ゴリラ令嬢は円満に婚約破棄したい 〜勘違いで婚約者を半殺しにしたら、最強騎士に求婚されました〜
とある夜会で、私は婚約者の跡をつけていた。
それは何故か、理由は簡単。私の婚約者、フィリップ・シャンテ子爵令息が浮気をしているからだ。
あ、でも、浮気現場を押さえて断罪しようってことじゃないの。
浮気現場を押さえて、円満に婚約破棄しようってことなの。
私、クロエ・ロウランは、ロウラン子爵家の一人娘だ。
これ以上子どもが望めなかった両親は、私が10歳の時にロウラン家の婿養子とするために、シャンテ子爵家の次男であるフィリップを私の婚約者にした。
でも、私は、当時から、ヒョロヒョロで弱そうなフィリップに一切興味がなかった。
だって、男は強くてなんぼでしょう?
悪党に襲われた時、弱かったらダメじゃない?
フィリップがヒョロ弱なら仕方ない。
私が強くなるしかない。
私は毎日毎日、鍛錬をした。
1時間の走り込み、腕立て伏せ、腹筋、水桶にたっぷり水を入れての腕の上げ下げ訓練。
ある程度体力と筋力がついてきたら、実践に向けての訓練を始めた。
剣術と格闘技をわざわざ師匠を雇って習い、自分で言うのもなんだが、かなり強くなった。
そうやって花の18歳になった頃、私はドレスに腕が通らないことに気がついた。
私の上腕二頭筋は、モリモリと膨れ上がり、女性ならあるはずの胸は筋肉へと化していた。
腹筋は6つに割れ、ドレスから覗くふくらはぎは、フィリップの2倍の太さだった。
さすがに私だって分かる。
こんなゴリラ女、抱けませんね!
だからね、フィリップが浮気するのは仕方のない事だった。
もちろん浮気は悪い事だ。
でも、フィリップだけを責められない。
私がヒョロヒョロ男が嫌だったのと同じで、フィリップはムキムキ女が嫌だったのだ。
ということで、浮気現場を押さえて、私も悪かったけど、あなたも悪いよね? という五分五分で円満に婚約破棄をしたいのだ。
私は訓練の賜物の抜き足差し足でフィリップに気づかれる事なく、浮気現場までたどり着いた。
ここはおそらく夜会の休憩室としている部屋だろう。
フィリップはその部屋にいた赤いドレスの女性とひしっと抱き合った。
そして女性をソファへ押し倒す。
私が目的を忘れて見入っていると、女性は「やめて!」とフィリップを押し退けた。
しかし、フィリップはやめない。
薄ら笑いを浮かべて、再び女性を押し倒した。
「いや、やめて!」
女性の脚がバタバタと動いている。
うん?
これ、もしかして、逢い引きじゃなくて、暴行?
嘘でしょ?
婦女暴行は犯罪だ!!
「フィリップーッ!! 見損なったわ!!」
飛び出した私は、左手でフィリップの胸ぐらを掴んで女性から引き剥がし、渾身の右ストレートをお腹にぶち込んだ。
ヒョロ弱のフィリップは、うめき声を上げながら壁までぶっ飛ぶ。
「あなた、大丈夫!?」
「ひ、ひぃっ!」
女性は短い悲鳴を上げると、乱れたドレスを直すことなく、バタバタと部屋を出て行った。
「ええと……、逃げたから良し? かしら?」
「ク、クロエ……」
振り向くと、フィリップがヨロヨロと起き上がっている。
「ジャマ……しやがって……、この、ゴリラ女が……!」
「……ジャマ?」
何を言っているのだろう。
ジャマしなかったら、女性を襲えたのにってこと?
フィリップって、こんなクズ男だったの?
