4話 憂鬱な初登校
憂鬱だ。
子爵邸へオクトと一緒に帰ってきた俺は、ソファーに腰掛けながら深くため息をつく。
とうとうオクトが学校に通い始めた。いつかは通らねばならぬ試練とはいえ、本気で早すぎる。しかも学校から帰ってきてから、オクトは少し元気がない。
あまり感情を表に現さない子だから余計に心配だ。
どうしよう、すでに学校で虐められていたら。
「何で俺は教師じゃないんだろう」
もちろん、そんなの理解力が遅いヒトに教えるのが煩わしいからだからなんだが、この時ばかりは教師になりたいと思った。そうすれば、学校でも家でも会える。……何だそのパラダイス。
とはいえ、実際にはそんな事できないのだから仕方がない。
「せめてオクトが何処に居るのかだけでも分かればなぁ」
海賊に攫われた時は居場所が中々分からずやきもきしたものだ。まあ、あの時は王子からの口出しがあったから中々上手く事を運べなかったというのもあるが。
居場所を分かるようにする魔法がないわけではない。2つ魔方陣を用意して、片方は居場所と周りの情報を送る用とし、もう一つはその情報を映像として映す用とすれば理論的には可能だ。魔法自体も光魔法と闇魔法の組み合わせでできるのではないだろうか。
ただ問題はその魔方陣をどうやってオクトに持たせるかだ。たぶん居場所を知りたいから持っていて欲しいと言っても、オクトは素直に頷かない気がする。オクトは出不精だし自由が大好きというタイプではないが、ヒトから干渉されるのは結構嫌う。もちろんその代わりにヒトの事に対してもとやかく言わない。そう考えると、オクトはあえてヒトとの関わりを持たないようにしているのかもなぁと思う。
それが悪いわけではないが、何だかある日ふらっとオクトが消えてしまってもおかしくないような気がしてぞっとした。
やっぱりオクトの居場所は把握しておくべきだろう。
しかし今思いついた魔方陣はオクトが持ち歩いてくれるのが前提条件である。ヒトに魔法を直接使うのは、危険を伴う。特に同属性ではない魔法の場合、魔力の循環が悪くなり、体調を崩す可能性が高い。その上オクトは混ぜモノなので、どんな副作用があるか分からない。
これらを踏まえると、何か身につけるモノにこっそりと魔方陣を書いておく方法が一番安全だが……。
「学校に居る時だけなら、制服でいいけど……」
ただし学校に行くようになれば、友達と外出する事もあるかもしれない。その時必ずオクトが制服を着ているとは限らないのだ。それに着替えたりもするだろうし、背が伸びたり破れれば買い替えてしまう。
何かオクトがずっと身につけていられるモノはないだろうか。
「いっそ何かプレゼントでもするか?」
入学祝と称して何か身につけるモノをあげるのも一つの手だ。……でもよっぽど実用的なモノでない限り、オクトが勿体ないと言ってしまい込む気がする。
オクトを引き取ってこれで3年目。それほどお金に困らせる生活はしていないはずなのに、オクトの金銭感覚はとても子供だとは思えないぐらいしっかりしていた。
一体あの感覚は何処で身につけたのか。
そう思うと、オクトは謎が多い。あえて隠し事をしているという感じでもないから、悪気があってというわけではないだろう。それにオクト自身、自分の事が分からなかったりしているようなので、仕方がないのかもしれない。
早くに親をなくせば自分のルーツなんて知りようがないわけだし、特にオクトの場合は混ぜモノで、同族が近くにいるわけでもないのだ。
そんな事を考えていると、なんだかオクトをぎゅっと抱きしめてあげたい気持ちになった。
