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11、夜にピクニック

 ぽっかりと目が覚めてしまった。

 頭はぼんやりするけれど、身体は驚くほど軽い。疲れが取れたのがわかる。というより、こうして身体が軽くなったのを感じることで、これまで自分がどれだけ疲れていたかを思い知らされる。


「今、何時だろ……?」


 部屋の中は明るい。窓から射してくる光が、部屋の中を照らしている。まだ昼間であることがわかって、少しほっとした。

 これでもう夜になっていたのなら、かなり落ち込んだと思う。……別に、何かしたいことや予定があるわけじゃないけれど。

 朝、森から回収されてここに戻ってきてから先生に薬を飲まされて、ベッドに放り込まれた。その上、安眠効果のあるお香まで焚かれてしまって、迫り来る睡魔に抗うことはできなかった。


『とにかく今は、少し眠りなさい』


 有無を言わせぬ、低く落ち着いた声。

 ――ああ、心配かけてしまったんだ。心配してくれたんだ。

 そんなことを最後に思って、私は眠りに落ちていった。

 そしてそのまま、夢も見ずに眠っていた。

 でも、現実と引き離されたかのようで、今このときが夢の中のような心地がする。

 ――先生の匂いがする。

 抱き寄せた毛布に鼻を埋めて、こっそり匂いを嗅いだ。ちょっぴり変態的な行為だってわかっているけれど、このくらい許して欲しい。

 

「ルーラ、起きたの? ……臭かった?」

「リリベル……! ううん、そういうんじゃないんだよ。おはよう」

「おはよう」


 部屋にリリベルがいたことに気づいていなかったし、まさか今のを見られているとは思わなかった。

 リリベルがあまり気にしていない様子なのが救いだ。


「ルーラ、食事してね。私、ルーラが起きたらちゃんと食べるように見張っててって言われてたの」

「そうだったんだ。そのためにここにいてくれたんだね。ありがとう」


 食事の乗った小さなテーブルの前でリリベルが、“えっへん”と言わんばかりに待ち構えている。きっと、そうやって何か役目をもらったことが誇らしいのだろう。

 リリベルの誇りのために、私はテーブルに向かった。


「いただきます」

「どうぞどうぞ。食べられるだけ食べてね。でも、マルク先生は全部食べて欲しいみたいだけど」

「……それなら、全部食べるね」


 向かい側からニコニコと言われたのでは、これは言うことを聞くしかない。それに、リリベルの口を介して聞かされたのでも、先生の言葉には従いたい。心配してくれている人の言葉を、無下にはしたくなかった。

 食卓の上に並んでいるのは、袋状に薄く焼いたパンに具材を挟んだものと、スープとお茶だった。スープとお茶は冷めてしまっていたけれど、暖かい季節だから別に気にならなかった。

