14、ネコ、ネコ、迷子
いなくなったのは子ネコ。
ジェームズが散々空から探しているのに見つからないということは、もっと目線を低くして探すべきなのだろう。
それと、主であるデリアから逃げているということは、人間を避けていることも考えられる。
だとすれば、取れる手段は限られている。
「もしかしたら、動物になったほうが探しやすいかもしれないから、変身するね。リリベルと箒をお願いね」
「変身って、お前……あんまり得意じゃないだろ。無理すんなよ」
箒を押しつけると、ジェームズがあからさまに心配そうな顔になる。同級生って、こういうとき厄介だ。
「確かに不得意だけど、一応は卒業できてるんだから。人間が闇雲に探し回っても見つからないだろうし、何よりジェームズが化けるよりマシよ」
「そりゃそうだけどさ」
「じゃ、くれぐれもリリベルを頼んだよ。リリベル、お利口に待っててね」
ジェームズと問答したって無駄だから、私は懐の短杖を振って呪文を唱えた。杖の振り方も、呪文も、考えずに出てくるほど身体に染みついている。
小型の動物への変身は、低学年の頃から繰り返しやらされることだ。だから、苦手でも卒業生ならみんなそれなりにはできる。
呪文に合わせて全身が総毛立つ。まるで、小さな竜巻にでもなった気分。
その竜巻が徐々に収束し、一点に集まったのを感じると、私の身体は小さな獣に変わっている。
「あ、ネコだ! ネコを探すにはネコってか?」
「ピンクのネコだ! 可愛い!」
二人の反応を見る限り、どうやら狙い通り変身できたらしい。
鼻がきかないのがネックだけれど、機動性や俊敏性を考えて私はネコに変身した。この姿なら高い木に登ってあたりを見回すこともできるし、それなりに速く走ることができる。
「ニャーオ(行ってくる)」
私は一声鳴いて、ぴょんとひと飛び走り出した。
ネコの姿は、地面との距離が近い。ネコは嗅覚がいまいちと言われるわりに、この姿で走ると人間のときにはあまり感じなかった様々な匂いを感じる。
それに、柔らかな肉球で捉えられるものも、靴越しの人間の足とは大違いだ。
体は小さく軽く、どこまでも走っていけそうだ。
試しに、目に入った木に登ってみた。
軽く爪を立て、体が落ちてしまう前に上に上にと腕と足とで登っていく。すると、あっという間に自分の体の何倍もの高さの場所へたどり着くことができた。
ネコの体って、何だかいい。
――私が使い魔のネコなら、どこへ逃げるかしら。
細く繊細なひげに風を受けながら、私は考えてみた。
逃げ出したといっても、相手は使い魔のネコだ。おそらく野良ネコの経験もなく、主であるデリアの元へいくまで大切に育てられていたのだろう。
そう考えると、大して遠くへは行かず案外近くにいるかもしれない。むしろ見つからないのは隠れているのではなく、当人も見当違いのところへたどり着いてしまったからという可能性がある。
今頃きっと、どこかで途方に暮れているに違いない。でも、結局はネコだから、しばらく途方に暮れてもそのうちそれを忘れて、気持ちのいい場所を求めてふらふらどこかへ行ってしまうだろう。
――となると、ネコの体で校舎を飛び出して、そのからふらふらとたどり着ける場所といえば……。
文字通りネコになりきっている私は、木を下りてから“ネコの気持ち”のおもむくままに足を進めた。
より暖かい場所へ、より良い風の吹く場所へ。
そうすると、着いたのは薬草園だった。
確かに気持ちのいい場所だけれど、ここには結構人の出入りがあるのだ。今、人は見当たらなくても、そういう気配というのは残る。これは、ネコ的には減点だ。
でも、場所としては本当に最高だから、ちょっとだけ人目を避けられるところを探してみる。
