8年後
崇禎14年(1641年)
明国の滅亡が近づいていく。今北京の内閣(ここでは皇帝とその補佐する人々を指す)では2つの問題の対応に追われていた。
まず満州族のホンタイジ率いる清軍が2度目となる錦州城に攻め込んできたのだ。
錦州城は過去にも明と清が攻防を繰り広げた激戦地であり、史実では現地の明軍と中央と戦況の認識に隔たりがあったことであまり統一した指揮が執れなかった。結果13万の軍勢を誇る明軍が敗北する。
だが、目下の問題は李自成率いる反乱軍が歴史ある大都市洛陽に攻め込んできたのだ。恐らく史実通り年内に陥落するだろう。
こうした問題には宮廷も騒然とし、不安と恐怖が空気を覆っていた。その混乱の中、誰も気づかなかった。夜中に後宮の一室で蝋燭のかすかな明かりの下、一人の少年が静かに本を読んでいた。
その少年こそ朱慈煥である。8歳になった彼は自分の部屋に閉じこもり、静かに読書に没頭した。彼の指先が、書物のページをなぞる。これが呼んでいるのは明の医者である李時珍が編纂した『本草綱目』である。
『本草綱目』とは簡単に言うと百科全書のような学問書であり約1900種の薬種について記載されている。
前世でも歴史研究に没頭した彼は、膨大な文献にも触れており明の暦数学者でキリスト教徒でもあった徐光啓が記した『農政全書』、明の軍学者である茅元儀が記した『武備志』なども読んでいた。
これらを読むのに費やした時間や費用がバカにならなかったのは苦い思い出である。
しかし、前世では歴史研究のために学んでいたが今は生き残るために学んでいる。
彼は北京から脱出するために備えて生き残るために必要そうな知識を得ようとしていたのだ。
「前世じゃ読むのに時間とお金が掛かったからなぁ・・今の立場を最大限利用してやろう」
なお、自分の知識的欲求もあったこともここに記しておく。
朱慈煥はページをめくる音を最小限に立てて、読書を続けた。しばらくすると眠気が襲い始めたので明日に備え、本を閉じ元々あった攡藻堂(宮廷の書籍を収蔵した場所)に戻しそそくさと自分の部屋に戻って静かに眠りについた。明日の朝にはまた新たな一日が始まる。
そして、彼の運命も、ゆっくりと、しかし確実に動き出そうとしていた。