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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

やさぐれ勇者、拾いました

作者: 睦月マメ子

 





 大昔に封印された魔王が、数年後に復活する。


 これから国王へ下される神託により勇者が選ばれ、魔術師や討伐隊と共に魔王討伐に備えるのだ。

 城の大広間に国中の貴族や騎士たちが集められ、国王からの発表を静かに待っている。



「神に選ばれし勇気ある者は、顔にアザを持つ男子である!」



 国王が宣誓すると、会場の視線は一斉に一人の少年へと集まった。

 突然注目され、強張った少年の顔には、赤黒いアザが散っている。

 ざわざわと騒がしい会場のあちこちから少年を揶揄する人々の声が聞こえてきた。



「あぁ、ラスト公爵家の、呪いのアザ持ちか」


「やはりあれは呪いだ。ちょうどよい、アレがいなくなったところで困るものもいない」


「公爵殿も良い処分先が出来てご満悦だろう」


「こらこら、そんな言い方では死地へ赴く勇者様がうかばれないではないか……くっくっく」



 勇者とは名ばかりで、その実情は生贄だ。

 魔王を打ち倒す事ができなければ、魔術師によって魔王もろとも封印される人柱の使命を背負っている。

 歴代の勇者達は、誰一人として魔王を倒すことなく、皆、同じ運命を辿っていた。



「恥晒しのお前が勇者とは……。兄上が亡くなりお前を引き取ってから数年、ずいぶんと栄誉な話が舞い込んできたものだ」



 ざわめく群衆のなかから、恰幅の良い男性が進み出る。



「……叔父上」


「邪魔なお前を労せずに追い出せるとは、私は運がいい」



 男性は剣呑な視線を寄越す少年に歩み寄り、ゼンマイのようにくるりと丸まった髭を撫でると、ニヤついた笑顔で彼を見下ろした。



「勇者となれば家名も必要ない、ラストの家から除籍してやる。そうすれば葬式を出す義理もないのでな、死ぬ時はただの平民として死ね」



 深緑の目を見開いて、がく然としている少年を一瞥すると、男性が去っていく。すると今度は壇上から、豪奢に着飾った少女が口を開いた。



「なら、私との婚約もなしになるのね!」 


「その通りだ。死に行く者と婚約していても仕方がないからな」


「嬉しい! あのアザが汚らわしくて、早く目の前から消えて欲しかったの。やっとすっきりするわ! ありがとうお父様!」


「あぁ、これまで嫌な思いをさせて済まなかった」


「もう欠陥品はやめてね、お父様ぁ」



 舌足らずの甘えた声で国王に抱きついているのは、少年の婚約者とされていた少女だ。

 蔑むような目をチラリと向けたあとは、少年をいないもののように扱っている。



(…………すべて、滅んでしまえばいい)



 周りは自分を貶める声ばかり。

 神ですら自分を厄介払いしようとするならば、そんな世界はなくていい。


 それから数年後、絶望と強い憎しみに囚われ続けた少年――――勇者は、魔王討伐を目前に突然姿を消してしまった。





 ◇





 数百年前に封印された魔王が復活する、らしい。


 当代の国王への神託により選ばれし勇者が、補助役の魔術師や討伐隊を従えて、魔王を討伐するべく準備している、らしい。


 貧民街の教会でシスターとして働くロゼが、そんな話を聞いたのは数年前のこと。

 とっくに王都は滅ぼされてるとか、勇者が逃げ出したとか、この辺りにはそんな与太話しか流れて来ないので、本当に魔王が復活したのかどうかもわからない。


 何にせよ、そんな話は自分とは全く関係のないところで始まって、知らないうちに勝手に終わるものなのだと、まるで他人事のようだった。



「あぁ、今日もお日さまがまぶしい」



 ロゼがシスターとなって早十数年。

 教会に隣接する孤児院で神父夫妻に育てられた恩を返すべく、幼い頃からコツコツ地道に働いてきた。

 教会の業務はもちろん、孤児達のお世話をしたり、街の人々の手伝いをしたりと忙しい日々だが、元々世話好きなロゼにとっては天職だったようで、毎日をイキイキと過ごしている。


