狐の唐傘
あるところに、一匹のきつねがいました。
きつねはとても長生きで、もう数百年も生きていました。
地上を見飽きたきつねは、山の大岩の上でいつも空を眺めていました。
きつねはきつねであって、雲や小鳥のように空を飛べないのを知っていたため、いつも恨めしそうに空を見上げていました。
そんなある日のこと、一人の少年がきつねの側を通りました。
お互いにそこにいるのはわかっているものの、言葉を交わすことも無く少年は通り過ぎていきました。
それからというもの、一日二度少年がきつねの側を通るようになりました。
暑い日も寒い日も雨の日も風の日も雪の日も毎日毎日ずっとずっと。
きつねは岩の上に佇み、少年はその側を通り過ぎる毎日。
毎日一歩も動かず、きつねはずっと同じように空を見上げていました。
少年はいつも同じ姿勢でぴくりとも動かないきつねを見て、気持ち悪くも感じていましたが、風景の一部として感じるようにしていました。
春が来て夏が過ぎ秋が来て冬が過ぎ。
季節が巡り巡りて年が過ぎ、少年は青年になりました。
少年は青年になっても毎日二度きつねの側を通っていました。
ある雪の日、青年はふと、きつねの前で立ち止まります。
降り積もる雪を払おうともせず、きつねは岩の上で頭の上に雪を乗せていたのです。
「駄目じゃないか。風邪を引くよ?」
青年はその大きな手で優しく雪を払い除けます。
その時初めて、きつねは視線を空から青年に移しました。
それでも、きつねは特に何をするわけでもなく、ただされるがまま、ぼんやりとそこに佇んでいました。
「ここに傘を置いておくから、使うんだよ?」
言いながら青年は持っていた唐傘を開いて、きつねを雪から守るように置き、去っていきました。
きつねは視界に突然現れた、美しい朱色に心を奪われました。
「きれい……」
きつねが思わず漏らした声は青年に聞こえることはありませんでしたが、きつねの瞳は大きく見開かれ、空ばかり見ていた視線が久々に地上へ向けられました。
翌日もきつねは岩の上に佇み、青年はその側を通ります。
けれど、今日はきつねが青年に声を掛けました。
「他の色はないのか」
突然話しかけられて青年は驚きますが、持っていた群青色の唐傘を差し出します。
「これならあるよ」
きつねの手足では広げられないだろうから、青年が開いて昨日の傘と取り替えます。
するときつねは自分の上にできた新しい空に瞳を輝かせました。
「きれい……」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。作った甲斐がある」
青年は照れ臭そうにぽりぽりと頭を掻きました。
きつねは群青一色でも飽きもせず、青年が作った傘に食い入るように見入っていました。
「他の色はあるのか」
傘を眺めながら、きつねは青年に尋ねます。
「あるよ。じゃあ、明日違うのを持ってくるよ」
青年はきつねにきれいだと言われたのが嬉しくなって、きつねのために新しい唐傘を作ることに決め、その場を後にしました。
次の日から青年は毎日、傘を取っ替え引っ替え持って行って、きつねに見せ続けました。
幾日か後、青年はいつもより少し遅い時間にきつねのところに行きました。
夜鍋して傘を仕上げて、今日は寝坊してしまったのです。
ですが、今日はきつねの姿がありません。
その代わりにいつもの岩の上に着物を着た童女が座っていて、昨日青年がきつねに渡した傘を差していました。
周りの雪景色に不釣合いな、狐の毛並みのように美しい着物を着た童女であったので、青年はすぐにきつねが化けているのだとわかりました。
「今日は何色なのか」
きつねは青年が視界に入るなり、挨拶もそこそこに尋ねました。
「今日はこれだよ」
言いながら、青年はきつねに丁寧に包装された唐傘を手渡しました。
きつねは受け取ると包装を開け、傘を取り出して開きました。
