黒の乙女
スランプと仕事ストレスで気分転換に…
序章部分だけですが、続きを…とご希望いただけるなら続きます(笑)
私はどこにでもいるような普通の高校生だった。
…否、少し訂正しよう、ちょっとだけ変わった女子高生だった。
物心つく頃に交通事故で両親と年の離れた兄を亡くし、父方の祖父母に引き取られて育ったものの、その祖父母も3年前…2年前と相次いで亡くし、高校3年生を間近に控えた今は両親と兄の保険金で祖父母と過ごした家で一人暮らしをしていた、ちょっと変わった女子高生だった。
………そう、女子高生だった。
それは一昨日までの私の話である。
現在の私はというと今となっては各国の歴史的価値のある建物にしか遺されていないような、堅牢な石造りの殺風景な部屋の端っこにぽつん、と膝を抱えて座っている。
出来るだけお金がかからないように大学は推薦や特待生、奨学生を狙っていたので勉強はたくさんしている。
並の高校生より知識は豊富だと自負している私は、ここがどういった場所なのか解らないほど子供ではないつもりだ。
どうしても認めたくなかったので直接的な表現は控えたが、そろそろ色々と限界なので言ってしまおう。
―――ここは、間違いなく牢屋と呼ばれるに相応しい場所だった。
残念ながらここに入れられた経緯については一切記憶にない。
有り体な表現だが気が付けばここにいた、としか言えない。
因みに私の中にある最後の記憶は、三日後に迫っていた期末試験に向けて家で勉強していたところまで。
その時既に時計は丑三つ時に迫っていたので、恐らくはそのまま寝落ちしたのだと予想はつく。
………で、起きたらここにいた、というのが一昨日までの話しだ。
さすがにこの状況を夢だとは思わない。
ああ、否、思いたいのは山々だが、そうにもいかない事情と言うものがある。
まず始めに一度寝て起きてしまったこと。
次にお尻と背中に当たる石の冷たさが本物であること。
そして掌の痛みが本物であること、だ―――。
話は一時間ほど前に遡る。
起きたら違う場所にいる、なんてありきたりなファンタジーを体験した私は現実逃避の為、夢落ちを期待して早々に寝直したのが昨日のこと。
もう一度同じ牢屋で目を覚ましてしまったことについて考えるべく、悶々と頭を抱えようとしたその時、その答えは向こうから姿を現した。
牢の外からコツコツと人の足音が近付いて来た。
(いち、に、…3人かな…)
暢気にそんな予測を立てていたあの時の私は、まだ現実逃避の途中だったのだろうと今になって思う。
硬質な足音が私の牢屋前で止まると、今度はじゃらじゃらガチャガチャと鍵を開ける音がした。
がちゃん、と言う音が静かな牢の中に響くと、その扉は静かにゆっくりと開かれた。
入ってきたのは黒子ならぬ白子…全身真っ白な衣装に身を包み、顔まで白い布で覆われた人―――身体つきで言うなら恐らく男―――だった。
ソレは扉のところで優雅に一礼して見せると、さっさと私の前で膝を付く。
半径1メートル内に入られた瞬間、悪寒が足元から脳天へ駆け抜け、全身の毛が警戒心剥き出しの猫のように総毛立った。
反射的に立ち上がって逃げようとした途端に、白いのは素早く私の右手を捕らえる。
「ぃやっ!?」
私がその手を振り払うより早く、白いのはいつの間にか手に持っていたナイフのようなもので私の掌を一文字に切り裂いた。
「いっ!」
かなり深く切られたようで、ぼたぼたと石床の上に鮮血が滴る。
白いのはもう用は済んだとばかりにあっさりと私の右手を解放すると、またもや何処から取り出したのか、ビー玉サイズの透明な珠を私の血の上に置いて、ぶつぶつと何かを呟き始めた。
すると珠が私の血を吸い上げるようにして赤く染まり、終いにはルビーの様な赤い珠が出来上がる。
私は傷付けられた右手を庇うように抱き込んで、出来るだけ距離を取るように縮こまってその光景を呆然と見ていた。
(な、に?今この人なにしたの!?)
