アクアツアーの主
こんにちは、葵枝燕でございます。
この作品は、[夏のホラー2017]参加作品です。やっと書き上げたので、投稿します。
あまり、というより全くこわくないとは思いますが、楽しんでいただければ幸いです。
それは、友人であるサキヤの唐突な発言から始まった。
「なあなあ、お前ら。裏野ドリームランド、って知ってるか?」
夏も本番に差しかかった七月の終わり。昼休みを三号棟のロビーで過ごしていた俺達の元にやって来たサキヤは、挨拶を挟むことなくそう訊ねてきた。そんなサキヤの言葉に、その場にいた三人――ミチキ、タシロ、そして俺――は、顔を上げてヤツを見上げた。
三人でテーブルを囲んで一時間は経っていたのに、その間誰一人として口を利くことなく、全員が全員スマートフォンの画面とにらめっこしていたのだ。最近の大学生というのは、大方そんなもんなのかもしれない。コミュニケーション力の低下は、こんな状況からも見て取れる。
それはさておき。サキヤの問いには答えなければならないだろう。
「裏野ドリームランド? それって、あれか? こっから三駅先にある遊園地だろ? てかお前、人を呼び出しといて遅刻するとかどういう了見してんだよ?」
これは、ミチキの発言。法律学科に所属するミチキは、俺達の中で唯一の奨学生で、成績優秀を絵に描いたような見た目と実力の持ち主だ。基本的にいつも不機嫌そうだけど、なぜか今はそれ以上に不機嫌だ。
「そんなのあるの? 初めて知ったよ」
これは、タシロの発言。国文学科に所属するタシロは、俺達の中で唯一の県外出身者で、ほぼ常にのんびりとしているヤツだ。軽く首を傾げながらそう言うあたりが、こいつが女だったらかわいいのかもしれないと思わせてしまう。
「裏野ドリームランドって、確か廃園になったんじゃなかったっけか?」
これは、俺の発言。国文学科に所属する俺は――まあ、不可も可も良も優も網羅しつつ、どちらかというと可と良が多いという、どうしようもない成績の持ち主だ。
「そそ、それそれ。こっから三駅先の廃園になった遊園地――それが、裏野ドリームランドだ!」
これは、サキヤの発言。経済学科に所属するサキヤは、俺以上にどうしようもない成績の持ち主だ。高校からの付き合いの俺からしたら、こいつは無事あと二年で卒業できるのか、疑問だし心配になってくる。
「で? その裏野以下略が何だってんだよ?」
ミチキが、声に苛立ちを織り交ぜて言う。言外に「つまらねぇこと言ったら、ただじゃおかねぇ」と告げているに違いない。俺達と時間を潰すよりも、色々とやりたいことがミチキにはあるのだろう。
もっとも、そんな言葉の裏の裏が通じるほど、サキヤは聡明なヤツではないのだが。
「裏野以下略って……ま、いいや。行こうぜ!」
「……は?」
ミチキ、タシロ、俺の声が重なる。そんな俺達を代表するように、
「“行こうぜ”って、どこに?」
と、タシロが言った。さすがのんびり男、自分のペースを取り戻すのが早い。
「だから、裏野ドリームランドにだよ! みんな今日は、もう講義ないだろ?」
「ボクは二限で終わったよ」
「俺は一限しかないし」
「オレは元々、講義自体入ってなかったけどな」
タシロ、俺、ミチキの順で答える。ミチキ、講義なかったのか……ご愁傷様だな。不機嫌の理由は、どうやらそういうところにあったらしい。
それでも結局、三人全員が荷物をまとめるあたりが、俺達の甘さだと思う。
サキヤは、言い出したらなかなか自分の意見を曲げないのだ。よく言えば“意志が固い”、悪く言えば“ワガママ”な、サキヤはそういうヤツなのだ。
大学の最寄り駅から三駅先にある裏野ドリームランドの門の前に立って、俺達は――いや、サキヤを除いた俺達三人は、息を飲んでいた。