私は、両手の指の関節をポキポキと鳴らした。
「性根を叩き直して差し上げますわ!」
およそ1分後、ボコボコに殴られたフィリップが意識なく倒れると同時に、部屋に1人の騎士が入ってきた。
「こ、これは……?」
「婦女暴行の現行犯ですわ!」
「……どちらが?」
「男の方に決まっています!」
騎士はフィリップの脈を確認して小さく息を吐く。
「被害者はあなたですか?」
「いいえ。被害者は逃げていきました。赤いドレスの女性でしたわ」
騎士は立ち上がって「なるほど」と言う。
背がかなり高く、ガッシリした体型の騎士だ。
「その女性を助けたということですね。女性はあなたのお知り合いですか?」
「女性はどなたか分かりませんが、この男はフィリップ・シャンテ子爵令息です」
「お知り合いですか?」
「私の婚約者です」
騎士は頭を押さえる仕草をする。
「あー、初めから説明していただいても?」
私の説明が終わった後、騎士は少し考え込んでいた。
「ロウラン子爵令嬢、この件は私がやった事にしませんか?」
騎士はそう言うと、未だに気絶しているフィリップを指差した。
「ええ? あなたの手柄にするということでしょうか?」
「いえ、手柄は要りませんが、その、言いにくいのですが、婦女暴行ではなく、そういうプレイだったのではないかと……」
「そういうプレイ?」
首をかしげた私を見て、騎士は困った顔をする。
「嫌がっている演技と襲う演技をして楽しむ、ということですが……」
「えええ? それ、楽しいのですか?」
「……そうですね、楽しい人もいるようです」
この騎士の言うことが本当だとしたら、純粋な浮気現場に殴りかかったということになる。
……あ、別にそれでもいいのか。
「円満な婚約破棄をしたいのですよね?」
「ええ」
「浮気現場で婚約者を半殺しでは、おそらく円満に婚約破棄できません」
「確かに!」
私はポンと手を叩き、フィリップを見た。
かわいそうに、顔が誰かも分からないくらいに腫れている。
これは、シャンテ子爵家からロウラン子爵家が非難されてもおかしくはない。
「それにあなたが、『暴力令嬢』と呼ばれてしまうかもしれません」
「あら、それは別にいいのです」
「え?」
「私、結婚はあきらめましたわ。お父様には養子でもとってもらいます。修道院のボディガードとして働くことにします」
「し、修道女ではなく、ですか?」
「ええ。おそらく、修道服に腕が通りませんので」
私は特注ドレスの袖をまくって、自慢の上腕二頭筋を騎士に見せた。
騎士は目を丸くした後、顔を覆って肩を震わせた。
どうやら笑っているようだ。
ちょっと失礼である。
この太腕には、私の長年の努力が詰まっているのだ。
「私だって分かっていますわ! 貴族女性にこの筋肉が不要だということは! でもですね……」
「いえ、申し訳ありません。ものすごく努力されたのだと感心しまして……」
あら? 分かってくれている?
この方も筋肉が凄そうですし、同じ様に努力したのかもしれない。
「そ、そうです! 私は毎日1時間走り込みをしております!」
「1時間ですか? 俺は2時間走りますね」
「なっ!? わ、私は腕立てと腹筋を、毎日100回やりますわ!」
「俺は200回やりますね」
「わ、私は水桶を……」
「キサラ! 何をやっているんだ!?」
部屋の入り口から突然声がして、キサラと呼ばれた騎士はピシッと背筋を伸ばした。
入り口に立っている男は上司なのだろう。
「婦女暴行の現行犯で取り押さえました!」
「なんだって!? そちらは被害に遭われた方か?」
「いえ、犯人の婚約者の方で、被害女性は逃げました」
「な、なんだその状況は……って、キサラ! 犯人、半殺しじゃないか!?」
「申し訳ありません」
「貴族子息相手にやりすぎだ! 減俸モノだぞ!?」
な、なんですって!?
これは、手柄ではなく、減俸モノ!?
この方は何もしていないのに!?
「あ、あの……」
キサラは人差し指を自身の口にあて、「シー」という仕草をした。
私、何てことをしてしまったのー!?