オクトはとても敏い子だ。自分自身のことすら分からない状態で、色々不安にならないはずがない。特に混ぜモノは、【暴走】というよく分かっていない、でも危険な現象を起こす事がある為、周りから忌避される。もちろんオクトはその事も十分理解して、仕方がないと割り切っていた。
でもオクトはいくら敏くても、たった8歳の子供なのだ。本当ならば、ただ親の愛を受けていれば良い立場なのに、それができずにいる。そしてそれが酷く辛いことだという事も分からずにいるのだ。
「うん。ここは俺がその分愛してあげないとだよな」
やっぱりそのためにも、オクトの居場所をちゃんと把握しておくのは必要な事だ。そうすればいつだって俺はオクトの所に駆けつけれるし、彼女の味方でいる事ができる。
後はどうやってやるかだけど……。
「旦那様、お風呂の準備ができました」
「あ、うん。ありがとう」
少しシャワーを浴びて、もう一度いい方法を考えよう。
そう思い俺は立ちあがった。
◆◇◆◇◆◇◆
「ふう。さっぱりした」
お風呂から出て、体はポカポカしているし、気持ちがいい。
でもさっぱりはしてもスッキリはしない。
風呂の中で、他にいい魔法はないかと色々考えてみたが、結局最終的にオクトが身につける方法しか思いつかなかった。
青の大地には、血を使った呪術というものが存在する。血を使って相手の居場所を知る方法だ。もっとも文献として読んだ事しかないが。ただもしもそれをする場合、オクトの血をもらわなければいけないわけで。うん、無理だ。
オクトのやわ肌に傷などつけられるはずがない。
後はオレも知らない魔法となると、エルフ族が使う魔法だが、素直に俺の同僚が教えてくれるとも思えなかった。それに俺もオクトの事で、エンドに頼るのは癪だ。
「結局、振り出しに戻るんだよなぁ」
とりあえず喉が渇いたなぁと思っていると、机の上に都合よく酒瓶が置いてあった。
「ロベルトが片づけ忘れたのか?」
どうやらワインのようで、甘いおいしそうな匂いがする。置き忘れる方が悪いよな。そう思い、俺はコップを召喚すると中身を傾けた。
酒を飲むと気分がよくなるというし、もしかしたら妙案が浮かぶかもしれない。口に含むと、ジュースのような味わいで、意外に飲みやすかった。もう一杯と、さらにコップにつぐ。
「旦那様っ?!」
「ん?」
ぐいっと飲んでいると、素っ頓狂な声が聞こえた。
「やあ、ロベルト。貰っちゃった。てへ」
「いや、それはいいですけど……大丈夫ですか?」
大丈夫って、何がだろう。
俺自身はとても大丈夫だ。お酒はおいしいし、気分もいい。俺じゃないとしたら、誰だ?あー……オクトとか?
ふわふわとした頭の中でオクトを思い浮かべると、さらに幸せな気分になった。ああでも、オクトは学校から帰って来てから元気がない。
やっぱり学校なんて行かせるべきではなかったのだろうか。
「……大丈夫じゃない」
「ええっ?!やっぱりですか?ちょ、そんな頭濡れたままで、何処に行くんですか?!」
何処って、そんなのオクトの所に決まっている。
ああ。心配だ。オクトがもしも1人で泣いていたらどうしよう。考えただけで、胸が苦しくなって、俺まで泣きたい気持ちになった。
フラフラと俺はオクトの部屋まで歩くと、ノックをした。
「オクト、起きてる?」
「アスタ?起きてる。……ちょっと待って」
声をかけると、バタバタと足音がした。そしてガチャリと扉が開く。そこには、すでにパジャマ姿になったオクトがいた。
青い目を大きく見開いて俺を見ている。ああ、やっぱり可愛いなぁ。
「そのままじゃ風邪引く。座って」
風邪引く?何で?
