12話 小さな隠し事
第一王子がオクトの学校へ視察に行った翌日ぐらいからオクトの様子がおかしい。
いや、普段の生活ではまったく変わっていないのだけれど、ふとした時に溜息をついたり、ぼんやりと考え込んでいる事が増えたように思う。
元々オクトは年齢に似合わない溜息をよくついていたりしたが……やっぱり違う。
「オクト、おはよう」
「あ、アスタ。おはよう。ごめん、遅くなって。ご飯はできているから」
いつもなら、必ず俺が起きる前に起こしに来るはずなのに、それがないのがそもそもおかしい。しかも寝坊したならまだしも、料理は出来上がっているのにぼんやりとしていたとか。
はっきりいってオクトらしくないというか……絶対、何か隠し事をしているんだよな。
オクトはあまり隠し事が上手い子ではない。というか嘘とか付けないタイプだ。そして何かに考えが没頭してしまうと、他の事に頭が回らなくなることが度々見られる。
タイミングからして、十中八九隠し事は第一王子と関係していると見て間違いないだろう。隠さなければいけないという事は、会ってしまったと言うことか。
しかし第一王子は、特にオクトに会ったことをまったく言ってこないし、弟であるカミュもオクトと第一王子が会ってしまったとは思っていないようだ。ゲームのような感覚でオクトに会おうとしていた第一王子が、もしも無事オクトに会えたとしたら、絶対自慢するなりなんなりして、勝利を楽しむはず。カミュも第一王子がそういう行動をとらないので、オクトとは会っていないと判断したのだろう。
……確かに、第一王子の行動だけ見ると、失敗したと俺も思う。しかしだったら、オクトは何に悩んでいるっていうのか。
「アスタ?……えっと、機嫌悪い?もしかして今日は急いで職場に行かないと行けなかった?」
悶々と考えていると、オクトが上目使いで俺を見てきた。無表情にちょっと毛が生えた程度の表情の変化だが、何処か恐る恐るといった様子で、怒られたくないなぁ、でも私が悪いんだから怒られるなら大人しく怒られておこうという心の気持ちが手に取るように分かる。
そして分かった瞬間、はぁと心の中で深いため息をつきたくなった。
きっと旅芸人の一座にいた時は、そうやって理不尽に怒られる事もあったんだろう。でもそろそろ俺がオクトをそんな事ぐらいで怒らないと気がついて欲しいと思うのは、わがままだろうか。とはいえ、俺がオクトに危害を加えるとかは感じていないようで、怯えるような様子を今のところ取られていないと思えばまだマシだ。
俺はそう思い、オクトの頭をよしよしと撫ぜてやる。こんな可愛い子を、むやみに怒るわけがないのに。
「そんなわけないさ。むしろ、最近働きすぎたから、少し休みたいと思っていたぐらいで」
「いや、そこはちゃんと働いた方がいいと思う」
オクトは、いつもと変わらない様子で、クールに言い返してきた。とりあえず怒ってはいない事はちゃんと伝わったようである。
「ええー。老体に鞭打って働かせるなんて」
「老体……」
オクトがなんとも言えない、微妙な表情をした。
でも本当に働かせすぎだと思うんだよな。特にこの間なんて、俺がオクトの学校へ行くのを邪魔するかのように、大量の仕事が俺の部署へ流れ込んできた。そしてその仕事は、第一王子の視察が終わった辺りから急速になくなっていった事を踏まえると、アイツが裏から糸を引いているのは間違いない。本当に迷惑際なりない男だ。
おかげで無駄に疲れた。
「……とりあえず、冷めるから食べよう」
オクトは厳しいなぁ。
比較的他人には甘いのだが、俺が同僚に迷惑をかけたりするのを嫌がり、俺が仕事をサボるのをよしとしない。しかしそれはきっと、俺の事を身内と思っているからだと思うと、厳しくされるのも意外にいいものだ。
