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生贄になった王女の復讐ーー私、セシリア第二王女は、家族によって「姉の聖女様を殺した犯人」という濡れ衣を着せられ、舌を切られ、石で打たれ、隣国の生贄にされた。けど、いつまでもサンドバッグと思うなよ!

作者: 大濠泉

◆1


 神聖オーパス王国の王都では、かつてない喧騒が渦巻いていた。

 私、第二王女セシリア・オーパスは、今、人だかりの街中を、車付きの台の上に乗せられながら、引き回されていた。

 周りには群衆が押し寄せ、悲鳴にも似た叫び声をあげる。


「殺せ、殺せ、殺せ!」


「死ねえええ!」


 四方八方から、石つぶてが飛んでくる。

 それでも、私は台の上に鎖で縛り付けられて、身動きができない。

 まさに打たれるがままだった。


(痛ッーー!)


 私の視界が赤く染まる。

 額が切れて血が噴き出て、(まぶた)に落ちてきたのだ。

 怒りで我を忘れた男どもが怒鳴る。


「この痛みは、聖女様を殺した罰だ!」


「聖女様の美しい声を返せ!」


 私は神聖オーパス王国の第二王女であるにもかかわらずーーいや、第二王女であるからこそ、民衆から罵倒を浴びせかけられ、石をぶつけられていた。

 私が乗る台に並走する王国騎士が、群がる人々に向かって声を張り上げる。


「石を投げるのはやめなさい!

 彼女は帝国への貢物なのだから」


 その声はざわめきで掻き消され、群がってくる人々を押し返す力もない。

 それほど、民衆は暴徒と化していた。


「知るか!」


「皇帝だって、こんな罰当たりな女を引き受け付けるものか。

 この聖女殺しが!」


「聖女様を殺すなんて!

 ひどい女だ!」


「どうせ姉を妬んだのだろう!?

 出来損ないの妹王女が!」


 私には、姉がいた。

〈救国の聖女様〉と称され、王国民から敬愛された、第一王女アメリ・オーパスだ。

 そんな彼女を殺した犯人として、私は街中で晒しものにされていたのだ。

 しかも、このあと、隣国のヴァロ帝国への生贄として送り出されることになっている。


 私は石をぶつけられて満身創痍になりながらも痛みに耐え、唇を噛む。


(私、お姉様を殺してなんかいないのに!)


