1話 突然な反抗期
「はぁ……」
「どうしましょう。凄くわざとらしいため息をついていますよ」
「アスタは元気がないぐらいでちょうどいいだろう。無駄に元気な方が迷惑だ」
「でも仕事してもらえないと困るんですよ」
……お前らなぁ。
隣で俺のため息よりもわざとらしく小会議を開く同僚を、俺はギロリと睨みつけた。
「普通はこういう時、慰めようとしたり、どうしたのか心配するものじゃないのか?」
「なんだ、私に心配されたいのか?」
「あー、やっぱりいいや」
至極真面目な顔で、エンドに言われて俺は首を振った。エルフ族に心配なんかされた日には、空からやりが降ってくるかもしれない。むしろ何か変なものでも食べたのではないかと俺の方が心配しなければならなくなりそうだ。
「だろう」
「まあね。……はぁ」
「それで、本当にどうしたんですか?」
俺とエンドの会話に、頭を抱えたポーズをしたリストが聞いてきた。
その顔には早く仕事をやってくれと書いてある。ほどほどに手を抜けばいいのに、真面目な奴だ。それでもあまり後輩を虐めるのも可哀想か。俺は彼に愚痴を聞いてもらう事にした。
「うちの娘が魔法学校に通いたがっているんだよ」
俺が憂鬱になっているのは、最近に突然オクトが、『アスタ、そろそろ魔法学校の入試を受けようと思うんだけど』と言いだしたのが始まりだ。
元々学校に通いたがっていたのは知っている。しかしオクトはまだ7歳。まだまだ先の話だと思った。
……一体誰の入れ知恵なのか。それ以来、オクトは一生懸命魔法の実技の勉強をしている。このままでは近い将来本当に学校に通っていそうだ。
「魔法学校ですか?混ぜモノだから何かと大変でしょうけれど、魔力制御の難しい子供の入学を勧めている場所でもありますし。自立心がある事はいい事ではないですか?」
「オクトはまだ7歳なんだぞ。いくらなんでも早すぎるだろ」
そんなに自立心なんて溢れていなくてもいいのに。
あああ。どうしてこんな風に育ってしまったのか。7歳なんて、まだまだ俺に頼ってくれていい年齢だ。いや、もうずっと俺に頼ってくれたって構わないのに。
「あれ?まだ7歳でしたっけ。どうもアスタリスク魔術師の話を聞いていると忘れてしまって」
「確かに7歳は幼いな。でもそれなら、別に受験しても受からないだろう」
「何を言っているんだ。俺のオクトが受からないはずないだろうが」
なんて失礼な奴らだ。
俺のオクトが試験して受からないなんて、そんなわけがない。
「……へっ?あの、娘さんは7歳なんですよね?」
「ああ。まだこんなに小さいんだよ。どう考えても早すぎるだろ」
俺は手を腰のあたりでスライドさせてオクトの身長を伝える。
こんなに小さいのに学校なんかに通ったら、虐められるかもしれない。出る杭は打たれるというし。もしくは仲のいい子ができて、家に帰って来なくなったらどうしよう。無断外泊とか……俺はそんな不良に育てた覚えはありません!!