 そんな、カラリとしたいい天気の日。

 日課である朝の掃除を始めようと門の前に出たロゼは、ぐったりと項垂れた男性が座り込んでいる事に気がついた。ボロボロの旅装束を纏った男は、教会の塀にもたれ掛かりピクリとも動かない。



「あの……どうかしましたか?」


「…………」


「……大丈夫ですか? 怪我とかしてないですか……」


「…………」



 この街では行き倒れは珍しいことではないが、おせっかいロゼが放って置くわけがない。ロゼは腰を落としておそるおそる声を掛けるが、男はフードを目深に被って俯いたまま、返事をしない。



「えっと、お腹……空いてません?」


「…………」


「あの…………」



 ロゼが次の句を継ごうとしたところで、男が気だるそうに、のそのそとフードを捲った。

 鬱蒼とした黒髪の隙間から覗いたのは、光の届かない森のような深緑の双眸と、その周りに火花のように散らされた赤い色。



(きれいな緑と……、傷…………じゃない、火傷?)



 彼の額から右の頬に掛けて、赤い発疹のようなものが広がっている。ところどころ隆起しているそれは、一見火傷の痕のようにも見える。

 ぽかんと眺めているロゼを、もういいだろう、と言わんばかりに男が睨みつけてきた。



「これでわかっただろ…………放っておいてくれ」


「え……」



 ノロノロとフードを被り直してそっぽを向く男に、ロゼは戸惑いの声を上げた。



「ごめんなさい、何がなんだかわからないんですけど……」


「なに?」



 彼がフードを取ってわかった事は、彼の落ち着いた緑の瞳が美しいことと、文様のような赤いものがそこにあるということ。あと彼が意外と若いということくらいだ。

 彼が不機嫌にロゼを遠ざけようとする理由も、見せつけるように顔をあらわにした理由も、いまいちピンと来てない。


 すいません察しが悪くて……とヘラヘラと言葉を続けるロゼに、男の眉間のシワがぐっと深まる。ちょうど赤いものが広がる辺りを指差して、唸るように言葉を絞り出した。



「…………これを見ても、なんとも思わないのか?」


「赤いものが……お怪我ですか? 火傷ですかね?」


「アザだ。……気味が悪いだろ?」


「いやぁ……気味悪いとかはないですけど、火傷の痕っぽくも見えますね。いやそれよりも、すごくきれいな緑の瞳をしているから見惚れちゃって」


「見惚れ……? ……なんの冗談だ。もう俺に構わないでくれ」



 ふいっと顔を背けた途端、くるるぅ、と彼の風貌に似合わない可愛らしい腹の虫の音がなる。不機嫌を隠そうとせずに顔をしかめているが、耳が真っ赤だ。

 その様子がなんだか可愛らしくて、ロゼはしたり顔で彼の顔を覗き込んだ。



「ほら、やっぱりお腹空いてますよね。たいした物はないんですけど、これから朝ごはんなんで、一緒にどうですか?」


「ぐ…………」


「あら、お嫌ですか? 見たところ怪我もなさそうだけど、ここにいると私みたいなおせっかいが湧いて出ますよ? さ、どうします?」



 立ち上がったロゼが差し出した右手をジッと睨みつけると、男はその手を取ることなく立ち上がる。



「……自分で立てる」


「あらまぁ」



 彼は思いのほか背が高く、よく見たら腰に剣を携えているので、おそらく冒険者なのだろう。

 鍛え上げられたしなやかな体つきとツンツンとした態度が、懐かない野良猫のようでなんだか微笑ましい。



(猫みたいなんて言ったら、絶対怒られそう)



