第6話 因縁
曇った空。青い部分はあるにはあるが、もくもくの白が空を8割方占めている。
ロンドの南側はモンスターが来るため、建物を建てようとする者がいない。
そんな平原に手を後ろに組んで寝転がり、ソムは空をただ見ていた。
ソムの顔も曇っていた。
「今日もいいのがなかったな……」
ユス湖の件から数日間、ソムは平原に寝転がってばかりだ。
3年前、いつもはパッと見つけた依頼を見て、困っている人を想像した。
依頼の難易度がどんな内容でも(自分では解決できない依頼を除いて)それを受けてきた。
しかし、デンゼルさんは肩書さえなければどこにでもいそうな中肉中背の姿だ。
顔もいかついわけでもなく、平均的だ。
あの顔を見てからは、依頼は自分と難易度が釣り合っているとしても、それを受けられないでいた。
正確には、チームのメンバーに依頼の内容を報告する。そして、自分以外のメンバーは行くが、自分はその全ての依頼に行かなかった。
理由はデンゼルさんが怖く見えたからだ。
ユス湖の一件の前の自分は、強くなったら、自分が受けた依頼を出した人もその分安心して待っていられると思っていた。
だが違った。
ピランの駆除は比較的簡単な依頼だ。
それをデンゼルさんが受けることに依頼を出した人も驚くはずだ。
周りはこんな簡単な依頼を受けてどうするんだろうと思うだろう。
良い意味で考えれば、たとえ簡単でもどんな依頼も平等に扱うと考えられる。
しかし悪い意味で考えたら、そんな簡単な依頼を受けるならば、別の難しい依頼を受けろよと思う人がいるはずである。
そんな風に考えていたら、周りに流されてしまう弱い人間だと思われてしまうだろう。
だがそうではない。
周りを悪い意味で考えさせてしまう強さがあることに罪があるのではないか。
そう考えてしまうのだ。
強くなったら、それ相応の依頼を受けなければならない。
そしてソムは簡単な依頼の方が市民と身近に接することができると考えていた。
ソムはエルフと呼ばれる民族である。
最初に言っておくと、この世界ではエルフは人間であり、『エルフ』という種族は存在しない。
古い童話のなかで強い魔力を持った種族としてエルフという言葉が出てきて、それを引用しているだけである。
その童話の詳しい説明をすると、その物語では神から造られた人型の種族がいくつか登場しており、その中に人間やエルフなどが出てくるのである。
神に造られた複数の種族には、能力や性格、思想に違いがあり、その点がその童話の面白いところと云われている。
例えば、人間ならば基本的に魔法は使えないが、更なる発展のために、魔法にも劣らない道具を作っている。
因みに、童話が作られた時期が時期であるために、物理法則に反した設定がたくさん出てくるのではあるが。
そしてエルフは、その造られた種族たちの中の、魔法が扱える種族の中でも、特に魔法の能力に優れている種族として登場するのだ。
童話のあらすじは、『どの種族がより創造主に近いかを競い合う』というものである。
『造られた種族たちの中で一番繁栄した者たちが、全知全能の神に最も近づいていることを証明できる』という言い伝えを全ての種族たちが信じており、自分たちの種族の繁栄をお互いに、そして神にアピールするのだ。
余談ではあるが、とある種族が別の種族に戦争を吹っかけ、その行為に神が強い嫌悪感を露にするシーンがあり、種族間で殺し合うことがタブーであることが暗に示されている。
そして結末であるが、現在では諸説あり、どの種族が一番繁栄したかは不明である(必ずしも人間ではない)というのも、この童話がこの国で昔から伝えられている理由の一つでもある。
だが全ての説において、『戦争を吹っかけたその種族であることはあり得ない』という意見が共通しているのだ。
神に近づけることを目指しているため、この童話では、どの種族も等しく神性がないことが通説であるらしい。
童話の中ではとても平和な世界であるが、ソムがいる現実の世界は当然ではあるが、「平和」とはかけ離れている。
エルフは強い者しか認めない、排他主義的な考えを持つ人たちでひとつの町をつくっている。
大人も子供も実力主義の町である。
この国アルルの北の町に住んでおり、ごく一部の者はエルフに入ることを夢見ている。
しかし、大半はその排他性からエルフを差別しているのである。
ソムは自分からエルフであることを公表した。
エルフの町から生まれても、自分は皆を差別しないと伝えたかった。
ソムがエルフから抜け出したのは、エルフじゃない普通の市民と良い関係を築くことにある。
それを自分が強くなることで、市民との距離が離れてしまったら、それは自分にとって意味がないことである。
実際、一般市民はデンゼルさんを憧れの存在とも映るかもしれないが、同時に畏怖の存在でもあるはずだ。
自分は強くならない方が良いのではないか。強くなって、憧れにでも畏怖にでもなる存在になるのは他の誰かでもいいのではないか。
「めんどくさがりだからって、その怠慢な行為はおかしいんじゃないか?」
「ライエン……」
整った顔したライエンが仰向けのソムの顔を覗き込んでくる。
依頼に行ったのではなかったのか。しかし、そのことを言うのははばかられた。
「俺、強くならない方が良いんじゃないかって思うんだ……」
「なんでだよ」
ライエンはソムの寝転がったところの顔の近くにあぐらをかき、ソムの顔を睨む。
ソムはこの数日間考えてきたことをライエンに話す。