 長い間、食べるということをおろそかにしていたのに、ここに帰ってきてからは食べるということが当たり前にそばにある。

 そのことが、改めて考えるとすごいなと思う。


「マルク先生ね、ルーラのこと、すっごく心配してたよ。私は寝てたから知らなかったけど、朝早くに外に行って、それで気分悪くなったんでしょ? そういうのね、だめだよ」


 私が食べるのを見つめながら、リリベルが淡々と言う。お説教なのだろうけれど、小さなこの子が言うと、そのまま正しいと思えるから不思議だ。


「うん、気をつける」

「今度からお散歩に行きたくなっても、私が起きるまで待って、私と一緒に行こうね」

「うん、そうする」


 私が全部食べ終わるまで見守ると、リリベルはおもむろに立ち上がった。どうやら、食器を片づけてくれるらしい。


「私、これをこっそり食堂に返しに行ったらテレサ先生のところに行くから。ルーラは、また寝てなくちゃだめだよ。マルク先生が帰ってくるまで寝てなくちゃだめだからね」

「わかった。ありがとう」


 再びベッドに腰を下ろすのを見届けると、リリベルは安心したように部屋を出ていった。

 昨日と今日とでは立場が逆転していることに気がついて、何だかおかしくなる。

 お香の匂いが残っているからか、まだ寝足りない気がして横になった。食べてすぐ寝るなんて、絶対にやってはいけない行為なのに。でも、咎める人がいないのならいいや。

 食後の満たされた気持ちに包まれて眠るのって、すごく贅沢で幸せな感じがする。それに加えて今は、大好きな先生の匂いもする。

 迷迭香マンネンロウ茴香ウイキョウ、羽衣草、夏白菊……先生のベッドからは、先生がよく使う薬草の匂いがする。その奥にある温かみのある匂いが、先生自身の匂いだ。

 出会ったばかりの幼かった頃は、その薬くさい先生の匂いがあまり好きじゃなかった。

 でも、慣れてしまえば何より安心する匂いだ。

 ――先生はあまり私のことを抱っこしてくれなかったけど、先生に抱きしめてもらったらこんな感じかな。

 素直な憧れと邪な感情が入り交じる頭で、そんなことを思う。

 ――どうせ死ぬなら、先生の腕の中がいい。それが無理なら、先生の匂いに包まれて死にたいな。

 そんなことを考えているうちに、また眠りに落ちていた。



「ルー、起きられるか? もう夜だよ」

「……先生?」

「よく寝たみたいだな」


 身体を揺さぶられて目が覚めた。ゆっくりと目を開けると、そこにはマルク先生がいた。先生の姿をよく見ようと思って目をこすったら、それを見て先生が笑った。


「夕飯、どっかに食べに行けそうか?」

「ううん。そんなにお腹空いてないの」

「だと思った。だったらさ、これから森で夜のピクニックをしないか?」


 笑いながら、先生がバスケットを掲げた。バスケットからはパンと胴が太めの水筒が覗いている。その水筒の中にはたぶん、スープが入っているのだ。


「もしかして、星を見に行くの?」

「そう、正解! よくわかったな」

「うん! だって、よく行ったもんね」


 私は嬉しくなって、ベッドから立ち上がった。それから、脱ぎ捨てて床の上でくしゃくしゃになっていたブーツに足を突っ込む。


「よし、じゃあ行こうか。念のために幻影マントを持っておけよ」

「はーい」


 外はもうすっかり暗い。星を見るのにいい時間が、もうやってきている。

 私は幻影マントに頭から爪先までしっかり包まって、先生のあとに続いた。

 廊下を抜けて、校舎を出て、森の中を少し歩いていけば、木々の開けた広い場所に出る。

 そこにラグを広げて座れば、あっという間に夜のピクニックになる。


「今夜は、ちょっとした流星群が見られるんだよ」

「どこを見てたらいい?」

「放射点は二子ふたご星だけど、この流星群はわりとどこを見ててもいい感じだよ」


 先生に言われて、私は空を見上げた。

 暗い森から見上げると、頭上は満天だ。まだ、降ってくる星はない。

 小さな頃から先生とこうして星を見て、星読みについていろいろ教えてもらっているのに、私には何ひとつ知識が身についていない。どうにも、そっち方面の才能はないみたいだ。

 でも、こうして先生と星を見るのはやっぱり好き。

 

「俺が楽しみにしてた星の観察ができなかった日、ルーが俺の部屋を光るものでいっぱいにしてくれた日のこと、覚えてるか?」


 スープの入ったカップを手渡してくれながら、先生が尋ねてきた。

 すっかり忘れていたことだけれど、そう言われると覚えがあることだ。


「そういえば、あったね。あの頃は先生が何で星を見てるのかわかってなかったから、光るものがいっぱいなら嬉しいかなって思っただけなんだよね」


 そのとき私は確か、夜光石や光虫石、光る虫、光る苔……思いつく限りの光るものを先生の部屋に集めたのだ。石や苔はいいとしても、虫はあのあと大変だったんじゃないだろうか。