 笑った顔を見られないように、ロゼは先導して歩き始めた。





 ◇






「まぁ、ロゼ、そちらの方は?」



 教会の食堂で朝食の準備をしていたシスターマーガレットは、ロゼと共に入ってきた見知らぬ男性を見て目を丸くした。


 その様子を見た男は、フードの下で鼻白んでいた。

 薄汚れたフードを被った怪しげな人物がいきなり現れて朝食を共にするなんて、受け入れられるはずがない。

 男が後退りでそっと消えようとしたとき、ロゼのあっけらかんとした声が届く。



「塀のところにうずくまっていたの。お腹が空いてるみたいだから、連れてきちゃった」 


「あらまぁ、じゃあ、パンをもう少し焼きましょうね」



 マーガレットが楽しげに天板にパンを追加し始めた。

 まるで犬猫を連れて帰ったようなやりとりの結果、男は朝食に迎えられるらしい。

 立ち去るつもりでいた男は舌打ちをすると、頭のフードを勢いよく剥ぎ取った。彼の突然の行為をぽかんと口を開けて見上げる二人に、仰々しく挨拶をする。



「ギル、と申します。そちらのお嬢さんにお招きいただきました」



 ギルは優雅に頭を垂れながら、我ながらそのバカバカしい茶番に失笑が出る。

 こうしてアザを晒せばめでたく追い出されるだろう。もういい加減一人になりたい。



「まぁっ! なんてこと…………!」



 嘘の塊のような微笑みのギルへ向かって、マーガレットが興奮した様子で近づいてきた。

 それでいい。罵って、二度と来るなと蹴り出したらいい。

 ギルが内心でほくそ笑んでいると、マーガレットがまじまじと彼の顔を覗きこんできた。



「あなた、とってもキレイな目の色ねぇ……」


「は?」


「ね!? 私もそう思った!」



 きゃいきゃいとはしゃぐシスター達にギルがあっけに取られていると、奥の部屋から白髪のひげをたくわえた威厳のある男性が現れた。



「おはよう。朝からずいぶん賑やかだな」


「院長おはようございます! 彼はギルさんです……って、院長?」



 孤児院の院長、そして教会の神父を兼任するアンドリューは、ギルを見て驚愕した様子で目を見開いた。そのうちに眉は顰められ、嫌悪感をあらわにした表情へ変わっていく。


 ようやく話の解るやつが来た、とギルはどこか安堵していた。

 今ならどんな罵詈雑言もにこやかに受け入れる。言いたいだけ言っていいから、速やかに追い出してくれ。

 自嘲してせせら笑うギルの耳に、地鳴りのような低音が響く。



「…………やらんぞ」


「は?」


「……………………ロゼはまだ、嫁にやらんぞぉっっ!」


「……院長!」「あなた……!」



 ぶわわ、と感涙に咽ぶ二人のシスターと、血気盛んに見当違いの怒りをぶつけてくる神父になす術などなく、ギルは膝から崩れ落ちた。





 ◇





「お財布も食料も持たずにお一人で旅していたんですか!?」


「…………」



 呆然としているギルをしれっと朝食のテーブルに着かせて聞き出したところによると、彼は旅の途中で一文無しの状態で行き倒れていたようだ。

 ふてぶてしい態度で口を噤んでいるギルの顔を、ロゼが気遣わしげに覗き込む。



「……あぁ、野盗とかに盗られちゃったんですね……」


「ち、違う! 俺が持っていないだけで」


「別の方が持っている。なるほど、つまりお仲間がいらっしゃるということですね!」


「くっ…………なんでスムーズに話が進むんだっ……!」



 不機嫌そうに眉を顰めるギルに、ロゼは内心でニヤニヤが止まらない。

 この辺りの若い男性は、都市に出稼ぎに出るため、数が少ない。人材が不足しているのだ。

 もし彼が少しの間でも手伝ってくれるなら、出来る仕事はたくさんある。ロゼは頭の中で皮算用を始めた。


 どんなに仏頂面をしていても、軽い誘導で話すつもりのないことまでスルスルと引き出されてしまう純粋さ、答える義務はないのに質問にしぶしぶ答えてくれる人の良さは滲み出てしまっている。