掌の痛みを忘れるほど混乱しまくっている私を他所に、白いのは出来上がった赤い珠を丁重な扱いで拾い上げると、殊更丁寧に白いハンカチサイズの布で包むとそっと立ち上がり、またもや私に向かって一礼するとそのまま牢屋を去って行く。
もちろんその際に扉の鍵を閉め忘れるなんて間抜けなことはしてくれなかった。
ガッチャン、とやけに大きな音を響かせて鍵が掛けられた瞬間、私は漸く我に返った。
「なん、だったの…」
と、まああれから考えること一時間。
結論としてはファンタジーで落ち着いた。
普段参考書ばかり読んでいた私に、クラスメイトが無理矢理押し付けたライトノベルの存在を思い出したからだ。
結局あらすじしか読まなかったが、最近の流行りは今の状況らしい。
(全然解決してないけどね…)
どういう現象なのかは判明したが、情報が少な過ぎてそれ以上のことはさっぱり解らないままだ。
逃げ出すべきか、留まるべきか…どうすれば正解なのかそれさえもわからない。
途方に暮れて抱えた膝に顔を埋める。
(………こんなときファンタジーなら白馬の王子様的な人が助けてくれるのかなぁ…)
ぼんやりと思うが、でもすぐにそんな考えを内心首を振って否定した。
(そんな人いるわけない…だって…掌、すごく痛い…これは夢じゃない…お話でもない…現実の出来事…)
認めてしまえば急に心臓がギュッと締まった気がした。
何とも言えない感覚が私の胸のずっと奥の方に澱の様に溜まっていく。
(………どうしたら…私、どうしたら…………)
********************
「―――報告は以上です…」
「…わかった、そのまま続けろ」
男がそう言うと任務報告をしていた部下は、静かに腰を折ってから退室していった。
パタン、と扉が閉まると男は大きく息を吐き出す。
「やはり早急に片を付けるべきですね」
今まで男の後ろで黙って報告を聞いていた騎士が口を開いた。
男はちらりと騎士を見やって同意を示す。
「こうも内情が探れないのであれば強行突破も視野に入れねばならんな」
「うちの参謀なんてあちらさんに攻略する気満々みたいでね、女共が悲鳴上げそうな顔で作戦会議室に引き籠ってますよ」
ちなみに笑顔は三割増しでした、と余計な情報まで添えて騎士は今朝会った同僚の顔を思い出して口元を引きつらせた。
現在ここ、フォルティス帝国―――通称帝国―――では隣国ローラン王国からの国境侵攻に悩まされている。
昔から弱い癖に度々帝国領を突っつきにくる面倒臭い国ではあったが、元々帝国とローラン王国では圧倒的な国力の差があり、世界最大の軍事力を誇る帝国にとってローラン王国の侵攻など、簡単な露払いでしかなかった。
しかし、近年…一年程前から頻繁に小競り合いを仕掛けられるようになり、尚且つその被害は回を増す毎に大きくなっていた。
主な原因は魔道具を使っての侵攻が増えたこと。
世界有数の良質な魔石―――大気中の魔素が固まってできた鉱物とされている―――産出国である帝国。それに比べてローラン王国で採れる魔石は質も悪ければ数も少ない。
魔道具を動かす原動力になる魔石。魔石の質一つで同じ魔道具でも性能は飛躍的にアップする。
あまり魔石の採掘に恵まれていないローラン王国が、これほど頻繁に上質な魔石を駆使した国境侵攻を繰り返せる原因を間者を使い探らせているが、ここ半年で得られた情報はあまりにも少ない。
どうやら余程厳重に情報規制をしているらしく、間違いなく現在ローラン王国においてのトップシークレットは魔石に関することだろう。
報告によれば知っているのは国王と一握りだけで、王妃や軍の最高司令官ですら魔石の出所は知らされていないという。
「これ以上は時間の無駄だ。どうせ末端は何も知らされておらんだろうから上層部だけで構わん。参謀長官に「攻略してこい」と伝えておけ」
「はいはい、んじゃまぁちょっくら働いてきますから、後の事は副官にお願いしますよ」
最小最弱の王国攻略を命じられた騎士は飄々とした様子で面倒な仕事を己の副官に押し付け、最前線に出ることを決めた。
書類の山に押し潰されている副官の姿を思い浮かべてニヤニヤと部屋を去ろうとする騎士の背に男は声を掛ける。
「態々騎士団長が出るのか、テオドール」
「ま、最近運動不足かなって思えちゃうことが多々あってねぇ………ついでになんつーか、俺が行った方がいい気がするんで、ね?」
普段は飄々と相手を煙に撒くような言動ばかりするテオドールだが、この若さで騎士団長の位を賜っているだけあって、物事の見極めについては鬼才と名高い参謀長官ですら舌を巻く。
その男が不鮮明なことが多いとはいえ、下の下の格下を態々相手にすると言うのだから、何か思うところがあるのだろう。
男はそのまま放っておくことにした。
「…好きにしろ」
「うんうん、そういうところ前皇帝と違って理解があって俺は大好きですよー、ヴェルセリオス陛下ー」
黙れ気色悪い、と男―――ヴェルセリオス―――が切って捨てるのも気にせずにテオドールはひらひらと手を振りながら執務室を出ていった。
***************
ドーンッ、ドドーン、と大きな音がして部屋が揺れた。
先程まで閉じていた瞼を持ち上げて、ぼんやりした思考で寝転んだまま周りを見回した。
今までと変わらない石造りの少し暗い牢屋。
(…地震?)
