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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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夫のお人形

作者: 有梨束
掲載日:2026/09/13

残念ながら、夫とは政略結婚だった。

『政略結婚』でもまだ良い言い方だ。

親の借金と家の存続のためだけに売られた私には、夫から提示された契約は跳ね除けられなかった。


婚姻を結んだあの日から、私はどうやら人間ではなくなってしまったらしい。




「…はあ、…はあ、今日も麗しいね、ステイーラ」

息荒く私の髪を梳く夫に、私は微動だにしない。

表情も動かさなければ、なるべく瞬きもしない。

真顔のまま、決められた椅子の上に、決められた形の姿勢を取り、口も開かない。


「私の人形は今日も美しいね、ねえステイーラ」

私に向かってそう言う夫に、私は何も返したりしない。



それが私のやるべきことだから。



この結婚にあたり、借金の返済の肩代わりだけでなく、生家の地位も上がるように両親を連れて色んな貴族に顔を通してくれているらしい。

私の両親からしたら、娘の嫁ぎ先としては最高を勝ち取ったと言っていいだろう。


だが、その際に私が夫と交わした契約は、『夫の人形になること』だった。


妻ではなく、お人形。

人ではなく、無機物になれ、と。

生命を宿しながら、生命を揺らがすなと言う。


お飾りの妻なら、どれだけよかったことか。

私はたくさんいるドールたちの一つとして、夫の収集の一部となった。


妻として扱われず、息を吸うことも煙たがられる。

人形は、息なんかしないから。



さすがに夫が仕事で家を空けるときには、執事長が食事を用意してくれるが、それもコソコソ食べている。

気づかれたら、何をされるか見当もつかないからだ。

湯浴みもさせてもらえず、気が向いた時に夫が他のドールたちを磨くときに、一緒に体も拭いてもらえる。


なんという屈辱かと思っていたが、そんなことも顔には出してはいけない。

だって、私はあくまでも、夫のお人形だから。



口にも表情にも出さないうちに、次第に自分は何をしているのかと麻痺してきて、だんだんと自分というものがわからなくなってきている。

この考えは私のものなのか、もう二度と私として生きられないのに、それは必要なものなのか。



『ステイーラ』も、ドール服に着替えさせられた結婚初日に夫につけられた人形の名だ。

私の名前ではない。

ここでは一度も私の名前は呼ばれたことがない。

自分の輪郭がぼやけていくようで、だから余計に私が私をわからなくなっている。



外で私のことをなんと言っているかは知らない。

だって、この家に一歩踏み込んだその日から、私は社交にも外にも出ていないお人形だから。

妻は体調がすぐれないとでも言っているのだろうか。

跡継ぎはどうするつもりなんだろうか。

でも、私の口出すことでもなければ、言葉を音にしていいものでもない。


もはや、あの悍ましい人を夫とも呼ぶべきではないのかもしれない。




「子どもの頃から、女の子が羨ましかった。可愛い人形を買ってもらえるのは、女児だけだからね」

ステイーラに新しいヘッドドレスをつけながら、夫は独り言を漏らしている。


私は聞いていないことになっているのだろうか。

この人の過去や未来なんて、別に知りたくもないのだけれど。


「私だけの人形が欲しかったんだ。だからこうしてステイーラが手に入って、私はとても高揚している。何度見ても、何度朝が来ても、とても嬉しく思うんだ。私がこれほど満ち足りた気持ちになるのは、生まれてはじめてだ」

私に可愛げがあったら、ここは儚く微笑むのだろう。

人形だから許されないが、そこで笑ったら理解者を装えたのかもしれない。

でもどうだろうか、瞳に侮蔑の色が出てしまった気がする。


だからか、気がついたら頬を叩かれていた。

パシリッ──!といい音が鳴って、自分の顔の位置が変わっていることに気がついて、今叩かれたのかと遅れて気づいた。


痛いのかも、しれない…。


パサリと髪が顔に落ち、わずかに上を向いた。


ふうふうと、息の荒い夫が私を睨みつけていた。



「そんな目で私を見るな。それから、動くんじゃない。貴様はドールなのだから」


どこから出しているんだと思うほどドスの効いた低い声だった。

悪魔も大魔王も逃げ出すような恐ろしさに、ああ…、こうやって使用人たちは怯えて暮らしているんだ、と腑に落ちた気がした。

執事長がビクビクしながら、ご飯をそっと用意してくれていることには、ずっと不思議に思っていたから。



そりゃあ、こんな頭のネジの取れた主人なんて、怖いと思う。

人形にしか微笑まず、人形にしか優しくできず、人形にしか興味がないのだから。


「ああ…、最悪だ…。ステイーラの頬が赤くなってしまった」

「…………」

「ごめんよ、ステイーラ。お前のことを汚す人間が、まだ人形になりきれていないらしい。ステイーラは何も悪くないよ…」

そう言って、私の顔の位置を戻して、優しくステイーラの頬を撫でた。



「……早く、赤みをなくせよ」



怒りを隠せていない声が、私に向けて届いたのだった。



……あー、今のは私に言われたのか。

私ってまだ話しかけられたんだ、私がまだ残っていたんだ。

いつになったら、私は私じゃなくなるのかな。

いつになったら、お人形になっちゃうのかな。

夫のお人形なんて、気味が悪い。


夫が先に死ぬか、私が先に死ぬまで、ずっとこうなんだろう。


それが、私の契約であり、捧げてしまった生涯だ。



あーあ、人形が持ち主を刺し殺したら、それって殺人にならなくて済むのかしら。

まあ、お利口なお人形は、座っていることしか許されていないんだけど、ねぇ…?







お読みくださりありがとうございました!!

255日目。

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