「それなのに、受かる自信があるのか?」
「当たり前だろ。社会は苦手みたいだけど、数学、魔法学、語学は全て問題ないんだからな。数学はもう2次関数やベクトルも理解できているし、語学は古文だって読める――」
「ちょっ。待って下さい。7歳でそれって、所謂神童じゃないですか?!」
「当たり前じゃないか」
何を今更な事を言っているんだ。
オクトはとても頭がいい。大人より幼い子の方が記憶力がいいと言われるがそれだけではない。元々持っていた知識は俺が想像している以上にあると思う。その上努力家なので、着々と新しい知識も身につけていた。
魔法だって理論はかなり先へ進んでいる。最近始めたばかりの実践だって、あの練習量なら、すぐに上達するに違いない。
「俺はいつもそう言っているだろ?」
オクトはまるで生き急ぐかのような成長をしている。それも一つの個性ではあるのだろうし、そうでなければオクトではないのかもしれない。でも俺としては、体と同じようにもっとゆっくりと成長してくれればいいのにと思う。
「……そういえばそうでしたね。僕は頭がいいとか、可愛いとか、そんな言葉しか聞いていませんでしたので。ただの親馬鹿かと思っていたんですよ。ねえ、エンド魔術師」
「ああ。あの子は、もうそんなに成長したのか」
エンドはそうつぶやくとふっと顔の表情筋を緩めた。
その瞬間、ガタガタっと周りの席の魔術師が動く。かくいう俺も、その表情を見てぎょっとした。まさか、エンドが笑っただと?
「お前、まさか――」
エンドは以前、オクトへの結婚を申し込んできた事がある。その上、俺の部屋の前に花やら詩集やらを置いてオクトにドン引きされていた。
ちなみにオクトは詩の意味を読みとるのは苦手なようでまったく内容を理解していない。なので俺も無害なゴミだと思って無視していたのだが……。
「――父の座を狙っているのか?」
「そんなもの、誰が狙うか」
「そんなものだと?」
俺は失礼な物言いをしたエンドを鼻で笑った。
あの、可愛くて、賢くて、優しくて、頑張り屋で、もうとにかく可愛いオクトの父の座の素晴らしさが分からないとは。
「私はもっと上を狙っているんだが?義父さん?」
「うちの娘はお前にはやらん」
というか、誰にもやらん。
「エルフ族の事はエルフ族に任せてもらえないか?」
「オクトはお前らとは違うんだよ」
フッと俺とエンドはお互いに笑った。どうやら俺らは相容れられない宿命のようだ。
「ひぃ。お願いですからここでは止めて下さい!本当に仕事溜まっていて、色々と不味いんですってばっ!!」
リストの悲鳴をゴングに、俺とエンドの攻撃魔法が放たれた。
◇◆◇◆◇◆◇
「ただいま」
ああ、今日も疲れた。
エンドと一緒に魔法をぶっぱなしてめちゃめちゃにしてしまった部屋の片づけは、何気に時間がかかった。リストはそれについてずっと愚痴愚痴言っているし、へとへとだ。
よし、こうなったらオクトに癒してもらおう。
そんな気分で、寮の玄関前まで転移して扉を開けた瞬間、突然中で魔力が動くのを感知した。……へ?なんで?
オクトには、危険だから1人ではまだ魔法の実技練習はしないようにと言ってある。オクトが約束を破った事なんてないし、もしかしてカミュやライ辺りと一緒にいるのだろうか?それとも、もしかして魔法を使わなければならない事態に陥っているとか?
俺は足早に、部屋の中へ入ると、オクトがいるだろうリビングへ向かった。
「オクト?」
「魔方式終了」
部屋の中に居たのは、オクト1人だった。その手元には魔方陣が描かれた紙が破れることなくある。どうやら魔法は成功したようだ。この短期間でここまで見事に魔力コントロールができるようになるなんて、流石俺のオクト……いやいや。そうじゃなかった。
どうしてオクトは俺の言いつけを破って魔法を使っているのか。オクトは魔法を使うという事にとても慎重で、怖がっているように思っていたので、腑に落ちない。
「アスタ、私を勘当しろ」
「へっ?」
「私はアスタの言いつけを破って、一人で、しかも宿舎で魔法を使った。だから勘当されても仕方がない。荷物をまとめる」
オクトが振り向いたと思ったら、突然理解できない言葉を吐いた。いや、意味は理解できる。
でもどうしてそんな事を言ってくるのかが理解できない。だって今までそんなそぶり、一度もなかった。何が起こったのか。勘当って、どういう事だ?