するとそこには朱色を地に、狐の尻尾のような形に白と狐色をあしらった傘がありました。
「きれいな模様・・・私の尻尾のよう」
「僕はまだ師匠に作り方を教わる身だけど、これは君のために作ったんだ。あげるよ」
青年が言うと、きつねは戸惑って、でも飛び切りの笑顔をして傘を肩に掛けてくるくると回して見せました。
「本当にいいのか」
「貰って欲しい」
きつねは傘を貰ってまるで本当の童女のようにはしゃぎました。
その日の帰り道、少年は岩から降りて立っているきつねを見つけました。
話を聞くと、傘のお礼がしたいがお金がないので、代わりに青年の身の回りの世話をしたいということでした。
最初は断った青年でしたが、懇願するきつねに折れてしまい、名前を「おきつ」として、村で一緒に暮らすことにしました。
最初こそ人間の常識をわかっていないおきつでしたが、少しずつ村での暮らしにも慣れて、ちょうど唐笠作りの腕前を認められて独立した青年の仕事を手伝うようになりました。
だけれども、おきつはとても不器用で、鋏や刃物を使っては手を怪我してしまって、見兼ねた青年がいつも後ろから二人羽織のような状態で手取り足取り作り方を教えるようになります。
すると、おきつの興味は唐笠だけでなく、青年にも向けられるようになりました。
おきつは暇になるとすぐに上を見上げる癖があって、一番のお気に入りは寄り添って仕事中に、休憩で青年に体重を預けて顔を見上げることでした。
「おきつさん、そんなにじっくり見ないでおくれ」
「お前さんは雲のように逃げていったりしないから、じっくり見れるのだ。だから、お前さんも私をじっくり見れば良いのだ」
二人は直接言葉を交わさなくてもわかっていたのかも知れません。
程なくして、お互いの気持ちに気が付き、恋に落ちてしまったのです。
元の師匠への婚姻の報告の帰り道、二人はふと気が付くと、出会った大岩の前にいました。
「ここから始まったのか」
おきつは口調こそ出会った頃のままですが、今では多くの感情を知り、最後に愛という感情を知るに至りました。
「今日は何色なのか」
青年が意地悪くおきつの真似をしていうと、おきつは静かに青年に寄り添って言います。
「今日は黄昏色なのか」
きれいな夕焼けが辺りを黄昏色に染めていて、おまけに晴れているのに小雨まで降り始めます。
「今日は狐の嫁入りなのだ」
おきつが呟くように言うと、青年がすっと傘を差し、二人は共に歩み始めました。
二人はいつまでも幸せな時間が続いてほしいと願いましたが、そういうわけにはいきません。
時と共に青年はお父さんになり、お爺ちゃんになって、年老いていきました。
けれどもおきつは歳を取ることがありません。
そして、彼は居なくなってしまいました。
おきつは心に空いた大きな穴を埋めるため、来る日も来る日も唐笠を作り続けます。
手を止めれば、彼を忘れてしまいそうな気がしたのです。
眠ることも忘れて傘を作り続ける彼女を心配して一族全員が彼女の元に身を寄せます。
泣き続けて顔を上げることのできなかったおきつでしたが、大婆様と呼ばれて顔を上げれば、そこには彼女を心配する、彼との間に生まれて育って、続いていった数十人にもなる一族の皆がいました。
その瞬間、おきつは気が付いたのです。
顔を上げれば、ここには彼と築いた全てがあって。
もう彼女は一人ぼっちじゃないのです。
それからさらに数年して、おきつの元に一人の少年が弟子入りしました。
わざわざ隣街からお山を越えて大岩を過ぎて来たという彼はどこか懐かしい面影があるように思えます。
おきつはおかえりなさい、と口に出さずに心の中で呟きました。
冬童話2015 提出作品となります。
今回はあまりMOHUMOHU!できなかったのが心残りです。
書いていて最後のほうはハッピーエンド・・・なのか?となりましたが、再びめぐりあったのですからハッピーとしませう! それでは! もっふー!