 私、セシリア第二王女は「姉の聖女様を殺した犯人」という濡れ衣を着せられていた。

 しかも、みなに向かって弁明もできないよう、口も利けなくされていたのだ。


◇◇◇


 私、セシリア・オーパスは、神聖オーパス王国の王家に生まれたお姫様だ。

 金髪に碧色の瞳で、肌も白く輝いている。

 生まれたばかりの私を取り上げた助産婦さんは、「まあ、なんて美しいお子様なんでしょう!」と声をあげたそうだ。


 でも、美しい王女として生まれてきても意味はなかった。

 私は生まれながら、虐げられる運命になっていた。

 なぜなら、長女であるお姉様アメリが〈聖女様〉で、その妹である私、セシリアは〈聖女様のお世話係〉だったからだ。


 私の国、神聖オーパス王国は宗教国家だ。

 だが、かつて百年ほど前の戦争で、隣国のヴァロ帝国に敗れている。

 ヴァロ帝国は、人口が王国の五倍近くの大国で、軍事技術に優れていた。

 しかも帝国は、信仰の自由を認めるものの、至って現世的な国家で、戦勝後の条約締結に際しても、現実的な制裁と戦費賠償を求めた。

 結果、神聖オーパス王国は、終戦条約によって軍備を縮小させられたうえ、これから先、ヴァロ帝国に対して反抗しないという意思表示を求められた。

 まず、毎年、国家財政の一割を帝国に捧げること。

 そして、王家に女児が生まれると、「初穂を捧げる」という名目で、二十歳までに帝国に捧げることになった。

 つまりオーパス王家の長女は、帝国の生贄になることが運命付けられていたのである。

 ゆえに、この生贄となる第一王女を、神聖オーパス王国では、生まれながらの〈救国の聖女様〉として讃え、敬うことを習わしとしてきた。


〈救国の聖女様〉であるお姉様アメリは、現在十九歳。

 今夜も、アメリは赤い髪を掻き分けながら蒼い眼を怒らせ、甲高い声を張り上げる。


「私の心を楽しませなさい!」


 私、セシリア第二王女は、ハーブを爪弾き、美しい曲を奏でる。

 でも、お姉様は満足しない。


「その曲は、もう聴き飽きたわ。別のにしなさい!」


 そう言って、果物が載ったお皿をぶつけてくる。


〈聖女様〉である姉アメリは、悲しみに取り憑かれていた。


「来年になれば、私は生贄にされるのよ!」


 そう言っては、好き放題に振る舞う。

 そのたびに、両親のオーパス国王とサキ王妃は悲しそうな顔をして、私、セシリアに言い付ける。


「セシリア。聖女アメリのお相手をしてあげて」


〈聖女様〉の面倒は、妹の私が、つきっきりで見ることになっていた。

 私、セシリアは、王女とは名ばかりの〈お世話係〉ーー召使い以下の扱いだった。



 姉のアメリは、子供の頃から、ワガママ放題だった。

 特に私、妹のセシリアに対して、酷いことをしまくっていた。


 私の絵本を捨てる。

 人形やぬいぐるみも壊す。

 私がちょっとでもやり返そうものなら、すぐに両親に密告される。

 嘘を交えて、お母様、サキ王妃に泣きつくのだ。


「セシリアが私をぶったの。酷くない? もう、嫌んなっちゃった!」


 するとお母様は、私、セシリアに向かって、決まってこう言うのだ。


「お姉ちゃんは聖女様なの。

 あなたは妹なんだから、我慢しなさい」と。


 姉のアメリはたった二歳上なだけなのに、まるで私の主人であるかのように振る舞った。しかも、気分ひとつで態度を変える、典型的な暴君として。


 私が食卓につくだけで、「セシリアのくせに生意気!」と喚いてテーブルをひっくり返す。

 おかげで、私は家族と食卓を囲めなくなった。

 それ以来、私はずっとボッチ飯だ。


 王家が私的に参拝するお御堂が王宮内にある。

 その祭壇も、お姉様は叩き壊した。

 そのときも、私が壊したと、お姉様はお母様に訴えた。

 私が「違う!」と言っても、お母様は、


「わかってるから、あなたは黙って!」


 と言って、私の口を塞ぐ。

 そして、ひたすらお姉様を(なだ)めたものだった。


 いつもなら、これで機嫌が治るが、癇癪がおさまらない日もある。

 そんなとき、お姉様は、お母様と私を指さして糾弾する。


「あなたたちのために、私が犠牲になってるのよ!」


 そして、とりあえずとばかりに、私の頬を平手打ちする。

 それでもお父様もお母様も、「アメリは可哀想に……」と言うばかりだった。


 私、セシリアが五歳になったとき、銀髪に赤い瞳をした弟ヘイトが誕生した。

 が、私の状況は変わらなかった。

 いや、むしろ厳しくなるばかりだった。

 お母様が弟にかかりっきりになって、私一人で姉のご機嫌取りをしなければならなくなったからだ。


 それから十二年。

 弟の誕生以来、私はずっとお姉様のお世話係だった。

 弟のヘイトが、お姉様のお世話を手伝ってくれることはなかった。

 ヘイトは、両親から「次代の国王になるのだから」と、可愛がられる。

 そして、結局はいつも通り、


「アメリは〈救国の聖女様〉なんだから、セシリアがしっかりと面倒を見るのよ」


 と、お母様に突き放される。


「アメリお姉様専属の侍女を雇ってください」


 と私が訴えても、お父様にも無視された。

〈救国の聖女様〉のイメージを守るために、身内だけで面倒を見るしかない、という。

 つまり、お父様は、アメリお姉様が常軌を逸したワガママで、素のままの性格が世間に知れ渡ると〈聖女様〉としての虚像が崩壊する、ということぐらいは承知していたわけだ。

 でも、何もしてくれなかった。

 私に姉の面倒を押し付けるだけだった。



 やがて、私、セシリアが十七歳になった頃ーー。


 十九歳のアメリお姉様は「寝付けない」と、枕をぶつけてきた。

 そして、


「なにか音楽を聴かせろ」


 と注文を付けてきた。


 そうは言っても、アメリお姉様のご機嫌を取って、眠りに就かせるのは難しい。

 幸い、私は音楽の才に恵まれていて、簡単な曲なら、どんな楽器でもすぐに弾けるようになっていた。

 でも、お姉様を安眠に導くのは容易ではなかった。

 オカリナ、縦笛、フルート、バイオリン、ハープ、ピアノーーどれを吹いても、弾いても、アメリお姉様はお気に召さなかった。

 おまけに、どんな楽器を手にしても、すぐに奪われて、力任せに壊されてしまう。


 ついに、私が喉を震わせて、歌うしかなくなった。

 が、これがお姉様のお気に召したらしい。

 私の喉が潰れて、声が枯れるまで歌わせることに、快感を覚えたようだった。

 アメリお姉様にしてみれば、嫌がらせの一環だったようだ。


 就寝時のみならず、ご飯を食べるときも、お風呂に入るときも、気が向いたときに私を呼びつけて、お姉様は「歌え!」と命じる。

 酷いときには、夜中に目が覚めたからといって私を叩き起こし、子守唄を歌わせる。

 おかげで、いつ何時起こされるか、わからない日々が続いた。

 だから私は、パジャマに着替える暇はなかった。

 一日中、髪の毛を整え、いつも侍女服も着たまま待機している毎日だった。

 それでも〈救国の聖女様〉の理不尽な態度は、止まるところを知らなかった。


「もっと綺麗に歌いな!」


 と注文をつけるくせに、優雅に歌えば歌うほど、今度は妬まれて、櫛を投げつけられる。

 私の身体に生傷が絶えない日々が続いた。


 それでも、王宮に勤める人々の間で、微かに漏れ聞こえる私の歌声が話題になっていた。

 でも、両親も弟も、決して私の歌声とは言わなかった。


「もちろん、〈救国の聖女様〉の歌声です」


 と、彼らは口を揃えた。


 当然、お姉様は、そのデマに乗っかる。

 アメリお姉様は、家族の者以外には、いかにも善人らしく優雅に振る舞う。

 家庭内暴力を振るう者の常として、極めて外面(ソトヅラ)が良いのだ。

 アメリお姉様は、彼女を慕う貴族や王国民を前にすると、


「あら、聴こえまして? お恥ずかしいですわ」


 と、照れたように頬を赤らめながら、か細い声で答えたものだった。


 おかげで、私、セシリアの歌声を耳にした者たちが言う、


「心が癒されました。ありがとうございます」


「病が治りました。これは、まさに奇跡です!」


 といった評判もみな、アメリお姉様の成果と見做され、いつしか、


「聖女様の舌には、神の力が宿っている」


 とまで噂されるようになった。



 もっとも、私の歌声が、過剰なほど評判になったのには原因がある。

 王家に雇われた語り部の者どもが、街中で噂を撒き散らしていたからだ。


 いわくーー。

〈救国の聖女様〉であるアメリ第一王女は、自身の犠牲を厭わず、王国民の平和を愛する。

 二十歳になれば、取り決めに従って、帝国の生贄となるが、嘆く必要はない。

 なぜなら、聖女様は死なないから。

 神様からの寵愛を受ける聖女様は、死んでも復活する。

 そして、いずれは帝国をも打倒して世界統一を成し遂げ、地上天国となった世界の上に聖女様が君臨するーー。


 このように、すでに神聖オーパス王国内では、数々の〈聖女伝説〉が蔓延していた。


 私だったら、自分がこうまで持ち上げられると、かえって怖くなってしまうだろう。

 けれども、アメリお姉様は(ちまた)での噂を耳にすると、得意満面になった。


「『聖女様の舌には、神の力が宿っている』かぁ。

 ふふふ。セシリアの歌声も、たいしたもんね。

 でも、残念。

 ぜぇんぶ、ワタシーー聖女アメリ様の成果になるんだからね!」


 正直、私、セシリア第二王女にとって、世評がどうなっていようと構わなかった。

 私、セシリアの歌声を、〈救国の聖女様〉の歌声とされるのも、気にならない。

 アメリお姉様の機嫌が良くなって、暴力を振るわれないのなら、それで良かった。

 それぐらい虐げられていた。


 でも、この苦しみも、あと一年で終る。

 もうしばらくの辛抱だ。

 来年になれば、お姉様も二十歳になる。

 晴れて帝国への生贄となる。

 そう思って、私は耐えていた。


 ところがーー。


 あと三ヶ月もすれば、アメリお姉様が二十歳になるという、ある冬の日ーー。

 突然、アメリお姉様ばかりか、お母様までもが言い出したのである。


「セシリア!

 あなたが、アメリお姉様の代わりに、生贄になりなさい」と。


◆2


 アメリお姉様が二十歳になるまであと三ヶ月となった、ある冬の日ーー。

 ヴァロ帝国へ生贄として捧げられるタイムリミットが迫り来って、案の定、アメリお姉様が盛大にグズった。


「私は聖女様なんだよ!?

 死にたくないから、セシリア。

 あんたが生贄になりな!」


「……嫌です。

 というより、お姉様は生贄となるからこそ、聖女様と讃えられているわけでーー」


「ハン!

 どうせ、私が死んだら、あんたが生贄になって、帝国に行くことになるんだから。

 いいの? 私、ここから飛び降りるよ!」


 その日は、珍しく家族全員で一緒になって、王宮の尖塔に昇っていた。

 アメリお姉様が、


「今日は天気が良いから、王都を見渡しましょうよ!」


 と提案したから、お父様とお母様、さらには弟のヘイトまでが、〈救国の聖女様〉に付き従って、ぐるぐるとまわる螺旋階段をゾロゾロと昇ってきていたのだ。

 アメリお姉様は窓際に身を乗り出しながら、「いいの? 私、ここから飛び降りるよ!」と脅しかけたのである。

 実際、窓のすぐ外にまで鳥がやってきていて、アメリお姉様の頭を嘴で小突き、バランスを崩しかけた。


「危ない!」


「離れて、アメリ!」


「死なれては困りますよ、アメリお姉様!」


 この程度の脅しかけは、私、セシリアにとっては慣れっこだったが、他の人にとっては、十分に肝が冷える出来事だったらしい。

 両親も弟も大騒ぎになった。

 そして、お母様がついに本音を口にしたのだ。


「セシリア!

 あなたが、アメリお姉様の代わりに、生贄になりなさい。

 服を着せ替えれば、帝国の人には、きっとわからないわよ」


 呆気に取られて、私は叫んだ。


「ひどい。子供の頃から、私はお姉様に仕えてきたのに!」


 結局、私ばかりが酷い目に遭うのか。

 涙目で訴える。

 だが、母親のアイデアは、すでに何度か家族間で話題となっていたとみえて、私を抜きにして勝手に議論が進んで行った。


 お父様と弟のヘイトといった、王家の男どもが語り合う。


「身代わりだなんて。

 もし、『初穂』の長女でないとバレたらーー」


 と、いまだ十二歳ながら「神童」との誉高(ほまれだか)い弟ヘイトが口にしたら、お父様のオーパス王が腕を組んで思案する。


「いや、そいつは大丈夫やもしれぬ。

 今の皇帝は代替わりしたばかりで若い。

 そのうえ、北方の部族が叛乱を仕掛けていて、帝国の注意はすっかり北へ向いている。

 南に位置づく我がオーパス王国と、今は揉めたくはないだろう。

 もし、生贄の入れ替えに気づいても不問に付してくれるだろう」


 私、セシリアも、聖女様のお世話係として、王宮内で生活する身だ。

 王家が行っている政治案件ぐらいは、漏れ聴こえてくる。

 だから、王国側が帝国に密偵を送り出して陰謀を働いていることぐらいは知っている。

 帝国の周辺部族に叛乱するようけしかけているのが、じつは我が国から派遣された教会の司祭様だという。

 お父様がそうした内容を、弟に向かって得意げに話しているのを聞いたことがあった。


 でも、それゆえか、弟のヘイトは慎重な発言をした。


「でも、さすがに、帝国に生贄の入れ替えが露見するのは、マズイでしょう。

 ですから、いっそのこと、聖女様がお亡くなりになったことにすれば、どうでしょう?

 そうすれば、セシリアお姉様を、自然に生贄として捧げることができます」


 弟ヘイトの発言に、私以外の家族がみな、膝を打つ思いだったようだ。

 アメリお姉様が明るい声を出す。


「なるほどねぇ!

 さすがは、未来の王様!

 ヘイトは賢いわ。

 私、アメリが死んだことにすれば良いのね。

 さすがに外に出歩くのは制限されるだろうけど、そんなの、今までと変わんない。

 帝国に生贄として捧げられるより、よっぽどマシよ。

 ということで、セシリア。

 あなたが代わりに生贄になって、帝国に行きなさい。

 決定ね!」


「うむ。アメリが塔から落ちて、死んだことにすれば良い。

 事故死ってことで」


「そうよ。

 そうすれば、セシリアが我が家の長女。

 セシリアが帝国に行けば良いのよ」


 お姉様と両親の発言に、さすがに私も腹が立った。


「そんな……私、嫌です!」


 拳を震わせて拒否するも、弟のヘイトまでが、私の服の袖を引き、可愛い笑顔を振り撒きながら、知ったような口を利く。


「わがまま言わないでくださいよ、セシリアお姉様。

 アメリお姉様のためでもあるし、我が神聖オーパス王国のためでもあるんですよ?」


 私以外の家族全員が、にこやかに微笑みかけてくる。

 気持ち悪くて、仕方ない。


「ワガママを言ってるのは、あなたたちでしょ!」


 弟の手を振りほどいて、私は逃げた。

 尖塔の階段を下へと駆け降りたのである。



 私、セシリア第二王女は、尖塔の階段を降りて、一路、地下道へと向かった。

 王宮内の尖塔から、地下へと延びる抜け道がある。

 その抜け道を伝って、パークス公爵邸へと走ったのだ。


 尖塔から延びる地下道は、百年前の戦争の際、当時のオーパス王を戦禍から逃した道で、先導役を務めたのがパークス公爵だった。

 だから、その子孫であるライト・パークス公爵令息から、婚約者の私は、この地下道の存在を教わっていたのだ。


 青い髪に褐色の瞳をもつライト公爵令息は、私の許婚者だ。

 じつは、私、セシリア・オーパス第二王女は結婚間近だった。

 アメリ第一王女が生贄として帝国に捧げられると、すぐに私はパークス公爵家に嫁ぐことになっていた。

 パークス公爵家の嫡子ライトは、私にも優しかった。

 私の婚約者であり、筆頭公爵家の令息でもあったので、王家とも家族ぐるみの付き合いがあり、アメリお姉様とも何度も顔を合わせており、お姉様の素のありようを知る、数少ない人物だ。

 私がお姉様にいじめられて廊下で泣いていたとき、周囲を気にかけながらも、肩にポンと手をやり、優しく慰めてくれた。


「いつも大変だね、セシリア王女様。

 まさか〈救国の聖女様〉が、あんなにワガママだとは、ビックリだ。

 あの聖女様のお相手が務まるのは、貴女ぐらいですよ。

 でも、あと少しの辛抱です。

 聖女様が二十歳になれば、貴女は僕の妻になるんですから。

 僕は聖女様に比べると、ビックリするほど、おとなしいですよ。

 暇になった、と苦情を言わないでくださいね。

 はっははは」


 彼、ライト公爵令息は、身だしなみを気にかける紳士で、いつも香水のかおりがする。

 抱き締められると、爽やかなハーブの香りがした。


 その日、秘密の地下道を通り抜けて、いきなりパークス公爵邸に忍び込んで、私がライト様の部屋に押しかけても、彼は嫌な顔ひとつせず、迎え入れてくれた。


「大変だったね。(かくま)うよ」


 おおかた、アメリお姉様にいじめられて逃げてきた、と推測したのだろう。

 ライト様は事情も聞かずに、私を抱き締めてくれた。

 いつものように、爽やかな香りがして、私は安心した。


「よかった!