ドンッ、ドーン、と地響きがする度、頭上からパラパラと砂が落ちてくる。
外の音が聞こえるわけではないが、今日は随分と騒がしい気がした。
(………いつになったら………私は…………)
既に半分ほど微睡んでいる思考を、瞼を閉じることで完全にシャットアウトした。
少し身動ぎするとじゃらじゃらと不愉快な音が耳に障る。
視界を閉ざしたことで他の五感が鋭くなったのか、さっきまで全く気にならなかった鉄錆の臭いが鼻につく。
しかし私の意識は嗅ぎ慣れた臭いにどうこう思うことなく、再び静かに沈んでいくのだ………―――。
(………お願い…………誰か、私を………―――)
*********************
「―――やっぱりローラン王国相手だと呆気ないなぁ…」
もうもうと煙を上げる王城を城壁近くで見上げながらテオドールはつまらなさそうに呟いた。
「当然ですよ、元々騎士団長が出るような案件ではありませんからね」
グリフィスは何を今更、と言いた気な顔で隣に立つテオドールを見た。
「………何か気になりますか?」
つまらなさそうな声とは裏腹にテオドールの表情は険しい。
城内の建物、そのある一点を見据えてまるで睨み付けているようにも見える。
「………なあ、帝国が勝ったんだよな」
「そうですね、上層部は軒並み捕らえたと報告がありましたからね」
だよなぁ、と尚も納得のいかない顔で城を見上げている。
「何をそんなに気にしているのです?」
「んー?なんっつーか…あれかな…焦り、かなぁ?なんかそわそわするっていうか………無性に気になるっていうか…?」
煮え切らない状態を見かねてテオドールに尋ねてみるが、本人も感じることをそのまま口にしているような、纏まりのない返事が返ってきた。
その間も余程気になるのか、城の一郭から視線が外れない。
「んー、じゃグリフィス後は頼んだ」
「…は?」
唐突にちょっとトイレ、とでも言いそうなノリでテオドールはさくさくと歩き出す。
「ちょっと!待ちなさいテオドール!貴方せめて指揮をしてからっ………!」
グリフィスが一拍遅れて反応した頃には、城門を潜るテオドールの後ろ姿がそのまま中に吸い込まれていった。
**********************
現場の指揮権をまるっとグリフィスに丸投げしたテオドールは、よくわからない感覚を頼りにローラン王国の王城、トローン城の離宮エドラ宮の前に来ていた。
「ここなんだがなぁ………どうして下に行きたくなるかなぁ?」
城内に入ってからあのよくわからない感覚はテオドールをより強く惹き付けた。
呼ばれているのだと思う程強く、強くテオドールを引き寄せる。
テオドールはぼやきながらもエドラ宮の扉を開き、迷うことなく中へ足を踏み入れた。
豪奢なエントランスに立ってぐるりと辺りを見回すと、左右から湾曲して伸びる二階への階段、その中央に飾られた風景画が気になる。
「…」
絵画の前に立って絵の中央に右手を添えると、体内の魔力を一気に絵画へ流し込む。
