*39
待ってていいよ、と言ったのについてきてくれる。勉強の続き、してくれてていいのに。
そう思いつつも可愛くて仕方ない。
…………触っていい? とか訊かれても気持ち悪いよな? かと言って、自然な感じで…………って言っても、どうしていいのか分からないし。
海原さんの方からは…………ないよな?
だいたい、この前触ったのも、本当はアウトだと思うのに。勝手にとか、あり得なくないか?
「か、海原さんは…………」
そんな思いを誤魔化すように、何か話しかけようとしてリビングのドアの前で振り向くと、微かに海原さんの手が僕の左手に触れた気がした。
海原さんが思わず、右手を左手で抱くようにして顔をあかくする。
「あ、ご、ごめっ」
「ごめん、僕もいきなり振り向いたりしたから……………」
何やってんだよ? 海原さんのこと驚かせたりして…………………?
今、触ったの手だったんだよな?
そうだよな? 慌てて手を引くような感じだったし………………。
何となく違和感は感じたのに、よく分からなかった。
結局、よく分からないままリビングでコーヒーを淹れる。
共通の話題と言えば学校のことがほとんどで、体育祭の時の話になった。
「ちゃんと手嶋くんと手つないで走ってたよねっ?」
「そうしないと、失格になることもあるらしいよ?」
「そうだったんだ? もしあたしと走ることになってたらどうしてたっ?」
「どうだろう? 注意されたらつないだんじゃない?」
「そうだよねっ? 知らなかったらつながないよねっ? 言われたらつなぐかもだけどねっ」
その後少し俯いて、悲しそうな顔をする。
「繋ぎたかった?」
思わず出てしまった言葉に後悔する。
こんな言い方なくないか⁉︎
「そ、そういうんじゃないけどっ」
海原さんはちょっと顔を上げたけど、また俯いてしまう。
ほら、もうちょっとこう………優しく、繋いでみる? とか、言ってたらもしかしてそういう感じになったかもしれないのに。
「鳥飼くんって手も大きそうだしっ、どんな感じなのかなってっ」
ちらっと、僕を見る。
付き合ってる訳だし、大丈夫だよな…………?
「く、比べて、みる?」
言って、手を出してみる。海原さんが届くだろうところまで。
もし嫌だったら手を出してこないんだろうけど…………。
海原さんは何も言わずに、恐る恐るという感じではあるものの、手を伸ばしてきてくれる。
………………触ってくれるのかな?
でも、嬉しそうって訳じゃないし、僕が手を出したから仕方なく……………?
それなら僕の方から手を引いた方が……………。
そう思うのに、もしかしたらと思って、手を引けなかった。
触れるか触れないかくらいの距離まできて、海原さんが慌てて手を引っ込める。
「なに………………」
どうしたのかと思ったすぐ後に、玄関の開く音がして、騒がしい声がする。
「にーちゃんいんの一一っ⁈ いんならタオル取って一一っ‼︎」
何でこんな時に帰ってきてんだよ?
「ごめん、ちょっと待ってて」
知るかよ⁈ とは思うものの、海原さんの前でそんなところは見せたくなくて、仕方なく堪える。
「うんっ。あ、あたし、ここいてもいいっ?」
心配そうな顔をする。
「いいよ」
玄関に行って、浴室から取って来たタオルを雑に渡す。
「もしかして、咲妃さん来てんの?」
玄関に揃えられた、うちには不釣り合いの小さな靴を見て、訊く。
「それが?」
「いや〜、なんかジャマしたかな一一? とか」
ムカつく。
にやにやしながら持って来たタオルで足を拭く。そして一旦風呂場に行き、濡れた服を脱いですぐに、そのままの格好で脱衣所から出て来た。
慌てて、もう一度脱衣所に押し込む。
「何やってんだよ⁈ 海原さん来てるって言ってんだろ⁈ バカ‼︎」
本当は大きな声で怒鳴りつけてやりたかったけど、海原さんに聴かれたくなくて、声を落とす。
「濡れてんだから仕方ねーじゃん⁉︎ 今リビングいるなら別によくね?」
「お前、そのままリビングとか来ることあるだろ?」
もし万が一にでも出会して、見苦しいもの見せられたら卒倒しちゃうんじゃないか?
