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コオリの魔女  作者: NES
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コオリの魔女 (4)


 ヒロトがタルヒの下を訪れるようになって、何度目かの夏が来た。

 約束通り、ヒロトは毎年夏になるとタルヒの祠にやって来た。

「タルヒ、久し振り」

 そう言って笑ってくれる。ヒロトの笑顔を見るのが、タルヒには何よりも嬉しかった。


 ヒロトのいない間にあったこと、冬の間にあったこと、話したいことはいつでも沢山あった。

 ヒロトの話も聞きたかった。タルヒの知らないこと。外の世界のこと。そして。

 ヒロト自身のこと。


 二年もすれば、タルヒは嫌でも気が付いてしまった。自分は、ヒロトのことを好いてしまっている。待ち焦がれる想いが、とても強くなってしまっている。

 言葉を交わせる相手がヒロトしかいないのだから、これは仕方の無いことかもしれない。ヒロト自身も、タルヒに会うためにここを訪れてくれている。

 欠かさずにいてくれていることが、タルヒの中に所有欲を生み出している。ヒロトに、ずっとここにいてほしい。ずっと、タルヒの(そば)にいてほしい。声を聞かせてほしい。タルヒの言葉を聞いてほしい。


 恐ろしいことだ。


 タルヒは自分の考えが怖かった。タルヒは死人だ。死人が生きている人間に焦がれ、その存在を独占したいだなんて。

 それは呪いだ。タルヒはヒロトに憑りついて、その命を喰らうものだ。生きている者の可能性を奪うものだ。


 夏が来ると、ヒロトは毎日のようにタルヒの所にやって来る。他の何処に行くでもない。朝から洞穴にやって来て、日が暮れるまでタルヒと話をしていることすらある。

 生きている者の目から見れば、これは魔性に魅入られているとしか言いようがない。

 ヒロトの姿を見ると、それが判っていても、タルヒは自分が抑えられなかった。たまらなく嬉しい。声を聴くだけで、言葉を交わすだけで、何もかもがどうでも良くなる。

 このままではいけない。

 タルヒの自分勝手な想いで、ヒロトの人生を壊してしまってはいけない。そもそもタルヒとヒロトでは、住んでいる世界が違う。会って話をすること自体が、本来ならばあってはならないことなのだ。