 堅物そうな言動も、真面目と考えていいだろう。きっと良い働き手になってくれるはずだ。

 出来ることなら承諾してほしいけれど、頑なすぎて一筋縄では行かなそうだ。


 長身で引き締まった肉体を持ち、汚れたフードの下には神秘的な緑色の瞳と赤いアザを隠して、刺々しい態度で近寄る人間を威嚇する。

 ギルはこんなにも必死に人を拒絶しているのに、どこか非情になり切れていない。



 (そういう振る舞いには、それなりの理由があるのだろうな)



 なんだか放っておけない気持ちになったロゼは、ギルの真っ赤な耳を見つめつつ口を開いた。



「では、お仲間を探さなければいけませんね」


「……その必要はない」


「えっ! まさか、…………旅を辞めてここで働いてくださると?」


「そんな事は言ってないだろう! ……探索魔法で、ひと月もあれば居場所がわかるようになっている」


「なるほど。それまではどうするおつもりですか?」


「…………」


「……本当にここで働きません? マーガレットのご飯は美味しいし、ふっかふかのベッドで寝られますよ」


「…………は?」


「もちろんお仲間と合流するまでの間で構いませんし、お仕事も難しい事はないですよ。簡単なお仕事です」



 この時の彼の顔が「ハトが豆鉄砲を喰らう」というヤツだろう。

 言葉巧みなロゼに翻弄されっぱなしのギルは、あれよあれよと言う間に教会での労働生活を約束されてしまった。





 ◇





 翌朝からロゼは、ギルを叩き起こし、朝食もそこそこに早速仕事の斡旋を始める。

 毎日のように仕事を振ってくるロゼに対して、ギルも負けじと毎日のように拒絶するが、なんだかんだと理由をつけられて、無理やり連れ回されることになる。



「…………無理だ!」


「まあまあ、一宿一飯の恩を返すと思ってください。借りは作りたくないですよね?」


「ぐっ…………」


「働かざる者食うべからず、です! じゃあお願いしますね!」


「くそ…………」



 仕事内容は様々だが、畑仕事に大工の手伝い、荷運びなどの力仕事が中心だった。

 愛想はないが仕事はきっちりこなす真面目なギルの仕事ぶりは、行く先々で次第に歓迎されるようになり、ぜひまた手伝って欲しいと願われる。ロゼの目論見は大当たりした。



「若い男の人はこの辺だと貴重なんです。ただいるだけでも喜ばれますから」


「…………そんなわけないだろう。もう行かないからな」


「ええ~っ! 今日行く畑のおばあちゃん、手伝いが来てくれるってとっても喜んでたのに」


「…………、今日だけだぞ」



 今日だけ、来週だけ、もう一回だけ。

 そんな口約束を幾度となく繰り返していくうちに、突っぱねるだけ無駄だと悟ったのか、ギルは反抗せずに仕事を受け入れるようになっていった…………ひとつの仕事を除いて。



「今日の仕事は?」


「今日は食料品店のおじさんの荷物出しと、草むしりです。あと…………孤児院で子供達の遊び相手になって欲しいな、なんて」



 孤児院、という単語を聞いた途端、元々不機嫌そうなギルの表情が一層曇る。心底呆れ果てたといった表情で、長いため息をついた。



「……君は本当に人の話を聞かないな。それとも忘れっぽいのか?」


「まぁ失礼な」



 わざとらしく怒ったように頬を膨らますロゼの顔を見て、ギルは更に深いため息をつく。そしてフードを取ると、例のアザを指で示した。



「何度も言っているが、彼らにコレを見せるわけにはいかないだろう。子供達を…………怯えさせては可哀想だ」


「あら、お優しい。私達にはグイグイ見せつけて来たのに」


「あ、あれは、君が……いや、いい。どうせ子供は嫌がって寄ってこないだろう……遊び相手など出来る訳が」


「嫌かどうかは本人達に聞いてみたらどうです?」



 ギルがロゼの視線を追うと、教会の入口の扉に鈴なりになっている子どもたちの姿が見えた。

 戸口に掛けられた小さな手と真ん丸の澄んだ瞳が視界に入り、ギルはたまらずにぐるりと背を向ける。その場から離れようと反射的に駆け出すが、いつの間にかしっかりとロゼに腕を捕られている。