「さすがに人来てんのに、行かねーし。そんな言うなら持って来てよ?」
くっそ。ムカつく‼︎
「出てくるなよ!」と念を押して、仕方なく取りに行く。
燕の部屋に行き、間隔の広い飛び石のように点々とした床を辿ってやっとクローゼットの前に到着する。
クローゼットの前は服やら漫画やらが邪魔をしていて、そのまま開けると前にあった物が扉に押されて片側に寄ってしまった。
それに構わず、おそらく服を収納するために使っていると思われる引き出しの中を開けてみると空っぽだった。
何でこれだけモノがあって、中に何もないんだよ⁈ もしかしてベットの上が着用前なのか? それとも床に散乱しているのか⁈
どれが着る前で後なのか判断がつかない。
仕方なく、椅子に引っ掛けてある服でベッドのそばに落ちているパンツを直接手に触れないように包んで持って行くことにした。
脱衣所に入るとシャワーを浴びたばかりの燕が浴室から出てくる。
「いや、これ前に着たヤツだし。ちゃんとクローゼットの前に置いてあったろ?」
ちゃんと⁈
「わかる訳ないだろ? 人に頼むならもっとわかるようにしとけよな?」
「だから、自分で取りに行こうとしてんのににーちゃんが出てくんなって言ってんじゃん? オレのせいじゃなくね?」
「とりあえずそれ着て自分の部屋行けよ!」
「ったく、しゃーねーなー」
ブツブツと文句を言いながら、持って来た服を着はじめる。
何が、しゃーねーなー、だ! 着た後ならすぐに洗濯しとけ!
あんな部屋に友達を呼ぶ神経もわからない。
「大丈夫だった?」
リビングに戻ると、海原さんが心配そうに僕を見る。
「うん」
「そっか。よかったね」
言って、にこっと笑う。
可愛いし、優しいし、天使なんじゃないかと思う。
あんな奴のこと心配しなくていいのに。
さっきまであれだけイライラしていたのに、海原さんの顔を見るとそんな気持ちもどこかへ行ってしまうようだった。
カフェラテの粉を少量の湯で溶かして、氷を入れていると、燕がリビングに入ってくる。
何やってんだよ? 部屋行け、って言ったのに‼︎
「咲妃さん、いらっしゃい」
「あ、お、おじゃましてますっ」
海原さんが、緊張しながら答える。
「勉強してたんすか?」
「うん。でもっ、ちょっと休憩っ」
言って、へへっと笑う。
そんな奴にそんな顔しなくていいのに。
「燕くんは、遊びに行ってたのっ?」
「そうなんすよ。フットサルやってたんすけどね、雨降り出して。けど、最初弱かったんで勝負つくまでって思ってたら、いきなり激しくなってびしょ濡れ」
「雨、激しかったもんねっ?」
燕が冷凍庫からアイスを取り出し、咥える。
こっそりと、でもイラっとしながら注意する。
「それ持って、さっさと部屋行けよな?」
「あー、あと、なんか食いもんねーの? 腹減ったんだけど」
海原さんには聞こえないように、わざわざ小声で言ってるのにでかい声出してんじゃねーよ!
「あ、あたしっ、スコーン持って来たのあるけど、いっしょに食べるっ?」
は?
「いいんすか? 食います食います」
食います食います、じゃねーだろ? 遠慮しろよ! 何言ってんだよ?
「じゃ、こっちで食べる?」
海原さんが僕を見てくる。
…………本当は嫌でたまらないのに、海原さんにそんな顔で言われたら、嫌だって言える訳ないじゃないか。
「いいよ…………」
「じゃ、あたし取ってくるねっ?」
「ありが…………」
「ありがとーございます!」
燕のでかい声に遮られる。
それに対して、海原さんは返事の代わりに、にこっと笑ってリビングを出て行く。
その後、燕に小声で怒鳴ったのは言うまでもない。
*♡*♡*♡*
比べてみる? って……………………やだっ。別にそんなつもりじゃなかったんだってっ。たぶんっ。
だって、燕くん帰って来ないと思うっ、て言ってたし………思うって………………もし燕くん帰ってこなかったら、手くっつけて………そのまま…………だって、さっき、いいふんいきだったよねっ?
リビング入る前も、鳥飼くんの後ろを歩きながら手つないでみてもいいかなっ? て…………できなかったけど。
………素直につなぎたいって言ったら、もっとかんたんにつなげてたかな?
鳥飼くんやさしいからそういうのも付き合ってくれそうだけど……………子どもっぽいとかは思ってるよねっ? そんな感じの言いかただったしっ。
比べてみるのは大丈夫そうだったけど。
……………でも、もう燕くん帰って来ちゃったし、もう少ししたら帰らないと遅くなっちゃうし、また今度かなっ。
スコーンが3つ入った袋をバックから出して、リビングに持って行く。
スコーンを鳥飼くんに渡すと、お皿に入れてくれてテーブルに出してくれる。
「ごめんね。弟の分まで」
「ううん。鳥飼くんなら2個くらい食べてくれるかな? って、思ってた分だし…………このくらいじゃお腹たまんないだろうけど」
燕くんとは2回目だけど、家にまで来るような関係になってるわけだもんね。ちょっとでもよく思われたいし……………………。
今になって、ものすごい不安におそわれる。
やっぱり、最初はお母さんとかお父さんのいるときにくるべきだったっ? 鳥飼くんもお母さんとかお父さんに、言ってないよねっ?