するとパリンッと硝子が砕けるような音と共に、長閑な田園を描いた風景画は光の粒子となって消え去り、下へと続く薄暗い階段が姿を現した。
(随分と高度な封印式使うねぇ…ローランで高位魔術を使えるってなると間違いなく魔術師長が絡んでるねぇ…)
テオドールは左手を目の高さまで掲げると魔法で小さな光の玉を作り出した。
それをひょいっと放り投げる仕草をすると、玉はテオドールの少し上で落ちずに留まる。ついでに右手で指を弾くと光がグッと強さを増して随分と先の方まで見通せるようになった。
「さぁて…何隠してやがるかねぇ…」
テオドールはそのまま光を頼りに階段を下って行く。
―――階段は意外にも長かった。
感覚の話になるが、二階層程下ったところで階段が終わり、通路に辿り着いた。
きっちりとした石造りの通路で、ここになって漸く通路の両脇に松明が掲げられ、魔術により永続的に火がくべられているようだ。
(………こりゃまぁ厳重だねぇ…)
階段が終わってから先の通路にはまたもや魔術が仕掛けられていた。
(………魔封じと…もう一つはなんか色々混ざっててわかん難いな)
テオドールは右手をサッと横に振り払って光の魔法を途切れさせた。
テオドール程の魔力持ちならこの程度の魔封じで完全に力を封じられる事はないが、この中で無理に魔力を使おうとするといつもより消費が激しくて疲れるのだ。
松明の光があるので視界に問題はない。
少し眉間を寄せて、テオドールは奥へ進んでいった。
2、3分程歩いたところで漸く終着点と思し召しき場所に辿り着く。
堅牢で重々しい鉄の扉だ。
そしてこの扉にも高位魔術が掛けられていて簡単には開きそうもなかった。
「………あー、グリフィス呼んでくっかなぁ?」
階段の入口に掛けられていた術式と似ているが、余程大事なものを仕舞ってあるのか、こちらの方がさっきの数倍は面倒臭そうな気配がした。
ついでに言うと魔封じは尚も続いている。
さしものテオドールもこれにはちょっと骨が折れる。
何せグリフィスと違ってテオドールは然程魔法が得意ではない。ただ魔力の高さだけは馬鹿みたいにあるので、魔力の高さにモノを言わせた力業で大抵のことは突破出来る。ただし、コントロールが壊滅的。
まあ、要するにただの馬鹿力だ。
そして面倒なことが嫌いなテオドールはそのまま強行突破することに決めた。
因みに考えたのは2秒。
絵画のときと同じように右手を扉に翳すと、一気に魔力を流し込む。
(っ!なんだっ…さっきとは反発が比べ物になんねぇっ!)
テオドールの魔力よりも扉に施された術式に込められた魔力の方が明らかに大きかった。
フォルティス帝国で二番目に魔力の高いテオドールの魔力で強行突破出来ない術式などないに等しい。
テオドールよりも魔力の高いヴェルセリオスか、魔力の綿密なコントロールを得意とするグリフィスぐらいしかテオドールの魔法に対抗することは出来ない…はずだった。
なかなか突破出来ない扉にテオドールの苛立ちは募る。
(…っざけんなよっ!こんな綻びだらけの術式に魔力だけ上等なの使いやがってっ!この程度で俺を阻もうなんてっ…!)