元は淡い色彩の門だったらしいが、ペンキが剥げている箇所が目立つためにそんな印象は全く感じられなくなっている。それは、門の向こうに拡がる園内の施設にしても一緒だった。ここがかつては明るい声に包まれていたなどと、誰が信じるだろう。
「ほら、行くぞー!」
この場で元気なのは、言い出しっぺのサキヤのみだ。ミチキは不機嫌なままだし、タシロはどことなく青ざめて見えるし、俺はといえば身体全体が重く感じられていた。
それでも、誰も「帰ろう」とは言わないのは、結果としてサキヤに振り回されるのがわかっているからなのだろう。三人それぞれにため息をこぼす。
先に立って歩くサキヤを追うように、俺達も歩き出す。かつては明るさに満ちていたはずの、寂れた灰色の裏野ドリームランドに向かって。
「この遊園地にはいろんな噂があってな? ジェットコースターで事故があっただの、アクアツアーに謎の生き物がいただの、ミラーハウスで人の中身が入れ替わるだの、ドリームキャッスルには拷問部屋があるだの、メリーゴーラウンドが勝手に回っているだの、観覧車から声が聞こえるだの――極めつけは、そもそも何で廃園しちまったのか、ってのもあんだぜ? ワクワクするよなぁ」
そんなサキヤの独り言に、おそらく俺達三人はこう思っているはずだ。
「それはお前だけだろーが」
俺達三人を代表するように、不機嫌ミチキが冷静に言う。その言葉に、俺とタシロが頷く。
「えぇー? そうなの? 何だよみんな、こわがり? ビビり?」
最早ツッコミすら入れないのは、こいつのペースに振り回されたくないからだろう。サキヤは台風か竜巻のようだ。振り回されればされるほど、こちらの方が疲労する。
「で? どこに向かって歩いてるんだよ、お前は?」
ビビりまくって口の利けないタシロと、呆れて何も言う気のない俺に代わって、ミチキがサキヤに問う。サキヤは満面の笑みで振り向いた。
「ミラーハウス! 入れ替わってみたくねぇ? 入れ替わったヤツ見てみたくねぇ?」
「お前、バカじゃねぇの? マジでそうなったらどうすんだよ、シャレになんねぇぞ」
少しひどい言い草だが、これはこれで、ミチキなりにサキヤを心配しているのだ――多分。もしかしたら、保身しか考えていないのかもしれないが。
まあ、これくらいのことで折れたりしないのが、ある意味サキヤの強さなのだが……俺も気乗りしなかった。自分自身が入れ替わるのも、俺以外の誰かが入れ替わるのも、両方こわいのだ。
「えー……でもよー」
「ダメだよ、ミラーハウスは」
高く澄んだ声が、サキヤの言葉を止める。ビクリとして振り向いた俺達の目に、一人の少女の姿が飛び込んでくる。
白いノースリーブのワンピースを着た、美しい少女だった。
少女は、やわらかくウェーブした金色の髪をふわりと揺らしながら近付いてくる。水色の瞳は、サキヤにピタリと照準を合わせている。美しいがどことなくおそろしい、そんな印象を受ける少女だった。
「おにいちゃん達、ミラーハウスに行くつもりなの? やめた方がいいよ。あそこは危ないから」
見た目に似合わない言葉を紡ぎながら、少女は俺達の間を通り過ぎ、サキヤの前で止まる。そして、目を見開いたまま動けないサキヤの胸元に、白く細く長いその形のいい人差し指を突きつけた。
「好奇心に突き動かされて、“自分”をなくしたくないでしょう?」
「……っ」
サキヤが息を飲むのが伝わってきた。そんなサキヤの表情を見て、少女は満足そうに、
「わかってくれたようで、嬉しいわ。聞き分けのいい人は好きよ、アタシ」
と言って、振り向いた。その表情を見て、俺はさらに凍りつくことになる。
少女は笑っていたのだ。それは、とても美しい笑みだった。でも、それでもおそろしかった。なぜなのか、俺にはわからなかった。
「おにいちゃん達、肝試しでここに来ちゃったんでしょう? 当たりでしょう? この時季って、そういうの多いのよね。ダメだよ、好奇心だけでこんなとこに来るなんて」
