16話 温かな毒
「……俺は帰省はしないと言ったはずなんだけど」
「まあまあ。せっかく一時帰省OKなのに、あえて危険な場所に留まるとかどうかしてると思うな」
だからどうして、お前はヒトの話を聞かないんだ。
魔術師の中でも家族持ち、又は貴族に限っては、年に1回または2回、数日だが交代で帰省が許される。というのも魔術師はこの国において、とても重要かつ高い資格である為だ。家族持ちは、その子供も魔術師となる可能性が高い為。貴族で魔術師というのはその領地でも重要な役割を担っている可能性が高い為。今回トールの場合は家族持ちの項目に該当し、俺の場合は貴族の項目に該当しているので、確かに転移魔法で一時帰省が許されていた。
しかし該当していても強制ではなく、あくまで任意。上官に書類の提出をして初めて許可が降りるかどうかの話である。なのにどうして、上官に書類を提出した覚えがない俺に許可が下りているのか。
……そんなの、となりの馬鹿が、勝手に変な気を回したからにほかならないけれど。
「今から、許可申請の撤回を申し込んでくる」
「だから、なんでそんな勿体ない事するのさ。いいじゃん、帰れば」
「帰りたいやつが帰ればいいだろ。俺は別に帰る必要ないし。手紙で実家の様子はわかっている。今のところ俺がその場にいなければどうにもならない問題も上がっていない」
とりあえず、領地が安定しているのは、使用人からの手紙で分かっていた。何とか厳しい冬の峠も抜け、今年は餓死者は出なかったと聞いている。
「そういう話をしてるんじゃないんだってば。アスタも会いたいヒトとかいるだろ?強がってないで、こういう時ぐらい、デレても笑わないから」
ダメだコイツ。本気で意味が分からない。
俺の話をちゃんと聞いていないのか?それとも、読解力が低いのか?
「もう一度、ヒトの言葉で話すが、俺は特に会う必要があるヒトはいないと言っているんだ。お前がヒトの言葉を理解しないようならば俺はこれ以上伝える手立てがないんだけどな」
「うわ。何、そのさみしい発言。本気で言っているわけ?」
「さみしくて結構だ」
いたって本気でもある。そもそも好きで一人でいるのだから文句を言われる筋合いはない。それにしても、とりあえずこれで理解しただろう。
そしてこの無駄な会話による煩わしさも、これでしばらくおさらばだ。煩いトールは、奥さんの元へ行くし、のんびりと仕事をこなせる。
「じゃあさ、実家に帰った事にして、僕の家に遊びに来なよ」
「ああ――はっ?」
「よし、決まりっ!嬉しいな。やっとクリスタルとヘキサに君を紹介できる」
「できるじゃない。何を言っているんだ?」
意味が理解しきれず、俺は頭を振った。どうしてそんな話になる。
「そもそも、その案に対して俺には何のメリットもないだろ」
「ええ?会いたくないのかい?君の名前をもらってつけた子供なんだよ?!」
「は?俺の名前?」
「そうそう。アスタの名前は古代語で魔法陣の基本の形であるアスタリスクからとってるんだろう?だから、アスタの功績に続くように、息子の名前は似た意味のヘキサグラムにしたんだ」
馬鹿だ。こいつ、マジで馬鹿だ。
ヒトというのは、あまりに馬鹿馬鹿しい事をされると、言葉を失うらしい。ぽかんと俺は嬉しそうに笑うトールを見返した。
「じゃ。出発は明後日だから、ちゃんと準備しておいてよね」
……マジで?えっ?コイツ本気なわけ?冗談とか、悪戯とか、ドッキリとか、言わないわけ?
楽しげに部屋を出ていく馬鹿を、俺は呆然と見送った。
◇◆◇◆◇◆◇
「ごめんなさい。無理やり連れてこられたんでしょ?このヒト、壊滅的に空気読めないのよね」
俺を出迎えた女性は、挨拶もそこそこにそう俺に謝ってきた。……どうやらクリスタルという女性はトールよりは話が分かりそうだ。銀の髪をきっちりと結ったクリスタルは、そう言って手を差し出してきた。
ん?なんだ?