「は~な~せ〜! 子供達が来るだろう!」


「みんな〜いらっしゃ〜い、今日から遊んでくれるお兄さんを紹介するわ〜」


「……どうなっても知らないからな!」



 ロゼの声に従い、わらわらと子供達が集まって来た。

 ギルはなるべく子供達の視界に入らないように、その大きな体をロゼの背後に隠そうとする。



「わ…………マジかよ……」



 子供達の中で一番背の高い男の子の呟きが耳に入り、ギルはそれ見たことかと内心でロゼに悪態をついた。

 チラリと覗くと、四人の子供達はみな一様に呆けたような顔でギルをジッと見上げている。

 これ以上こんなもの、見せてはいけない。

 ギルがゆっくりとフードに手を伸ばしたとき、また呟きが聞こえてくる。



「背ぇ、たっけぇ……」


「……足もはやそう」


「ステキ、おうじしゃまみたい……」


「おじ! おーじ!」



 次々と予想外の言葉が向けられ、ギルは思わず振り返り目を見開いた。

 興奮してほっぺたを赤く染めた子供達が、輝きを帯びた眼差しでしっかりと自分を見つめている。その眼は期待と喜びで満ちていて、ギルが心配していた反応とは真逆のものだった。



「みんな〜、ギルさんよ。仲良くしてね〜」


「よっしゃ! よろしくなギルさん! 向こうで早速遊ぼうぜ!」


「は……? いや、ちょ……」



 警戒心など微塵もなく近寄って来た子供達にあっという間に腕を取られたと思ったら、ぐいぐいと広場の方に連れて行かれる。

 子供相手に本気で抵抗することも出来ずに、彼らにされるがまま、ギルはかくれんぼの鬼を延々と勤めることになった。


 尚、食料品店の荷出しと草むしりは、この後で孤児院の子供達も総出で取り掛かることとなったため、あっという間に終わってしまった。




 ◇




「……どうして、みんな嫌がらないんだ……?」



 子供達とまた遊ぶ約束をさせられた帰り道、思わず、といった様子でギルが呟いた。


 この数日、ギルは自分に対してこれまでと真逆の反応を返され、大いに混乱している。

 嘲笑と罵りが当たり前だった日々が、この街に来てから一変した。

 これまで自分を駆り立ててきた根幹を揺らがせるような感覚は、ギルを理不尽に苛立たせていた。



「おかしいだろう? こんなアザ……なぜ誰も嫌がらない!?」


「そうですかねぇ…………みんな、あんまり気にしないんじゃないですかね、いろんな人がいますから」



 ギルの言葉を黙って聞いていたロゼが、前を向いたまま答える。



「だとしても、だ。…………俺が何者か探ることも、疑うこともしない。行き倒れの薄汚れた男など、どうしてすんなり受け入れる?」


「ギルさんがいい人だからですかねぇ」


「いい人だと?」


「あら本当ですよ。いい人かどうかって、目を見れば結構わかるもんですから」



 ギルは思わず鋭い眼差しでロゼを睨みつけるが、ロゼののんきな表情に毒気を抜かれ、目線を逸らす。



「…………俺は、いい人間なんかじゃない」



 世界の破滅を願う人物がいい人の訳がない。

 なぜかロゼの顔を見るとこが出来なくて、バツが悪そうに項垂れたギルに、あっけらかんとした声が届く。



「本当に悪い人は、そんな風に言わないもんです」


「…………」


「アザがあろうがなんだろうが、ギルさんはたくさん仕事を頑張ってくれるじゃないですか。本当に助かってるんですから、明日も頼みますよ!」


「…………」


「『無表情のオニ怖え〜』って、子供達大ウケでしたもんね」



 ロゼの言葉は問いへの的確な答えではないけれど、ギルの胸に小さく火を灯した。

 花が咲くような笑顔で、期待と信頼を寄せてくる人物など、これまでギルの周りにいなかった。その表情はとても温かく、凝り固まった心が少しずつ解れていくようだ。


