シークレット・オブ・フォレスト
卒業後間もなく,オレたちZ組一期生はパーティを編成して森へ向かった。
ファイター、ジャンドゥーヤ・ジャンドゥイオット。敏捷性には欠けるが筋力は桁外れ。ユーモアに欠けるが人情に厚い。身長が高く、ひょろっとした男。
ランサー、シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ。高い耐久力と俊敏さが特徴。攻撃は苦手だが、ヒットアンドアウェイ戦法で中距離を保ちつつ、敵に少しずつダメージを蓄積させる。ブラウンのポニーテイルが印象的な背の高い女。
プリースト、ドゥルセ・デ・レーチェ。広範囲に渡る治癒魔法を使うことが出来るユニーク・スキルを持つ。また、華奢な体からは想像できないメイスの一撃が、油断した敵を殲滅する。僧侶のくせにサブウェポンにレイピアを持つトリッキーなやつ。美しい黄金色のロングヘアを持つ、年端のいかない少女のような容姿が、一部の一期生の間で評判だったとかなんとか。
サブリーダー、メイジ、ソーダ・フロート。冷静沈着、博学才穎。謎の多いクールビューティ。メイジのデメリットを相殺して有り余るほどの魔術の使い手。潜在的に多くの魔力を持つユニーク・スキルを有する。
そしてオレ。リーダー、ソードマン、シュガーレス・ザッハトルテ。状況判断能力、空間認識能力など戦略面で他と一線を画している……らしい。自分では凡庸なしがない一剣士としか思えないが、気が付いたらこのパーティ――《Z騎士団》のリーダーになっていた。
「しっかし、この森はいつ来ても不気味だよな」
ジャンドはバトルアックスをぶんぶん振り回しながらそんな風にぼやいた。
「ジャン! ふざけてないでこっち手伝ってよ!」
キルシュは酸排魔蟻、アシッド・アントが口から発射する強酸を器用に躱しながら抗議する。
「このパンおいしい」
それを遠巻きに見学しながら、優雅にパンを食べるレーチェ。
「カオスね」
冷ややかな目で見守るソーダ。
「お前らなぁ……」
確かにオレの判断では、『装備が酸で溶けるから、避けて攻撃できるキルシュが単騎で殲滅する』という作戦が最良だった。しかし……。
「なんかもうちょっとどうにかならないのか」
「なるわ」
どうやらソーダが何とかしてくれるらしい。オレは固唾を飲んで、魔術書を開く彼女を見守った。
「魔法陣展開。凍えよ大気、全てを貫く絶対零度の聖槍へ、理諸共昇華せよ。氷槍斉射」
詠唱が終わった瞬間、ソーダの前の魔法陣が青く輝き、夥しい数の氷の矢――いや、槍がその姿を顕した。
槍は宙に漂い、ゆらゆらと浮かんでいる。ソーダは拳を高く掲げると、その頂点でぱっと手を開き、思いっきり振り下ろした。
「GO!」
槍はその指示に忠実に、標的へ向かって放たれた。その勢いたるや、鎖から解き放たれた猛獣のようである。うねり、その軌道に曲線を描きながら確実に獲物を仕留めようとしている。
「避けろ! キルシュ!」
ジャンが叫んだ。
「へ?」
その警告がもう少し遅ければ、キルシュは串刺しだったに違いない。彼女の立っていた場所には、蟻だったものが無残にばら撒かれている。
「ソーダ!」
オレはソーダの肩をがしっと掴んだ。
「何よ、どうにかしてあげたでしょ」
憮然な顔でソーダは言った。
「キルシュを殺す気か!」
オレは言うまいと思っていたが、そう言わずにはいられなかった。以前から、ソーダは仲間を軽視する傾向がある。
「失望させないで。卒業したばかりで浮かれているの?」
ソーダはキルシュの方を見て言った。
「おい!」
「いつものあなたなら余裕で気づいて、自力で避けられていたはずよ」
キルシュは俯いて、何も答えなかった。怒りを顕わにするでもなく、また、仲間の非情を悲しむでもない。
「……ごめんなさい。それにしたって考え無しだったわ」
ソーダはそう言うとキルシュへ歩み寄り、手を差し出した。
「こっちこそ、ごめん。ちょっと気が緩んでたのかも」
そういってキルシュはソーダの手をとった。
オレはそれを呆然と見ていた。
オレは――本当にリーダーに向いていない。
森の奥には進まない。それが『アカデミア』でのルールだが、冒険者となったオレたちは自分たちの限界近くまで森の奥へ進もう、ということになった。
今思えば、これが大きな過ちだった。
「ザッハ、ここから先は『アカデミア』の管轄外よ。今までのようにいくとは限らないわ」
ソーダの進言に、オレは頷いた。
「ああ。だが……」
オレは言葉に詰まってしまった。
オレたちがここから先に進むのは何のためだ?
