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16、カナリアは飛べばいいのか

 それはまさに圧巻というべきものだった。

 デリアとルーが魔女っ子対決なるものをすると聞いて心配だったから会場に足を運んでみれば、それは杞憂だったとわかった。

 先に舞台に上がったデリアのパフォーマンスもなかなかのものだったけれど、ルーのものは比べ物にならなかった。

 小さな頃からずっと知っていると思っていた女の子は、そこにはいなかった。

 舞台にいたのは、“魔女っ子アイドルのルーラ”だ。

 佇まいひとつとっても、少しの隙もなかった。

 衣装なんてなくて、魔女っ子ルーラとして活動しているときとはほど遠いラフな服装をしているのに、マイクと短杖を握る姿は紛れもないアイドルだった。

 彼女が杖を振れば、みんなが魅了された。歌い始めれば、全身で聞き入った。

 一挙手一投足で客席を惹きつける、オーラやカリスマ性としか言いようがないものを放っていたのだ。

 ルーが在学中にスカウトに来た人が、「この子には天性の才能があります。人を楽しませるという力が。それが楽しいと思える心が。アイドルは、人を喜ばせたいと魂から思ってなければ務まらないんです」と言っていた。

 そのときは何を大げさなことをと思っていたけれど、それは俺がルーがこうして歌う姿を知らなかったからだ。舞台の上の姿を知らなかったからだ。

 でも、こうして目の当たりにすればわかる。

 ルーは、本物なのだ。

 これを才能と言わずして何と言うのだろうか。 

 今まで俺はルーのことを一番近くでよく見ていたつもりで、実際は知らないことだらけだったわけだ。

 歌がうまいことも、すらりとした手足が踊るのにとても映えることも、舞台映えする細かな調整が必要な魔法をこんなに巧みに使うことも。

 思えば、ルーがアイドルになりたいということを最後まで反対していたのは俺だけだった。

 ルーにどんな能力や才能があるかも知ろうともしないで、ただ闇雲に反対していた。

 今の疲弊しきった様子を見れば、いっそのこと最後の最後まできっちり反対し通せばよかったのかもしれないと思うが。

 才能があっても、ルーが今、幸せかどうかはわからないから。

 今朝だって、仕事の夢を見てうなされていた。夢の中で泣くほど、苦しんでいた。

 そんなふうにしてしまったことの責任は、俺にもあるのだ。きちんと止めなかった責任が。あるいは、俺の手元から羽ばたいていったあとも、もっと連絡を取り合わなかった責任が。

 そんなふうに後悔しているくせに、こうして魔女っ子ルーラがこの世に存在していることに感動もしていた。

 ただの歌手ではない。ただの魔法使いのパフォーマーでもない。歌と魔法、そしてアイドルというものが絶妙に噛み合った、奇跡のような存在だ。

 事務所の売り出し方がうまかったのはもちろんあるだろうけれど、この絶妙さが世間に強く求められているのだと感じる。その証拠に、売れるのはあっという間だった。

 俺は、魔女っ子ルーラを知る者は、今さら彼女がいなかった頃の世界に戻ることができるのだろうか?

 そんなことを問いかけたくなるような、激しい感動だ。

 そうして後悔と感動の狭間で揺れ動いている間に、ルーラが次の曲で最後であることを告げた。

 舞台を照らしていた光が消え、代わりに小さな蛍のような星のような光の粒が会場を満たす。

 それが、会場を星空に見立てたものなのだとすぐにわかった。

 曲が始まると、それが今までの元気の良いものとは雰囲気が違うとわかった。そういえば、一番新しい歌集音鳴石アルバムの中にこんな大人っぽい曲が収録されていた。

 ゆったりと伸びやかに歌い上げる声は、これまで感じたことがなかった艶と切なさを含んでいた。

 少し背伸びした片想いを歌った歌詞で、こんなふうに歌えるのはきっと、恋を知っているからなのだろうと思わせる。

 一体どんな顔をして歌っているのだろうと気になってじっとルーラを見つめると、不意に目が合った。

 その一瞬、アイドルのルーラから普通の女の子のルーに戻った。

 それを見て、ほんのわずかに胸がざわついた。

 ルーにこんな顔をさせるのは、こんな歌声を出させるのは、誰なのだろうかなどと考えてしまったのだ。

 でも、すぐにそんな浅ましい思いは振りきった。

 ルーラの本気のパフォーマンスを前に、そんなことを考えるのは野暮だ。今このときは、この歌声に聞き入らなければ。

 それにふと、ジェームズが言っていたことを思い出して情けなくなったのだ。

 ――いい歳した男が、アイドルにガチ恋ってやつかよ。

 笑えない話だと思って、それ以降は頭からその考えを押しやった。

 妹のように娘のように育てたあの子にそんな感情を抱くなんて、あってはならないことだから。

 そんな感情を許しでもしたら、それこそエゴであの子を縛りつけてしまう。

 そんなのは、絶対にごめんだった。


 ***


 結局、デリアとルーの魔女っ子対決とやらはどちらも盛況で、引き分けという形で終わった。

 ルーラが帰郷しているという情報を広めないためにはどうしたらいいかという問題も、デリアの「あたしの権限で、特別講師として招いたのよ!」という言葉でうまくごまかすことができた。

 そのため大きな混乱もなく、中講堂から出るとみんな一様に夢から覚めたような顔をしていた。

 おそらく、その例にもれず俺も。


「マルク、何をふぬけた顔してんの? ぼーっとしてたらまた書類を机に積まれるわよ」

「そうですね。……でも、ルーのステージを見た余韻からなかなか抜け出せなくて」


 教員室に帰ってからもなかなか心が現実に帰ってこられず、ついつい呆然としてしまっていた。空き時間でルーを観に行ったのだから、こうして戻ってきた以上、仕事をしなければならないのに。