勢いで来ちゃったけど、挨拶もなしに勝手に上がりこんで………って、だめじゃないっ? いくら手みやげ持って来てるとしても………駅前のしかもチェーン店のドーナツとかだし………。やっぱり、ことわるべきだったっ?
家の人いないからいいか、って思ってたけど、よくなかったよねっ?
やましいことしてたわけじゃないけど…………やましいことしてた気になる。
これって、あたしがそういうこと考えちゃってたからだよね。だって、ちょっと期待しちゃってたのは確かだし。さっきのとか……………。そういう気持ちもあったわけだしっ。
でもっ、もうあがりこんじゃってるのはどうにもなんないっ。なるべく早めに帰るっ? おみやげも今度にして…………それで、次はちゃんとおうちの人いるときにあいさつも…………でもでもっ、鳥飼くんはあたしのこと知られたくないかもだよねっ? 呼んでくれるときも誰もいないからって、感じだったし。
どうなんだろっ?
どっちにしても、あんまり遅くまでおじゃまするのはよくないよねっ?
「あ、あたしっ、これ食べたら帰るねっ?」
「え?」
鳥飼くんがちょっと驚いた顔をする。
「どうしたんすか?」
燕くんも不思議そうにあたしの顔を覗き込む。
「あ………えと……やっぱり、おうちの人いないのに、長居するのはよくないかな、って」
もうすでにけっこう長居しちゃってるけどっ。あたしっ、気づくの遅すぎじゃないっ?
こういうところが子どもっぽいって思われるんだ。紅実ちゃんとかだったら、もっとちゃんとしたときにって、ちゃんとしたおみやげとか持ってくるよ。ぜったいっ。
「別にいーんじゃないすか? にーちゃんに彼女できたのとかみんな知ってますし」
「そうなのっ⁈」
鳥飼くんの顔を見ると、申し訳なさそうな顔をする。
「ごめん、勝手に」
「そ、それはっ、いいんだけどっ」
って、ちょっと照れくさいけど、うれしかったりして……………だって、大事にするよ、って、ラインで言われたことあったけど………………。
そして、あたしがお姉ちゃんにしか言ってないの、ちょっと申し訳ない気になる。今日、帰ったら言おうっ。
だって、もしかしたらうちに呼ぶことだってあるかもしれないもんねっ?
「あたしっ、ごあいさつとかしてないしっ……………」
「じゃ、とーちゃん帰ってくるまでいたら?」
「え? でも…………」
「気にしなくていいよ。いつ帰ってくるかわかんないし、いきなりは嫌でしょ?」
「いやとかはないけど……………」
おみやげも買ってはみたものの、間に合わせみたいで、なんか恥ずかしいかもっ……………それに、なんて言う? お付き合いしてます、とかでいいのかなっ?
気にし出したら、気になっちゃうよっ。しかも、お父さんって…………こういう場合、お母さんはいいのっ?
でもでもでもっ、付き合ってるんだもんねっ? ごあいさつくらいできないとだよねっ?
「やっぱり、お父さんだけでもごあいさつ…………」
「また今度でいいよ。今日はいきなりだったし」
鳥飼くんはやさしく言ってくれるけど……………よく考えたらあたしのこと話してくれてたとしても、今日来るっていうのは知らないよねっ?
でも、そのまま帰っちゃうのも勝手だよねっ?
ちゃんとごあいさつしておいたほうがいい気がするけど、お父さんだっていきなりはびっくりするよねっ?
………………でも、これって、逃げてる感じがして、いけない気がする。
「やっぱり、ごあいさつさせてほしいっ」
「いいの?」
「うん」
そのあと、しばらく勉強しながら待ってたけど、鳥飼くんのお父さんは帰って来なくて、そのまま帰ることになった。
帰るときに、ドーナツをおうちの人に渡してくれるように頼んだけど、あわてて買ったのばればれだし、気が利かない子だな、て思われないっ?
あたし、また鳥飼くんのうちとか行っていいのかな?
昔、付き合い始めたことをすぐには言わない、と言う人がいました。どうやら、最初はすぐに別れるかもしれないから、ということらしいのです。
付き合い始めたことを言ったのなら、別れたことも言うべき。辛い別れになるかもしれないのに、それをまたみんなに報告というのが嫌、ということらしかったです。確かにそうだなー、とは思いましたが、付き合い始めたウキウキのときに、そこまで考えているのがすごいなーと思った記憶があります。