すると、薬草園の敷地の隅に小屋があるのを思い出した。この小屋の屋根でなら、人を気にせず昼寝ができるはずだ。
私は小屋のそばへと駆けていく。それから後ろ足でぴょんと跳ねて、屋根の上へと飛び上がった。
「にゃっ(あっ)」
ひらりと降り立ったそこに、小さな毛玉を発見した。オレンジ色の、ふわふわの毛玉だ。
それがもしかしたらまさに探していた毛玉なのではないかと思って、私はそろりそろりと近づいていってみた。
「にー(ねえ)」
呼びかけて、前足でちょんちょんとつついてみると、オレンジ色の毛玉はもぞもぞした。少し待っていると、巻き貝のようになっていた中心がすっと持ち上がり、三角耳のついた丸い顔が現れた。
『あなた、誰? ここでお昼寝したいんだったら、お隣どーぞ』
「違うのよ。あなたを探しに来たの」
『何それー。あ、もしかして、デリアに言われて来たの?』
「違うけど、まあ、そんなとこ」
オレンジ色の毛玉あらためネコは、ふわふわとあくびをしながらまったりの答える。ずいぶんとのんびりした子のようだ。これじゃ、カリカリしたデリアと合わないのは無理もない。
「デリアの知り合いがあなたのこと探してて、それで私も探すことになったんだけどさ、別に無理に連れ戻そうとか思ってるわけじゃないの。ただ、迷子になって困ってないかなあって心配しただけ」
『そうなのー? まあ、そんな感じだったからこうして口を聞いてるんだけど。助かったわー。実は迷子だったんだよねー』
「やっぱり迷子だったんだ」
『まあ、こうして気持ちのいいお昼寝場所を見つけられたから、いっかって感じだけど』
オレンジ色のネコは本気で気にした様子はなく、ゆっくり伸びをすると、今度はペロペロ毛づくろいを始めた。
こんなふうに気にしない子が逃げ出すほどのこととは、一体何があったのだろうか。
「あのさ、何があってデリアのところを逃げ出したの? あなたみたいなおおらかな子が逃げ出すって、よっぽどだと思うんだけど」
『んー……何だったかしら。確かにすっごいヤなことあったはずなのよ。あなたの言う通り、大抵のことは流せちゃう質だし。でも、逃げ出してるうちに忘れちゃったし、こうしてポカポカな場所見つけたらお昼寝がサイコーすぎて思い出せないわー』
「そ、そっか」
顔をくしくしやりながら考えている様子だけど、本当に思い出せないらしい。
思い出せないのならそのままにしておくべきなのか、思い出してもらうべきなのか。
迷っていると、不意にオレンジ色のネコが耳とひげをピンとさせた。これは、何かに集中しているときの姿だ。
『誰か来る』
そう言われて構えると、少しして騒々しい人の気配と、何かを呼ぶ声が近づいてきた。
「クリームヒルトマグダレーネミリィー! クリームヒルトマグダレーネミリィー? どこにいるのー?」
「げっ」
小屋の屋根の上から近づいてくる人影が見えて、私もオレンジ色のネコも同じように声をあげた。近づいてきていたのは、デリアだった。
「ねえ、あの長い名前はあなたの?」
『そうよー。あれでも略称なの。本当はあの三倍長い。みょうちきりんでしょー?』
「うん、変わってる……」
『それにしてもうっさいわね。昼寝どころじゃないじゃない』
屋根の上から見下されているとも知らず、デリアはオレンジ色のネコ・ミリィ(略称)の名前を呼び続ける。
人任せにしないでちゃんと自分でも探しているし、ちゃんとミリィがいそうな場所の見当はつけられたのだなということには感心した。
『……いなくなったら、ちゃんと探してくれるのね』
ミリィも同じことを思ったらしく、ポツリとそう言った。それから、屋根の縁まで歩いていった。
『あたし、帰ることにするわ。あんなに探してるなら、早晩見つけられちゃったでしょうし。それにあの子さ、使い魔のあたしがいなくちゃだめだめだから』