単なる好奇心? いや、違う。
名声を得るため? それも、違う。
緩やかに侵攻する森の脅威から民を救うためである。
「一刻も早く森の秘密を解明しなきゃいけない。それがオレたち冒険者に課せられた使命だ」
「よく言った」
背の高いジャンが上からオレの頭を押さえつけてわしゃわしゃと撫でる。
「やめろくすぐったい」
オレは自分の口角が自然と上がって行っていることに気がついた。
「いい笑顔だねぇ」
レーチェが先程とは違うパンを食べながら言った。
「あら、それ何パン?」
ソーダが尋ねる。
「くるみパン」
レーチェはパンを食べ終えてから答えた。
森の奥へ奥へと進むオレたちを歓迎ムードで出迎えたのは、鉄壁甲虫とも称される魔蟲レインボー・ビートルだった。五、六メートルはあるであろう巨体の頭部からは、先が二つに枝分かれした強靭な角が生えている。
「お前に会うのは久しぶりだな」
ジャンはにやりと笑うと、そう言ってバトルアックスを下段に構えた。そして、駆ける。
「うおぉぉぉぉぉぉ!」
その鋼鉄の犀へと重厚な斧が振り上げられる。流石に鈍重。魔蟲は巨体を僅かに動かすだけで、ジャンの攻撃は回避できそうにない。
カキィン。
が、彼の渾身の一撃は虚しくも弾かれた。その音は森に木霊する。
「かってぇ!」
腕がじんじんしやがる、と言って戦斧を地面に刺し、ジャンは手首をぶんぶんと振る。
「ジャンの攻撃が通らない……?」
キルシュがおぞましいものを見たような顔でぼそりと呟いた。
「だが!」
ブウン。長槍が空を切り、彼女の両手がそれを前に突き出す。その動作を契機に体はバランスを失い、前へと倒れる。
そして彼女はそれを左足の踏み込みで抑え、抑えたエネルギーを後方へ放つため地面を蹴った。
「ていやぁッ」
「打撃がだめなら……刺殺する」硬い甲殻の隙間に、刃の先が突き立てられた。そしてそのまま、
「貫く!」
ミシ……ミシ……と魔蟲の体が悲鳴を上げる。
「キィィィィィィィィ!」
胴に風穴があき、魔蟲は断末魔を上げる。
魔蟲は抵抗する間もなく、キルシュの槍の餌食となり、その生涯を終えた。
「ブラボー」
そしてその亡骸の後ろから、
「誰だ……!?」
その男は現れた。
「私は誰か……。それは難しい問題ですね」
その男は魔術師風のローブを纏っており、かろうじて体格が分かる程度で、あとは何もわからない。そしておよそ冒険者とは思えないある種のオーラを纏っていた。
「あえて名乗るなら、そうですね……我々(、、)は無情動、そう名乗りましょうか」
バサ、とローブが投げ捨てられ、男の体躯が顕わになった。
――人とも蟲ともつかない、その体躯が。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
この世のものとは思えない、悍ましいその怪物を目にし、オレたちは叫んだ。
緑色の鎧は、その男の体そのもので、甲殻の隙間から覗く赤い肉がグロテスクに、僅かながらの人間を感じさせる。
両腕は鎌と一体化し、獲物を狩る武器そのものとなっていた。
「どうも、冒険者さん。私は無情動のパラドクサ。今決めました」
男は半分蟲の混じった顔でにやりと笑った。いや、それはもはや笑みと呼べるのだろうか。
笑うことで感情を表現するのが人だけなら、その男はあたかも笑ったように顔を歪めただけということになる。
怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!