「今日はなんだい?」
「えっと、オムライスとサラダ。それと具だくさんのスープと、ゼリー」
今日は子爵邸ではなく、宿舎の方で寝泊まりしていたので、オクトが手料理を作ってくれている。しかもオムライスは俺がオクトの手料理の中でもとりわけ好きなメニューだ。
オムライスはアールベロ国にはない米を卵で包んだ料理で、オクトが作り出したのか、それともいつも通りママに聞いたのかは定かではないが、とても変わったものである。オクトは料理に関して、自分は素人でプロに教えるなんてとんでもないと思っている為、子爵邸の料理人にオムライスを教える事はなかった。そのため、未だに子爵邸では絶対出てこないメニューだ。
「たくさん作ったから、仕事頑張って」
「うん。ありがとう」
流石オクト。俺が好きだという事を見越した上で作っているに違いない。食べ物だけにつられるほど俺は幼くはないが、それでもオクトが俺の事を思って、頑張れるように好きなものを作ってくれたのだと思うと、テンションが一気に上がる。
これほどまでに、飴と鞭を上手く使い分けるとは……恐るべし。しかし可愛い娘の頼み事だ。ちゃんと聞いてあげよう。
俺は分かったよという意味と、感謝の意味を込めて、もう一度オクトの髪を撫ぜる。
「そう言えば、だいぶんと髪が伸びたな」
「うん。今度ペルーラに頼んで切ってもらうつもり」
「ええっ。もったいない。綺麗な金髪なんだし、伸ばしても似合うだろ」
オクトの髪は、俺みたいな黒髪ではなくはちみつを溶かしたような金色だ。とても綺麗なので、切ってしまうのはもったいないように思う。
「えっ、手入れが面倒だし、邪魔だし」
……おっと。
オクトってよく考えると、あまり見た目とか気にしないよな。あまり綺麗になりすぎると、害虫駆除が大変になるので別に俺としては構わないけれど、まさか髪の手入れを面倒というとは。
アールベロ国は、異国民も多いので髪が短い女性もいなくはないけれど、女の子としてその発言はどうなんだ?嫌、待て。オクトの性格からいくと、混ぜモノが着飾っても飾らなくても何も変わらないと思っている可能性も。
これは、ある意味不味いような。
「でも俺は折角なら伸ばして欲しいな」
「……善処はする」
ここで流さずに簡単に頷かないのは、ちゃんと考えてくれている証拠だろう。にしても、着飾る事への興味が薄いのはやっぱりオクトの周りに女友達が少ない為だろうか。
貴族だけどダンスパーティーやお茶会への参加を一切しないオクトは、男性比率の多い魔法学校でしか交友関係を広げられない。
俺が知っている限りだと女友達はミウだけだが、誰か他に適任者はいないだろうか?最低条件としてオクトを利用しない人物となるが……利用しない上にオクトを混ぜモノという色眼鏡で見ない人物となると、オクトの性格が社交的でないのもあって、限りなく難しい気もする。
まあ、いいか。この辺りの問題は、ヘキサに頼んでおこう。
オクトが唯一ヒトと関わる機会の多い学校での生活は、ヘキサの方がよく知っている。危険な人物なら排除するだろうし、そうでないならばなんとかするはずだ。
そう思い、俺はとりあえず食卓に座った。
◇◆◇◆◇◆◇
館長が倒れたとオクトの手紙伝いに知ったのは、オクトの様子が少しおかしくなってからすぐの事だ。
あの殺しても死なないと思っていた館長が倒れたなんて、最初は何の冗談かと思った。しかし館長が倒れた事により、オクトとツンデレ少年もとい、コンユウが館長の仕事を引き継ぐという事になったと知った時、これは本当の事なのだろうと理解した。