「百万年早ぇんだよっ!!!」
ありったけの魔力を術式に押し込んだ結果、爆音を響かせて扉がぶっ飛んだ。
砂埃が立ち込めて視界が悪くなったが、扉を開けられて満足なテオドールには些細なことだった。
この部屋には魔封じがされていないようなので、再び光の魔法を発動させて部屋全体を明るく照らす。
少しすると視界も晴れてきて、薄暗い室内の全容が徐々に見えてくきた。
「さーて?何をこんな厳重に………」
ふざけた様子のテオドールの顔が一瞬で凍り付く。
開けた視界に映るのは壁一面に描かれた赤い文字の魔方陣。
四方の壁、天井、床に至るまでビッシリと赤い魔法文字が刻まれている。
何よりテオドールを凍り付かせる原因となったのは、部屋の中央にぽつりと打ち捨てられたそのボロ布の塊だった。
砂埃を被った薄汚れた布の端からはみ出る四肢は、部屋の四隅に打ち込まれた鎖に繋がれている。
顔は見えない。しかしソレは確かに人型をしていた。
体格的に見て恐らくはまだ子供。
床に散らばる艶を無くした漆黒の長い髪。
その黒を見た途端、テオドールは脳の血管が焼け切れる音を聞いた。
**********************
豪華絢爛な玉座の間にて、グリフィスはローラン王国の重鎮達を護送する準備を始めていた。
勿論、テオドールの代わりに、である。
主要な人物が軒並み捕らえられていることを確認して、グリフィスはかなり恰幅のよい一際目立つ豚…っぽい男に目を向ける。
「…お初に御目にかかります、我が帝国に戦を仕掛けるという偉業を成した偉大なるローラン国王。さて、歴史的快挙に踏み切って見事に敗れ去った今のお気持ちをお聞かせ願えれば幸いですが?」
笑顔四割増しで隠しきれていない毒を吐き出したグリフィスに、後ろ手に両手を縛られ床に転がされているローラン王は首を持ち上げ唾を飛ばしながら叫び出した。
「貴様!下穢の身でありながらこのローラン国王たる儂になんたる無礼っ!!赦さん!即刻その首を飛ばしてくれる!!」
「おやまぁ…相も変わらず残念な頭をお持ちのようですね?この状況においてまだそんな元気がおありとは…」
家臣の方々もさぞや苦労しておいででしょうね?と同じく縛られている捕虜達の顔を見渡せば、赤い顔をして尚もごちゃごちゃと叫び続けるローラン国王とは打って代わって真っ青な顔色ばかりである。
「どうやら状況が理解できないのは国王ただ一人のようですね」
嘆かわしいとばかりに盛大な溜め息を吐いてみるも、ローラン王はまだグリフィスを罵ることに飽きた様子はない。
「―――おや?」
どうやってこの煩い国王を黙らせてやろうかと考えていると、玉座の間に大きな魔力の揺らぎを感じてグリフィスはその揺らぎ、背後を振り返った。
よく知った魔力の気配だったので、別段警戒はしなかったのだが、その気配が大きく揺れているのが気に掛かる。
グニャリ、と空間が歪んで先程職務放棄をしてどこぞへ姿を眩ました騎士団長が現れた。
従軍の際に身に纏っていた黒の外套で何かを包んで、表情の抜け落ちた顔でそこに佇んでいる。
「テオドール、貴方一体どこへ………テオドール?」
いつもの飄々としたふざけた様子のない…むしろ剣呑な研ぎ澄まされた魔力を垂れ流しているテオドールに戸惑うグリフィス。
そんなグリフィスが見えていないのか、或いは気に留めていないのか…テオドールはグリフィスの横を通り過ぎ、ローラン王国の面々を見据えながらその眼前まで歩みを進める。
そんな尋常ではない様子のテオドールに気圧されてか、垂れ流される魔力を恐れてか、ローランの上役たちは一様に顔色を悪化させ、もはや死人の顔でテオドールを見ていた。
その中でも一際恐れの色を浮かべ、みっともなくガタガタと震え上がる初老の男の前でテオドールは足を止める。
「―――貴様が魔術師長だな」
「ヒッ!!」
付き合いの長いグリフィスですら聞いたことがない、地を這うような声で言葉を掛けられた男は飛び上がって後退ろうとするが、震え過ぎて脚が上手く動かないようで、もがくように動かす脚はつるつると床の上を滑るだけで男の身体を後ろへ逃がしてくれることはない。
テオドールが外套にくるんでいる何かを片手が空くようにそっと抱え直すと、その隙間から黒髪の一房がひらりと溢れ落ちた。
