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3、ドキドキ、お部屋訪問

 マルク先生に加勢してもらいながら何とかテーブルの上の料理を片づけて、店を出ると外はとっぷり暮れていた。

 たくさんのお店や民家が建ち並ぶ通りには、ポツポツとオレンジ色の灯りがともっている。

 魔法学校のある町らしく、灯りはただのガス灯ではなく、魔除けのためにセイヨウトウキや杜松の実を一緒に焚いているから不思議な色味の灯りなのだ。

 まる一日以上の移動による疲労とお腹がいっぱいなのとで、それらの灯りを見てるとぼんやりしてしまう。


「ふー、食った食った。ルーも、腹いっぱいになったか?」

「うん、もうパンパンだよ」

 

 服の上からお腹をさすってみせると、マルク先生は笑った。


「じゃあ、そろそろ帰ろうか。ルー、宿まで送るよ」

「あ……」


 そのときになって、私は自分が大きな失敗をしていることに気がついた。

 泊まるところなんて、考えていなかったのだ。

 家を飛び出したときはとりあえず魔法学校に行くことしか考えていなかったし、そもそも死ぬつもりで来たのだから宿のことなんて頭にあるはずがない。

 漠然と死にたいという思いがあるだけで、そこに具体性や計画性があったわけではないのだ。


「あ、その顔……もしかして、宿を取るのを忘れてたのか?」

「……うん」

「お前なあ……ちょっとはしっかりしてきたかと思ってたのに、やっぱり抜けてるんだなあ」


 先生は呆れたみたいに笑った。

 昔から私は笑うしかないほど先生を呆れさせてきたけれど、そこはあまり成長できていないみたいだ。仕事をしはじめてからはそれなりにちゃんとしたつもりだったのに。


「野宿ってわけにもいかないしなあ。どっか、あてはあるのか? こっちに残ってる友達とか。……といっても、夜に訪ねて来られても向こうもびっくりだし、ルーも気が引けるよな。お忍びってのを理解してくれる友達を選ぶのも大変だし」


 ぼーっとしていることしかできない私に代わって、マルク先生はああでもないこうでもないと悩んでくれている。

 ドジをしてしまったことを怒るでも責めるでもなく、まずこうして解決するために考えてくれる。そういうところが、昔から好きなのだ。


「……先生の部屋は? 学校の寮の」


 気がついたら、そんなことを言ってしまっていた。

 無意識の部分と、どうせもうすぐ死ぬならいいじゃないかという開き直りが、私にそんなことを言わせていた。

 我ながら、大胆なのではないかと思う。でもきっと、先生にはこのくらい大胆にならなければ伝わらない。

 私は、もう子供じゃないんだ。だから、先生にもこの言葉の真意が伝わらないわけがない……はずだ。


「え? 俺の部屋? そうか。教員用の部屋、それなりの広さがあるもんな。うん……“魔女っ子ルーラ”の休暇中の滞在先としては華やかさに欠けるが、安全ではある」


 先生は一瞬きょとんとしたものの、すぐに合点がいったというように手を打った。そして納得して、まるで名案だというように頷いている。

 焦ったり慌てたりといった、私が期待した反応は一切してくれなかった。

 ――やっぱり、まだ私じゃ魅力不足なんだな。

 がっくりと肩を落としたくなったけれど、とりあえず野宿は免れたことは喜んでおくべきなのかもしれない。

 それに何であれ、先生の部屋に泊まれるというのは嬉しいしドキドキすることだ。


「遅くならないうちに行くか。ルー、一応、幻影マントを被っとけよ」

「うん」


 何でもないように言って学校に戻る先生の後ろに、私はドキドキしながら続いた。


 ***


 寮に着いたはいいものの、すぐに部屋には入れてもらえなかった。「ちょっと待っててくれ!」と言い残し、マルク先生は部屋に篭ってしまった。慌ただしい物音が聞こえる様子から、どうやら部屋の片づけをしているらしいことはわかる。

