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虎頭要塞、魔王軍を撃滅す!

 昭和二十年、八月九日。

 満州東部国境、関東軍虎頭要塞。


 地下数十メートルに張り巡らされたコンクリートの回廊は、常に湿ったカビと機械油の臭いが澱んでいた。頭上の蛍光灯がジジと音を立てて明滅する。その不規則なリズムだけが、窒息しそうな沈黙を刻んでいた。


 第四砲台長・工藤健介大尉は、指令室の硬い椅子に深く身を預けていた。

 軍服の襟元は汗で張り付いている。湿度のせいだけではない。国境の向こう側、ソビエト連邦軍の不気味な沈黙が、鉛のように兵たちの神経を圧迫していたからだ。


「関東軍特種演習」から四年。東洋のマジノ線と謳われたこの要塞も、南方への戦力抽出で今や骸骨同然だ。残されたのは、老兵と未熟な新兵、そして——ここを死に場所と定めた妄執だけだった。


「大尉殿。湿度が上がりすぎています。換気装置が悲鳴を上げていますが」

 副官の安田曹長が、脂ぎった顔をハンカチで拭いながら報告する。


「構わん。回し続けろ。止まれば二度と動かんかもしれん」

 工藤は短く答えた。


 その時だった。

 キィィィィィィン——。


 耳鳴りではない。大気を引き裂くような高周波音が、分厚いコンクリート壁を透過して脳髄を直接揺さぶった。


「な、なんだ!?」

 安田が叫ぶのと同時に、世界が白熱した。


 視界が白一色に塗りつぶされる。爆撃ではない。揺れもしない。ただ、強烈な浮遊感と、内臓が裏返るような吐き気が襲った。鼓膜がパチンと鳴り、気圧が急激に変化する。


「総員、対衝撃防御!」

 工藤の絶叫は、白い光の彼方へ吸い込まれていった。


 数秒か、あるいは数時間か。

 光が収束すると同時に、強烈な「乾燥」が鼻腔を突いた。

 あの特有の湿気とカビの臭いが消えている。


「……状況報告」

 工藤は拳銃嚢ホルスターに手を添えながら立ち上がった。


「被害軽微! 計器類、異常なし! ですが……」

 通信兵が青ざめた顔で振り返る。


「外部との通信、全回線不通! それに、観測手からの報告が……支離滅裂です!」

 工藤は指令室を飛び出し、長い螺旋階段を駆け上がった。


 鉄扉を蹴り開け、砲台の観測所へ出る。

 そこにあるはずの風景は、ウズリー河でも、満州の湿地帯でもなかった。


「馬鹿な」

 工藤の唇から乾いた言葉が零れ落ちる。


 見渡す限りの赤茶けた荒野。

 空は毒々しいまでの紫紺に染まり、太陽の位置には、大きさの異なる二つの月が浮かんでいた。

 要塞の構造物はそのままに、周囲の世界だけが「すり替わって」いたのだ。

 

