紫禁城からの脱出
崇禎15年(1642年)
洛陽は前年の内に李自成によって陥落した。
洛陽では朱慈煥の親戚で福王に号された朱常洵は、その贅沢三昧の生活故に民衆の怒りを買い、命を落としたという噂が、血なまぐさい詳細と共に宮廷にまで流れ込んできた。彼の遺体は、切り刻まれ、反乱軍に食されたという恐ろしい話もあった。
そんな暗雲が垂れ込める中、朱慈煥は9歳になっていた。
彼は『本草綱目』を読み終え、今は宋応星が書いた科学技術書『天工開物』を読み進めているがこちらは工学について書かれているため文系である自分では読み進めるのに時間がかかっているため北京陥落まで時間がないと悟り途中で止めた。
彼の目は書物から離れ、窓の外へと向かった。
紫禁城の美しい景色は、もはや彼にとって、安らぎの象徴ではなく閉塞感の象徴に変わっていた。
彼は静かに決意を固めていた。紫禁城及び北京からの脱出である。史実では陥落して宮殿から落ち延びていることからわざわざ自分から出ていかなくてもと思うがどうやって脱出できたのか全く記されておらず。転生したことによってそのまま捕まって殺されるかもしれない。そして自分の未来を切り開くたいとも感じていた。
「はぁ、まだ読み足りないけど仕方ない」
彼は静かに呟き、机の上におかれた『天工開物』を閉じ、紙と筆を取り出した。そして、これから始まる。危険で苦難に満ちた計画の第一歩を記そうとしていた。
「まずは協力者が必要だ。どこかに間者が紛れ込んでいるかもしれないからなぁ」
事実、何年も清軍の侵攻を防いできた名将袁崇煥が清の謀略によって自身の父である崇楨帝によって捕えられた挙げ句に処刑されていることから後宮にも間者が紛れていてもおかしくなかった。
ただ協力者には一人だけ心当たりあった。
「王承恩、彼にまずコンタクトをとる方法を考えよう」
その不確かな未来が、脳裏に描かれていた。