俺が知る限り、あの館長は他人に自分の仕事を渡したりしない。もちろん時属性という特殊な魔法を使う為、他人に任せられないというのもあるだろうが、何か目的があるのか自分ですべてこなしていた。その館長が、自分の仕事を引き継ぐというのだから、自分の死期を悟っているのかもしれない。そもそも、あのジジイは俺なんかよりずっと長く生きていて、もはや化石のような存在だ。魔族やエルフ族ならまだありえる年齢だが、確か館長は翼族だったはず。となれば、今の年齢ですら規格外と言ってもいい。
ただ、一つ気になるのは、館長が死にそうになっているこの時期に、偶然時属性の持ち主が入学したという事だけか。
死期を悟っているならば、もっと積極的に時属性の持ち主を探せばいいのに、館長がそれをした様子は一切ない。まるで時属性の持ち主がやって来た上で、図書館で働くという事を見越したかのような動きだ。
紫色の賢者と呼ばれたとしても、所詮は先見性がヒトより優れていると言うだけの事。決して未来を見通す能力ではなかったはずだ。
でも今回の事に関して、まるで館長が最初からこうなる事を知っていたかのよう感じてしまうのは、俺の勘繰りすぎなのだろうか。
どちらにしろ、やっぱり、あのジジイは食えない。
そもそもいつでもひょうひょうとしている為、本心が全く見えないのだ。今回オクトにまで時属性の管理に関わらせようとするとか、一体何を考えているのか――。
「……何これ」
少し意識が別のところに飛んでいたが、オクトの驚きの声に、俺は意識を目の前の事へ切り替えた。
今は時属性を使いこなせないコンユウが、なんとか使えるようにできないかとオクトに頼まれ、目で魔力を確認する方法を教えていたところだ。
オクトにとっては、この魔力が充満した世界を見るというのは、衝撃的なものに感じたらしい。
すごく驚いたようで、青い目を真ん丸にして見開いている。
「その光り輝いているのが、魔力だよ。魔力は属性ごとに色が違うからね。本棚を覆っている紫色が、時属性だ」
「この丸いのは?」
丸?……ああ。
「オクトには丸く見えるんだ。コイツらは、精霊だよ」
一瞬、どれの事を言われたのか分からなかったが、そう言えば低位の精霊は見るヒトによってそれぞれ違うように見える事を思い出した。
俺の場合は、昔文献で読んだ各属性の高位の精霊を小さくしたような姿が見えるのだが、オクトは固定観念なく純粋にそのまま見ようとするので、ただの球体として認識しているのだろう。頭が固いヒトほど、イメージはある一つのもので固まってしまう。
「精霊?!」
「えっと、オレには、羽の生えた小人がオクトの周りを飛んでいるように見えるんだけど」
「は?小人?これって、小さいけど龍じゃないか?」
エストとコンユウが別の姿がみえるという事を伝えた事により、オクトがすごく心配そうな顔で俺を見上げてきた。自分が魔法に失敗してしまったのではないかと思っているのだろう。たぶんこの3人なら、オクトができなくて他2人ができる事なんてまずないのに。心配性な娘だ。
「そんな心配そうな顔をしなくても大丈夫。オクトが間違っているわけじゃないから。低位の精霊は、そもそも姿というものがない魔力の塊だ。無理やり見ようとすると、視界の持ち主の記憶を使った姿が見えるんだ。きっとオクトは精霊を想像した事がなかったから、丸い光にみえるんだよ」
もしもイメージが固定化してしまっていたら、それで見えたはずだ。そうではないという事は、これからまだまだ自由な発想ができるという事でいい事だ。しかしオクトが微妙に落ち込んでいるのは何でだろう。
「それにしても、オクトの周りには精霊が多いんだね」
「そりゃ、うちの子ほどかわいい子はいないからな」
「で。本当のところは?」
エストの言葉に、俺は本心を伝えたというのに、オクトの目はとても冷めている。嘘は付いていないんだけどなぁ。