その意味を理解しようとすると、俺の中の血液が冷たくなった気がした。
「お、オクトが反抗期?!」
「……あー……うん」
これがアレなのか?世に言う反抗期なのか?
息子のヘキサは反抗期らしい反抗期がなかったし、俺はずっと反抗期みたいなものだったから、こんな風に唐突に起こるとは思わなかった。
しかしオクトは俺の言葉を聞いて、目の前で少し項垂れた。……違うのか?
「というか、勘当ってどういう意味?」
もしかしたら、オクトは別の意味でその言葉を使っているのかもしれない。オクトの語彙は、たまに俺とずれている事がある。たぶん母親に聞いたという異世界の知識がある為だとは思うが、今回もそうかもしれない。
「……ようは、親子の縁を切るという意味。私が父親であるアスタに逆らったから、この家を出ていくというか、出て行けと追い出されるというか」
オクトの説明は俺が思っているものと違いはなかった。
オクトが出ていく?何で?その状況を想像すると手足が冷えていく。立っているのが辛くなるぐらい、動悸がする。
「えっ。何でオクトが、出ていくの?」
「えっ?いや、出ていくというか、追い出されるというか……」
「誰に?」
誰が追いだすというのか。
少なくとも俺ではない誰かだ。俺はそんなの望んでいない。
「もしかして、隣人に苛められた?だったら――」
「苛められてないから」
「なら、王子達に?!」
「それもないから」
オクトを唆しそうな名前を俺はできるだけ冷静に上げる。
でももしも違うならば――。
「とにかく、……アスタの言う事を聞かずに勝手に魔法を使ったから、落し前としてここを出ていく――」
俺の心が冷たくなるのが分かった。
オクトは自分の意思で出ていこうとしているのだ。その瞬間、すっと俺の意識が切り替わる。
さっきまではどうしてオクトが出ていこうとするのかが気になっていたが、今俺の中にある意識はどうやってオクトをここに閉じ込めるかだった。
だって、どうして俺がオクトを逃がさなければならないのだろう。そんなのおかしいじゃないか。
「あ、アスタ。えっと……」
オクトをどうしたらここに繋ぎとめられるのか。そんな事を考えていると、オクトがか細い声で俺を呼んだ。その瞳には不安が宿っている。……そんな顔をさせたいわけじゃないんだけどなぁと思うが、それでも俺はオクトを手放せない。
「家を出て何処へ行くつもり?混ぜモノは、ホテルに泊まる事も難しいよ」
オクトが何処まで計画を立てているのかを知るために、俺は質問をした。できたら思い直してもらえないだろうかという願いを込めて。
「……魔法学校の試験を受けて寮に入る」
「俺に隠れて願書を提出したんだ」
俺は魔法学校の寮の事なんて、オクトに教えていない。やはり誰かがオクトに入れ知恵をしたらしい。まあ魔法学校の事を教えるような奴、決まっているんだけどな。
確かにオクトほど優秀なら、寮に入るのも簡単だろう。許す気はないが。
「違うっ!がっ……願書を出すのはこれから。まだだしてない」
……誰かを庇っているのだろうか?
カミュ?それともライ?又は、他に誰かいるのか。まあでも、今はそんな事関係ない。まだ願書を書いていないのならば、オクトをここに閉じ込めてしまえばどうにでもなる。
「ならこれからどうする気?寮が使えるのは、試験に受かってからだろう?」
それでもできたら無理やりではなく、オクトにも望んでここに留まってもらいたい。俺はオクトに嫌われたいわけではないのだ。
「2年位前に海賊に攫われた場所。あそこで試験を受けるまで過ごそうかと」
「海賊?」
やっぱりあの時潰しておくべきだったか。いや、それとも、今からでも遅くないか?