 ギルは初めての感覚に戸惑いながらも、もっとその顔を見てみたいと思った。





 ◇





「今日は荷下ろしの手伝い。その後で、芋の収穫を頼まれた」


「すっかり人気者になっちゃって」


「モテモテのシスターから教えを受けたからだろうな。心配せずとも君のほうが人気者だ」


「猫は撫でさせてくれると人気出ますからね」


「…………? お、おぉ………」



 来るはずだった迎えは、ひと月経ってもふた月経っても、一向に姿を見せない。

 そうして半年も経てば、ロゼの軽口にさらりと返すなど、ギルの態度も気安いものに変化していた。


 ギルは仕事を通して、人から喜ばれる事を嬉しく感じるようになったらしい。

 これまでロゼを介して請け負ってきた仕事も、自分で直接やり取りするなど、周りの人々との交流にも意欲的になった。

 あのフードもいつの間にかお役御免となり、僅かばかりだがぎこちない笑顔も見せるようになっていた。

 ロゼはその変化が嬉しくて、思わず笑みが漏れる。



「荷下ろしの後は子供達と約束してませんでしたっけ?」


「あぁ、せっかくだから子供達にも収穫を手伝ってもらおうと思って」


「へへへ」


「…………? なぜ笑う?」



 ロゼは今日も楽しそうに笑う。

 気づけばギルは、その笑顔を見るのがとても楽しみになっていた。

 ロゼが笑うと、他の人とは少し違った嬉しさがこみ上げてくる。

 ギルにはこれが何なのかわからないけれど、それがとても心地よくて、つられてニコリと微笑んでしまう。



「今日も忙しくなりそうですね!」


「…………今日も、君が楽しそうでなによりだよ」



 今日もまた、穏やかな1日が始まる…………はずだった。

 仕事に出かけようと準備をしていたギルとロゼの元に、その来客は突然やってきた。



「お迎えに上がりました、勇者ギルバート。いよいよ魔王が復活しました」





 ◇





 教会の庭のベンチに一人、ロゼは夜空を見上げている。


 ギルを勇者と呼ぶ銀髪のローブ姿の男は、はるばる王都から来たのだという。ヒューと名乗った彼はとても礼儀正しく、何も知らないロゼ達に丁寧に事情を説明してくれた。



 自分が魔王討伐に関わる魔術師だということ。

 封印されていた魔王が遂に復活を遂げたこと。

 数年前に神託により勇者が選ばれ、来る時に備えて準備を重ねていたが、数ヶ月前に勇者がいなくなったこと。

 そして勇者は、魔王を倒すことが出来なければ――――



 ふと、人の気配に気付いて目を向けると、先程勇者と呼ばれていたギルが、悟ったような表情で立っている。



「起きていたのか」


「ギルさん……」


「…………座っても?」


「…………はい」



 腰を浮かせて座り直したロゼの隣に、ゆっくりと腰を下ろしたギルは、こっそりと彼女の様子を窺った。

 いつものゆるゆるの顔ではなく、何か思い詰めたような面持ち。彼女のこんな顔は初めてで、ギルの胸の奥がギシリと軋む。



(彼女の目に俺は、どう映るのだろう)



 勇者に選ばれてから、いやその前からずっと、滅べばいいと思ってきた世界。



『呪いのアザだ』『穢らわしい』『気味が悪い』



 アザが浮き出た自分を蔑む人々のために、命を捧げるのがどうしても納得できなかった。そんな世界などどうにでもなれと思ったら、いつの間にか一人で駆け出していた。

 虚しくて虚しくて、消えてしまいたいと思っていたところに、強引でおせっかいな、とっても優しい子に声を掛けられ、掬われたのだ。


 すべて明らかになった今、ギルはロゼの反応が怖い。

 以前はそれを望んでいたはずなのに、彼女に拒絶されるのが何より怖くなってしまった。


 ギルの不気味な運命を、気味が悪いと遠巻きにするだろうか?

