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コオリの魔女  作者: NES
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コオリの魔女 (2)


 年月が流れて、タルヒは段々と事情が判って来た。


 まずは、自分のこと。

 祠の中に小さな丸い鏡があって、タルヒはそこに自分の姿を映して見ることが出来た。

 肩で切りそろえられた、禿(かむろ)のような黒い髪。前髪も、眉の上で真っ直ぐになっている。手で触れると、さらさらと流れる。細くて、良い手触り。

 黒い大きな瞳。小さく膨らんだ鼻。薄い唇。丸みを帯びた顔の輪郭。そうか、女の子なんだ。タルヒは自分が女の子であると、その時初めて認識した。多分、十かそこらの年頃だろう。

 身体には、白い薄手の着物をまとっている。帯も白い。暑さも寒さも感じない。履物は無い。裸足でも、特に困ることは無い。やはり、冷たさを感じない。


 洞穴の中には、たまに人が訪れた。祠の周りを掃除し、何やら供物を置いて外に出ていく。タルヒがそこにいても、誰一人としてその存在に気が付くことは無かった。

 タルヒが声をかけても、何も聞こえていない。手で触れようとして、タルヒは驚いた。自分の手が、その他人の身体の中に潜り込む。ひっ、と悲鳴を上げて引っ込める。恐ろしくなって、タルヒはそれ以来他人に触れようとは思えなくなった。

 誰かに気付いてもらうことは出来なかった。人が訪れても、タルヒはぼんやりとその姿を見て、見送るようになった。


 祠の前にはお菓子が置かれることが多くて、タルヒは良くそれをつまんで食べた。別にお腹は空かなかったが、お菓子の甘さは判った。自分の中に何かが溜まる気がした。ただ、出るものは出ないようだった。


 タルヒは自分の正体について色々と思いを巡らせた。祠の横に立てられている高札に書かれた文言。訪れる人が時折口にする言葉。それらを総合すると、おのずと答えは出てきた。


 死人だ。タルヒは、ここで死んだ人間なのだ。


 古い昔、ここで大きな雪崩があった。雪崩は何もかもを飲み込んだ。集落も、畑も、そこにあった何もかもを。

 当時、この土地にはそれほど多くの住民は存在していなかった。運良く、人への被害はほとんど存在しなかった。たった一人の少女を除いては。

 雪崩によって、この洞穴の中に一人の少女が取り残された。出口を雪で封じられ、暗闇の中、少女は孤独なまま、寒さとひもじさに耐え切れずに息を引き取った。

 祠は、その少女の魂を慰めるために作られたのだという。なるほど、その少女が、タルヒなのか。

 タルヒは死んでいる。だから、生きている人間とは関わることが出来ない。

 お腹も空かない。眠くもならない。寒くも無い。暑くも無い。


 洞穴の外に、タルヒは何度か出てみた。

 雪の上に自分の足跡が残らない。不思議だった。触れようと思えば、触れることも出来る。なのに、意識しなければ、白い無垢な雪野原のまま、その上を駆け抜けることが出来る。最初はそれが可笑しくて、思いっきり走り回ったりした。

 寒さは感じない。吹き荒れる吹雪の中を、何事も無く歩くことも出来る。逆巻き、激しく舞い踊る雪を見て、タルヒはとても美しいと思った。


 洞穴からそれほど離れていないところに、大きな民家があった。宿坊のようだ。旅人達が出入りしている。楽しそうだと思って、タルヒは良く中にまで入り込んだ。

 知らない顔、知らない言葉がある。そんな中でも、タルヒの姿が見える者はいない。つまみ食いしたり、ちょっとしたいたずらをしたり。タルヒは退屈しなかった。

 大きな鏡があったので、自分の姿を映そうと試みたことがある。そこには、タルヒの姿は無かった。祠にある小さな丸い鏡だけが、タルヒの姿を見せてくれる。最初は不便だと感じたが、髪が伸びることも、衣服や身体が汚れることも無いので、次第に気にならなくなっていった。


 季節が移った時、タルヒは初めて自分の身体の異変に気が付いた。

 暖かい春の日差しが雪を溶かすようになると、タルヒは急に洞穴の外に出れなくなった。

 いや、出ようとすれば出ることは出来る。ただ、タルヒの身体は、陽の光に耐えられなかった。

 太陽の下にいると、ずるり、と親指がもげて地面に落ちる。そのままぽろぽろと全部の指が取れて、肘から先が崩れ去る。

 慌てて洞穴の中に戻ると、腕はすぐ元に戻った。痛みも、暑さも、何も感じない。ただ、身体がもたないのだ。


 冬が終わったら、次の冬まで、タルヒは洞穴から出ることが出来ない。

 ひんやりとした暗がりの中、祠に寄りかかって、タルヒは静かに目を閉じた。時間の扱い方が、少しずつ判ってきた。まどろんでいれば、あっという間に季節は巡る。冬以外の季節は、眠って過ごすようになった。