 先生はとびきり几帳面というわけではないものの、そんなに整理整頓が苦手というイメージはない。だから少し不思議に思ったけれど、待つしかない。


「お待たせ! さあ、入っていいぞ」

「お邪魔します」


 ドアが開いて、何だかちょっぴり疲れた様子のマルク先生が出てきた。そんなに疲れるほど一体何を片づけたんだろうと気になるけれど、ひとまず部屋に入る。


「そういえば、ほとんど何も持たずに来たんだな」


 部屋に入った私を見て、先生は改めて気づいたように言う。

 そうなのだ。とりあえず目立たない服装をして財布さえ持っていれば大丈夫だという頭しかなかったから、着替えも何も、持ってきていない。

 ほぼ手ぶらも同然の姿に、先生は今の今まで気がつかなかったらしい。私自身、気がついていなかったわけだけれど。


「突然入った休みでね、嬉しくってびっくりしちゃって、それで何も考えずに家を出てきちゃったの。とりあえずアカデミーに帰りたい!としか考えてなくて……えへへ」

「まったく、しょうがないなあ。ルーは昔から勢いだけで生きてるところがあるからな」

「直さなきゃって思ってるんだけどね。着替えは、明日にでも町に出て買おうと思う」

「ああ。そうしたら問題ないな」


 笑ってごまかしたことに、先生は気がつかなかった。昔から忘れ物が多いしドジだったから、何も持たず家を出てきたという話も、信じてもらいやすかったみたいだ。そんな信用いらないけどなと思いつつ、でも本当に助かった。


「毛布はきれいなのがあったから、窓際のソファで寝てくれるか? ベッドを貸してやりたいのはやまやまなんだけど、清潔とは言いがたいからさ……ルーにおじさんくさいとか言われたら嫌だし」

「そんなこと言わないのに。でも、きれいなほうが嬉しいからソファがいいや」


 私は心にもないことを言いながらソファに腰かける。

 本当は、先生のベッドがよかった。何なら、先生と一緒に寝たかった。たとえおじさん臭だったとしても、先生の匂いならどんなものでも構わない。

 そんなこと言えるわけないから、私は考えていることが顔に出ないように表情を引きしめて、上着を脱いだりブーツを脱いだり、休むための準備を始めた。


「どのくらい休めるんだ?」

「十日くらいかな。……でも、もしかしたら休みの途中で帰らなくちゃいけなくなるかもだけど」

「そうなのか。売れっ子は、大変なんだな」


 いつ死ぬのか決めていない。だから私がふといなくなっても先生が不審がらないように、前もって嘘をついておく。

 というより、何もかもが嘘だ。本当のことなんて、何ひとつ言えるわけがない。


「ルー、風呂はどうする?」

「んー……明日、町の銭湯に行くよ。寮のお風呂を使いたいけど、この時間だとまだみんな起きてるでしょ? そんなリスキーなことしたくないし、かと言ってみんなが寝静まるまで起きとける自信ないし」

「だな。じゃあ、俺は入ってくるから、先に寝てていいぞ」

「はーい」


 一度ゆったりしてしまうと動く気力がなくなって、私は毛布にくるまったまま先生を見送った。

 でも、まだ眠る気にはなれなくて、ソファの上から部屋の中を見回す。

 雑然としつつも何らかの規則性は感じられる部屋だ。大雑把なわけではないから、忙しさのせいなのだろう。

 そういったところは、ずっと変わらないらしい。

 先生の部屋に入ったのは、これが初めてではない。

 まだ魔法学校に入ったばかりの頃はよくこの部屋でおしゃべりしたし、成長してからは先生を驚かせたり喜ばせたりしようと思って時々忍び込んで魔法を仕掛けたりしていた。


「まだ、空を見上げてるんだね」


 相変わらず壁に貼ってある星図に、先生が今も星読みを続けていることがうかがえる。

 マルク先生の本当の専攻は星読みと、それに関する魔法だ。予知や占いと同列視されるけれど、それらとは異なるものだし、原初のものだと言われている。

 でも、そのせいもあって廃れゆく学問だと考えられていて、魔法学校で今は星読みの授業は組まれていない。それゆえ、先生は空きのあった魔法薬学の教師をしているというわけだ。