 今日、お部屋にいなかったら、どうしようかと思っていたわ」


 彼は普段、王宮で宰相府の秘書官を務めている。

 が、今日、たまたま非番だった。

 そうでなければ、公爵邸に勤める執事や侍女によって、王家に連行されるところだ。


「でも、すぐに王宮から捜査の手が伸びて来てしまうわ」


 私は現実にかえり、不安になる。

 いつもお姉様の世話に明け暮れている私には、知人は少ない。

 婚約者のライト・パークス公爵令息の許に逃げ込むことぐらい、容易に予想されるはず。

 でも、ライト様は優しく私の頭を撫でながらささやいた。


「セシリア様は、ご心配なさらず」


「でも、悪いわ……」


「気にすることはございません

 王女様が苦しんでいるときに助けられないで、貴族令息とは言えないよ。

 お疲れでしょう。ぐっすりおやすみ」


「ありがとう……」


 爽やかな香りに包まれながら、私は意識を失った。



 それから、どれぐらいの時間が経ったのだろう。

 私の意識が戻ったときには、とんでもない状況に陥っていた。

 パークス公爵家の中庭で、車付きの台座の上に、鎖で縛り付けられていたのだ。

 台の上の椅子に縛り付けられているのは、足のみではなく、身体も、そして両腕までもが、背もたれ後ろに回されてがんじがらめにされていた。

 どれだけ力を入れようが、ビクともしない。


 おまけに、目の前では、信じられない光景が展開していた。


 私の許婚者であるライト・パークス公爵令息の胸元に、アメリお姉様が寄り添っていたのである。


「ま……まさか!?」


 ライト公爵令息は哀しげに、褐色の瞳を伏せながら言う。


「残念だよ、セシリア王女様。

 貴女は王家をーーこの神聖オーパス王国を裏切ろうとしていたんだね。

 せっかく〈救国の聖女様〉の身代わりになれるという栄誉を、拒否なさるとは。

 罰を受けなきゃいけないね」


 彼に抱きつきながら、アメリお姉様が嘲笑う。


「残念だったわね、セシリア。

 ライト様と結婚するのは私、聖女アメリよ!」


 私の婚約者のはずだったライト公爵令息とアメリお姉様が、いつの間にか恋仲になっていたらしい。

 彼らのすぐ後ろには、私の両親であるオーパス国王夫妻と弟ヘイト、さらにはパークス公爵ご夫妻も勢揃いしていて、みな、ニタニタと笑っていた。

 逃げ出したつもりで、まんまと自ら罠に嵌った私を(あざわら)っているのだろう。

 私は台座の上でうつむき、悔し涙をこぼした。


 アメリお姉様は、年頃になったら、普通に男性に興味を持つようになっていた。

 そして、すぐに目についたのは、妹であるセシリアの婚約者ライト公爵令息だった。

〈救国の聖女様〉が親しく接することができる同世代男性となると、彼ぐらいしかいない。

 そのうえ、下女扱いの妹が、彼氏を手に入れて幸せになる未来がどうしても、アメリには認められなかった。

「妹の彼氏を奪ってやる!」ーー常々、そう思って、機会を窺っていたのだ。


 また、ライト公爵令息の側からみれば、セシリアは「つまらない女」だった。

 健気に奉仕するのは良いが、その相手は自分ではなく、姉の聖女様だ。

 しかも、虐げられているので、うつむいてばかり。

 陽気なライトには、付き合いづらい雰囲気があった。

 逆に、姉のアメリ第一王女は、ワガママとはいえ、自由奔放に育っており、明るい笑顔を自分には向けてくれるし、勝気な性格も、常に誰かに(かしず)かれている貴族令息からすれば新鮮に映った。

 そして何より〈救国の聖女様〉を妻に迎えることができると思うと、気分が昂揚した。


 婚約者のセシリアが、台の上の椅子に縛り付けられ、涙目でこちらを見詰めている。

 それを承知で、彼女の目の前で、ライトはアメリ第一王女を抱き寄せて言い放った。


「女は我儘なくらいのほうが可愛いんだよ、セシリア」


 私を取り囲む大人たちはみな、アメリお姉様とライト公爵令息とが婚姻を結ぶことを祝福しているようだった。

 茶色髪のパークス公爵が、お父様のオーパス王に、


「では、〈救国の聖女様〉は塔から落下しての事故死ということにして、セシリア第二王女を帝国へ差し出す、とーー」


 と確認すると、王がうなずくより早く、アメリお姉様が口を挟んだ。


「いえ。それでは生ぬるいわ。

 私たち王家をーーいえ、オーパス王国民すべての信用を裏切って、セシリアは逃げ出そうとしたんですから、罰が必要よ。

 そうね。

 セシリアが私をーー〈救国の聖女様〉を殺したっていうことにしたら、どうかしら?」


 お父様は目を丸くする。


「〈救国の聖女様〉は『塔から落ちた』ではなく、『塔から突き落とされた』とするのか!?」


 アメリお姉様が満足げにうなずくと、お母様までが「それは、妙案だわ!」と手を合わせる。

 その様子を見て、ライト公爵令息は顎に手を当て、つぶやく。


「でも、〈救国の聖女様〉が殺されたとなれば、国民が怒り狂うだろう。

 セシリア王女をそのまま、帝国への生贄にってわけにもいかないね。

 その前に、〈聖女殺しの犯人〉として、王都の街中で晒しものにしないとーー」


 神聖オーパス王国では、特に罪が重い、高位貴族以上の人物を殺した犯人は、王都引き回しのうえ、王宮前広場で斬首という決まりになっている。

〈救国の聖女様〉を殺した犯人ともなれば、この斬首コースに乗せなければ、王国民は納得しない。

 だから、「斬首」だけを取りやめて、「帝国への生贄エンド」に差し替えれば、王国民も暴動を起こさないだろう、というのだ。


 あまりにも残酷な提案ーーしかも婚約者が提案したという事実に、私は身を震わせた。


「酷いーー酷すぎる!

 どうしてそこまで……。

 私がいったい、何をしたっていうの?

 いつもお姉様の面倒を見てきたのに。

 もう少しで、自由になるーー解放されると辛抱してきたのに……」


 涙に暮れる私に、アメリお姉様は口の端を(ほころ)ばせながら近寄った。


「セシリア。

 アンタが、そんなふうに良い子ちゃんにしてるのを見てるだけで、虫唾が走るのよ。

 そうだ。良いこと、思いついたぁ!」


 私が椅子に縛られて動けないのを良いことに、アメリお姉様は指を私の口に突っ込む。

 もう片方の左手には、ナイフを握り締めていた。


「ワタシ、セシリアの声って、もう聴きたくないんだよね。

 噂じゃあ、アンタの舌には『神の力が宿っている』そうだけど、ワタシは大嫌い。

 生意気に言い返してくるし、歌をうたわせても、声が耳に残るし。

 いつも『私は正しい。心も綺麗です』って主張してるみたいで。

 だから、口を利けなくしてやる!」


 ザクッとや刃を差し込んでくる。

 そして、鮮血とともに、私の舌が切り取られてしまった。


「ゔあああああ!」


 突然の激痛に、私は悲鳴をあげた。

 ほんとうならのたうちまわるところだけど、身体が鎖で縛り付けられているので、ガタガタとうごめくことしかできない。

 そんな娘の姿を見て、お父様が必死の形相で叫ぶ。


「パークス公爵、医師を呼べ! 今すぐだ!」


 この館の主人であるパークス公爵は、お抱え医師を呼びに駆け去っていく。

 でも、お父様の叫びは、私を(おもんぱか)ってのものではなかった。

 お父様は、まるで実験動物でも眺めるような、冷たい視線を私に向けるのみだった。


「コレに死なれてはかなわぬ。

 止血剤と、痛み止めの薬を服用させろ。

 帝国に差し出す生贄を、失うわけにはいかない」


 薄れゆく意識の中で、私は心底、諦めた。


(ああ、私は捨てられたんだ。

 酷使するだけして、汚れた雑巾(ぞうきん)のようにーー)


 アメリお姉様の(あざけ)る顔が、目に映る。

 薄ら笑いを浮かべるライト公爵令息の姿も。

 顔を背けるお母様の様子も。

 そして、弟のヘイトは腕を組んで、ほくそ笑んでいた。


「ちょっと、やりすぎかもですけど、舌が切られて口が利けなくなったのは好都合です。

 これで帝国に、生贄をすり替えたのがバレる心配もなくなった。

 そして、ほんとうは〈聖女様〉が生きているって暴露される心配もなくなりました。

 なにせ、口が利けないんだから……」


◇◇◇


 かくして、私、セシリア・オーパス第二王女は、民衆から石をぶつけられる事態になった。

 次に意識を取り戻したときには、周囲を群衆に取り囲まれていた。


 王都では、かつてない喧騒が渦巻いていた。

 人だかりの街中を、車付きの台の上に乗せられながら、私は引きずり回される。

 群衆が押し寄せ、叫び声をあげた。


「殺せ、殺せ、殺せ!」


「死ねえええ!」


 四方八方から、石つぶてが飛んでくる。

 身動きができない私は、打たれるがままだった。


「この痛みは、聖女様を殺した罰だ!」


「聖女様の美しい声を返せ!」


 警護役の鎧騎士が、群がる人々に向かって、


「石を投げるのはやめなさい!

 彼女は帝国への貢物なのだから」


 と怒鳴るが、暴徒と化した民衆に聞く耳はない。


「知るか!」


「皇帝だって、こんな罰当たりな女を引き受け付けるものか。

 この聖女殺しが!」


「聖女様を殺すなんて!

 ひどい女だ!」


「どうせ姉を妬んだのだろう!?

 出来損ないの妹王女が!」


 私は満身創痍になりながらも痛みに耐え、唇を噛む。


(私、お姉様を殺してなんかいないのに!)