「そっか。なら、帰ったほうがいいね」
引きずる様子もなくあっけらかんとミリィが言ってのけるから、私も引き止めないことにした。デリアの使い魔は大変だろうと思うけれど、本人が納得しているなら仕方がない。
『あなたはさっさと逃げなさいねー。あたしがあの子のところから逃げようって思ったのは、「ピンクのネコがいい」とか言って毛を染められそうになったからなのよ。だから、あなたの姿を見たらきっと捕まえたがるわ』
「え? 本当?」
『ほんとほんと。気をつけて帰ってね。じゃ』
ミリィは言うだけ言うとさっさと屋根を下りて、デリアのところへ駆けていってしまった。
ミリィの姿が目に入った途端、デリアは大げさに見えるほど喜び、嬉しそうにしゃがみ込んで両手を広げた。
可愛がっているのがよくわかる仕草だ。それを見て、ちょっぴりほっとする。
「じゃあ、私も帰ろうかな」
ミリィとデリアの姿が見えなくなったのを確認してから、私は屋根からぱらりと降りた。そして少し歩いてから、元の姿に戻ろうと試みる。
でも、できなかった。
いつもなら、変身を解こうとすると狭い場所から風が吹き出すみたいな感覚になるのに、何も起こらない。
――変身が、解けない……?
そのことに気がついて、ジェームズが言っていたことを思い出した。
――森の中に、魔法が使えない場所が出てきてるんだ。
箒から落ちたときは、魔力の流れが何かに干渉されているのかなと思っていた。それならごくごくたまに、自然現象として起こることだ。
でも、変身が解けないというのは、魔法が使えないというのは、そうそうあることではない。
――それにここ、どこ!?
周囲を見回して、辺りの景色に見覚えがないことにも気づいた。
薬草園の小屋の屋根から降りて歩いていたはずなのに、知らない道にいる。歩いてきた足跡や匂いも見当たらないし、目に入る木や草もここに来るまでに見たものではない。
――とにかく、帰らなきゃ!
少し道を外れてしまっただけなら、きた道を辿る方向に進んでいけばいつか校舎が見えてくるはずだ。校舎が見えたら、細かな方向の修正をすればいい。
そう頭ではわかっているのに、走るうちに気が急いてくる。
進んでも進んでも、知ってるところにたどり着かない気がする。帰れない気がする。それはすごく、怖いことだ。
――誰か助けて!
走って走って走って、心の中でそう叫んだとき、ひょいと体が持ち上げられた。視界が高くなる。捕まえられて、つままれて、目線の高さまで持ち上げられたのだとわかった。
「やだぁ、ピンクのネコちゃん可愛いって思ったら、あんたもしかしてルーラ?」
眼前に迫っているのは、きれいだけど何だかたくましい造作の顔。長い睫毛と派手なアイシャドウとリップは、テレサ先生だ。
「にゃーっ!」
見慣れたものに出会えて、思わず情けない声が出てしまった。それがたとえ先生の濃い化粧でも、安心できる。
「『にゃー』だなんて、何を変な声出してんのよ。早く、戻りなさい!」
「わあっ」
テレサ先生は私の体をポイッと宙へ放ると、杖をかざして素早く呪文を唱えた。そのせいで、地面に落っこちるときには人間の身体に戻ってしまっていて、うまく着地できず尻もちをついた。
「あんた、ネコに変身したら楽しくなっちゃって、元に戻らずにネコライフを満喫しようとでも思ってたんでしょー? 頼むからやめなさいよ、そんなこと。マルクが泣くから」
「そんなんじゃないですよ! ワケあってネコに変身したら、戻れなくなっちゃって! 森の中、何か変なんです。ジェームズも、箒で飛んでたら突然落ちたって言ってたし、私もさっき、道に迷ったのかと思ってしまいましたし……」
言いながら周囲を見回して、ここが演習場の付近だとわかる。薬草園から離れてはいるものの、見知った道だ。知らない場所だなんてことは、全くもってなかった。