「そうかよ」
ライエンはぶっきらぼうに言う。
「なら、お前はそれでもいいんじゃないか。俺は強くなって、たとえ恐怖を覚えられようが人を助ける。お前はお前のやり方で人を助ければいいだろ」
ソムはライエンを意外そうに見つめる。
「てっきり、そんなの詭弁だって言って、全否定されると思ったよ」
「今のお前は邪魔者だ。このチームからいなくなった方が良い」
「そうしよっかな……」
「そうだ、お前は必要ない」
そうなのだ。だから自分はチームから避けているのではないか。
ソムは決めた。市民と身近な存在となって、人を助ける。
ノルマを達成すれば、食べることには困らないなんてことは後付けの理由でしかない。
「じゃあ、俺。チームやめるわ」
「そうかよ」
ライエンはそれだけ言うと、立ち上がり、お尻の砂を払って離れていく。
「おい」
ライエンの呼びかけにソムはもう応じない。
「待ってるからな。お前が町のみんなに慕われることも……。強くなりに──」
捨て台詞の最後は聞き取れなかった。しかしソムはそれを聞いて、笑った。
「そうか、お前は強くなりたくないのか」
その言葉でソムの気持ちはどん底まで突き落とされた。正確にはその声の主にだ。
ソムは素早く立ち上がり、睨みつける。
「おいおい、その態度はねぇだろ。感動の再会じゃないか」
「お前との再会に感動なんてあるか。クソ親父!」
ソムの父、イライアは飄々とした顔に薄ら笑いをつけている。いつもそうだ、こいつはいつも笑っている。
もう40は過ぎているはずなのに、傍からみれば、ソムのお兄さんと言われてもおかしくないような風貌をしている。
イライア自身は子育てなど全くせず、全部母に任せっきりで、ずっと出払っている。半年に一度程度しか家に帰ってこないが、この薄ら笑いは今こうして会う前からずっと脳内にこびりついていた。
異様に風の音がうるさい。
「今すぐころし──」
ソムが水色の魔線を書こうとした時、体が重くなり、地面にうつ伏せに倒される。何かで体を押さえつけられている。
ソムはこの魔法をよく知っている。闇属性の重力を操る魔法。しかも魔線を書かなくても魔法が発動する意識魔法と言う、熟練した魔術師しか出来ないことをソムは知っている。10年前にも同じことをされ、その後にエルフの人から聞いたのだ。
「まあ、そんなに焦るなって、暗くなるには時間はたっぷりあるだろう?」
ソムが地面に這いつくばりながらも自分を睨み続けるその顔をイライアは見下ろす。
「それでな、お前が強くなりたくないってことの話なんだけどな。そうなっちゃうと困るわけよ」
「そんなの俺の勝手だろ!」
「お前は強くなる素質がある。そしてその方法もある。今はまだ使わないが、どうだろう? 父の激励ということで考えを変えてはくれないか?」
「ふざけんな! 俺は世の中の人と親身になって救いたいんだ。俺はその道を選ぶ!」
「どうしてもかい?」
「どうしてもだ!」
イライアはわざとらしい残念そうな顔をする。
「なら、お前を殺す」
「なっ!?」
ソムはその一番醜くて、安直な考えに驚かされる。
「ふざけんな! 間違ってもお前は俺の親だろう!? 子供が強くなってほしいのはわかるが、そんなことで殺すことねぇだろ!?」
イライアは薄ら笑いから真顔になり、冷たい目線をソムに浴びせる。
「用済みは消えるのが道理だろ? どうだ、考えは変わったか?」
ソムは顔をしかめたまま黙った。
「お前が死んだら、お前に助かるはずだった人はどうなる? それもだれかが代わりにやってくれるか?」
「……」
なんでもかんでも自分がやらなくても、他人がやってくれると考えるのはおかしいだろう。
だが。
「なら、殺せよ」
ソムはイライアの冷たい視線を受け止め、言い放つ。
これにはイライアも驚いたらしい。表情が少し曇る。
「やりたいんなら、はやくやれよ! お前の言う通りになんて絶対なるか。母さんと一緒にお前のことを呪ってやる!」
「おいおい、命を軽んじることは善人は言っちゃいけないんだぜ」
なら、とイライアは薄ら笑いに戻った。
「お前がここで強くなることを誓わなければ、仲間を殺すぞ」
ソムは頭が真っ白になった。自分たちだけの問題に他の人を巻き込むのか。
「てめえ……」
チーム「カラフル」の面々が頭をよぎる。ライエンは強くなって、困っている人たちを救ってくれる。アスマスなんて、まだチームに入って3日しか経ってないじゃないか。このチームに入ったから、自分と関わったから殺されるなんて理不尽にもほどかある。
「……わかったよ」
「わかったならそれでいい」
イライアは薄ら笑いを止めない。
「だが、俺が強くなったら確実にお前を殺すぞ」
「その意気その意気。そうすれば、お前の母さんも救われるってもんさ」
「……」
「なら、話はこれでおしまいだ。楽しみにしてるよ。狂人たちと一緒に待ってるよ」
あ、それと、と加えて、
「俺はいつでもお前を見ているからな。もしお前が今みたいに強くなるとどうなるとかあれこれ考えて、諦めるようなら、また俺が叩き直してやるからな」
そういうと、イライアは薄ら笑いを浮かべて、ロンドの街並みへと消えていった。ソムはずっと重力で押さえつけられていた。ちょうど体の向きがイライアが歩き出す方向と同じだったため、じっとイライアを見ていた。
しばらくすると、体の自由を奪っていた重力が解かれた。ゆっくり立ち上がり、イライアが消えていった方向を見つめ、ソムはその場で吐く。血は混じってなかった。