 私は舌を切られて口も利けなくされたうえで、〈救国の聖女様〉であるアメリ第一王女を殺した犯人という、濡れ衣を着せられた。

 そしてそのまま王都を引き回されたあと、隣国のヴァロ帝国への生贄として送り出されてしまったのだった。


◆3


 薬で眠らされていたのだろうか。

 次に目覚めたら、私、セシリア・オーパス第二王女は、後ろ手で縛られた状態で、(ひざまず)かされていた。


 赤い絨毯が、大男が座る椅子にまで、まっすぐ延びている。

 いつの間にか、ヴァロ帝国にまで連れて来られたらしい。

 馬車で十日はかかる距離だというのに、ずっと薬で寝かされていたようだ。

 これも、私が抵抗して逃げ出さないためだろう。


 もっとも、石打ちで受けた生傷がかなり改善されていた。

 麻酔で眠らされている間、治療を受けていたらしい。

 ご丁寧に、礼服までまとっている。


 とすると、目の前の巨大な椅子に座っているのが、ヴァロ帝国の皇帝なのだろうか?

 たしか、エクス・ヴァロ三世と名乗っているはず。

 銀髪に金色の瞳をした、割と良い顔をしている。

 鍛えているらしく、まるで騎士のようにガッシリとした筋肉質の男性だ。

 しかも、思っていたより、ずっと若い。

 二十代後半といったところか。


 ヴァロ帝国のエクス皇帝は、眉間に皺を寄せる。


「こいつは、一段と不細工なのが捧げられたな」


 私の顔面がボコボコになっているのを言っているのだろう。

 私は帝国語をアメリお姉様にお教えするために学ばされている。

 だから、帝国人が何を言っているのか、わかる。

 エクス皇帝の感想を耳にして、私は苦笑いを浮かべた。


 執事らしき風体の老人が、皇帝にささやく。


「なんでも、本来捧げられるべき長女を妬んで、この者が殺したらしいのです」


「ふむ。ゆえに、群衆によって石打ちか。野蛮な国だな」


 皇帝は、手にした杖を振る。

 すると、いきなり、私の後ろから、動物の唸り声が聞こえてきた。

 振り向けば、ライオンがいた。

 牙を剥き出しにして、吼えかかってくる。


(ひっ!?)


 私は恐怖のあまり、後退る。

 すると、ライオンは、牙で私の手を縛っていた縄を噛み切り、次いで舌を出して、私の頬をペロリとひと舐めする。

 それからノシノシと絨毯の上を歩いて、玉座にいる皇帝に頭を差し出す。

 皇帝はライオンの立て髪を撫でつつ、白い歯を見せた。


「驚かせたか。案ずるな。

 この杖は〈猛獣使いの杖〉といってな。

 魔力がある者なら、この杖で猛獣の気を鎮め、ペットのごとく使役することができる。

 見たところ、其方(そなた)も魔力があるようだから、これをくれてやろう。

 我が帝国に来た記念だ。

 国外不出の、帝国軍自慢の魔道具だ」


 ポイッと杖を投げ渡す。

 私は慌てて前屈みになって、受け取る。

 が、今の私は、お礼の言葉を発することができない。


「……」


 ひたすら頭を下げるだけの私を見て、若い皇帝は気づいたらしい。


「まさか、其方、口が利けぬのか?」


 皇帝は立ち上がり、ツカツカと歩いて近寄る。

 腕を伸ばして、強引に私の口を開ける。


「なんと!?

 舌が抜かれておるのか。酷いな。

 爺や、紙を持て」


 執事風の老人が、私に白い紙と筆を手渡す。


「字は書けるだろうな!?」


 と皇帝が問うから、私は


『はい』


 と筆に墨をつけて書いた。

 すると皇帝は顎に手を当てる。


「ほう。帝国語を書けるとは。

 オーパスの連中は頑なに自国語しか使わぬので、外交でも不便を強いられておったが、柔軟なヤツもいるのだな。

 其方は、何か余の役に立つことができるか?

 それ次第で待遇が変わる」


 私は皇帝の質問に、筆で答え続けた。


『音楽が得意です。

 楽器全般が弾けます』


「ふむ。余も音楽は好きだ。

 特に上手くできるのはなんだ?」


『楽器ならハープ。

 でも、もっとも自信があるのは歌です』


「ほほう。歌がうたえる?

 これは面白い。

 舌を切られて声の出ぬ女が、歌が得意というのか。

 よし。最高級のハープを持たせて、余の寝屋に連れて行け」



 その日の夜ーー。


 ハープを弾くと、エクス皇帝は、殊の外、喜んだ。


「心が落ち着く。美しい音色だ。

 そのまま奏でておるように」


 そう言うと、そのまま若い皇帝はいびきをかいて寝てしまった。

 私は彼が寝入ったあと一時間ほど演奏を続けてから、眠った。

 皇帝の寝室に据えられた椅子の上で、ハープに指をかけたままだった。

 それでも、アメリお姉様のお相手をするときより、ぐっすりと眠ることができた。


 翌朝ーー。


 ふと、眼を開けると、眼前に若い男性の顔が迫っていた。

 黄金に光る瞳が、興味深げに、くるくると動く。


「音楽の力とは、すごいものだな。

 目覚めが良い。

 不眠症が治ったようだ。

 感謝する」


 皇帝は立ち上がると、老執事に命じた。


「この者を帝国の衣服に着替えさせ、朝食を摂らせよ。

 その後、すぐに余の執務室に招くように」


 舌が無いのを気遣ってくれたのか、スープを基調とした簡単な食事を終えると、私は執務室で皇帝と対面した。

 皇帝は椅子に深く腰掛けたまま、机に肘をのせて問いかける。


「其方の願いを叶えてやる。何を望む?」


 いきなりである。

 でも、好都合でもあったから、直立したまま、私は声をあげようとする。

 だが、口をパクパクさせるのが精一杯で、言葉が出ない。

 舌を切られてるので、頑張っても、うあああと呻き声が出るのみで、口が利けない。

 皇帝はバツの悪そうな顔をする。


「ああ、言うまでもなかったな。

 舌を治してやろう」


 そう言って、傍らに立つ若い秘書官のような人物に指示を出そうとする。

 そこで、私はブンブンと首を横に振って、宙に文字を書く仕草をした。

「筆談をさせてください」と意思表示したのだ。

 皇帝はそれに応じて、私を机の前に招き寄せ、紙を前に出す。

 私はその紙を引き寄せて、筆で書き殴った。


『どうか、お願いします。

 我が祖国、神聖オーパス王国を滅ぼしてください』と。


「む!?」


 皇帝は、真面目な顔つきになる。


「まことか?

 己の舌が治ることよりも、故郷の滅亡を望むとは。

 さすがは〈聖女殺し〉ということか!?」


 私は碧色の瞳で、キッと皇帝を睨みつける。

 皇帝も瞳を金色に輝かせて応じる。

 互いの視線がぶつかり合ったあと、しばらくして皇帝は肩をすくめた。


「どうやら、真剣な話のようだな。

 良かろう。

 まずは、余の不眠症を癒してくれた音色に免じて、褒美を取らせよう」


 皇帝は、帝室お抱えの医師を呼ぶ。

 白髪の医師は、皿の上に灰色の舌を載せていた。

 皇帝は説明した。


「こいつは舌の形に造った粘土だ。

 魔力を練り込んだ粘土で捏ねている。

 これを其方の舌の根っこにくっつける。

 色は気色悪いが、魔力を媒介にして神経が通るゆえ、普通に喋ったり、味わったりできるようになる。

 縫合するのに、さして時間はかからぬ。

 そうだな。

 手術が済んだら、案内を寄越すから、今度は応接室に来い。

 舌の具合を見てやる。

 余はこれから政務を片付けるゆえ、待っておれ」



 正午ーー。


 通された応接間では、テーブルの上に、葡萄や桃、蜜柑などのデザートが並んでいた。

 向かいの席で、エクス皇帝が胸を張っている。


「まずは食ってみろ。

 それから、味の感想を聞かせよ」


 私は勧められるままに椅子に腰を下ろす。

 そして、葡萄を一粒、摘んで口にした。

 ひと噛みして、舌で味わう。

 果実の汁が、酸っぱく、そして、甘く感じられた。


(美味しいーー!)


 私は喜びのあまり、葡萄をもう三粒、さらに桃や蜜柑をいくつか頬張る。

 そして、甲高い声をあげた。


「ありがとうございます、皇帝陛下!

 ほんとうに、果物の味がします。

 少し、以前と違う食感ですがーー感謝いたします」


 私はフォークを手にしたまま、深々と頭を下げる。


「よい。余も食すゆえ、其方も遠慮なく食え」


「ありがたき幸せ」


 皇帝と向かい合ったまま、一緒に果物をいただいた。

 食後、皇帝はナプキンで口許を拭いながら、話しかけてきた。


「我がヴァロ帝国は、其方のオーパス王国ほど、野蛮ではない。

 オーパスでは、なぜだか其方のような者を〈生贄〉と称しておるそうだが、こちらとしては政略の一環として、王家の長女を人質としてもらっているだけだ。

 あくまで安全保障のための措置に過ぎぬ。

 同様に、王家の長女を人質として、我が帝室で養っておる国は六つもある。

 なにもオーパスだけが特別に酷い扱いをされておるわけではないぞ。

 待遇も良くしておる。

 現に、オーパスが寄越してきた歴代の人質は、幸せに暮らしておる。

 中には皇帝と恋仲になって、正室に収まった者までおるのだからな。

 ちなみに、余の祖母はオーパス出身だ」


 知らなかった。

 私が驚いて目を丸くしていると、若い皇帝は覗き込むようにして笑いかけた。


「で、其方は、実の姉を殺したんだって?」


 私は思わず、バン! とテーブルを叩いた。


「殺してません!

 それどころか、アメリお姉様に婚約者を奪われた挙句、殺人犯に仕立て上げられました。

 アメリお姉様は、帝国に来たくなかったので、私に殺されたことにしたんです。

 私は、濡れ衣を、家族によって着せられたのです!」


「ほう」


「ですから、

『我が祖国、神聖オーパス王国を滅ぼしてください』

 と書いたのです。

 私は親に言われて、散々、アメリお姉様に尽くしてきました。

 それなのに、酷い仕打ちばかりを受けてきたのです。

 王国の民も、私に石をぶつけて嘲笑(あざわら)っておりました。

 もちろん、それが国民のすべてではないことぐらい、承知しております。

 ですが、何百もの民衆が面白がって私を石で打ったことは忘れられません。

 彼らの軽挙妄動を許した罪は、王国民すべてにあります。

 到底、許せません。

 幸い、ヴァロ帝国は大国です。

 神聖オーパス王国をひと呑みにできるでしょう」


 エクス皇帝は神妙な顔付きになって腕を組む。


「たしかに、オーパス王国など、いつでも攻め落とせよう。

 とはいえ、滅ぼさねばならぬ口実がない。

 余は無益な殺傷を好まぬ。

 実際、百年前の戦争においては、オーパスの民が一丸となって反抗してきて、我が帝国の軍勢が攻めあぐねたと聞いておる」


 私、セシリア第二王女は、テーブルに身を乗り出す。


「ご一考ください、陛下!