 春の暖かさも、夏の日差しも、秋の実りも、タルヒには縁の無いものだった。全てが冷たい雪に覆われた、冬。タルヒが洞穴の外に出て、世界に触れることが出来るのは、その間だけ。


 自分は氷で出来ているのだな。

 タルヒはそう考えることにした。暑さを感じるわけではないが、熱を浴びれば溶けてしまう。氷で出来た身体。自分で触れても、体温も何も感じない。本当に、作り物みたい。


 どうして自分はここにいるのだろう。そう考えたこともあったが、すぐに止めてしまった。存在に理由なんてない。人間だってそうだ。そこにいる意味を知っている人間なんて、誰もいない。

 偉そうに悟ったような答えを持ったが、これは宿坊に来ていた坊主の説教から得たものだった。冬の間、タルヒは夜になると欠かさず宿坊に通った。繁盛している様子で、いつも誰かしら客がいる。


 遠い何処かの話、知らない誰かの話。見ているだけで、聞いているだけで楽しくなる。タルヒの知らない、広い広い世界。

 洞穴から離れて、遠い何処かへ行ってみようかと思うこともあった。だが、どうしてもそれをしようという意志を持つことが出来なかった。タルヒの場所は、この洞穴だ。何故か、その想いが強かった。


 宿坊で遊ぶようになって数年が経って、誰かがタルヒの存在に気が付いたみたいだった。いつの間にか、宿の一角にタルヒの部屋が出来ていた。沢山の玩具と、お菓子と、綺麗な花が飾られていた。

 冬にだけ現れる座敷童。そんな噂が流れていた。宿坊が繁盛しているのは、タルヒのお陰でもあるようだった。

 お菓子も嬉しいけど、タルヒは旅人の話が聞きたかった。タルヒは自分のために用意された部屋にはあまり居つかなかった。

 このまま、楽しい時が過ごせればいいな。

 タルヒはそんなことを考えていた。




 宿に着いて荷物を降ろした。バスから外に出た途端、寒くて思わず身を縮ませる。うひゃあー。雪の上に足を降ろす。おお、この感触、雪だねぇ。こんなにいっぱい雪があるところに来るの、ヒナ、初めてかもしれない。

 まずは部屋に荷物を置いて、その後レンタル品のサイズ合わせということだった。朝早くに学校に集合して、到着したのは昼前だ。この後、午後はみっちりと初心者コースで鍛えられることになっている。あ、ハルは中級者コースなんだよね。一応曲がって止まることくらいは出来るとか。

 ん?ヒナはアレです、真っ直ぐ進むことだけ出来ます。自分の意思とは関係なく。


 別館の方が新しいってハナシだったけど、十分にオンボロだ。ホテルじゃないな。宿っていう表現がしっくりくる。綺麗なロビーとか、フロントとか、そういう洒落たものは存在しない。あ、でも囲炉裏と掘り炬燵があった。あれは後で堪能してみたい。

 ただし、ウチの学校の貸切って訳ではないから、他のお客さんの迷惑にはならないようにしないと。バスから降りた時点で、先生方に繰り返し注意された。なんでヒナの方ばっかり向いて言うんだ。失礼だな。


 寝泊まりする部屋も、ただの広い和室だった。ここに一年生女子二十名ほどが雑魚寝する。ぎゅうぎゅうだ。元々格安のスキー教室だけに、だいぶ切り詰めてやりくりしている。荷物を置いて確認するついでに、ヒナはナシュトに語りかけてみた。

 ナシュト?どう、座敷童っている?

 ヒナの横に、唐突に一人の男が現れた。背の高い筋肉質の男。銀色の長髪、浅黒い肌、半裸に豹の毛皮をまとったいでたち。燃えるような赤い瞳。この寒いのに半裸とか頭おかしいよね。っていうか、その毛皮姿、暑くても寒くても違和感あるんだけど。ヒナ以外の人たちにも是非見せてあげて、感想を伺いたいくらいだよ。


 ヒナの左手には、銀の鍵が埋め込まれている。昔、中学生の頃にお父さんがくれたものだ。お父さんは、この銀の鍵がどれだけ危ないものなのかは全然知らなかった。今でも知らない。この鍵の力を知っているのは、鍵の所有者であるヒナだけだ。

 おまじないグッズという触れこみのアクセサリだったが、銀の鍵は実際には幻夢境カダスとかいう、神様の住む世界への扉を開くものなのだそうだ。鍵の守護者であるナシュトは、鍵の契約者をカダスに導く試練を与える役割を担っている。なんだか壮大過ぎてチンプンカンプン。