「隊長! 11時の方向! 何かが来ます!」

 監視兵の絶叫。


 工藤は双眼鏡をひったくると、眼下の荒野に焦点を合わせた。 

 舞い上がる土煙。その先頭を走る、一騎の影。


 レンズの中に映り込んだのは、銀色の甲冑を纏った人間だった。背中に長い金髪をなびかせ、傷ついた馬を必死に走らせている。女だ。


 そして、彼女を追う集団を見た瞬間、工藤の眉間に深い皺が刻まれた。


「なんだ、あれは」


 人間ではない。

 豚の頭部を人間の体に継ぎ接ぎしたような、醜悪な亜人たち。


 粗末な革鎧を纏い、刺突用の槍や鉈を振り回しながら、奇声を上げて女騎士を追い立てている。彼らが跨っているのは馬ではなく、巨大な狼のような猛獣だった。

 その数、およそ五十騎。


「映画の撮影……というわけではなさそうだな」

 工藤は双眼鏡を下ろし、安田曹長を見た。安田もまた、呆気にとられた顔で眼下を凝視している。


「曹長。貴様の目にはどう映る」

「は……化け物が、女の人を追いかけ回しております」

「同感だ。ソ連軍の新兵器か?」

「まさか。あんなふざけた兵器がありますか」

「違いあるまい。我々の守備範囲内で、武装勢力が民間人を襲撃している。身元不明だが、殺意は明白だ」


 工藤の中で、何かが切り替わった。

 敗戦の恐怖、死への諦観、それら全てが「目前の敵」という具体的かつ処理可能な事象へと変換される。


 相手が共産党軍だろうが、お伽話の怪物だろうが、関係ない。

 要塞に土足で踏み入る者は、等しく排除すべき標的である。


 「歩兵小隊、前へ! 機関銃座、用意!」

 工藤の怒号が、呆然としていた兵士たちの背骨を叩いた。


「あのアカ……いや、豚どもをこれ以上近づけるな。救出するぞ」

「はッ!」

 要塞の外縁部に、九六式軽機関銃の二脚が据えられる。


 三八式歩兵銃を構えた兵士たちが、ボルトを引いて薬室に弾丸を送り込む金属音が、乾いた空気に響いた。

 

 眼下の荒野。

 ルナリア王国の第三王女にして近衛騎士団長、エクレア・フォン・ルナリアは、血の味と共に絶望を噛み締めていた。


 愛馬の足は限界に近い。背後には魔王軍の先遣隊「オーク強襲兵」が迫る。


(ここまでか……)


 父王を逃がすための囮役。その役目は果たした。だが、この身が魔物の慰み者にされる未来を思うと、自害すべきか迷いが生まれる。


 前方に、奇妙な「丘」が見えた。見たこともない灰色の岩肌コンクリートで固められた、人工の山。

 逃げ場はない。エクレアが剣の柄に手をかけた、その時だった。


 丘の上から、乾いた雷のような音が連続して轟いた。

 ダダダダダッ! ターン! ターン!


 魔術ではない。火薬の破裂音だ。

 エクレアの背後で、先頭を走っていたオークの頭部が、熟れた果実のように弾け飛んだ。


「ブギッ!?」

 何が起きたのか理解する間もなく、二匹目、三匹目のオークが胸に風穴を開けられ、騎乗していた大狼と共に地面へ叩きつけられる。


 距離は五〇〇メートル以上。

 剣はおろか、長弓ですら届かない距離からの、正確無比な狙撃。


 帝国陸軍が誇る九六式軽機関銃の6.5ミリ弾は、オークの粗末な革鎧など紙切れ同然に貫通し、その分厚い脂肪と筋肉を抉り抜いていく。


「な、なんだ!?」

「見えない矢だ! 逃げろ!」

 オークたちがパニックに陥り、隊列が乱れる。


 そこへ、三八式歩兵銃の一斉射撃が追い打ちをかける。

 スコープなどない。だが、歴戦の歩兵たちにとって、遮蔽物のない平原を直進してくる標的など、動くマト以下の存在だった。


 ビュッ! ドスッ!

 一発必中。


 逃げようと背を向けたオークの背骨を、回転する鉛の塊が粉砕する。

 圧倒的な暴力。一方的な蹂躙。


 魔王軍が誇る恐怖の騎兵隊は、ものの数分で、ただの肉塊の山へと変わった。

 エクレアは呆然と馬を止めた。


 硝煙の匂いが風に乗って漂ってくる。

 彼女が見上げる「丘」の上には、奇妙な深緑色の服を着た男たちが立ち、筒状の杖(銃)を構えてこちらを見下ろしていた。


「撃ち方止め!」

 工藤の声が響く。

 銃声が止むと、再び荒野の静寂が戻ってきた。


「全弾命中。生存者なし」

 安田曹長が、興奮を隠しきれない声で報告する。


「手応えがありすぎて気味悪いくらいですな。ソ連の戦車より柔らかい」

「油断するな。生存者を回収する。衛生兵を連れてこい」


 工藤は帽子を目深にかぶり直し、眼下の死体の山を一瞥した。

 恐怖も憐憫もない。あるのは、任務を遂行したという冷たい事実だけだ。


 だが、彼はまだ知らなかった。

 この小競り合いが、間もなく訪れる「本隊」との絶望的な戦いの、ほんの序章に過ぎないことを。


 地平線の彼方から、重低音の地響きが伝わり始めていた。

 それは数千の軍靴の音、そして——大地を揺るがす巨竜の足音だった。

 