 すでに百年が経ち、王国民の気質も変わっております。

 オーパス神聖教への信仰も、もはや表面的なものとなっております」


 神聖オーパス王国の国教はオーパス神聖教といい、この宗教以外は信仰を禁じられている。

 オーパス国王は教皇を兼ねており、全国に点在する教会は事実上の区役所だ。

 ただ、宗教施設でもあるから、外国にも幾つか教会があり、ヴァロ帝国にも複数、存在している。


 若い皇帝は眉間に皺を寄せた。


「たしかに、百年も経てば、様相も変わっておるかもしれぬ。

 だが、兵を動かすほどの口実がない。

 現に、其方を二十歳になる前に、送って寄越したのだからな。

 たしかに、其方が言うように、姉が生きておるのならば『初穂』を寄越したとは言えぬが、正直、余にとっては、人質さえ差し出せば、姉であろうと妹であろうと構いはせぬ。

 もっとも、其方がそれほど家族から(ないがし)ろにされておるのならば、人質としての効果は期待できぬだろうが……」


 私は背筋を伸ばして、ここぞとばかりに訴えかけた。


「兵を動かす口実ならございます。

 帝国北方の部族が叛乱をしかけているのは、オーパス王国が(そそのか)しているからです。

 ですから、王国を攻めたところで、無益な殺傷には当たりません」


 神聖オーパス王国の最高機密を暴露したのだ。

 私、セシリア第二王女は、明確に国を捨てる決心をしていた。

 その覚悟が伝わったのか、エクス皇帝は眉根を開いた。


「なんと!? 諸部族の叛乱の影では、オーパスがうごめいておったのか!

 そういう噂はあったが、そのような無謀なことはすまいと思って、余が一笑に付しておったのだが……」


「教会を通して、諸部族に『反帝国』の意識を煽っているのです。

 オーパス神聖教を甘く見てはいけません。

 聖女の名の下に世界征服すら企図しているのですから。

 平和、博愛といった標語は形だけのもの。

 宗教の衣をまといつつも、結局は、自分たちの都合を押し付けてるだけなんです」


「ふむ。其方の想い、よくわかった。

 今夜も我が寝所に来い。

 舌も滑らかとなったのだ。

 今晩は、歌声を聴かせてくれ」



 それから一週間、私は皇帝の寝所に通い詰めた。

 三日の間、私の歌声を聴きながら、皇帝は就寝する。

 そして四日目からは、皇帝は、私の体験談に耳を傾け始めた。


 私は淡々と語った。

 自分が受けて来た仕打ちを。


 そして、七日目ーー。


 私はベッドの上で、エクス皇帝に抱かれていた。

 そのとき、皇帝は両目いっぱいに涙を溜めていた。


「なんと、辛い人生だ。

 其方ほど、酷い仕打ちを受けた王女は、この世の何処にもおるまいよ。

 なんたることだ。吐き気がする。

 余の許に来たのが、姉ではなく、妹の方で、ほんとうに良かった。

 其方らの信奉する神は信じてはおらぬが、余は自分が信じる神に深く感謝しておる」


 エクス・ヴァロ三世は、私、セシリアを、力いっぱい抱き締めてくれた。

 愛情を込めたハグを受けたのは、人生で初めてのことだった。

 涙が一筋、私の頬を伝わるのを感じた。


◆4


 一方、神聖オーパス王国ではーー。


 王宮の執務室において、オーパス国王とヘイト王太子とで、議論を交わしていた。


「父上。セシリアお姉様を生贄に捧げてから、一ヶ月ほどが経過しました。

 やはり、ヴァロ帝国は生贄として認めてくださったのでしょうか」


「そうであろうな。

 帝国は代替わりして、若い皇太子が三年前に即位したばかり。

 仮に、こちらが『初穂』である長女を差し出しておらぬと気づいたところで、波を荒立てることはせんとみえる。

 じつに、ありがたいことだ。

 先代の皇帝は老獪で、輸出物に関税をかけたり、帝国にある神聖教会の人事にまで干渉してきたりして、何かとやりにくかった。

 だが、若い皇帝になって三年ほど経つが、関税も撤廃され、教会にも手出ししなくなった。

 先代より、よほど御しやすい。

 それよりも、諜報部の者を教会司祭として派遣していること、気づかれてはおらんだろうな?」


 わずか十二歳、いまだ成年に達していないのに、ヘイト王太子はすでに国家機密に関わる仕事を任されていた。

 オーパス国王は神聖教の教皇も兼ねていたから、教会組織を使って外国の政治に干渉していた。

 それゆえ、ヘイトも枢機卿という身分を得て、ヴァロ帝国への謀略行為に加担していた。

 ヘイトは赤い瞳を輝かせて答える。


「ご安心を。

 帝国は周辺部族の叛乱に手を焼いておるようですが、我らの扇動工作の結果、叛乱が起きている、という真実には気づいておりません。

 なにせ、部族叛乱鎮圧のための物資と資金の援助を、我が国に要請しているぐらいです」


「ふむ。こちらとしては、相変わらず、

『毎年のご奉仕と賠償金を納めるだけで手一杯。余力はございません』

 とでも答えておこう。

 よいか、王太子よ。

 このように帝国相手には、のらりくらりとして、いなすのが良い手なのだ。

 大国の力を削り取って、隙を窺うのだ」


「勉強になります、父上」


 執務室で、父子でうなずき合った、そのときーー。


 いきなり、扉が開かれ、伝令官が「大変です!」と叫びながら、飛び込んできた。


「何事だ?」


 とオーパス国王が問い返すと、伝令官は生唾を呑み込みつつ声を発した。


「て、帝国から大軍が侵攻してきました。

 その数、およそ百万!」


 オーパス国王父子は、揃って両目を見開いた。


「な、なんだと!?

 帝国の全軍ではないか!」


「そんな大軍をこちらに向けるゆとりなど、帝国にはないはずです!

 我が国は帝国から見て南にあります。

 反対側の北方部族の叛乱に、帝国は手こずっているはず……」


 国境警備隊からの報告文を手に、伝令官は声を震わせる。


「そ、それがーー侵攻軍の先鋒を担っているのが、その北方部族の軍勢とのことで……」


 オーパス国王は飛び上がらんばかりに驚いた。


「なにい!?

 まさか、謀略が見抜かれたのか!?

 急ぎ将軍を呼べ。

 軍議を開かねばならん」



 軍議が開かれた結果ーー。


 神聖オーパス王国側も全軍を挙げて、ヴァロ帝国との国境へと向かうこととなった。

 だが、老兵を掻き集めても十万にも満たない。

 すでに国境線を踏み越えてきた帝国軍が、このまま王都にまで押し寄せて来たら、ひとたまりもない。



 翌日になると、王宮に開かれた大本営に、さらなる報告がもたらされた。

 ヴァロ帝国内にある教会の司祭が、何十人も磔にされ、前線に晒されていたという。

 彼らはみな、潜伏させていた諜報員だった。


 さらに、外交部からも急報が届く。

 帝国皇帝の祖母が蟄居を命じられた、という。

 彼女は先々代の国王の姉だったので、教会司祭と頻繁に情報のやりとりをしていた。

 帝国北方での部族叛乱に、オーパス王国が関わっていることが露見していることは明らかだった。


 オーパス国王はブルブルと震えた。


「こ、こちらの工作活動が露見したのか!?

 まさか、セシリアが?」


 セシリア第二王女が生贄として捧げられて以降の、急激な変化である。

 彼女が帝国軍の動向に影響を与えたと見て、間違いない。

 普通に考えたら、誰もがそう思う状況だ。


 ところが、オーパス国王とヘイト王太子にとって、女性のイメージ像が悪すぎた。

 わがままな聖女様と、華美に装うばかりの王妃様が〈女性の典型〉と思っていたのだ。

 おまけに、そんな彼女たちより劣る存在として、セシリア第二王女を見下していた。

 だから、彼女たちがいる場でも、平気で機密事項を語り合っていたぐらいだ。


 聡明な少年である、ヘイト王太子は、自分に言い聞かせるようにして、つぶやいた。


「セシリアお姉様が、あれほどの大軍をーーしかも他国の軍勢を動かせるものですか。

 そもそも、生贄として捧げてから、まだ幾らも経っておりません。

 それに、アレは女ですよ?