その行動の意味が分からず、俺が手をまじまじと見ていると、突然クリスタルは笑った。
「ああ。そうか。この国じゃ、あんまり握手とかしないんだっけ?私の国は、親愛のしるしとして握手をするの。ほら手を出せば武器を持っていないってわかるでしょ?この国みたいに、それほど魔法が発達していないから、他者に害を向けるなら刃物なのよね」
「いや、別にこの国でも剣は使う――」
「あ、そうなの?トールってば、剣なんて持ったことありませんって感じだし、この国じゃ剣とか使わないんだと思ってたわ。ほら、魔術師って職業がすごく尊ばれてるじゃない?それって、武術より魔術が偉いって事よね」
――この女の口は、どうしたら止まるのだろう。
俺が一言しゃべると、その倍以上の言葉の波が押し寄せてくる。一瞬でもトールより話が通じそうだと思った俺が馬鹿だった。
「そんなに一気にしゃべったら、アスタがびっくりするから。ほら一方的に喋られ続けて、アスタが喋れないストレスで死んでしまったら困るだろう?魔術師って基本繊細だし、特にアスタは対人能力が低いからさ。最初は驚かさないように、そっと見守って――」
俺は珍獣か何かか。
俺より確実に珍獣な男にそんな扱いをされるとは思わなくて、もうどうしていいのか分からない。そもそも俺は何でトールの家に、素直にやってきてしまったのか。
すべてが後悔しかない。俺は後悔なんてしない、楽しい人生を送ろうと思ったのに。
今からでも遅くない。帰ってしまおうか。
そう思っている矢先に、家の中からけたたましい泣き声が聞こえた。
「あら、もう起きちゃったのね。ごめんなさい、適当に上がっていて」
そう言って、クリスタルがバタバタと家の奥へ走っていく。話にも状態にもついていけていない俺は、ただそれを見送った。
「じゃあ、クリスタルの言う通り、中に入ろうか」
「……いや。帰らせてもらう」
「ええっ。何言ってるんだい?!まだ来たばかりじゃないか」
「十分堪能した」
濃すぎる2人との会話は疲れる。玄関先の会話だけでこれなのだ。これ以上は無理である。そもそも会話なんて、自分の意思を的確に相手に伝えるものであり、ペラペラと垂れ流すものではなかったはずだ。
「まだまだ。ほら、せめてヘキサには会って行ってよ」
ああもう。めんどくせぇ。
断っても、断っても、しつこいし、たぶん永遠と恨み言を言ってきそうだ。今後の軍での仕事を考えると、それは勘弁したい。色々考えた末、俺はわずかなの抵抗として、わざとらしくため息をついた。
「……どこだ」
「そうこなくちゃ!といっても、俺も久々なんだけどね」
そういい、へらへら笑って家の中に入るトールに続いて、俺も中へと入る。どうやら使用人は雇っていないようで、それらしい人影はない。
……というか狭いか?
いや。勿論、トールは貴族ではないし、ここは村ではないので農村の家とは造りが違う。良く考えると、町に建つ民家に入るのは初めてかもしれない。
「狭いっしょ?」
俺の心の声を聞きつけたかのような言葉に、俺はドキリとした。
「アスタってお貴族様だもんね。庶民の家とか珍しくない?」
「そうだな」
「うわ。正直ぃ。でも、そこで嘘をつかないのが、アスタだよね」
嘘をついて得にもならない場面で嘘をついてどうするんだよ。相変わらず、人外語を話す奴だ。
ほとんど廊下というものがないままに、俺は部屋へ突き当たった。そして開けっぱなしのドアから、俺とトールは部屋の中を覗きこむ。
「ごめーん。ちょっとぐちゃぐちゃだけど、気にしないで」
……ちょっと?