「私って、本当にいたずらっ子だったね」

「ああいう、誰かを喜ばせたくてすることはいたずらとは言わないよ。ルーはそう考えると、昔から好奇心旺盛だし、人を喜ばせることが好きだったな」


 過去のいたずらを反省しようと思ったのに、先生はちっともそんなふうに思っていなかったらしい。他の人にも言われたことがあるけれど、本当に先生は私に甘い。

 でも、魔法学校に来るまで誰にも優しくしてもらえなかったから、先生のその砂糖菓子みたいな甘い優しさに私は救われたのだ。

 よく考えたら、先生が私の世話を始めたのは、今の私と変わらない歳の頃だ。それって、すごいことだと思う。

 

「あ、ほら! ルー、星が流れ始めた!」


 先生に促されその方向を見ると、チラチラと星が流れていた。

 駆け抜けていって、瞬いては、消える。

 美しくも儚い光景に、ほぉ……と息がもれた。


「ルー、願い事しなくていいのか? 今なら、いっぱいできるんじゃないか?」

「願い事、かあ……」


 はしゃいだ様子の先生に言われたけれど、すぐには何も思いつかなかった。小さなときは、どれだけたくさんの流れ星を見ても足りないと思うくらいに願い事があったのに。

 でも、何もお願いしなければ、きっと先生が気にするから、私は両手を組んで心の中でそっと願い事を口にした。

 ――先生が幸せでありますように。

 どうか、私が死んだあとも。


「ルー……何か、あったんだろ?」

「え……」


 目を閉じて願い事をする顔を盗み見られていたらしい。先生が、心配そうに覗き込んでいた。

 何でもないよ、平気だよ――そう答えたかったけど、先生の顔を見たら何も言えなくなってしまった。

 ごまかせるときは、ごまかされてくれる人だ。そうじゃなくなってこうして尋ねられたということは、もうごまかされてくれないということ。


「もしかしてさ、ルー。……アイドルをやめたいとか、考えてるのか? そうだとしても、俺はいいと思ってる。お前が嫌なら、やめたらいい。理由も聞かない。ただ俺はルーが幸せでいることを願ってるし、そのためなら嫌なことから逃げたっていいと思ってるよ」

「先生……」

「事務所には、どんなに遅くなっても頭を下げなくちゃいけないだろうけどな。そのときは、俺が一緒に行ってやる。偉い人に怒られるのなんて慣れてるからさ、大丈夫」


 何も話していないのに、先生は大体のことを察してくれていた。その上で、話すことを促さず、沈黙を守ることを肯定してくれた。

 逆の立場だったら、とてもではないけれどできそうにない。

 こんなに優しいのに、こんなに心配してくれているのに、先生に話せないことがあるのがつらい。

 言ってしまえば一瞬は楽になるかもしれないけれど、知られたあとの恥ずかしさや苦しさを想像すると、耐えられそうにない。

 先生に言われるまでアイドルをやめるという選択肢すらなかったものの、やめたところでこの悩みからはきっと解放されない。

 私にはもう死ぬしか道がないというのが、つらすぎる。


「……ごめんなさい……先生、ごめんなさい……」

「ルー……。うん、泣いたらいいよ。今は好きなだけ泣いたらいい」


 何も話せなくてただ泣くだけの私の背中を、先生は優しく撫でてくれた。

 察しの良い先生でも、たぶん私が何を謝っているのかまではわからない。でも、わからないままでいて欲しい。


「やめるかやめないかは、追々考えるとして、今は好きなだけここにいたらいいよ。ルーの気持ちが落ち着くまで、ずっとここにいたらいい。だから、あまり思いつめないでくれ」

「……うん」


 今だけはずるくてもいいかなと思って、私は先生の優しさにすがった。

 真実を知ったら、きっと先生は私のことを嫌いになる。軽蔑する。

 でもそれまでは、先生に優しくしてもらえますようにと、降り注ぐ星々に願った。

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