 ろくに政治をわきまえてなんかいないはず。

 それに〈聖女様〉のお世話に明け暮れていて、諜報活動について知る由もない。

 第一、舌が切ってありますからーー」


 オーパス国王も爪を噛みながら、「そうだな。ははは……」とうわずった声をあげる。


 しかし、神聖オーパス王国の国王父子が、現実から目を背けている間にも、着々と事態は進行していった。


 両軍が国境線近くで対峙してから一週間ーー。

 ついにヴァロ帝国からの使者が、オーパス王国軍大本営に派遣されてきたのである。


 神聖オーパス王国の国王父子は、待ってましたとばかりに、使者を迎える準備をした。

 帝国軍の動きが停止して以降、いずれは使者が皇帝の意向を伝えに来ると踏んでいたのだ。


「やはり、使者が来ました!」


「うむ。丁重に扱えよ。失礼のないように……」


 国王父子のみならず、オーパス王国全土に緊張が(みなぎ)る。


 やがて、王都において、群衆が取り囲む中、使者を乗せた帝国の馬車が進む。

 誰も手出しはしない。

 そうすれば百万もの大軍が押し寄せてくると、誰もが知っているからだ。


 王宮の門前で馬車が止まり、使者が降り立つ。

 真っ白なドレスをまとった女性が姿を現した。


 群衆は思った。

 まるで死装束のようだ、と。

 そしてーー。


「あ! あれは……」


「ま、まさか……」


 その女性の姿に見覚えがある者が、群衆の中に何人もいた。

 彼らは一様に喉を詰まらせる。

 唖然として、声も出なかった。


 使者を招いた国王夫妻と王太子も、その群衆どもと同様、愕然として息を詰まらせた。

 出迎えた彼らの眼前には、晒しものにした挙句、生贄として追い払った「聖女殺し」の大罪人ーーセシリア第二王女が立っていたのだ。


「お久しぶりです。

 お父様、お母様。そしてヘイト。

 この場に、アメリお姉様と、ライト公爵令息がいないのが残念ですわ」


 セシリアは扇子を開いて自らを煽ぎ、悠然と微笑む。

 碧色の瞳が爛々と輝き、金髪が風になびく。

 その様子を目にして、オーパス王家の面々は絶句した。


「お、おまえ……」


「声が……」


「セシリアお姉様が使者にーー?」


 とはいえ、国王夫妻と王太子が、セシリアを見下してきた歴史は長い。

 元王女だからという理由のみで、事情をよく知らない帝国側が、セシリアを気軽に使者に立てたのかもしれないーーそう気を取り直し、ことさら馴れ馴れしい口調で、オーパス国王は娘に向かって語りかけた。


「おお、息災であったか、セシリア。

 生贄として捧げた割には、元気そうだな。

 口が利けるようになって何よりだ。

 まさか停戦交渉の使者にまで抜擢されようとは、見直したぞ。

 皇帝陛下に伝えてくれんか。

 大軍で脅すような真似はしないでくれ、と。

 それに、我が王国の一部が暴走して、北方部族に叛乱を勧めたようだが、これには王国政府は関係しておらぬ。

 帝国の側で好きに処罰していただいて結構だから、兵は退いていただけぬか、と」


 父親のうわずった声を聞き流すようにして、セシリアはフッと笑みをこぼす。

 それから、凛とした顔つきとなって胸を張り、国王夫妻にまっすぐ目を向ける。

 そして、やおら手にした巻物を広げて、朗々とした声で宣言した。


「聞け、神聖オーパス王国の者どもよ。

 ヴァロ帝国エクス三世皇帝陛下のご命令を、お伝えする。

 神妙に拝聴せよ。

 皇帝陛下は以下のように仰られた。


『余の将来の妃に対する数々の無礼、到底、許すわけにはいかぬ。

 また、道義的に見ても、オーパス王国は信義に反した国家だ。

 都合の悪いことを語らせまいと、人の舌を切るような輩とは、ヴァロ帝国としても口を利く必要を感じぬ。

 神に成り代わって、成敗してくれよう。

 文句があるのなら、槍で答えるがよい』


 以上!」


 それだけ語り終えると、巻物を閉じ、セシリアは颯爽と身を(ひるがえ)す。


 国王夫妻は玉座から腰を浮かせ、何か言わなければ、と思った。

 だが、セシリアを振り向かせるような言葉が思いつかない。

 そして、元王女の発した言葉が、帝国皇帝による、文字通りの宣戦布告であると理解するまで、幾らも時間はかからなかった。



 それから、三日後ーー。


 帝国軍百万による、怒涛の進撃が開始された。


 一ヶ月を経ずして、神聖オーパス王国の防衛軍を粉砕する。


 そのまま国境から南下し、川沿いに進んで、主要都市を陥落させていく。

 一路、王都を目指して。



 戦況が悪化する一方になって、ようやくそれまで身を潜めていたアメリ第一王女が、婚約者のライト公爵令息とともに、王宮に駆け込んできた。


 帝国軍の侵攻が始まった頃、セシリア第二王女が帝国側の使者として来訪し、宣戦布告をなしたと聞いて、〈救国の聖女様〉は甲高い声を張り上げた。


「なんで、セシリアが使者なんかに!? 嘘でしょ!」


 弟ヘイトからの手紙を破って、アメリは許婚者ライトに投げつけた。


「悔しい。

 アイツ、皇帝とよろしくやってんじゃないでしょうね!?

 だったら、アンタなんかと恋仲になったのが失敗だった。

 絶対、セシリアのやつ、

 『お姉様、私のお古を貰って嬉しい?』

 って、嘲笑(あざわら)ってるに違いないわ!」


 姉の怒りは、父親や夫よりも高位の存在を、妹が手にしたことに向けられていた。生命の危険を感じるよりも、マウント合戦に負けたことが癇に障って仕方なかったのである。


「認めないわ!

 あんな、足蹴にしてた下女同然の妹なんかに!」


 雄叫びをあげるアメリを抱きかかえつつ、ライト公爵令息は、王家の面々を王宮の尖塔へと誘う。

 そして、尖塔から延びる地下道に案内した。

 百年前、祖先のパークス公爵が果たした「国王一家の逃亡」を再現しようとしたのだ。


「さあ、今は逃げるときです。急いで!」


 オーパス王家の面々は、王都を離れて、さらなる南方へと逃げようとする。


 が、王国民によって押し留められる結果となってしまった。

 郊外の森林地帯にある地下道の出口を、すでに群衆が取り囲んでいたのである。


「どうして抜け道がバレた!?」


 と、ライト公爵令息は思わず声をあげたが、すぐに思い当たった。

 この地下道を、元婚約者であるセシリアも知っていることを。


 オーパス王家の面々はみな、血の気が退いて青くなった。

 地下道を走り切った挙句、恐慌をきたした民衆に取り囲まれてしまったのだ。

 王都から逃げ出してきていた民衆は、口々に希望の声をあげた。


「見ろ! ほんとうだ。

〈救国の聖女様〉が生きている!」


「やはり、復活なされたのだ!」


 わあああ!


 歓声とともに、群衆がアメリ第一王女を取り囲む。


 彼ら難民の間で、風聞が広まっていた。

 帝国に寝返った悪女セシリアーーそんな妹によって殺された姉の〈救国の聖女様〉が、復活を遂げられた、と。


「奇蹟だ!」


「聖女様なら、邪悪な帝国軍を打ち払える!」


「お救けください、聖女様!」


「憎き妹に、そして帝国に天罰を下してくだされ!」


 男女の別なく、群衆が追いすがるようにして、アメリの身体に襲いかかる。

 パニックになったアメリは、


「いや! 離して!」


 と甲高い声を発して、逃げ惑う。

 国王夫妻や王太子、ライト公爵令息も、これ以上、人目を避けて逃げることは不可能だと悟らざるを得なかった。

 これでは、民衆の刃が王族に対して、直接向けられているも同然だ。

 さすがにオーパス国王は覚悟を決めた。


「もう無理だ。

〈復活した聖女様〉を押し立てて、帝国軍と戦うしかない」


 結局、国王夫妻とヘイト王太子は逃亡を断念し、王宮へと舞い戻る。

 その一方で、当の〈復活した聖女様〉であるアメリ第一王女は、


「ワタシが戦争に出向いたって仕方ないじゃない!

 聖女様が復活したって宣伝するだけで充分でしょ!?」


 と喚き散らして、頑なに戦線に立つのを拒否する。

 そして、婚約者ライトと共に逃避行を断行した。


 結局、聖女不在のまま、「聖女復活」の伝説だけを携えて、国王夫妻と王太子が、難民を従えて大本営に帰還する。

 とはいえ、そうしたところで、戦況にさしたる変化はなかった。


 あっという間に王都北方の城壁が破られ、帝国軍の先鋒が乱入してきた。

 国王夫妻は、群衆と共に王宮の中で孤立する。


 そうした状況を伝令によって漏れ聞いて、ライト公爵令息は、婚約者を急き立てた。


「国王夫妻と王太子殿下が帝国軍に捕えられるのは、時間の問題です。

 これ以上、王都に未練を残しても仕方ありません。

 ひとまず、森の中へ逃げましょう。

 森を抜ければ、海が広がっています」


「だったら、急ぐわよ!」


 聖女アメリは、婚約者に従って走り出す。

 さらに〈復活した聖女様〉を信奉して追随する群衆が、そのあとに続いた。


 ところが、森の中で、新たな生命の危険に晒された。

 帝国軍に追われる前に、猪や狼といった猛獣に、群衆ごと襲われてしまったのだ。

 

 それでも、聖女アメリの悪知恵は健在だった。

 残り少なくなった干し肉などの食材を猛獣に向けて放り投げ、その場所に、


「聖女アメリが命じます。あちらへ向かいなさい!」


 と叫びながら、民衆を誘導する。

〈復活した聖女様〉は、自分を慕う人たちを囮にして、自分だけで逃げようとしたのだ。

 聖女アメリの誘導に従って茂みを越えたら、何匹もの猛獣に囲まれた状態になって、初めて民衆たちは悲鳴をあげた。


「酷い! 我らを生贄に!?」


「聖女様、お救けを!」


 茂みの向こうで泣き叫ぶ声を耳にしながら、〈復活した聖女様〉は怒鳴り返す。


「うるさい!

 おまえらだって、私を生贄にしようとしてたじゃないの。

 お互い様よ!

 聖女様、聖女様って、もうウンザリ!」


 ざまぁと思いながら、アメリは婚約者ライトの背中を追いかける。

 だが、婚約者の歩みが急停止し、その背中にぶつかってしまう。


「どうして、急に止まるのよーーああ!?」


 アメリは自分の口に両手を当てた。

 すぐ先の地面が崖になっていて、これ以上、進めなくなっていたのだ。

 崖の遥か下に、川が流れている。

 小さな川で、いかにも浅そうだ。

 飛び降りたら川底に激突するだけーー。


(来た道を戻るしか……)


 そう思い、アメリが振り向くと、群衆がゆっくりと近づいて来ていた。


(なによ、コイツら。

 猛獣どもの餌になってたんじゃないの!?)


 不審に思って、見渡すと、彼らの背後に猛獣が何匹もいて、実際に牙を剥き出しにして唸り声をあげていた。

 ところが不思議なことに、背中を晒す群衆に向けて、まったく襲いかかる気配がない。


「ど、どういうことよ!?」


 〈復活した聖女様〉は、思わず甲高い声をあげる。

 元来、森に棲息するような野生の猛獣は、人間を捕食する危険な生き物だったはず。


 背後に崖を背負って、身動きできない状態になったまま、聖女アメリは青褪めた。

 真正面から向かい合う格好になった、何十人もの聖女信奉者たちは口々に言い立てる。


「どういうこと?