覗き込んだ部屋の中は、大地震でも起きたかのようにぐちゃぐちゃだった。例えば散らかるなら散らかるで、ごみが転がっているとか、そういった類だろうに、壁にかかっている絵が落ちていたり、棚の上に置いてあっただろうモノが落下したりといった具合で、散らかり方が普通ではない。
「ああ。またヘキサがやんちゃしちゃったんだ」
「そうなの。癇癪起こすといつもこうなのよね。おかげで、花瓶とか飾れないの」
クリスタルはそう言って、まだ赤子といっても差支えがない程度の子供を抱きかかえながら困ったように笑う。
「ヘキサは僕に似て魔力が強いんだよね」
「まだ今日はいい方なのよ。この間なんて、部屋の中水浸しになっちゃったし」
どうやら、魔力が強い為、子供特有の魔力の暴走を起こしているらしい。体が小さい分、魔力が大きな子供は収まりが悪く、こういうことが起きる。
しかしその場合は、親が魔力で覆って被害を最小限するのだが……。
「あ、トールと違って私は魔法使いでもないの。もう少し私にも魔力があれば良かったんだけどね。あ、椅子は無事だったようだし、どうぞ、座って。お茶を入れるわ」
片づけるのでもなく、あっさりとした様子でクリスタルは無事だった椅子を起こし、俺に席を勧める。
「あ、いいよ。お茶は僕が入れるから。クリスタルは、ヘキサをよろしくね。アスタも、座って待ってて」
トールが部屋から出ていってしまうのを見届けた後、椅子を拒否する必要もないかと、俺は言葉に甘えて座らせてもらう。するとクリスタルも俺と机を挟んだ前の椅子に座った。
「今日は来てくれてありがとう。あの人、貴方の事大好きみたいで、帰ってくると必ず貴方の名前を1回は聞くのよ」
「トールは誰に対しても同じだと思うけど?」
俺が特別トールに好かれる理由は全く思いつかない。ただアイツは俺と違って、たぶんヒトが好きなのだろう。誰に対しても、尻尾をふる犬かのように懐く。
「違うわよ。まあ、確かにあの人の好きはとても広いからあれだけど、たぶんアスタリスクさんの事は信頼してるのよね。私の方が焼いちゃいそうよ」
「アイツはただの同僚だ。焼く必要性を感じさせない」
クリスタルの自慢話を永遠と聞かされた話を伝えれば、俺がトールにとって特別だと見当違いな思い違いを止めるだろうか。俺とトールはただの同僚で、何も深い関係はない。
「アスタは怖がりだから、絶対認めてくれないんだよねぇ」
「誰が怖がりだ」
「アスタかな?はい、お待たせ。お茶持ってきたよ」
たぶん魔法を使って一瞬で湯を沸かしたのだろう。
早々に部屋へ戻ってきたトールは運んできたポットをテーブルの上に置くと、俺の隣に座った。
そして慣れた手つきで、ポットからお茶をカップへそそぐ。すでに牛乳が混ざっているらしく、白く白濁していた。
「もう甘いから、砂糖はいらないよ。このお茶の入れ方は、クリスタルの住んでいた国の入れ方なんだよ」
「ふーん」
やっぱり特別はクリスタルの方だ。わざわざ、クリスタルの母国のお茶の入れ方をしてあげるとか、どう見ても特別扱いされている。
変に俺をライバル視なんて無駄な事をするもんだ。
「だからアスタにも知ってもらいたかったんだよね」
「……俺は美食研究家ではないけど?」
グルメな方だとは思うが、各国の料理を知りたいと思うほどではない。なのに何故俺に知ってもらいたいという話になるのだろう。
「だって、好きな人には好きな人の事を知ってもらいたいと思うのが普通だろ?」
「お前の中だけの普通だ」
好きなどという事は、普通は1人だけに使うもの。少なくとも魔族はそうだ。俺の父親を見ていると、2人も3人もその労力を向けられる力があるとは思えない。
好きな人が複数できる、人族の感覚は俺には良く分からなかった。
「ええっ?そうかなぁ?まあ、いいけどさ。ほら、どう?僕の息子。可愛いでしょう?」