「そんなにすごかったんだあ。あたしも見たかったわ」

「本当によかったですよ。俺、正直言ってルーがどのくらいすごいかわかってなかったんだって思い知らされました」


 素直に感動しつつも、胸の中にざらりとした嫌なものも感じていた。


「よかったって言ってるわりに、暗い顔ね」

「いや……今朝、どうもルーが仕事の夢を見てうなされて泣いてたんで、『そんなに嫌ならやめてもいいと思う』みたいな無責任なことを言ってしまったんですよ。そしたら、『やめて私に何が残るって言うの』みたいなことをルーは言ってて」

「で、あんたはそれに何て答えたの?」

「そんなことない、ルーには他にうまくやれることがあるし、いろいろやれば適所も見つかるだろうみたいなことを……」


 俺が答え終わるより前に、テレサ先生は深い溜息をついた。そういえばルーも微妙な表情をしていたと思い出して、どうやら失言してしまったらしいと思い至った。


「あんたさ、あの状態でなおかつそんな発言した子に、よくそんなこと言えたわね。進路相談に来た子にアドバイスするのとわけが違うのよ?」

「やっぱり、まずかったんですよね……?」

「まずいもまずい、激マズよ」


 テレサ先生は呆れを通り越して怒りに変わったようだ。ものすごく怒っていることは伝わるのだけれど、何がどうまずかったのかまでわからない。そのことが、何より問題だと自覚した。


「本当なら自分で考えろって言ってやりたいんだけどね、あまりにルーラが可哀相だから言ってやるわよ。

あんたはね、アイドルやめたら何が残るのかって自らを嘆いたあの子に、だったら別の価値を見出したらいいって言い放ったのよ! 意味わかる? 存在価値がなければこの世にいられないっていうあの子の考えを後押ししたの! 否定してやらなければいけなかったあんたが!」

「……そういうことだったのか」


 テレサ先生の指摘に、頭を殴られた心地がした。

 俺は追い詰められてここへ逃げてきたかもしれないルーに、まるで進路相談に乗るような気軽さで言葉をかけてしまったのだ。

 あの言葉にどんな思いがにじんでいたかも想像せずに。


「『何も残らなくたっていい。ルーがそこにいさえすれば』って、言ってやらなければだめだったんですね」

「そうよ。あんたは親よ? その親があの子に『価値がなければ権利なし』って言ったようなもんよ。たとえ価値がなくても意義がなくても生きてていいって言ってやらなきゃいけない立場のやつが」

「……そりゃ、ひどいな」


 保護者気取りが聞いて呆れるなと、自嘲が漏れた。でも、笑ったところで口から出た言葉は戻らないし、傷ついただろうルーの心も救われない。

 何て思いやりと想像力に欠けていたのだろうか。


「それにさ、ステージ見てわかったと思うけど、あの子は魔女っ子アイドルであることに少なからず誇りを持ってるわけよ。それなのにそんなこと言うなんて、カナリアに『歌うのやめて飛べばいい』って言ってるようなもんよ? 『そりゃ飛べるけど、こちとら売りは歌声じゃい』くらい思われても仕方ないわよ」

「……うわぁ。それ、怒って当然だし傷ついただろうし、俺のこと嫌いになりますよね」

「なるかもね。あたしが男だったら、『たとえ君が歌うことをやめても、君がただ君であることを愛すよ。俺のカナリア』って言うわよ!」

「言えるわけないじゃないですか……!」


 後半はからかわれているのだろうけれど、テレサ先生の言っていることはグサグサ胸に刺さった。否定できる余地など微塵もやいし、客観的に自分の発言を振り返るとそのまずさに目眩がする。

 耐えきれず、思わず頭を抱えてしまった。


「もー、そうやって後悔してるくらいなら、しっかり慰めてやりなさいよ。あんたはあの子の保護者であって父親じゃないんだから、慰め方もいろいろあるでしょうが。何かロマンチックなことしてあげるとかさぁ」


 俺を徹底的にからかうことに決めたらしいテレサ先生は、ニヤニヤしている。面白がるのは勝手だけれど、提示された案はいかがなものかと思う。


「それこそ、俺なんかにそんなことされたって嬉しくないし、元気になんかならないでしょう。何歳差あると思ってるんですか。向こうはピチピチの二十歳で、こちとら三十前のおっさんですよ?」


 テレサ先生にというより自分に言い聞かせるようにして言う。

 いや、普通に考えても気味が悪いだろう。ちびっこの頃から知ってる子が成長して可愛くなってておまけに慕ってくれているからって、それでやる気を出してしまうおっさんなんて危険人物でしかない。

 世間一般の歳の差恋愛や歳の差婚を批判する気はないしどうも思わなくても、その感覚を自分に適用するのはあまりに厚かましく思える。

 それに何より、そんな気を起こすのはルーの俺への信頼に対する裏切りに思える。

 変な気が起きてしまったのは、親心ゆえ。娘が彼氏を連れてきてムッとした父親の心境と思えば、きちんと受け止めることができる。


「……あたし、あんたのそういうところマジで無理だわ。ま、勝手にそう思ってなさいよ、おっさん」


 俺の返答が気に入らなかったようで、テレサ先生は一気に冷めた様子で言う。

 おっさんにおっさんと言われても何とも思わないけれど、ルーに言われたらきっと嫌だろうなと思ってしまった。

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