「もちろん部屋を借りるだけで、犯罪はしないから。アスタに迷惑もかけない!!」
「ふーん。ライや王子を頼るんじゃないんだ。海賊とは2年間連絡をとっていなかったよね。どうして?」
それとも、俺が知らないだけで、オクトは海賊と今も連絡を取り合っていたのだろうか。俺も四六時中オクトと一緒にいるわけではないので、オクトの交友関係を全て知っているわけではない。
「海賊だったら、迷惑かけても問題ないし。……交渉の余地もあるというか」
「交渉の余地?何処に?」
「えっと。あの船長、魔法を使っていたけど、今思うと道具を使っていたから。その程度の魔法使いなら、魔法学校で学んだ知識を横流しすれば――」
オクトはあの時の事を忘れてしまったのだろうか。海賊はオクトが思っているより貪欲だ。きっとオクトが近づけば、今度こそ手放さないだろう。
そう思うと笑えた。俺は駄目で、海賊に飼われるのはいいなんて。
「そんな事すれば、二度と海賊から抜けられなくなるよ。オクトは海賊には近づきたくないんだよね」
オクトは犯罪とか、汚い部分を嫌う潔癖な部分がある。それなのに、海賊に近づくなんて、よほど俺の傍は嫌だという事か。
そう考えると、胸が締め付けられるように苦しくなった。どうして、俺では駄目なのだろう。
「へっ?あっ……もしかして、海賊に知識を売るのって犯罪?アスタ。勘当と言わず、籍から私を抜いてくれ。私は――」
「どうして?」
俺はオクトに優しくしたいのに。
でも苦しい。手放したくない。俺はただオクトとただ一緒にいたいだけなのに。目頭が熱くて痛い。こんな気分になるのは久しぶりだ。
「――どうしてって」
「オクトは俺と縁を切りたいの?」
行かないで欲しい。俺を置いていかないで欲しい。もしもオクトが俺から離れると言うなら、俺はオクトに酷い事をしてしまう。
オクトには笑っていて欲しいのに。
そんなの嫌なのに。
「切りたくはない」
俺に気を使ってか、オクトは慌てたようにぶんぶんと首を横に振った。
「俺は勘当はしないよ」
しないというか、できない。
俺からオクトとの縁を切れるはずもない。もしもどうしてもというならば、オクトは俺を殺す覚悟をしてもらわなければいけない。
「アスタ。でも、私はアスタとの約束を破った。その落とし前はつけるべき」
「何で破ったの?」
「えっと、早く魔術師になりたかったからというか……」
「嘘。オクトは、魔法を使う事が怖いと思っている。だから今まで、決して魔法を自分で試そうともしなかったし。最近になってようやく使いたいと言ったけど、俺の言いつけはしっかり守っていたよね」
オクトは学校に通いたいと言っていたから全くの嘘ではないだろう。でもそれだけで、勝手に1人で魔法を使うとは思えない。
オクトの考え方はたまに常識破りな部分があるが、それでも年のわりにかなり慎重だと思う。
「私は……アスタに迷惑をかけたくないんだ」
「俺は迷惑なんて思っていないよ」
オクトがした事を迷惑だなんて一度も思った事はない。ただあまりに自立心が高くて、時々不安になったりするが、それだけだ。
「迷惑ではないかもしれないけれど、お荷物のままでいるのは嫌だ。私は早く学校を卒業して、アスタの力になりたい」
「えっと。つまり、俺の為?」
もしかして、オクトはただそれだけの為に、いきなりこんな事を始めたのだろうか。学校へ通いたいと言ったのも、家から出ていくと言ったのも。
そうか、ここが……俺が嫌になったわけじゃないのか。
良かった。……本当によかった。
「オクトが出ていかないなら、学校に行ってもいいよ」
「へ?」
「寮に入らずにここから通うなら、別にいいよ」
オクトが俺の前から消えないというならば、俺は何だってできる。
「うん。今まで通り家事もちゃんとやる」
そんな可愛い事を言ってくれる、自慢の娘を俺は壊さないように、それでいて何処にも行ってしまわないように、そっと抱き寄せた。