実際、オクトが落ち込めば精霊はオクトの周りに積極的に集まってくる。たぶん昔からオクトの近くにいた精霊達はオクトの保護者を気取っているのだろう。
「本当もなにも、可愛いからに決まっているだろう。オクトの魔力が強いから、そのおこぼれにあずかろうと精霊が寄ってきているのも確かだけどね」
オクトから出てくる魔力のおこぼれをもらおうと、集まってきている精霊がいるのも間違いはない。普通は魔力なんて体の中に収まり、外にダダ漏れするなんて事ほぼないのだが、異様に魔力が大きかったりすると体が負担を減らす為、絶えず外に放出していく。その放出量がオクトの場合はヒトより多かった。
「それで、俺はどうしたらいいんだよ」
「目はそのままで、手の方にも魔力を動かしてみろ」
礼儀のなっていないガキだな。
そう思ったが、オクトに頼まれたのだからと思い、一応講師はしてやる。
「黄色が風属性、紫が時属性だ。後は紫の光だけをだしても安定できるように勝手に練習すればいい」
「……ありがとうございます」
ああ。何だお礼ぐらいは言えるのか。もしかしたらさっきのタメ口は、俺に対してではなくオクトに対してだったのかもしれない。
だとしても、オクトに対してなんて口のきき方してるんだって思うけどな。
とりあえず、礼を言ったコンユウはさっそく練習を始めた。
「アスタ、ありがとう。助かった」
コンユウに続きオクトはそうお礼を言うと、はにかんだように笑った。その笑顔を見ると、キュンとして俺の顔まで緩む。なんて可愛いんだ、うちの娘は。
「どういたしまして」
そう言って、俺はオクトの頭を撫ぜた。ああ、癒される。仕事をほっぽってここまで来たかいがあった。
そしてお礼を言い終わったオクトは、少しだけ俺から離れるとコンユウと同じように自分の魔力を放出し始めた。確か俺も初めてこの魔法を知った時は、真っ先に自分の魔力がどんなものか気になって調べてみたものだよなぁと懐かしく思う。
オクトの手から放たれた魔力は黄色を帯びていた。どうやらオクトの魔力の中でも一番多い、風属性が一番最初に出てきたようだ。その色が今度は水属性に代わり、そして闇属性が現れる。……魔力の割合としては少なさそうだが、3属性とは珍しい。ヘキサが地と水という2つの属性を持っているだけでもかなり珍しいタイプというのに。混ぜモノはやはり規格外という事か。
そしてその闇属性の黒色の光はさらに揺らめくと、再び色を変えた。
その瞬間、オクトの顔色がさっと白いものに変わり魔力のバランスを崩した。それと同時に体のバランスも崩したようで、尻もちをつく。
新しく表れた色も気になったが、それよりも顔面を蒼白にしているオクトの方が気がかりで、俺はあわてて近寄った。
「オクトどうかした?」
「……なんでもない」
俺はしゃがみこむと、オクトと目を合わせるようにしたが、オクト自身何が起こったのか分かっていないようだ。きょとんとした表情をしている。
「この魔力を集めておくのは地味に消耗するからね。疲れたなら少し休むといいよ」
オクトの魔力量からすれば、こんなのは本当に些細なものだろうけれど、今のオクトは休憩が必要だろう。それぐらい顔色が悪い。
俺はオクトの手をとって立ちあがらせると、近くの椅子に座らせた。もしかしたら家に帰って寝た方がいいのか知れないが、たぶん中途半端な状態で放置する事に対して、オクトはうんとは頷かないだろうし、寝れば治るという気もしない。
それにしても。
オクトが最後に見せた魔力の色は紫。時属性だ。色んな属性に隠れていて、俺も知らなかったが……はたして、館長はこの事を知っていたのだろうか。
そしてもしも知っていたとしたら、一体何を考えているのか。すべてが館長の思惑通りに動いている気がしてならない現状に、俺は早急に館長に会って話をしようと決めた。