それを見た魔術師長はまるでお化けにでもあったような顔でテオドールを見上げる。
「何をした」
魔術師長はテオドールの問いにガタガタと震えながら懸命に首を振る。
テオドールは右足を持ち上げ、魔術師長を蹴り倒すともう一度右足を振り上げて、仰向けに倒れ込んだ魔術師長の胸の上にその右足を勢い良く降り下ろした。
「ぐぁっ!!!」
魔術師長の呻き声と共に静まり返った玉座の間に、バキンっと骨の砕ける音が響く。
「答えろ。何をしたかと聞いたんだ」
そう言いながらテオドールは尚も右足に力を込めると、魔術師長の口からより大きな叫び声が飛び出した。
なんとかテオドールの足から逃れようと身を捩っているが、力の差は歴然でどう足掻いてもそこから抜け出すことができない。
「テオドール!何をしているのです!?捕虜への虐待はっ…」
テオドールの暴挙を止めようとグリフィスが口を挟むが、普段では考えられないほど凍てついた眼差しを向けられてたじろぐ。
「黙れ、グリフィス。倫理や道徳など知ったことか。返答によってはローラン全土を焦土としてやっても足りないくらいだ」
そう言ってテオドールは抱えていた荷の布を剥がして見せた。
「黒髪っ!?テオドール!貴方一体どこで!?」
「離宮の地下牢だ。牢の中に血で描かれた魔術陣があった…本当に…皆殺しでも安いくらいだっ!」
苛立ちに任せて右足に力を込めると魔術師長は更に逃れようとテオドールの足を掴んで爪を立てる。
「テオドール!でしたら尚のこと殺してはいけません!何らかの術を掛けられていたのなら先に術を解除しないと場合によっては命に関わります!何より先に姫様の治療を!!」
グリフィスは今にも魔術師長の息の根を止めかねないテオドールにとりすがるようにして、遺体と見間違いそうなほど動かない少女をひったくると、すぐに転移魔法を展開する。
「テオドール、私はこのまま城に直行してエドウィン医師の元へ!くれぐれも!誰一人殺すことないように!姫様の為です!我慢なさい!」
「わかっている…だからこうして………もういい、早く行け」
冷めた視線を魔術師長に注いだままテオドールはグリフィスを追い払うように転移を促す。
グリフィスとしては今にも理性を飛ばしてしまいそうなテオドールが大変気に掛かるが、今の最優先は少女の安否だ。
三度「殺すな」とテオドールに念を押してフォルティスの王城へ転移した。
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「―――後はお目覚めになるのを待つしかありませんな…」
宮廷医エドウィン老は悲痛な眼差しを真っ白なベッドで眠る少女へと注いだ。
緊急用の転移陣でグリフィスが色をなくした少女を担ぎ込んで来たのが半日前のことだ。
少女を目にするや即座に魔法による治療を行い、グリフィスと協力して少女に掛けられた魔術の全てを解除し終えた今、ぼろぼろだった少女は表面上は穏やかに眠っている。
「…よもや姫様ご自身の魔力を使ってこのようなっ…」
施されていた魔術から、少女がどういった状況だったのかは、凡そ検討がついた。
ここ一年、高価な魔石を乱用出来た理由。
それは単にこの少女の存在があったからである。
そもそも魔石には主に二種類存在する。
大気中の魔素が固まって出来る天然物と、魔力の高い者が宝石などに己の魔力を注ぎ込んで出来る人工物だ。
生物の体内を巡る魔力は血液と共に常に循環している。
つまり血液には魔力が大量に含まれている。
高い魔力の持ち主ほど、その血が持つ魔力はより純度が高く強力だ。
少女の魔力は歴代最高峰と謳われる現皇帝陛下ヴェルセリオス・フェリオ・フォルティスをも上回る。
ローラン王国関連で押収された魔石を解析に回した結果、すべての魔石に込められた魔力は同一のものと判明―――つまり、少女の魔力と一致した、との報告があった。
―――ローランは少女の強力な魔力を使い、無尽蔵に純度の高い魔力を製造していた、ということだ。
少女、及び彼女が捕らえられていた部屋の魔術式を解析したところ、掛けられていた術は多岐にわたる。
まず、牢へと続く階段の隠匿に使われていた幻術。
少女の拘束に使用されていた魔封じの術。
牢の扉を封印していた結界術。
他にも枚挙してしまえばキリがないほど細かな術式の数々。