 それとも、早く魔王を倒しに行けと罵倒するだろうか?

 いや、彼女はそんなことはしない。わかっている。

 だが与えられた使命を放って逃げたのだ。これまでのような気安く言い合う関係がなくなっても仕方ない。


 あぁ、あの笑顔が見られなくなるのは、嫌だな――――



「ギルさん」


「…………ん」



 ギルの思考を遮る固い声に、思わず背筋が伸びる。



「…………逃げましょう」


「……そうだな、逃げ…………、は? 逃げる?」


「逃げましょう、一緒に」



 ハッとして隣を見ると、固い決意を浮かべた眼差しと目があった。

 ロゼは震える両手を握りしめて、未だ思考が追いつかないギルをまっすぐ見つめ、話し始めた。



「ギルさんだけが犠牲になるなんて、魔王がいなくなっても私は嫌です。不本意でしょうけど、私と夫婦と言う事であちこち転々としていれば、なんとか逃げ切れるかなって」


「…………」


「魔王のことはどうにか、ギルさんが生き残れる方法を探しましょう! 院長とマーガレットは賛成してくれると思うし、ヒューさんがそういう研究もしているそうですから、協力をお願いしてみるのはどうです………、? ギルさん?」


「…………ふ、ふふ」



 ずっと考えていた逃亡プランを熱弁するロゼは、隣のギルが肩を揺らしている事にようやく気が付いた。

 右手で顔を覆っているため表情は見えないけれど、ぷるぷる震えているのは笑いを堪えているように見える。



「ふふっ、君はホントに……ふふふっ」


「もう! 笑わないでください! 真剣に考えたんですから!」


「いや、悪かった。……まったく君は、何回人を救う気なんだ」


「……ギルさん?」



 目尻を指で拭いながらこちらを向いたギルが、見知らぬ人のように見えてロゼは思わず目を瞠る。

 慈しむような眼差しをまっすぐに向けられ、気恥ずかしくてそれを直視できない。平静を装いつつも口調が早まってしまう。



「そ、それじゃあ計画通りにやりましょうか、妻役が私じゃご不満でしょうが」


「いいや、最高に魅力的な提案だが、その必要はない」


「え?」



 この事態にそぐわない明るい声に、ロゼは首を傾げた。

 ギルは吹っ切れたような顔で微笑んだ。



「明日、討伐隊に戻る」


「だ! ダメです! 嫌です!」


「…………大丈夫だから」


「だって……、だってギルさんが」



 言いかけて、ロゼは口をギュッと引き結ぶ。

 不吉な言葉を口にしたくない。言ってしまえば、それが現実になってしまう気がして、そこから言葉が出て来ない。

 そんな雰囲気をかき消すように、ギルが珍しくおどけた口調でニヤリと笑う。



「なんだ、そんなに俺と夫婦をやりたかったのか?」


「……だって」


「それならなおさら、安心して暮らせるようにしなければ、な」



 ギルは立ち上がり、うつむきかけたロゼの前にひざまずくと、とても穏やかな顔でロゼに告げる。



「何としても魔王を倒して、帰ってこなきゃならない理由ができたから、大丈夫だ」


「…………理由?」


「あぁ。だからロゼは安心して、ここで待っていてくれ」



 そう言って微笑むギルの目には、これまでにない自信と覚悟が浮かんでいて、ロゼはコクリと頷くことしか出来なかった。



 翌朝、教会に多くの人が集まった。

 マーガレットはこのために焼き締めたパンと干し肉を山ほどギルに持たせた。アンドリューは夜通し火を焚いて、不眠不休で彼の無事を神に祈った。

 子供達や街の人々も、もちろん見送りに訪れた。心配そうだった彼らも、ちょっと隣町まで買い物に出かけていくような気軽さのギルにつられて、明るい笑い声に満ちた旅立ちとなった。