 荒い息を吐く馬が、要塞の通用門付近で膝を折った。

 鞍上から崩れ落ちるように降りた女騎士、エクレアは、駆け寄ってきた日本兵たちに囲まれ、蒼白な顔で何かを喚いていた。


 言葉は通じないはずだった。だが、工藤の耳には彼女の声が、ノイズ混じりのラジオのように、意味のある言語として脳内に直接響いてきた。この不可解な現象もまた、あの白い光の余波なのかもしれない。


 「逃げて……早く! あれは先触れに過ぎない……奴らの本隊が来る!」

 工藤は眉をひそめ、衛生兵に彼女の手当てを目で指示すると、再び視線を荒野へ戻した。


 地平線が黒く滲んでいる。

 陽炎ではない。数千、いや数万の軍勢が、黒い津波となって押し寄せていた。空を埋め尽くすのは、翼竜——ワイバーンの群れ。


 そして地上の中央には、要塞の監視塔をも見下ろすほどの巨体を誇る、四本足の悪夢が鎮座している。

 全身を黒曜石のような鱗で覆った、地龍アースドラゴン


 その周囲には、大小様々な魔物たちが蟻のように群がっていた。


「曹長、距離は」

「現在、一万二千。急速に接近中」

 安田の声が微かに震えている。


 無理もない。ソ連のT-34戦車の群れならば対処法もわかる。だが、目の前の敵は悪夢そのものだ。


「砲撃開始。一五センチ加農カノン、撃て!」

 工藤の号令と共に、要塞の中腹に隠された九六式十五糎加農砲が火を噴いた。


 腹に響く砲声。数秒後、敵の前衛部隊に着弾の火柱が上がる。

 オークやゴブリンが空高く吹き飛び、隊列に穴が開く。だが、敵の進撃は止まらない。それどころか、中央の地龍が大きく口を開けた瞬間、前方の空間が紫色の光膜に覆われた。


 次弾が着弾する。だが、爆炎は光膜の表面で滑るように拡散し、内側の軍勢には傷一つ付かなかった。


「弾かれた……だと?」

 観測手の悲鳴に近い報告。


「……なんだあれは」

 工藤は唇を噛んだ。近代兵器の物理エネルギーを、未知の法則が拒絶している。


 直後、地龍の口から閃光が迸った。

 灼熱の奔流が要塞の外壁を直撃する。分厚いコンクリートが飴細工のように溶解し、蒸発した鉄骨の臭いが司令部まで漂ってきた。


「第三砲座、沈黙! 被害甚大!」

「歩兵隊、後退させろ! 小銃では豆鉄砲にもならん!」

 要塞内は喧騒の渦に包まれた。

 エクレアが工藤の袖を掴み、必死の形相で訴える。


「無理だ! 魔法を持たぬ武器では、古竜の障壁は破れない! 私が囮になる、その隙に貴公らは……」


「離せ」

 工藤は短く告げ、その手を振り払った。冷たい眼光に、エクレアが息を呑む。


「勘違いするな、お嬢さん。我々は逃げない。そして、負けもしない」

 工藤は受話器を取り上げ、回線を開いた。繋ぐ先は、この要塞の最深部。対ソビエト戦の切り札として温存され、一度も火を噴くことのなかった「眠れる獅子」の元へ。


「第四砲台、聞こえるか。工藤だ」

『こちら第四。準備完了しております、隊長殿』

 ノイズの向こうから、安田の野太い声が返ってきた。


 恐怖など微塵もない。あるのは、獲物を前にした猛獣の昂りだけだ。


「目標、敵中央の巨大生物。修正なしの零距離射撃だ」

『了解! この時を待っておりました!』

 工藤はエクレアの肩を抱き寄せ、防弾ガラスの張られた観測窓の前に立たせた。


「よく見ておけ。これが、魔法なき世界が生み出した、鋼鉄の回答だ」

 要塞の頂部、偽装網が剥ぎ取られ、巨大な鋼鉄の塊が露わになる。