ヘキサは生まれたばかりのふにゃふにゃではなく、小さいながらもちゃんとしたヒトの形をしている。母親譲りの銀色の髪に、青い瞳。じっと眺めていると、俺に向かって手をさし伸ばしてきた。
確かに世間一般の可愛いには該当しそうだ。
「どう、抱っこしてみる?ヘキサも貴方が気になるみたいだし」
「……いや、結構だ」
こういう無条件に愛されるような存在は苦手だ。何も好きにならないと決めているのが、うっかりした拍子に崩れる可能性がある。
「じゃあ、僕が抱っこしてあげるよ。おいで、パパだよ?」
トールはさっとクリスタルからヘキサを受け取ると、頬ずりした。その顔は、いつも以上ににやけている。
「ああ、なんて可愛いんだろう。ヘキサはいい子だねぇ。僕がパパだってわかるのかな?ほらニコニコしている」
ああ。こういうのを、いわゆる親バカって言うんだよな。
俺は生暖かい目でその様子を見た。多分、ずっと家に帰らないトールの事をヘキサはパパと認識していないだろう。予想では、魔力が高いための発達不良で、まだヘキサは人の顔を識別していないのだ。その為無条件に自分を守ってくれる大人に愛想を振りまいているのだろうと思う。いわばまだ本能で動いているようなものだ。
それに顔に関しても、現時点では可愛いの類だが、それは赤ん坊であるからであって、将来もそうとは言い切れない。
しかしトールは本気でヘキサを可愛いだの、賢いだの思っているようで、ひたすら褒めまくる。
「アスタリスクさんは、兄弟はみえないの?」
「えっ?いや。姉がいるはずだが、俺が生まれた時には成人していたから1人っ子みたいな感じだったな」
でもそれがどうしたというんだ?
クリスタルの質問に俺は訝しみながらも答えた。
「やっぱりそうなのね。すごく不思議そうにヘキサのことを見ていたから。別に貴方が抱っこしても、ヘキサは壊れたりしないわよ?確かに守ってあげなければいけないぐらいには弱いけど、思っているほどは脆くないから」
いや俺が不思議だったのは、トールの行動だったんだけどな。
実のところ、俺はあまり両親にかまってもらった記憶がない。なので子育てというのがどういうものかがよく分からなかった。なので知能の発達度合の関係で意思疎通がうまくいかない生き物と、どう付き合うのか興味はある。
とりあえずトールの様子を見る限り、可愛いとか言って褒めればいいのだろうか?躾と言うと、叱るというイメージもあるが、ヘキサを叱ったところでまだ理解はしないだろうし、いいところを褒めて覚えさせる方が確かに理にはかなっている気はする。
「違う違う。アスタのことだから、ヘキサをどうしで僕が愛おしいかっていう事がわかってないんだって。こういうのは感性の問題なんだけど、ちゃんと情緒が育ってないみたいでさ」
トールに言われるとムッとするが、あながち間違ってもいないので黙っておく。確かに俺は、無条件に愛おしいとかもよく分からない。理由があって、対象に興味を持つというのは理解できるのだけど。
まあでも、俺には必要ない感情だ。そんなもので、俺の人生を壊す気はない。
「とりあえず頭を撫でてみなよ。サラサラで気持ちがいいからさ」
「は?なんで?」
「いいからいいから」
無理やり俺の手を片手でトールが引っ張る。振り払いたいが、それでもしもトールがヘキサを取り落としたらと思うと、流石にできない。
仕方がなく俺は、そっとヘキサの頭に手を置いた。
髪の毛に触っているはずだが、温かみがそこから伝わってくる。その温かみから、俺は何かに感染してしまうような気がして、トールの手が離れた隙に慌てて離した。
「ね、大丈夫だろう?」
そう言ったトールを、俺は数年後恨めしく思う事になる。何が大丈夫なものだ。
あの暖かさは、毒のようだ。
俺は元々、独りで十分楽しかった。好きな魔術の事を考えていられればそれで良かった。そのはずなのに。序々にトールやその家族と一緒にいる事になれてしまって、当たり前になって――居なくなって、【寂しい】という感情を知ってしまった。