フィリップボコボコ事件から、1週間が経っていた。
被害女性も見つかり、同意の上でのことだったと証言している。
とはいえ浮気だ。
私とフィリップの婚約はあっさりと破棄された。
フィリップをボコボコにしたという騎士は、減俸の上、降格となったと噂できいた。
つまりこの事件の本当の被害者は、キサラという騎士1人だけなのだ。
フィリップは記憶が曖昧らしく、この事実を知る者は、私とキサラしかいない。
「クロエ、まだ落ち込んでいるのですか? もうヒョロップのことなど忘れましょう?」
「お母様……、ヒョロップではなくフィリップですわ」
「そうだぞ、クロエ! 婚約者がいながら浮気をした男だ! ヒョロップのためにお前が落ち込むことはない!」
「お父様……、フィリップですわ」
父と母は優しい。
でも、あなたたちの娘は、他人に罪を被せてのうのうとしている娘なのですよ。
……いや、無理だ。
のうのうとなんて、出来ない。
「お父様、お母様。大事なお話が……」
「旦那様、奥様、イルベルト男爵様とご子息様がお見えになりました」
私の言葉を遮って、メイドが話す。
イルベルト? 私の剣の師匠が称賛していた、あの伝説の騎士のイルベルト男爵?
「おお、来たか。応接室に通してくれ」
父と母はいそいそと部屋を出て行こうとする。
「あの、お父様! イルベルト男爵家と何かご関係がありましたか?」
私は慌てて父を呼び止めた。
「クロエ、ヒョロップを叩きのめした騎士がお前の事を気に入ったそうなんだよ。まずは私たちが見定めるから、お前は少し待っていなさい」
と、お父様。
「イルベルト男爵家の次男だそうよ。もしかしたら我が子爵家に入りたいだけかもしれませんので、クロエはまだ出てきてはなりませんよ」
と、お母様。
ああ、そういうことか。
私の心に、ストンと何かが落ちてきた。
貴族の次男や三男は、自身で功績を上げて叙爵されるか、どこか他の貴族家の養子や婿養子にならない限り、平民になってしまうのだ。
だからシャンテ子爵の次男のフィリップも、私との婚約を嫌々ながらも続けていた。
男爵家の、しかも次男。
婚約破棄をしそうな、後継のいない子爵家の令嬢なんて、いいカモだったに違いない。
なんだ。
良い方だと思ってしまったじゃない。
話が合うなと思ってしまったじゃない。
私のために罪を被ってくれたと、本気で思ってしまったじゃない!
もういいや。
潔く修道院のボディーガードになろう。
でも、その前に、私の罪をちゃんと両親に話して、そして、キサラに一発お見舞いしよう。
きっと、こういうのを、自暴自棄というのだろう。
自暴自棄になる方の気持ちがよく分かる。
だって、心が、痛い。
痛くて、どうしたらいいのか分からない。
フィリップの浮気は何とも思わなかったのに、キサラの「私を気に入った」という嘘にはこんなにも腹が立つ!!
「お嬢様、お部屋でお待ちくださ……」
「どいてください!」
応接室の前にいたメイドをどかし、私はドアをノックもせずに全開した。
視界にキサラを捉えると、全力で走り拳を繰り出す!
バシッと音がして、私の右ストレートをキサラが軽々と左手で受け止めている。
応接室の全員が言葉を失っている中、私は左脚を振り上げる。
「おっと!」
キサラは余裕というように、私の左脚を自身の右手で押さえる。
私はニヤリと笑った。
これで両手は使えまい!
実は私は左利きなのだ。
右より高威力の左フックをくらうがいい!