 ーーそれは、こちらのセリフですよ、聖女様」


「どうして、我らを見捨てたのですか?」


「野獣に喰われるところだったんですよ!」


「お互い様なんですよね?」


 不穏な空気が充満する。

 許婚者ライトは慌てて聖女アメリの傍らから身を離す。

 そして、大声で群衆に呼びかけた。


「き、君たちを見捨てるように言ったのは、こちらの聖女様だ。

 僕じゃない!」


 アメリは顔を真っ赤にして、婚約者を睨みつけた。


「アンタ! それでも婚約者なの!?

 婚約相手ぐらい、守ってみせなさいよ!」


 ライト公爵令息は、地面を蹴り上げて、群衆の方へと駆け寄せながら叫んだ。


「う、うるさい!

 もう、おまえのワガママに付き合うのはウンザリだ!」


 彼はそのまま群衆の陰に隠れるように回り込んで、アメリを指さし、喉を震わせる。


「お、おまえたち、この女、好きにするがいい!

〈復活した聖女様〉だ。モノにするとご利益があるぞ」


 貴公子の声に促されるようにして、聖女アメリに向けて、男どもがジリジリと迫る。


「よ、よせ! 寄るな!

 私は聖女様なのよ!

 アッチへ行け!」


 アメリ第一王女は金切り声をあげる。

 だが、無駄だった。


 うおおおお!


 雄叫びをあげて、男どもが寄ってたかって、女体に向けて襲いかかる。


「いやああああ!」


 衣服が剥ぎ取られる音が響き渡る。


 彼らの喧騒を避けるようにして、婚約者ライト公爵令息は、岩場の陰でうずくまる。


「ぼ、僕は悪くない、悪くない……」


 と、自分に言い聞かせるように、つぶやきながら。



 一方、崖の向こう側にある、森の南方出口では、帝国軍の先行部隊が陣を張っていた。

 近衛騎士団を中心にした軍団で、百騎にも満たない少数精鋭の部隊だ。

 この先行部隊の陣中に、セシリアがいた。

 椅子に腰掛ける彼女の傍らには、白い甲冑をまとった近衛騎士団の面々が立っていた。


「あなたたちを私に付けてくださった、皇帝陛下に感謝いたします」


 と、セシリアが周囲を見回してから頭を下げる。

 すると、彼女のすぐ近くに立つ近衛騎士団長が背筋を伸ばした。


「いえ。皇妃殿下をお守りするのは近衛として当然です。

 むしろ、いかに故郷とはいえ、戦場に皇妃殿下を立たせることの方が驚きです」


 緊張気味に答える騎士団長に、セシリアは笑いかけた。


「私が希望したのですから、驚くには値しません。

 ふふ。それに、私はまだ皇妃ではございませんよ」


「もちろん、承知しております。

 ですが、陛下とずいぶんと仲がおよろしいのは、誰もが知っておりますので。

 あの気難しい陛下が、最近すっかり穏やかになられて、我々近衛も助かっております」


 団長が、あまりに正直な感想を吐露したので、部下の騎士たちも、みなで、「はっははは!」と肩を揺らせた。


 しばらくして、改めて騎士団長がセシリアに問いかける。


「それにしても、これで良かったのですか。

 我らが森へ突撃しなくて」


 セシリアは森の中を見渡しながら、うなずいた。


「ええ。相手は烏合の衆です。

 名誉ある帝国軍が、槍を突き立てるまでもありません」


 セシリアは使者としてオーパスの王宮に出向いた後、すぐさま帝国の近衛騎士団を派遣して、王家の語り部どもを何十人も捕えた。

 そして、世論工作に長けた彼らを使って、聖女の復活伝説を巷で喧伝させたのである。


 その結果、伝説を信じた群衆が、雲霞の如く湧き起こった。

 それを見て、セシリアは、語り部の連中に命じたのである。


「群衆を誘導し、王宮から延びる地下道の南方出口に集めさせるように」と。


 セシリアは地下道がどこまで延びているかを、元婚約者であるライトと一緒に古地図を見たので知っていたのだ。


 そのうえで、地下道出口付近の森林地帯に、猪や狼などの猛獣を何十匹も放った。

〈猛獣使いの杖〉で手懐けた、帝国軍所属の猛獣たちである。

 彼ら猛獣たちには、森の中で、人を見かけたら、吼えかかって脅すように命じた。

 でも、決して喰いついたり、襲いかかったりしないように、念を押す。


 王国民を殺そうとしないセシリアの作戦を知って、近衛騎士団長は顎髭を撫でつけた。


「お優しいですな。

 普通の戦場でしたら、敵兵を噛み砕くよう命じるのですが」


 帝国軍では、戦場に猛獣を何十匹も放つのが常識となっていた。

 が、セシリアはゆっくりと首を横に振った。


「必要ありません。

 どうせあの者どもに民を率いる力など、ありませんから。

 王国の者同士、醜く争わせれば良いんです」


◆5


 一ヶ月後ーー。


 神聖オーパス王国の王都は、完全に陥落した。

 オーパス王国の全土で、ヴァロ帝国軍が席巻する。


 すでにオーパス王国の王宮を占拠した私、セシリアに導かれて、エクス皇帝が乗り込んできた。

 わずか百騎あまりの護衛騎士を従えただけの行軍であった。


「思ったより早かったな」


 兜を脱いで銀色の髪を掻き分けながら、皇帝は玉座にドカリと腰掛ける。


「私が思うよりずっと、王家に信頼がなかったようです」


 私、セシリアはお辞儀をしてから、彼の席の隣にある、かつてのお母様の席に座った。


 私たちの足下には、すでにオーパス王家の面々が引き据えられていた。

 ヴァロ帝国のエクス皇帝が、顎をしゃくり上げた。


「面をあげい。

 言い分があれば聞こう。

 余よりも、余の妃に向かって語る口があれば、の話だがな」


 私にとっては、もっとも弁明を聞きたかったのはアメリお姉様だった。

 ところが、現在の彼女はひれ伏すことも満足にできずに、大股を開いたまま、上の空になっていた。

 目の焦点すら、定まっていない。

 ヘラヘラと笑っている。

 森で発見されたときには裸に剥かれ、大勢の暴徒によって何日にも渡って、心身ともに蹂躙(じゅうりん)された後だったそうだ。

 とうに精神が壊れてしまっていた。


 お父様とお母様は、ひたすら私、娘のセシリアに顔を向けて、口々に言い募る。


「セシリア。わかるだろ? 仕方なかったんだ。

 長女が可哀想だと思うのは、親ならば当然。

 そして、おまえは妹なんだから、姉の面倒を見るのも当然。

 それだけの話だ。

 見ろ、姉のアメリの、変わり果てた姿を。

 可哀想だとは思わないのか。

 みんな帝国の圧迫のせいなのだ。

 おまえは戦争を仕掛ける口実に使われただけなんだよ。

 目を覚ませ。

 おまえも神聖オーパス王国の王女ではないか。

 だったらーー」


 セシリアは、ダン! と拳で肘掛けを叩いた。

 父親による、長い言い訳が、聞くに耐えなかったのだ。


「うるさい! 黙れ!

 姉が可哀想?

 だったら、私はどうなのよ!?

 妹だっていうだけで、我儘な姉に酷い仕打ちをされても、私はどうでもいいってわけ?」


 父親のオーパス王は、初めてセシリアに反抗された気がして、哀しげな目をする。


「済まないと思っていた。

 セシリアも可哀想だとーー」


 私、セシリアは、娘として叫んだ。


「だったら、なんとかしなさいよ!

 それでも父親なの!?

 面倒なことを全部私に押し付けて知らん顔していながら、なに、親ヅラしてんのよ!

 国王だ、妃だ、なんて身分は関係ない。

 親として失格だ!

 私に聖女殺しの濡れ衣を着せて、群衆どもから石を投げつけられてても平然としてーー」


 そこで、母親のサキ王妃が、甲高い声をあげる。


「そんなことないわ!

 お父様も私も、あなたのことを可哀想にと思っていたわ、セシリア!」


 私は床を思い切り踏み鳴らした。


「だったら、なんとかしろって言ってるのよ!

 可哀想に思っていた?

 だったら、私を犠牲にして、自分の保身を図るな!

 嘘をつかないでよ。

 我が身可愛さから、娘を売っただけの親なくせに!」


 私の目に涙があふれる。

 ところが、王妃は娘以上に涙を流して声を張り上げる。

 被害者気取りにおいては、娘以上に年季が入っていた。


「母親に向かって、なんてこと。

 育て方を誤ったわ!」


 いかにも、自分に酔い痴れる母親なら言いそうなセリフだ。

 私はゆっくりと、しかし断固とした口調で言い捨てた。


「ああ、ほんとうに、あなたは育て方を誤った。

 姉のわがままを放置して、妹を虐待して、しかもそれを見て見ぬふりをしてーー母親失格だったのよ。

 これ以上、喋らないで!