 ヒナは別に神様に用は無いし、そこまでして叶えたい願いも無い。ハルと結ばれたいという夢はあったけど、それは神様にどうにかしてもらうものじゃない。いらない。だからそう言ったのに、鍵の契約は暴走してしまった。ヒナ、悪くないじゃん。

 結局、銀の鍵は中途半端にヒナの左掌に残された。ナシュトに至っては、ヒナと存在が一部同化してしまったという。嫁入り前の娘に何をするんだ。神様なら何やっても良いとか、そんな理屈は通らないだろう。


 人の心を読む銀の鍵の力は、正直扱いが難しい。これは思っているほど単純なものでは無い。色々あって、ヒナは積極的には周りの人の心を読むことはしないようにしている。まあ、たまには使うけどね。何事もほどほどにってこと。絶対に心を読まないって決めているのは、ハルだけ。ハルとの関係だけは、ヒナは自分の力で作って行く。そう決めてる。

 ヒナは、ハルのことが好きだからね。


「座敷童というものがどんなものかは判らぬが、何かがいることは確かなようだ」

 ヒナにしか聞こえない声で、ナシュトが語りかけてきた。おお、いるんだ。ぐるり、と部屋の中を見回した。押入れの(ふすま)、擦りガラスの引き戸、なんか染みのある壁、板張りの天井。雰囲気だけはある。っていうか、やっぱりホテルとは言えないな。

 座敷童がいるって言われれば、このボロさも味だと思えるようになる。可愛い座敷童ならそれで良いが、オッサンの死霊だったりしたらかなり興ざめだ。そうではないことを願おう。


 部屋を出て、集合場所の玄関に向かった。ハルがいるので、手を振ってそちらに。横にあるじゃがいもは気にしない。じゃがいも1号は何かとこすいことを企むから、あんまり好きじゃない。ヒナは真っ直ぐな人の方が好きだな。

 レンタルスキーのお店が離れたところにあるので、そこまで歩いて行ってサイズ合わせなどをおこなうらしい。お昼ご飯はその後。結構な過密スケジュールだ。先生に続いて、生徒たちがぞろぞろと歩き出す。


 雪国はヒナには珍しい。道路の横に、ヒナの身長よりも高く雪が積んであってビックリする。足元も不安定で、気を付けていないとつるっと転びそうになる。あと、寒い。学校行事ということでみんなジャージ姿なのだが、こんなんじゃ全然防寒出来てない。

「今は曇ってるし、雪が降ってきたら死ねるな」

 体育の鼻毛先生が楽しそうにそんなことを言う。鼻毛先生はでっかい鼻の穴と、そこから飛び出た鼻毛があまりにもインパクトが強すぎて、他のあだ名が霞んでしまう中年男性だ。ヒナの中では本名ですら霞んでしまっていて、もう全く記憶に残っていない。呼び分けしないといけない状況に陥ったら、かなりのピンチかもしれない。

「さっさとウェアをレンタルしよう」

 ユマもぶるぶると震えている。上級者の人は自分のウェアやスキー板を持って来ているので、この間は宿でのんびりしている。いいな、ヒナも自分のウェアとか買おうかな。もっとも、一年のうち一回でも使えば良い方になってしまうだろうが。


 歩いていく途中で、宿の本館の前を通った。同じ宿だし、それほどの距離は無い。こっちはどれだけ立派なのだろうかと思ったが、似たような感じの古い宿だった。高級ホテルって(おもむき)じゃないのね。座敷童が似合うと言われれば、確かにそんなイメージか。

 ふと、誰かに見られている気がした。本館の宿の方。なんだろう、不思議な気配。濃密で、すごく存在感がある。似たような感覚を知っているような気がするんだけど。


 そこまで考えたところで、思いっきり足を滑らせた。

「うわぁ」

 情けない声をあげて引っ繰り返る。危うくお尻から地面に激突しそうになったが、ハルがギリギリで抱き留めてくれた。

「おっと、危ない」

「ハ、ハル、ありがと」

 ああびっくりした。のけぞった姿勢で、ハルのジャージの袖にしがみつく。なんかつるつる滑るから、うまく立ち上がれない。うー、ハル、ちょっと背中の方持ち上げて。

 じたばたしてたら、みんなに笑われてしまった。「ほら、いちゃついてんじゃねーぞ」鼻毛先生うるさい。好きでやってるんじゃないんですよ。セクハラです。

 よいしょって、ハルが抱き上げてくれた。あ、ありがとう。恥ずかしい。なんでこんなマンガみたいにずっこけるんだ。こういうのは本来じゃがいも1号の役目だろう。畜生、楽しそうに笑いやがって。


「ふふっ」


 小さな笑い声が聞こえた。子供の、女の子の声。

 ああ、やっぱりいるんだ。ちょっとでいいから姿を見せてくれないかな。

 そう思って辺りを見回したけど、ヒナにはその声の主を見つけることが出来なかった。



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