良く分からないが、オクトがそういうなら、座っておこう。俺はオクトに言われるままに、部屋に設置してあるソファーに座った。
ソファーに座るとオクトの姿が見えなくなり、何だが悲しい気持ちになる。オクトがいないと俺は寂しい。学校なんか行かなくてもいいのに。
「アスタ、どうかした?」
落ち込んでいると、オクトが俺の頭を拭きながら心配そうな声をかけてきた。心配なのは俺じゃなくてオクトの方なのに。
「オクトこそ、学校で何があったんだい?」
「あー……」
オクトは微妙な声を出した。やっぱり、学校で何かあったに違いない。
何でも話してくれればいいのに。俺はオクトの味方だ。でもこれでは何もできない。
「全然何も言ってくれないし。何だかオクトが遠くへ行ってしまったみたいで寂しい」
「……アスタ、お酒飲んだ?」
酒は飲んだが、それがどうしたというのか。
寂しくて、寂しくて、死んでしまいそうだ。どうしよう。オクトが消えてしまったら。
「オクト、学校が嫌ならいつでも止めていいからっ!」
「ちょっ、いきなり振り向かない。まだ髪の毛拭けてないから」
今にもオクトが消えてしまうのではないかと不安になり振り向けば、オクトに怒られた。
「学校は行く。じゃないと、薬師になれないし。入学していきなり3年だったのと、公爵家の次男のふりをしたカミュが同じクラスだったから、少し驚いただけ。私は大丈夫」
「俺は大丈夫じゃない」
オクトが学校に行ってしまうと不安だ。
「何か酔いざましの薬貰ってくる」
「いい、いらない。行かないで」
離れていってしまおうとする娘の頭を、俺はギュッと抱きよせた。怖くて仕方がない。このまま手を放したら、もうオクトに会えない気がする。オクトはどんどん大人になって、俺を置いていってしまう。
「アスタ、髪の毛拭けない」
「何処にも行くな」
「……行かないから、髪の毛を拭かせて」
小さなため息と共に、仕方がないなというニュアンスの声が聞こえた。オクトが何処にも行かないならと俺はゆっくりと手を放し、もう一度ソファーに座りなおした。
「そう言えば、アスタは私が3年生に編入する事を知ってた?」
「もちろん。入学には保護者の同意がいるからな」
「学校に行くのは反対だったのに、飛び級はいいの?」
「いいよ。だって学校に行く期間が短い方が、俺と一緒に居る時間が増えるだろう」
できるだけオクトには、ここに居て欲しい。
本当は学校にも行かせたくなどないくらいなのだ。
「学校に行っても行かなくても、それほど変わらないと思うけど」
「変わるよ……オクトが、変わってしまう」
学校に行けばオクトの世界は広がっていく。オクトは優しいから、誰もがオクトを好きなる。オクトも誰かを好きになるかもしれない。その時、俺はどうなるのだろう。
オクトの中の俺はどんどん小さくなって消えてしまうのではないだろうか?いつか俺の事など忘れてしまうかもしれない。
「変わったとして、何か問題ある?」
「問題……」
「私は少なくとも学校に行く間は、今までと変わらないよ。帰る場所はアスタの家しかないし――って、寝るな、アスタ!!」
帰る場所はここかぁ。
そう思うと、さっきまでの悲しい気分が一転して、幸せな気持ちになった。そうか。オクトは最後は俺の所に戻ってくるのか。
それならいいか。
ちゃんと帰ってくるなら、それで――。
「あれ?」
目が覚めると、まだ周りは真っ暗だった。そして隣に温かいモノを感じそちらを見れば、オクトがギュッと俺の服を握っていた。
……んー。どういう状況だ?
徐々に闇に慣れてきた目で周りを見れば、どうやら俺の部屋ではなさそうな感じである。いつの間に俺はオクトの部屋で寝てしまったのだろう。
でもオクトの寝顔を見ると幸せな気分になり、それがとても些細な事に感じた。起こさないように柔らかな髪の毛を撫ぜる。
口を開けば大人と変わらないのに、寝顔は年相応だ。むしろ、もっと幼くも見える。本当に不思議な生き物だよなぁ。
「……あ、これは?」
ふとオクトの首から出ているモノに気がついて、俺はしげしげとそれを見つめた。そう言えばオクトは、片時も離さず、ずっとこれを首からかけている気がする。
あれ?もしかして、丁度いいんじゃないか?
俺は早速魔法陣を紙に描くと、オクトには内緒で、お守り袋の中にそっとしまった。