少女は俺達の方に歩みを進める。ミチキの横を、タシロの横を、それぞれ通過し俺の方へやって来る。
「人間って、思っている以上に脆くて弱い存在なんだから」
少女がすれ違いざま、そんな言葉が聞こえた。その声は、風のように流れて、空気の中に溶けていった。
それから、どこをどうしたのかは憶えていない。気が付くと、大学の最寄り駅のホームに、俺達四人は降り立っていた。
ミチキも、タシロも、サキヤも、俺も、呆然としていた。
そこには、変わらない夏の暑さが漂っているだけだった。
* * * * *
「ターシャ、よくもやってくれたわね」
内側に隠された恨みを持ったその声に、振り向いた少女は、
「何のことか、わからないわね」
と、素っ気なく答えた。少女の視線の先には、肩の上で切り揃えられた黒髪を持った、一人の女がいた。
「何のことかわからない――ですって? 白々しい嘘はやめてくれる? せっかく、大量に食料が手に入りそうだったのに、邪魔してくれちゃって……あれ、あなたの仕業なんでしょう?」
「だとしたら、何だっていうの?」
少女の、美しく澄んだ水色の瞳が細められる。そのたった一つの動きで、少女自体が鋭利な刃物になったかのように錯覚してしまう。
そんな少女の気配に、驚くでもなく、逃げ出すわけでもなく、黒髪の女はそれを全身で迎え撃とうとする。
「ここ二十年くらい、あなたの所為で喰いっぱぐれているものね。その代償、ここいらで清算してくれる?」
「人間を喰うなんて、そんなこと、アタシが赦すと思ってるの?」
空気が張り詰める。しかし、それも一瞬のことだった。
「やめておくわ」
先に背を向けたのは、少女の方だった。そのまま、歩み去ろうとする。
「逃げるの?」
女が勝ち誇ったように言う。そんな女に視線を向けて、少女はただ一つのことを告げた。
「戦う意味がないのよ」
熱をはらんだ風が、少女と女を撫でて通り過ぎていく。
「あなたが勝ったら、アタシは喰われる。そうすれば、あなたはさらに強くなれるでしょうね。……じゃあ、アタシは? アタシが勝ったら、あなたはアタシに何をくれるのかしら?」
少女は知っている。黒髪の女よりも、自分の方がはるかに強いことを。だからこそ、弱いものに勝ったところで、自分が得るものなどないことも知っている。
「無益な争いはしないわ。だから、あなたと戦う意味がない。わかっていただけて?」
女が悔しそうに唇を噛んでいるのを、少女は冷めた表情で見つめていた。女の方も、自分が少女に劣っていることを知っているのだ。
少女は背を向け歩き出す。少女の行き先には、[AQUA TOUR]という文字が躍る建物があった。少女は、柵を乗り越えて中に入る。歩きながら、
「やっぱり、ここがアタシの居場所なのよね」
と、呟いた。
かつてはたくさんの人で賑わっていたこの場所に、最早その面影は欠片もない。それでもそこが自分の場所なのだと、少女は理解していた。ここ以外のどこへもいけないことも、理解していた。
頭の中で、夕暮れ時にやってきた男四人組の内の一人の言葉を思い出す。アクアツアーに謎の生き物がいた――その真の意味を知っているからこそ、少女は思わず笑みを浮かべていた。
この施設――裏野ドリームランドが閉鎖されて数年。その月日の長さは、同時に人の手が入らなくなったことも意味する。そのはずなのに、アクアツアーの水は美しい澄んだ輝きを放っていた。少女はその水に足をつけ、パシャパシャと小さな水音をたてながら水を蹴っていた。しばらくそうしていた少女の、その美しい脚が徐々に形を変えていく。
それはやがて、魚の尾びれへと変わった。鱗一枚一枚が光っているように輝いている。
「ただいま」
そんな一言と共に、少女は水の世界に飛び込んでいく。
後に残ったのは、小さな波紋と夏の暑さと夜の静寂だけだった。