「森の中の異変はあたしも気づいてたのよ。だから今ちょうど調査に来てたとこ。箒からの落下と道に迷ったのは何らかの外的要因があると思うわ。魔力の流れが捻じ曲げられてるから、それで魔法が使えない場所が出てきたり、道に迷ったりしてるんじゃないかしら。あたしら魔法使いは魔力の影響を受ける生き物ですからね。でも、変身が解けなかったのはあんた自身に原因があると思うわよ」
何かを探るように、テレサ先生は目をすがめて私を見た。
何を見ているのだろうか。テレサ先生は占いや先見の力を持っているけれど、心を読むなんて能力は持っていなかったはずだ。でも、そうして見つめられると居心地が悪い。
「……えっと、ネコの体はいいなって、思っちゃいました……」
「ほらぁ! やっぱり! ダメよ、変身中は逆に自分が人間であることを常に意識してなきゃ。あんたのことだからどうせ、ネコの姿だったらマルクと一緒にお風呂に入れるとか、一緒のベッドで眠れるとか、いっぱい抱っこしてもらえるとか、そんなこと考えたんでしょー?」
正直に答えると、テレサ先生はほら見たことかという顔をする。ネコになっていたときは思いつきもしなかったことだけれど、確かに指摘された内容は魅力的に聞こえる。ということはつまり、私の中にそういう願望があるということだ。
「……そうですね。マルク先生といつも一緒なら、人の姿を捨ててもいいって、今一瞬思っちゃいました。そういう気の緩みが、だめだったんですね」
「あと、あんたは元々変身がうまくないしね。何かちっこい生き物になって元に戻んなくて森の中を走り回ってマルクを泣かせたこと、忘れたの? あんたが猛禽類に食われるんじゃないかって、心配しまくったのよ」
「……覚えてます。それ以来、変身していい動物のサイズの下限がネコになったんでした」
情けない話を思い出させられて、私は小さくなるしかなかった。そういえば、昔は本気で元に戻るのが苦手だったのだ。
思えば、人間という自分自身に執着が薄かったからかもしれない。
「もうすっかりうまく変身して戻れるようになったと安心してたのにさ、どうしちゃったの? ……人間辞めたくなるようなこと、あった?」
さりげないふうを装って、テレサ先生が尋ねてきた。
言わないけれど、これはきっと何か知っている顔だ。たぶん、マルク先生から聞いたのだろう。
心配されているのだと思うと、何だかふと、泣きたくなってしまった。
それでも何とか、笑顔を浮かべてみる。
「そうですね。もう何もかも嫌になって、それで、逃げてきちゃいました。でも……苦しさは外側じゃなくて内側にあるから、逃げようとしても全然逃げられなくて……」
つっかえながら言葉を紡ぐ私の頭を、テレサ先生はそっと撫でた。大きな手だ。でも、その柔らかさや指先の繊細さは、とても優しかった。私にはいないけれど、お母さんの手はきっとこんな手だってわかる。
「それは、つらいわね。でも、ひとりで苦しまないで。あたしたちはあんたの同朋。マルクにいたっては、家族でしょ。もっと頼って。あんたが楽になるまで、いつまでもここにいたらいいじゃないの。ここは、間違いなくあんたの居場所よ。だから、この世のどこにも自分の居場所がないみたいな顔で苦しまないで」
「……はい」
抱きしめられるように肩を抱かれ、私は少しだけ泣いた。
それは悲しみの涙でも悔しさの涙でもなく、心の中に溜まった澱を流すような涙だった。
こういった涙は、心を軽くしてくれる。それはこれまで生きてきた中で、よく知っていることだった。
「さあ、帰りましょう。早く戻らないと、マルクが心配するわ。リリベルもね」
テレサ先生のその言葉に深い意味はなかったのかもしれないけれど、それを聞いて私はものすごくほっとした。