「うああああああああああああああああああああああ」
レーチェは恐怖に身を任せ我武者羅にメイスを振り下ろした。
ガコンガコンガコン、とそれがパラドクサ、ではなくレインボー・ビートルの死骸を殴る。
殴り続ける。
「サニティを唱えたくても……サニティを唱えるべき奴が正気じゃない……」
そう呟きながらもソーダは平然と構えている。
なぜだ?
何故怖くない?
オレはソーダの目を盗み見た。
「あはは……あはははははははははははははははははは!」
キルシュは笑いながら自分の足を槍で突き刺し始めた。血潮がどくどくと地面に流れる。水溜りを作る。そしてキルシュはその上に崩れ落ちた。
ソーダの目は、そのキルシュと同じ目をしていた。
「インサニティ」
狂気状態。
その語を呟きながらもソーダはメイジゆえの精神抵抗力の高さからか、その狂気に染まりきらずにいた。
「みなさん、随分と楽しそうですねぇ」
パラドクサが顔を歪ませてそう言う。
「ああああああああああああああああああああああああああ」
その言葉がキーになったのかジャンはいきなり近くの木に頭を叩きつけ始めた。
「蟲が……蟲がしゃべるな!」
最後の力を振り絞ってオレは剣を抜いた。
「その意気や良し。ですが……」
パラドクサの姿が消えた。
「弱すぎます」
はっ、と気づいた時には死神の鎌を宿した両腕が、背後からオレの両肩にあてがわれていた。
「ふうっ」
そして強烈な痛みが電気のように背中を走り、
「みん……な」
オレは気を失った。
目を覚ますと、オレたちは見知らぬ場所にいた。
木が生い茂り、どう進めば出られるかもわからない。オレたちは狼煙を焚いて救援を待つことにした。
とはいっても、オレたちのうち、正気なのは二人だけだ。ジャンは頭から流血して気絶し、レーチェは声を上げずにずっと泣いている。キルシュは……まだ生きているだろうか。
「ソーダ……あの後、何があった」
オレは薪をくべ、狼煙を焚く準備をしているソーダに尋ねた。
「あの後……パラドクサは私に言ったの」
一体、何人が無情動に辿り着くのか楽しみです……って。
パチパチと焚火が燃えはじめ、黒い煙が昇ってゆく。オレはそれ以上ソーダを詮索するのは止めた。
それからオレたちがこの森の秘密に気が付くまで、そう時間はかからなかった。
三日経った。助けも来ず、携帯食料も底をつきた。キルシュは肌の色から見るに、もう死んでしまっただろう。あれから何度もレーチェに回復をするよう頼んだのだが、レーチェは隈のできた目を擦りながら首を縦に振るだけで、他に何かをすることが出来ない状態だった。
「腹減った……」
ジャンはそう言うと、近くの木から果実をもぎって齧り付いた。
しゃく、と小気味のいい音がした。ジャンの口元から果汁が滴り落ちる。随分瑞々しい果実のようだ。
「うまそうだ……」
オレはジャンに倣って果実を採ろうと手を伸ばした。
その時、
「うっ!」
ジャンが苦しそうな声を漏らした。
「まさか、毒?」
そう言うや否や、ソーダは魔導書を開いた。
「ディス・ポイズン」
魔法陣が展開し、解毒の呪文が唱えられた。しかし、ジャンはなおも苦しそうに呻いている。
「毒じゃない? ……一体どうなってるの?」
「うがあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ?」
より一層苦しそうに、ジャンは叫び声を上げた。
――そして、信じられない光景が目の前に広がった。
ジャンの皮膚がどろどろと、蝋燭のように溶けだして、ぼこぼこと泡立つ。白い骨が、皮膚を貫いて顕わになる。……いや、単に顕わになっただけではない。その骨格は、既に人間のそれではなかった。そう、節のある六本の棒が皮を破るようにして露出するその様は……サナギから脱皮する蝶のような……或いは繭を破って飛び立つ蛾のような……異形の蟲の姿だった。