これらの術すべてが少女の膨大な魔力を原動力に発動されていた。
要するに少女は己の魔力であの場所に囚われていたのだ。
「…テオドールになんと言えばよいか…」
「俺が、なんだって?」
独り言のように呟いた言葉に返答があって、グリフィスは勢いよく声のした方を振り返った。
粗方仕事を終えたのか、堅苦しい詰め襟の軍服を着崩した気だるげな表情のテオドールがドアのところに立っている。
ちらり、と何も言わないグリフィスを一瞥してテオドールは少女が眠るベッドの脇まで歩み寄る。
テオドールは少女の枕元に膝を着くと、その顔をそっと覗き込んだ。
「…まだ、目覚めない、のか」
呟くように漏れ出た言葉は静かな部屋によく響いた。
「肉体的な治療は問題なく終了しておりますが…姫様は心が酷く傷付いておられる…その回復がいつになるかは姫様のお心次第です…場合によってはこのままお目覚めにならないことも…」
エドウィン老は痛ましそうに目を伏せる。
「…黒の乙女がどういった存在か、この世界の住人が知らぬはずはないだろうに…なんと恐ろしい真似を…」
この世界、サクリアで黒の乙女とは即ち魔を司るものの王とされている。
サクリアでは生き物すべてが大なり小なり魔力を持って生まれてくる。
世界を維持する為には、大気中の魔素が上手く循環されなければならない。魔素が循環されず澱んでしまうと世界が崩壊するのだ。
澱んだ魔素は生き物に悪影響を及ぼす。
主な例としては自然破壊や疫病、自然災害がそれに当たる。
それを防ぐために魔素を上手く循環させる存在、それが魔を司る魔の王ー通称魔王ーと呼ばれる。
しかし誰しもが魔王になれる訳ではない。
当代魔王はフォルティス帝国皇帝のヴェルセリオス・フェリオ・フォルティスである…が、彼もまた正式な魔王ではない。
正式な魔王は神託よって選ばれた黒を纏いし乙女とされているが、ここ数百年は神託は下されておらず、ヴェルセリオスが空席を埋めるために代名としてその任についている。
「魔王を害せば世界が滅ぶ…物心ついた子供ですら知っていることです…しかし、数百年代名を立てて凌いできたこの世界で魔王の存在を眉唾物だと言う者も少なくはありません…」
「世界の成り立ちすら忘れてしまうとは、なんと嘆かわしい…」
短命種の人族が多く暮らす国、短命種が治める国では特に長命種たちの国よりもその傾向が強い。
ローラン王国もその一つだ。
逆に黒の乙女の信仰に厚いのが長命種の国…フォルティス帝国はその筆頭である。
その理由はフォルティス帝国の初代皇帝が黒の乙女であったことに起因する。
黒の乙女が建国したのがフォルティス帝国なのだ。
黒の乙女の血族であるが故に、フォルティス皇族は他の種に比べて魔力が強い。
更に初代皇帝と番になったのは竜族で、魔力の所有量において右に出る種族はいない。
現在のフォルティス帝国は黒の乙女の血を受け継ぐ竜族が代々皇帝を勤めているので、黒の乙女信仰の厚い国からは一目置かれていた。
「人族の無知さなど今に始まったことでは………倪下っ?」
忌々しげに言葉を吐き出していたテオドールは、少女の瞼が震えるのを見て身を乗り出す。
テオドールの声に反応してか、少女の瞼がゆっくりと持ち上がった。
「なんとっ!」
「姫様っ!?」
ベッドから離れていたグリフィスとエドウィン老が驚きの声を上げる。
「倪下!わかるかっ!?」
ぼんやりと焦点の合っていない少女の黒い瞳を覗き込みながら、テオドールは必死な様子で声を掛ける。
ゆらゆらと揺れていた少女の瞳がやがてゆっくりとテオドールの深い青の瞳を捉えた。
「倪下、もう―――」
「―――…して」
小さな声はテオドールの言葉を遮って、彼の中の魔力を大きく揺さぶった。
テオドールが少女の発した言葉を理解するより早く、己の意思に反した右手が少女の細く白い首を乱暴に締め上げる。
「テオドールっ!?何をしているのです!?正気ですかっ!?」
「なんということを!テオドール殿!?」
異常事態に気が付いたグリフィスとエドウィン老が慌ててテオドールを引き剥がそうと駆け寄った。
そうしている間にもテオドールの右手は、少女をベッドに押さえつけるようにしてギリギリと首を締めていく。
テオドールはいうことを聞かない右手を少女から引き剥がそうと、左手で自分の右手を押さえつけた。
