じいさんたちの言っていることはいまいちぴんと来ない。マルク先生が何だか疲れているのも、無理はないなと思ってしまう。
「それでルーにちょっと頼みたいことがあるんだが」
先生は、リリベルと私を交互に見ながら言う。それだけで、先生が頼みたいことがわかった。
「リリベルと一緒にいて欲しいとか、連れ出してくれとか、そういうことでしょ? 全然構わないよ。町に出る予定だけど、誰かと一緒のほうが楽しいし。リリベル、私と一緒におでかけしてくれる?」
私がニッコリして言うと、不安そうにしていたリリベルの顔が少し明るくなった。
周りの大人に悪気がなかったとしても、たらい回しになっている今の状況はリリベルにとってつらいだろう。私はそれを少しはわかってあげられるつもりだから、一緒にいる相手としてはなかなか向いているとは思う。
それに仕事をしていてわかったことだけれど、“魔女っ子ルーラ”は子供に人気がある。子守人員としてはわりと強みなはずだ。
「ルー、助かるよ。だったら、夕方までお願いできるか? 昨日と同じくらいの時間にあのパブで待ち合わせで」
先生は、心底ほっとしたように言う。
ちょっと過保護で心配性な先生が、私に何かを任せてくれたということが嬉しい。
「了解。リリベルとおでかけ楽しんでくるから、安心しててね」
私は誇らしい気持ちで、先生にピースサインをしてみせた。
***
「リリベルの言う通り、私は“魔女っ子ルーラ”だよ。でも今はこっそりお休みを満喫中だから、みんなにはナイショにしてね」
出発前にしっかり念を押しておこうと思って、私は杖をクルクル回すポーズとウィンクと共にリリベルに言った。
杖はルーラのトレードマークであるキラキラの飾りのついた長杖ではなく学生時代からの実用的な短杖だし、身につけているものもフリフリ衣装じゃなくて普段着だけれど、それでもリリベルは目を輝かせて頷いてくれた。
どうやら、本当に魔女っ子ルーラのファンらしい。
「まずは着替えを買いに行こうと思うんだ。疲れたらちょこちょこ休憩するから時間かかっちゃうかもしれないけど、いいかな?」
「うん、平気だよ」
「よし、じゃあ行こう!」
私は努めて明るく元気よく言った。
空元気だけれど、笑ってみると何とかなるものだ。仕事のときだってそうしているわけだし。
――最期の善行だ。一日か何日かわからないけど、この子に明るく優しくすることなんて、全然苦じゃないもん。
売れる前も売れてからも、理不尽な仕事は山ほどあった。お金さえもらえれば事務所はどんな仕事も引き受けるから、お酒を飲んでいて誰も聞いちゃくれない宴会に呼ばれたり、雨天決行の海開きセレモニーにシークレットゲストで呼ばれたり(当然告知していないからファンすら来てくれない)、散々な仕事もやってきた。
そんなのと比べれば、子守なんて何てことはない。
それに、リリベルは良い子だ。手をつなぐだけで隣を歩いてくれるし、困らせようというそぶりもない。
「リリベルは良い子だね。私が小さいときは、もっと周りの大人を困らせてたもん」
歩きながら素直に感心して言うと、見上げてくるリリベルがニッコリした。
「マルク先生をたくさん困らせてたんでしょ? いっぱいいろんなイタズラしたって話してくれたよ」
「えー何だろ。先生ってば、一体何の話したのー?」
クスクス笑うリリベルを見れば、マルク先生があれこれ話しているのはわかる。先生には恥ずかしいことも失敗もたくさん知られているから、何を話されたのか見当もつかない。
「マルク先生、ルーラのことすごく詳しくて、すごく好きなんだよ」
私が恥ずかしがっているのを気にしたのか、リリベルが気づかうように言う。フォローまでできるなんて、何て良い子なのだろう。
「まあ、先生とは長い付き合いだからね。他の生徒よりは、仲良しかなあ」
「部屋に写真を飾ってるくらいだもんね。マルク先生とは、魔女っ子ルーラのファン仲間なんだよ」
「そっか……そうなんだ」
実際は違うんだろうなと思いつつも、リリベルが嬉しそうだからそういうことにしておく。
それに、“魔女っ子ルーラ”という自分の存在がマルク先生とリリベルが打ち解けるきっかけになったのなら私も嬉しい。
「先生、面影鏡一個くらいくれてもいいのになー。記念品のやつはさすがに欲しがらないから、せめて自作のくらいさー」
「……なんだって!?」
「あ……」
リリベルの口からポロッと飛び出た聞き捨てならない情報に、私は思わず食いついた。さっきマルク先生がごまかして聞きづらくなってそのままにしてしまっていたけれど、やっぱり気になる。
でも、リリベルはしまったという顔になり、目を閉じて口を真一文字に結んで“一切何もしゃべりません”という顔をしている。
「ワタシ、ナニモイッテナイヨ」
「言ったよね?」
「イッテナイイッテナイ。ナニモシラナイヨー」
「……」
マルク先生と私、リリベルが忠義を感じているのは前者だ。だから、有益なことを聞き出すのは何も期待できないだろう。
「まあいいや。行こうか」
ひとまずあきらめて、必要なものを買いに行くことにした。