 ある年の冬の朝、タルヒは雪に覆われた山の頂から世界を眺めた。何処までも続く、白い世界。その果てには、タルヒの知らない、ヒロトのいる場所がある。

 そこは、タルヒがいて良い場所ではない。そして、それと同じように、ここはヒロトのいるべき場所ではない。

 たまたま何かの運命の悪戯で、タルヒとヒロトの世界は交わってしまった。出会って、お互いの姿を見て、声を聞いた。どうしてそんなことになってしまったのだろう。


 タルヒは、ヒロトを好いてしまった。ヒロトは、タルヒに何も無いことを知らしめてしまった。そして、タルヒに満たされることを教えてしまった。

 失くすことが怖いと、解らせてしまった。タルヒは、ヒロトがいなくなることが、たまらなく悲しい。出会ってしまったから、別れなければならないなんて。

 そんなの、勝手すぎる。そっちから訪れてきて、声をかけてきて。

 タルヒの心の中に居座って。

 でも、タルヒが望むままにしていては、いけないだなんて。


 また涙がこぼれた。嗚咽が漏れた。

 遥か遠くにいるヒロトに向かって、タルヒは叫んだ。この声は、ヒロトにしか聞こえない。届くはずはない。それでも。

「ヒロト」

 タルヒの世界の中心で、タルヒは自分の思いの丈を。

「私は、あなたにいてほしい。ずっと、ずっと(そば)にいてほしい」

 ただ、力いっぱい言葉にして吐き出した。



「蛍を観に行こう」


 ヒロトにそう言われて、タルヒは本当に久しぶりに、冬ではない季節に洞穴の外に出た。

 夏でも涼しい夜であれば、しばらくの間ならなんとか身体を保っていることが出来る。そのことをヒロトに話したことがあった。

 その日は朝から曇っていて、夕方に強い雨が降った。地面に残っている熱も少ない。陽が落ちると、空気がひんやりとしていた。外出の条件としては最適だった。


 懐中電灯を持ったヒロトが、洞穴まで迎えにやって来た。ヒロトと一緒に外に出る。それはとてもどきどきするのと同時に。

 タルヒをとても悲しい気落ちにさせた。

 暗闇の中、目に見えない少女を連れて歩く少年。まともではない。タルヒの存在は、やはりヒロトを良くない世界に引きずり込もうとしている。

 ヒロトはもう今年で十二才になる。最初に出会った頃よりも、背も伸びたし、少しだけ大人びてきた。タルヒを見る目に、熱が帯びていると感じられることもある。

 そろそろ潮時なのではなかろうか。

 ヒロトの気持ち、ヒロトの想いは嬉しい。しかし、それはヒロトを決して幸せになんかしない。夜道をヒロトについて歩きながら、タルヒはそんなことを考えていた。


 冷たい湧水が、小川になって流れている。タルヒは両足をその中に浸した。タルヒの身体が水の流れを遮ることは無い。温度だって感じない。これは気休め。熱がタルヒをどろどろにしてしまわないようにと、心の中で小さく祈る。