「や、めろ…っ!そん、なことっ…!俺に…願うなっ!!」
全身の魔力を左手に集中させて抗うテオドール。
「グリフィス殿っこれは恐らく姫の魔力による作用じゃ!テオドール殿の『抵抗』の補助を!」
「やってみます!」
テオドールの現状を看破したエドウィン老がグリフィスに素早く指示を飛ばす。
魔力によって操られているのなら、それ以上の魔力をぶつければその作用は解かれる。
平常の少女の魔力であればそれは敵わないだろうが、幸か不幸か今の弱りきった彼女の魔力なら三人で押し返せば勝機はある。
エドウィン老とグリフィスは全力で『抵抗』の補助を開始した。
********************************
テオドールは呆然と己の右手を眺めていた。
全力で右手を押さえつけていたので手首の辺りにはくっきりと左手の手形が付いている。
自分の手形だけが、その腕に刻まれている絶望…。
人は殺されそうになったときには無意識に抵抗する生き物だ。
その抵抗を少女は一切行わなかった…その事実がテオドールを絶望の穴に叩き落とす。
結論から言うと『抵抗』には成功した。
成功した瞬間にエドウィン老が魔封じの腕輪を少女の右手首に嵌めたことにより、再発も防止されている。
もちろん少女は再び治療を施され、今は眠りに就いていた。
「―――…テオドール…」
「命令じゃない…願いだった…」
あの時、少女は願いを口にした。
己が今最も願うことを言葉に…魔力に乗せて願ったのだ。
「殺して、と…そう言われた………」
テオドールの生家は代々『魔王』の守護を担ってきた家だ。
初代魔王の近衛であった者の子孫で、テオドールもその例に漏れず古の契約に従い、現在はヴェルセリオス皇帝陛下の護り役に就いている。
普段の軽薄そうな物言いからはあまり想像出来ないが、『魔王』に対する忠誠心は間違いなく本物だ。
特に魔力の強いテオドールは昔から『魔王』の存在を切望していた。
理由は定かではないが魔力の強い者は特にその傾向が強い。
あの地下牢で黒を見つけた瞬間の歓喜と絶望と憎悪は口舌尽くしがたい。
ただひたすら『魔王』を求めて生きてきて、それを手に入れたはずだったのだ。
だがその『魔王』に静かに乞われたのは「死」であった…。
テオドールの魔力を簡単に揺さぶるほどの強烈な願い。
魔力を持つ者にとって『魔王』の願いは強制力を持つ。
強く、強く願われるほど強烈なまでの強制力を持つ『魔王』の言葉。
テオドールほどの魔力の持ち主を意図も簡単に動かしてしまう…強烈な死への願い…。
「………ずっと…待っていた…この黒に出会える日を…だが………」
ベッドに眠る少女が酷く恐ろしい。
自分にあれほど強烈に「死」を切望する少女が恐ろしい。
『魔王』の願いは望むまま全てを叶えてやりたい気持ちと『魔王』を亡くしたくない思いがせめぎ合う。
「―――不様だな、テオドール」
唐突に投げ掛けられた言葉にテオドールは己の右手から視線を外して後ろを振り返ると、悠然とした様子で佇む当代魔王、ヴェルセリオスがそこにいた。
「そりゃ…そうでしょうね…」
「なんだ、言い返して来んのか」
ヴェルセリオスはつまらなさそうにいい放つと、テオドールの様子をさして気に留めることなくスタスタと少女が眠るベッドの傍まで歩みを進めた。
「…随分と派手にやってくれたな、ローラン王国は」
ヴェルセリオスは静かに眉を寄せると青白い少女の頬をそっと撫でる。
そのまま静かに身を屈めると、眠る少女の額に己のそれを合わせた。
合わさった場所から小さな淡い光が漏れる。
「嗚呼、本当に…種ごと滅ぼしてやりたくなるな…―――勅命をもって命ずる。テオドール=ランドルド騎士団長、『魔王』に害成す者共を葬ってこい」
静かに命じながらヴェルセリオスは少女から身を離して、テオドールに青白い光の球体を差し出す。
少女の記憶を写し取って閉じ込める魔法。
大きさから見て一連の騒動が起こった一年分の記憶…。
少女の…『魔王』の痛みの全てが詰まった…。
「―――拝命賜った」
少女が負った苦しみの全てを…全てをこの世界から―――。
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