 試製四十一(センチ)榴弾砲。

 かつて要塞守備の要として配備された、アジア最大級の巨砲。その砲身は、まるで煙突のように太く、長く、天を摩していた。 


 薬室に装填されるのは、重量一トンを超える特大の榴弾。旋回するギアの音が、巨人の歯軋りのように大地を震わせる。


 地龍がそれに気づき、再び口内に光を収束させ始めた。

 どちらが速いか。

 否、撃てば終わる。


 「撃てェッ!!」

 工藤の絶叫と同時だった。


 世界の色が反転した。

 鼓膜など役に立たない。空気そのものが凶器となって叩きつけられる衝撃波。


 砲口から放たれた一トンの鋼鉄塊は、音速を超え、大気を引き裂く雷鳴となって直進した。


 地龍が展開した魔法障壁。

 小銃弾を弾き、一五センチ砲すら無効化した絶対の盾。

 だが、質量と速度の暴力の前には、魔法など児戯に等しかった。


 着弾の瞬間、障壁はガラス細工のように粉々に砕け散った。

 巨弾はそのまま地龍の胸板を貫通し、体内で炸裂した。


 ズドォォォォォォォン!!

 遅れて届いた爆音が、要塞全体を激震させる。


 地龍の上半身が消滅していた。

 いや、地龍だけではない。その背後に展開していた魔王軍の中核、数千の兵士たちが、たった一発の爆発によって生じたクレーターの中に呑み込まれ、蒸発していた。


 天を突くキノコ雲が、異世界の赤茶けた空に黒々と立ち昇る。

 衝撃波で地面に叩きつけられていたワイバーンの群れが、散り散りになって逃げ惑う。


 指揮官を失い、絶対的な力の差を見せつけられた魔王軍残党は、もはや烏合の衆ですらなかった。


 「……なんてこと」

 エクレアは腰を抜かし、震える手で口元を覆っていた。


「魔法も使わず……これほどの破壊を……」

「魔法なんてものは存在しない。だが、我々には火薬がある。鉄がある」

 工藤は帽子を被り直し、静かに言った。


 残敵掃討の銃声が散発的に響く中、工藤は要塞の屋上へ出た。

 風が硝煙と血の臭いを運んでくる。

 東の空には、見たこともない星座が輝き始めていた。


 安田曹長が煤けた顔で上がってきて、無言で敬礼する。工藤もまた、無言で答礼した。

 もう、満州の湿った風は吹かない。 


 この世界では、ラジオから日本の敗戦を告げる玉音放送も流れないだろう。

 彼らは歴史の迷子となり、この不毛の大地に取り残された。



「隊長、これからどうしますか」

「決まっている」

 工藤は眼下に広がる異世界の大地を見据えた。


「ここは我々の陣地だ。脅かす者がいれば排除し、守るべき者がいれば守る。それが兵士の本懐だ」

 エクレアが、畏敬の眼差しで彼らの背中を見つめている。


 虎頭要塞。


 後にこの世界で「神の鉄槌」として伝説となる、皇国の守護神たちの戦いは、まだ始まったばかりだった。

 異世界の二つの月が、冷たく、しかしどこか優しく、鋼鉄の要塞を照らし出していた。



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カッコ良かったです!! 魔法世界での魔法無しの火力での戦い!(๑>◡<๑) 短編なのは勿体無い気も致します。彼らはまた戦い続けるのでしょう。 ファンタジー×歴史ものの絶妙な世界を味わいました。 面白い…
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