私の左拳がキサラの右頬に食い込み、キサラはドオッと床に倒れた。
「キサラ!?」
イルベルト男爵が倒れたキサラを揺らす。
「や、やめないか!」
もう完全に遅いのに、父とメイドが私を取り押さえる。
「あ、大丈夫です。いやぁ、すごい良いパンチでした!」
キサラは何事もなかったかの様に、スッと立ち上がる。
「なっ……!? 私の左が効いていない……!?」
「クロエ! いい加減にしなさい!!」
母の怒声が応接室にこだました。
「お父様もお母様も、すでに知っていらしたのですね」
応接室のソファに父と母に挟まれて座った私は、顔を上げられないでいた。
「すぐにクロエがボコボコにしたのだと思いましたわ。ですのでイルベルト男爵家に書簡を送ったのです」
母はキッパリと言い放つ。
「すると返事はキサラ殿がお前を気に入ったという内容だった。真偽を確かめるために、今日会ったのだよ」
父は呆れた様に言う。
「あの、信じてはもらえないかもしれませんが、息子は嘘はつきません。本当にお嬢様を気に入ったのです。それに息子はすでに騎士ですので、貴族位がなくなる訳ではないのです。決してロウラン子爵家様が目当てではありません」
イルベルト男爵は必死に言う。
「はい。信じます」
私はイルベルト男爵を見つめながら答えていた。
「クロエ!?」
父と母の声が重なる。
「お父様、お母様。伝説の騎士が嘘をつく訳ないです。だって伝説の騎士なんですよ」
私の言葉に、父と母はハァーと息を吐いた。
イルベルト男爵はポカンとし、キサラは顔を背けて肩を震わせている。
また笑っているのだろう。
「キサラ様、とお呼びしてもいいですか?」
「は、はい。私もクロエ様とお呼びしても?」
「もちろんです。キサラ様、1つだけお伺いしたいことがあります」
私の真剣な目に、キサラも顔から笑いを消した。
「キサラ様は私を抱けますか?」
「クロエッ!!」
父と母が咄嗟に私の口を塞ぐ。
私は父と母をふりほどいて立ち上がった。
「私は真剣に言っています。この太い腕と太い脚と筋肉と化した胸を見て、抱けるのかときいているのです!」
するとキサラも立ち上がり、腕と脚を指差した。
「クロエ様の腕と脚は私の半分くらいです。全く太くありません。胸も私は筋肉好きなので良いと思います。結論、今すぐにでも抱けますね!」
「キサラッ!!」
イルベルト男爵が立ち上がってキサラの口を塞ぐ。
「承知しました。私たち、結婚致しましょう。そして日々鍛錬に励みましょう」
「鍛錬!?」
父と母とイルベルト男爵の声が重なる。
「お受けいただきありがとうございます。しかし、騎士である私の鍛錬について来れるとは思えませんが?」
キサラは軽く礼をした後、ニヤリと笑う。
「あら、みくびらないでください。いつかキサラ様にも勝ってみせますわ!」
父と母とイルベルト男爵が頭を抱える中、私とキサラの婚約が決まったのであった。
私たちは、婚約後すぐに結婚した。
だって、とても気が合ったから。
結婚してから、お互いの年齢を知った。
私が20歳で、キサラが26歳だった。
年齢も知らずに結婚したことに、周りの人たちは呆れていた。
キサラは王立騎士団で、兄と共に最強を誇る騎士だった。
だから私は、キサラには騎士を1年続けて欲しいとお願いした。
お父様はまだ元気だし、キサラが騎士を辞めるなんて勿体無いと思ってしまった。
私たちは、すでに結婚しているのに、まるで恋人の様に、ロウラン領と王都をお互い行き来しながら逢瀬を重ねた。
「今日のデートはどうする?」
キサラは私の手を取る。
「今日は武器屋に行きたいわ。素振り用の木剣が折れてしまったの。前のより重いものがいいわ」
私はキサラの手を力強く握る。
「おお、握力がさらに強くなったねー」
キサラは私の手を握り返す。
「イタタタ! もう! 全然勝てないわ!」
「俺も日々鍛錬してるからね」
手の力を緩めて笑うキサラを、私はじっと見つめる。
「何?」
「……キサラは、どうして私を選んだの? 私、ゴリラ女なのよ?」
キサラはふっと笑うと、私の両肩を持って、くるりと洋品店のガラスに向けた。
「一目惚れだよ。クロエはすごく可愛い」
ガラスには、背が高くガッシリした体型のキサラと一回り小さい私が映っている。
「あら? キサラといるとゴリラ女に見えないわ!」
「一目惚れと可愛いはスルーかぁ!」
私とキサラは、手を繋ぎ直して武器屋に向かって歩きだしたのだった。