 誰もいない、夜の森の中。真っ暗で、虫の声がして、梢がざわめいて。せせらぎの規則正しい音がして。

 黄緑の小さな灯りが、ゆるり、と行き来する。

 淡いが力強い蛍の光を、タルヒはヒロトと共に眺めた。命。生きているものの光。タルヒには無い、確かな存在。

 世界に満ちているのは、生きているものだ。タルヒは、そこに紛れ込んだ異物。あってはならないあり方。タルヒだって、どうしてここでこうしているのかが判らない。

 タルヒの願いなんて、この世界の少数派の、たった一人の、小さなわがままに過ぎない。

 こんなタルヒに、ヒロトを付き合せる訳にはいかない。ヒロトは、生きているものの世界で、生きているものとだけ関わっていくべきなんだ。


「タルヒ、俺、ひょっとしたらもう、ここには来れないかもしれないんだ」


 ヒロトが何を言っているのか、タルヒには最初判らなかった。

 タルヒは今、ヒロトに別れを切り出そうとしていた。

 それなのに、ヒロトが、タルヒに別れを告げてきた。

 なんだろう。

 これは、なんだろう。

 熱ではない何かが、タルヒの身体を打ち砕いたようだった。胸のあたりを中心に、大きなひびが入った感じ。このまま、タルヒはここで崩れ落ちてしまうのかもしれない。

「ヒロト、どうしたの?」

 そう訊き返すのがやっとだった。

 ヒロトはぽつりぽつりと語り出した。


 毎年、ヒロとが夏になるとここを訪れていたのは、ヒロトの父親の実家があるからだ。夏休みの間、ヒロトは父親の実家に遊びに来ていた。

 その父親が、今度離婚することになった。ヒロトは恐らく母親の方に引き取られる。

 そうなれば、もうここを訪れることが出来なくなる、ということだった。

「俺は子供だから、自分だけで出来ないことが多すぎるんだ」

 ヒロトは悔しそうに言った。タルヒはじっとヒロトの言葉に耳を傾けていたが。

 ふっと、笑みを浮かべた。


「じゃあ、お別れだね」


 良かった。

 ヒロトに嫌われた訳では無かった。ヒロトには生きている人間としての事情があって。その事情に従って、タルヒと会うことが出来なくなる。

 それは、良いことだ。正しいことだ。


「タルヒ、そんなこと言うなよ」

 ヒロトは、タルヒのことを好きなんだね。嬉しいよ。タルヒに会いたいって、思ってくれるんだね。

 タルヒもヒロトのこと好きだよ。だからこそ、ヒロトとはお別れするべきなんだ。生きて、ヒロト。あなたの場所で。ここではない、あなたが生きて立つべき場所で。

「私は、ヒロトと一緒にいてはいけないんだよ」

「どうして?今までだって一緒だったじゃないか」

 今までが、おかしかったんだよ。タルヒのわがままだったんだよ。

 死んだ人間と、目に見えないものと、ヒロトは一緒に居ちゃいけないんだ。

 こうやって二人でいることが、ヒロトの人生をおかしくしている。狂わせている。人として、間違っている。

 タルヒのことなんて、考えちゃダメだ。ここで別れるべきだ。忘れるべきだ。

 子供の頃の、夏の日の思い出。

 ヒロト、タルヒはそれで良い。あなたに貰った大切なもの、沢山のもの。それを心に抱いて、これからもここにいる。タルヒの場所に、ずっといる。


「タルヒ、俺、必ずまたここに来る。約束する」

「そんな約束、しちゃダメだ。ヒロト、あなたはもうここに来てはいけない」

 もう会えない。もう会わない。

 嫌だ。つらい。苦しい。

 タルヒの身体が、バラバラになってしまいそう。

 熱が。タルヒの中にある熱が、タルヒ自身を溶かしてしまう。

 だから。

「ヒロト、今日でおしまい。今までありがとう。とても楽しかった」


 ここで、(とばり)を降ろそう。




 ハルのお弁当を作るいつもの習慣で、早朝に目を覚ましてしまった。この時期、外はまだ真っ暗だ。ガンガンに暖房をきかせているのに、ちょっと肌寒いくらい。せんべい布団のせいだろう。

 むっくりと起き上がると、ヒナは寝ている子を踏んづけないようにして、そろそろと出口に向かった。あ、外に行くならウェア着ていかないとか。荷物の方に方向転換。みんな寝相悪いな。あてて、筋肉痛で歩くのもつらい。あてててて。

 ユマが何やらむにゃむにゃ言っている。起こしちゃったかな、と思ったらまたすぐに静かになった。ふう、失礼しますよ。


 宿の外に出て一息ついた。おお、吐く息が白い。ごぉーって吹いて遊ぶ。うわぁ、そんなことしてたら体温が一気に下がった気がするよ。寒い、さっむい。真っ暗だと寒さもひとしおだ。もうちょっと待ってからでも良かったかな。

 とりあえず頑張って歩き出す。耳が痛い。千切れそう。せめてイヤーマフを持って来るべきだった。失敗したな。身体の方はスキーウェアで何とか。レンタルで驚異的にダサいという点は、この際目をつぶろう。命には代えられない。


 こんな時間だから誰ともすれ違わない。街灯と信号機の光だけが辺りを照らしている。曇っているのか、空には星すら出ていない。何もかもがじっとして、息をひそめている。

 足元の、ぎゅっ、という雪の感触が心地良い。寝ている間にまた少し降ったみたいだ。本当に雪ばかり。昨日、ゲレンデの上から見た光景を思い出す。何処までも続く銀世界。白に支配された世界。

 綺麗なんだけど、やっぱり何処か物寂しい。そこにあるものを隠している気がする。本当はあるのに、隙間なく覆って、見えなくしてしまっている。忘れよう、無かったことにしよう。そんな言葉が聞こえてくる。

 多分、この土地がそう言っているんだ。


 目的地まではそんなに距離は無かったと思ってたんだけど、結構時間がかかってしまった。いや、寒いと動きが鈍るよね。普通に歩いているつもりでも、知らずに身体を縮めていて、歩幅が短くなっていた。寒い。強烈。

 宿の本館。入り口から横に抜けて、裏の方へ。街灯の明かりがあるので、真っ暗ではない。降り積もった雪が光を照り返して、輝くスポットが点々と続いている。ヒナの息遣いと足音以外に、物音は何もない。暗闇と雪が、世界の全て。