 星読みが学問として廃れている原因には、それを専門にしているのが頭の硬い老人ばかりだというのも大きい。

 マルク先生は若さやら経験不足やら何やらで、そのじいさんたちから研究会への入門を拒否され続けている。

 というわけでずっと、先生はほとんど独学で星読みを続けている。

 だから、この部屋にある星図や天球儀や星時計アストロラーべは、先生の誇りや意地といったところだ。どれだけ忙しくてもきっと、これらのものを目にして日々を生きているのだろう。


「あ、これ……」


 机の上、天球儀に隠れたところに、両開きの写真立てがあるのを見つけた。ソファに座ったままではよく見えなくて近くまでいってみると、そこに飾ってあったのは懐かしい写真だった。


「やだ、先生、若い。うわ〜、この写真、欲しいなあ……」


 一枚は、私が魔法学校にやってきて間もない頃の写真だ。私はぶかぶかのローブに身を包んで、どんな顔をすればいいのかわからないという様子で写っている。その横でまだ二十歳くらいの先生は、ピースサインで元気よく写っている。

 確か、学校に提出するまともな写真を一枚も持っていないのを見かねて、マルク先生が撮ろうと言ってくれたのだ。


「こっちは、卒業式のときのか。先生、嬉しそうにしてる」

  

 もう一枚は、胸に魔法学校修了の証である星のバッジを光らせた私と、誇らしそうに満面の笑みを浮かべた先生が写った写真だ。たかだか二年前の写真なのに、妙に懐かしい。

 

「……こういうのを飾るくらいには、先生にとって私は特別って思っていいのかな?」


 写真を見ると、先生にどれだけ大切にされていたのかわかる。

 だからこそ、胸が苦しくなる。

 ――先生に大切に育ててもらったのに、私はもうだめだ。みんな私が倫理に反した悪いやつだって思ってる。汚れてるって思ってる。

 胸の奥やお腹の中心に、ドロリとした嫌な感情が湧いてきた。

 そんな感情から逃れたくて、私はソファに戻って毛布に包まり直した。


「ルー、まだ起きてたのか」


 まんじりともせずソファに埋まっていると、そのうちに先生が帰ってきた。

 髪は乾いているけど結わずにそのままだし、ほのかにお風呂の匂いをまとっている。そのくつろいだ姿に、ちょっとドキッとした。


「寝ようとはしてたんだけど、何だかまだ目が冴えてて」

「久々の帰省で興奮してるんだろ。そういうときって、身体は疲労してても眠れないもんな」


 そう言いながら、先生は香炉に何か入れて焚き始めた。


「これ……何だっけ? 安眠効果のある香りの……乳香フランキンセンス?」

「そうそう。よく覚えてるな。まあ、ルーも立派な魔女だしな」


 先生は私のために、良く眠れるお香を焚いてくれたようだ。

 魔法学校へ来たばかりの頃、神経過敏になっていた私はよくこれを嗅がされていた。そのせいか、この香りを嗅ぐと反射的に眠くなってしまう。

 先生もそうなのか、ベッドに入るとあくびをした。


「ルー。仕事はどうだ? 楽しいか?」


 寝落ちるまでの間をつなごうとしたのか、それとも寝る前に聞かなくてはいけないほど気になっていたのか、先生はそんなことを尋ねてきた。

 その声は穏やかだ。たぶん、私が仕事で深刻な悩みを抱えているとは思っていない声だ。むしろ、何もないと信じてくれているように聞こえる。


「うん。楽しいよ。やりがいもあるしね」


 間を空けず、私は答えた。

 嘘は言っていない。本当のことだ。……少なくとも、スキャンダルの前までは、本当にそう思っていた。


「そうか。……なら、よかった」


 思った通りの返事が聞けて安心したのか、先生はそのまま吸い込まれるように眠りに落ちていった。

 その落ち着いた規則正しい寝息を聞いて、嘘をついてよかったなと思う。本当のことを話しても、誰も幸せにならないし、心配をかけたいわけじゃない。

 ――先生に打ち明けられる本当のことなんて、何もなくなっちゃった。昔は、なんでも話してたのにな。

 そんなことを思いながら、私も目を閉じた。

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