「ギィィィィィィィィ!」
その声は、既にジャンドゥーヤ・ジャンドゥイオットの低い唸り声ではなかった。その声は、節くれだった腹をこすり合わせて、虫が威嚇するときに鳴らす音だった。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
変貌したジャンを見て発狂したレーチェは、その肌色の皮を脱ぎ捨てたジャンだったものを、重い鉄の棍棒で、何度も、何度も、何度も、何度も、殴った。
「ギィ! ギィ! ギィ!」
鈍い、殴打の音に混じって、時折、ジャンだったものの高い音が鳴る。レーチェは声を発さない。先程の空気を裂くほどの絶叫で、喉が壊れてしまったのかもしれない。涙を流しながら、ただ殴り続ける。
――自分の恋人だった男を。
オレとソーダは、それをただ見ていた。
発狂することも無く、涙を流すことも無く。
多分、彼女も森の、怖ろしい秘密を悟ったのだろう。
「森」のある場所には、以前は街があった。
――そこに住んでいた人々はどうなった?
「森」のある場所にはかつては動物たちの暮らす“普通の森”があった。
――動物たちはどうなった?
「森」はなぜ生まれたのか。
知能のあるパラドクサと知能が失せたジャンの差は何か。
「無情動……」
パラドクサは自らとその同類を無情動と名付けた。
「ソーダ、アパシーの意味は……?」
オレは尋ねた。目の前の光景を、どこか創りもののように感じながら。
「無関心……無気力……それと」
――「パトスが無いこと」。精神的境地。本能や情感に乱されない無感動な心の状態。
「本能や情感に乱されない……?」
その時、オレは悟った。
「パラドクサはこの「森」で、何も食べなかったんだ」
「え? どういうこと?」
ソーダはきょとんとして、聞き返した。
「パラドクサは仲間が魔蟲になるのを見て、精神的境地に辿り着いた。そして本能を律し、空腹に克った。その結果、『無情動』になった……」
「つまり、何も食べなくても、私たちもいずれ無情動になる……?」
「オレは街の人々や森の動物たちは、魔蟲に殺されたとばかり思っていた。……しかし、違うかもしれない。魔蟲の卵が見つかったことは一度もない……。魔蟲は、他の生き物が変化することでしか生まれないのではないだろうか……。そして、「森」の果実や蟲を食べなかった……食べないという選択肢を選べた理性を持つ人間でさえ、「森」の瘴気か、或いは別の何かに蝕まれ、蟲とも人ともつかない無情動に」
「何も食べなければ、飢え死ぬのではないのかしら」
これはオレの仮定でしかない。普通であれば、ソーダが言う通り、飢え死にするはずだ。
「何にせよ、早くここから出たほうがいい」
オレは鞄から、石を取り出した。
「これを使え」
ソーダは何も言わずに受け取った。
「どうせオレでは使えない」
ソーダは無言で頷いた。
「このことをアカデミアに」
ソーダは黙って首肯した。
そして黙したまま、石を握りしめ、転移の呪文を、呟いた。
オレはアカデミアを――彼女の事を信じていないわけではないが、この事実が隠蔽されることも考えてこれを記す。
これを読んだ君たちだけでも、この恐ろしい事実を知っていて欲しい。いずれ、この世界は「森」に支配されてしまうのかもしれない。
禁断の果実を齧れば蟲となるこの「森」を神は我々に与えた。
禁じられた果実を食わなければ、理性を保ち続けるこの「森」は、我々の原罪に対する天罰か。
――それとも、これが神の「楽園」だとでも言うのだろうか。
追伸。この本にはソーダに頼み、所持者が消えれば “在るべき場所”へと還る魔法をかけた。願わくは、在るべき場所が我が憩いの学び舎であることを。