 気配が濃密になってきた。やっぱりそうか。以前感じたことのある気配ととても似ていたので、もしかしたらと思っていた。座敷童って言われると、どうしても妖怪ってイメージがある。怪しい化け物がいるって思ってしまう。

 しかし、これはもう少し純粋なものだ。ヒナは、これとよく似た気配を持つものを知っている。もの、なんて言ったら(ばち)が当てられそうだ。まあ、そこまで心が狭くは無いかな。何しろ神様だ。

 ヒナの家の近隣の神社に住まう土地神様。元々は人間で、女の子の姿をしている。ヒナとは最近になって関わり合いを持つようになって、銀の鍵関連のことを中心にあれこれと相談させてもらっている。会話自体が困難な他の神様と比べて、とても気さくで親しみやすい。今ではすっかり仲良しだ。

 この気配は、あの神様に良く似ている。恐らくは人によって(まつ)られ、大切にされているのだろう。

 ユマから借りた観光ガイドに、宿の本館のことが載っていた。座敷童の噂に、座敷童の部屋。そして、宿の裏にある斜面、ぽっかりと開いた洞穴に設置された、小さな祠。


 積雪の中から、小さな赤い鳥居が飛び出しているのが見えた。ここだ。間違いない。ヒナはじっと目を凝らした。

 白い影が、ゆらり、と揺れた。

 見つけた。ちょっと安心した。予想通り、怖いものではなさそうだ。多分向こうの方がこちらを警戒している。ひらひら、とヒナは手を振ってみせた。

「はじめまして。曙川ヒナと言います」

 鳥居の中から、ゆっくりと小さな人影が歩み寄ってきた。白い着物。白い帯。子供だ。そんな恰好で寒くないのかと心配になってくる。艶々とした黒い禿(かむろ)頭。同じく真っ黒な、大きな瞳。十才位かな。女の子だ。

「あの、あなたは私が見えるんですか?」

 おずおずと問いかけてくる。ヒナは左掌を女の子に向かって開いてみせた。

「うん。私はちょっと特別なんだ」

 銀の鍵。目に見えないものの姿と、目に見えないものの声を聞かせてくれる。これのせいで、関わらなくても良いことに何度となく巻き込まれてきた。

 まあ、今日は良いや。可愛い女の子の神様、二人目ゲットだ。ありがたいありがたい。

 それに、ちょっと気になっていることもある。


「私は、タルヒと言います」

 洞穴の中で、タルヒはヒナに自分のことを話してくれた。冬以外の日の光の下で、どろどろに溶けてしまう存在。座敷童だ、神様だ、なんて言われても、何もすることが出来ない。冬の間、旅人の話を聞くために宿の中を散歩しているだけ。

「こうして私の姿をはっきりと見て、声を聞いてくれる人は珍しいです」

 そう言って浮かべたタルヒの笑顔は、どこか寂しげだった。何かを隠して、無理をしている顔。抜けるように白い肌は、降り積もった雪そのものだ。その下にはきっと、沢山のことを隠している。


 タルヒはよく喋った。普段人と話すことが無いからなのか、身の回りで起きた様々なことをヒナに話してくれた。それはそれでとても楽しくて、興味深いものではあったのだけど。

 残念ながら、ヒナが聞きたい話はなかなか出てこなかった。意図して口にしないでいるのだろう。無理に聞き出そうとするのは、少々忍びないが。

「ねえ、タルヒ?」

 意を決して、ヒナは訊いてみた。


「今日ここに私が来たのは、ひょっとして期待外れだった?」


 その問いかけに、タルヒは押し黙った。沈黙が、肯定を意味していた。

 やっぱりか。事情があるのだろう。タルヒの様子を見ていれば判る。ヒナはちょっと考えてから。

「聞かせてくれる?タルヒの話」

 タルヒは微かにうなずいて。

 ぽつり、ぽつりと語り出した。




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