 耳が腐る」


 私が喋り終えると、エクス皇帝は近衛騎士団長に向けて顎をしゃくる。

 結果、お父様とお母様ーーオーパス国王夫妻が、近衛騎士団によって拘束され、口に綿を詰められ、口を利けなくされた。

 モゴモゴと口を動かして何かを言おうとしているが、聞き取れない。

 涙ながらに訴えているようだけど、あえて私はソッポを向いて無視した。

 そのまま、両親は謁見の間から引き摺り出される。

 かつては自分が玉座に座って君臨していた場所から、退場させられたのである。


 今度は、弟のヘイト王太子が私に媚びてきた。


「セシリアお姉様。お元気で良かった。私も嬉しいです。

 ところで、言うまでもないことですが、私はいまだ権力を持ったことがありません。

 すべて大人の言い分に従ったまで。

 お父様とお母様から『聖女様がお可哀想だから、何事も一番に扱え』と教わったのです。

 セシリアお姉様のことは、下女と思え、と」


 これに元許婚者であるライト・パークス公爵令息も乗っかった。

 弟ヘイトのすぐ後ろで身を屈めながらも、呆けた状態の姉を指さして、声をあげる。


「そうだ。僕も知らなかったんだ。

 アレを聖女様だと信じていたから。

 君にそこまでーー怨まれるほど、酷い虐待をしていたなんて!」


「はぁ……」


 私は、男ふたりの弁明を耳にして、深い溜息をつく。


「しらじらしい。すべて承知で私へのいじめに加担していたくせに。

 ヘイト。貴方は私の舌が切られて口が利けなくなったのを好都合だと笑っていたわね。

 そしてライト様。あなたは両親の手から逃れてきた私を、匿うと言いながら裏切った。

 おまけに『女は我儘なくらいのほうが可愛い』とおっしゃったの、よく覚えています」


「それは……」


「あのときは……」


 二人して声を詰まらせる。

 私が手で払うような仕草をすると、近衛騎士たちが気を利かせて、ヘイトとライト、そして呆けたままのアメリお姉様を、揃って部屋の外へと、引き摺り出していった。


 エクス皇帝が、隣で私に問いかける。


「どうだ。少しは満足したか?」と。


 私は感慨深げにうなずいた。


「ええ。ありがとうございます、陛下。

 まさか、あの者どもに、こうして仕返しする日が来るとは、思いも寄りませんでしたわ」



 翌日から、さっそく裁判が行われた。

 裁判官の面々が、ヴァロ帝国より、皇帝に随行して、オーパス王国まで来ていたのだ。


 もちろん、精神が壊れたアメリ第一王女は、壇上に立たせたところで無駄なので放置。

 代わりに、オーパス王、サキ王妃、ヘイト王太子、そしてライト公爵令息に対し、裁判長は宣告した。


「事実を証言しなさい。さもなくば死罪ですよ」と。


 すると、彼らは事細かに、喋る、喋る。


 姉のアメリばかりを贔屓して、妹のセシリアを下女扱いにしていたことを。

 そして、セシリアの美談や、美声も、すべて〈救国の聖女様〉である姉アメリのものとして、妹セシリアの悪評をでっち上げて広めていったことも。

 許婚者をセシリアから奪っておいて、アメリ自身は姿をくらませ、セシリアに「聖女殺し」の濡れ衣を着せたうえで、群衆の目に晒して、石打ちを許したことも。

 さらには弁明できないよう、セシリアの舌を切り抜いて、帝国に送りつけたことも。


 その裁判での証言は、詳細に世間に向けて報じられた。

 初めて知った事実に、王国民が衝撃を受けたのは言うまでもない。

 そして、新しくヴァロ帝国の皇妃になるセシリアが、


「自分を石打ちにしたオーパス王国民を、決して許さない」


 と明言していることを知り、戦慄を覚えた。



 半月後、セシリアは、エクス皇帝と正式に結婚し、ヴァロ帝国の皇妃となった。

 これを機に恩赦となることを、国王夫妻も弟も許婚者も、そして王国民も期待した。

 だが、すぐに、セシリア皇妃の怒りはまるで鎮まっていないことが明らかとなった。

 精神が壊れた〈救国の聖女様〉であったアメリの公開処刑が執行されたのだ。


 いまや〈亡国の聖女様〉と揶揄されるようになったアメリ第一王女は、断頭台に引き据えられると、いきなり大声で泣き喚いた。


「私ばっかり、酷い!

 生贄になんか、なりたくない!

 妹はーーセシリアはどこ? アイツを代わりにーー!」


 死に臨んで、急に正気に戻ったかのようだった。

 だが、正気であろうがなかろうが、やったことそのものと、その被害の度合いによって罪を定め、刑罰を下すのが、この世界での常識である。

〈救国の聖女様〉は〈亡国の悪女〉として、処刑が断行された。


 翌日には、オーパス、サキの国王夫妻、ヘイト王太子、そして元許婚者ライト公爵令息も、揃って首を刎ねられた。

 断頭台に臨むと、誰もが喚き散らした。


「騙された! 正直に話したのに、死刑だなんて!」


「親に向かってなんてこと!」


「姉上、お許しを!」


「信じてくれ。僕は知らなかったんだ!」


 それぞれが口々に言い立てたが、粛々と刑が執行された。


 断頭台が据えられた王宮前広場には、何百もの群衆が集まり、王家の面々や公爵令息に対し罵り声を浴びせた。

 怒りをぶつければぶつけるほど、自分たちがこの犯罪者どもに騙された被害者であって、セシリア皇妃様のお味方をしている気分に酔い痴れることができた。


 が、彼らの高揚した気分は、冷や水を浴びせかけられたように、一気に沈んだ。

 翌月初頭、ヴァロ帝国に神聖オーパス王国が併呑されると発表され、それと同時に、旧オーパス王国民は身分の上下なく、一律に奴隷堕ちとなることを宣告されたからである。


 オーパス人の全員が、ヴァロ帝国の個人や施設の所有物とされて、人権を剥奪された。

 加えて、オーパス神聖教を禁教とし、信徒は発見され次第、投獄されることとなった。

 皇妃セシリアの怒りは、まったく鎮まっていなかったのである。


 それでも、旧オーパス王国民の怨みは、セシリアには向かわなかった。

 怒りが収まらないのも納得するしかないほどの酷い仕打ちを、彼女は受けていた。

 そのことは、誰もが認めるところだったからである。

 その結果、旧王国民の怒りの矛先は、自分たちが奴隷堕ちとなった原因をつくった者どもに向けられた。

 アメリ第一王女を〈救国の聖女様〉として過剰に(あが)めていた者や、王都引き回しとなったセシリア第二王女に石をぶつけて(ののし)った連中に、怨みが向けられたのである。

 該当する人物は何百人もいたが、そのほとんどの面が割れていた。

 彼らは、帝国軍が侵攻してくる前までは、酒場や井戸端で「妹王女を懲らしめてやった」などと自慢げに吹聴して回っていたからだ。

 それゆえ、他の旧王国民からすぐに特定され、「我々が奴隷にまで身を落としたのは、おまえのせいだ!」と叫んで、彼らを迫害した。

 殴る蹴るは言うに及ばず、食うものも与えず、会話も交わさず、徹底的に(さげす)んだ。

 もちろん、ほんとうは石をぶつけていなくて、(しいた)げられるセシリアを見物しただけなのに、自分も「懲らしめてやった」と(うそぶ)いただけの者もいた。

 だが、そうしたお調子者も区別なく、同胞から足蹴にされ、己の虚言に高い代償を払うこととなった。


 こうして、旧王国民は、〈皇妃を迫害した罪人の一族〉として、ヴァロ帝国の奴隷として生きていくしかなくなったのである。


 オーパス神聖教の布教及び教会の建設が許され、旧オーパス王国民でも市民権を獲得することができるようになったのは、セシリア皇妃が亡くなった後のことであった。

 およそ七十年後のことである。


 しかし、普段のセシリア皇妃はおっとりとした、穏やかな性格で、幾度もエクス皇帝の治世を助け、ヴァロ帝国に善政を布いた。

 自身の体験から学んで、平民の生活向上、貧窮者の救済、さらには教育機関の設立などに尽力した。

 特に、下男、下女といった下働きを強いられてきた職業人の待遇改善や、数々の画期的な福祉政策ーー老人や障害者といった人々よりも、そういった人々を面倒見る側の、介護や看護などの福祉サポート業に従事する人々に対する手厚い保障や給料の上昇などを手助けした。

 その結果、〈帝国の聖女様〉と称されるようになったという。

 最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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『芸術発表会に選ばれた私、伯爵令嬢パトリシアと、才気溢れる令嬢たちは、王子様の婚約者候補と告げられました。ところが、王妃の弟のクズオヤジの生贄にされただけでした。許せません!企んだ王妃たちに復讐を!』

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『私、ローズは、毒親の実母に虐げられた挙句、借金を背負わされ、奴隷市場で競りにかけられてしまいました!長年仕えてきたのに、あまりに酷い仕打ち。私はどうなってしまうの!?』

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『生まれつき口が利けず、下女にされたお姫様、じつは世界を浄化するために龍神様が遣わしたハープの名手でした!ーーなのに、演奏の成果を妹に横取りされ、実母の女王に指を切断されました。許せない!天罰を!』

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『伯爵令嬢シルビアは、英雄の兄と毒親に復讐します!ーー戦傷者の兄の介護要員とされた私は、若い騎士から求婚されると、家族によって奴隷にまで堕されました! 許せません。名誉も財産もすべて奪ってやる!』

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『公爵令嬢フラワーは弟嫁を許さないーー弟嫁の陰謀によって、私は虐待を受け、濡れ衣を着せられて王子様との結婚を乗っ取られ、ついには弟嫁の実家の養女にまで身分堕ち! 酷すぎます。家族諸共、許せません!』

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『死んだと思った? 残念ですね。私、公爵令嬢ミリアは、婚約者だった王太子と裏切り者の侍女の結婚式に参列いたします。ーー私を馬車から突き落とし、宝石欲しさに指ごと奪い、森に置き去りにした者どもに復讐を!』

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『元伯爵夫人タリアの激烈なる復讐ーー優しい領主様に請われて結婚したのに、義母の陰謀によって暴漢に襲われ、娼館にまで売られてしまうだなんて、あんまりです! お義母様もろとも、伯爵家など滅び去るが良いわ!』

https://ncode.syosetu.com/n6820jo/


『美しい姉妹と〈三つ眼の聖女〉ーー妹に王子を取られ、私は簀巻きにされて穴に捨てられました。いくら、病気になったからって酷くありません? 聖なる力を思い知れ!』

https://ncode.syosetu.com/n2323jn/


『イケメン王子の許嫁(候補)が、ことごとく悪役令嬢と噂されるようになってしまう件』

https://ncode.syosetu.com/n1348ji/


『噂の《勇者を生み出した魔道具店》が潰れそうなんだってよ。そしたら勇者がやって来て……』

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【文芸 コメディー】


『太ったからって、いきなり婚約破棄されるなんて、あんまりです!でも、構いません。だって、パティシエが作るお菓子が美味しすぎるんですもの。こうなったら彼と一緒にお菓子を作って、幸せを掴んでみせます!』

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セシリアが良き皇妃で有れば有るほど奴隷にされた人達の罪の重さが大きくなって奴隷身分から解放されても差別対象になりそう…
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