 ロゼも、そんなギルの気遣いを無駄にしないよう、泣いて引き止めたいのを必死にこらえて、笑顔で彼らを見送った。





 ◇




 それからひと月と3日、ロゼの街がにわかに騒がしくなった。

 神託の勇者として旅立ったギルバート・ラスト公爵令息が、王弟殿下率いる討伐隊と共に魔王を倒したという報せが舞い込んだのだ。

 封印ではなく討ち倒したため、これからは魔王復活の脅威に怯えることもないのだという。


 ロゼ達だけではない。歴史的な快挙に、国中が歓喜の声に湧いた。

 勇者を救世主と熱狂的に崇め、あちこちで祭のような大騒ぎとなった。

 神託により、婚約を泣く泣く解消したというマグダレナ王女殿下とも、再び婚約を結ぶ運びとなるらしい。その慶事の報せも、お祭り騒ぎを盛り上げる一因となった。


 貧民街の顔なじみも『あのギルがやってくれた』と大いに喜び、彼のために大宴会の準備に取り掛かった。

 ギルが貧民街に戻ることはないとわかっていながら、それでも人々は、あの愛想のない働き者の青年の無事を祝いたかったのだ。





 ◇





 討伐の報せが届いてから一週間後の今、ロゼはなぜか王城にいた。


『至急やることが出来たのでこちらに寄れないが、すぐに会って話したいことがある』というギルからの伝言と共に、ヒューがロゼを訪ねて来たのは、快挙の一報の三日後。


 ヒューの言う事を信頼しなかった訳では無いが、その内容と急ぐ理由がわからない。説明を求めるロゼに、とにかく「彼の望みなんです」としか言わないヒュー。

 その笑顔の圧に根負けしたロゼは、一張羅の修道服に身を包み、城へとやって来た。


 勝手知ったる顔で城の中を歩くヒューの後ろを、コソコソと着いて行き、通されたのは広めのゲストルーム。

 主張強めの美術品でいっぱいの室内、壁にはゴテゴテとした金の装飾が張り巡らされ、見上げても尚高い天井にはバカでかいシャンデリアが威圧たっぷりに鎮座する。

 豪華絢爛といえば聞こえがいいが、成金趣味というか、やり過ぎ感が否めない。王家の好みに対してそれを正直に顔に出したら不敬にあたるだろうか? などと辟易しているロゼに、向かいに座ったヒューが頭を下げた。



「いやぁ、こんな趣味の悪い部屋で申し訳ない。品がないというか、厭らしいというか」


「そ、そんなことは……」



 遠慮なく部屋をこき下ろすヒューは、優男のような風貌をしていながら、ずけずけとものを言う人物だったようだ。

 周りに控えるメイドや騎士たちは気にしてなさそうだが、どこで誰が聞いているかわからない。ロゼが気まずそうに辺りをチラチラしていると、ニコリとしたヒューが言葉を続ける。



「ここも、もうじき変わりますから」


「はぁ……改装ですか?」


「ええ、まぁ、そんなところです。ここも、というか大部分が変わるもので」



 良い笑顔で答えたヒューを横目に、ロゼは興味なさげに部屋を見渡す。

 自分には関係のない事だとばかりに頭を振ると、ロゼは気を取り直して切り出した。



「あの、そろそろ私がここにいる理由、教えていただけないでしょうか?」


「…………そういう話は、ご当人同士でお話していただいたほうがいいんてすよ」



 街を出てからずっとこの調子で、ロゼが核心に触れようとするとはぐらかされる。

 人の良さそうな笑顔を崩すことなく、さらりと問いに答えるヒューに、何も教えてもらえないロゼは小さくため息をつく。


 ロゼは、ギルと会って話をするのがどうにも気が進まない。

 まさか彼が公爵令息だったなんて、そして、婚約者がいるだなんて思いも寄らなかった。

 顔を合わせて、世話になったと礼の一つでも言われたら最後、もう会うことはない。

 彼の立場を思えば当たり前の話なのはわかっているけれど、ギルと別れるのが辛くて、今すぐこの場から逃げ出したい。



「そうだなぁ、じゃあ暇つぶしにちょっとだけ、お教えしましょうか」



 考えるほど深みにハマり、ずっと浮かない顔でいるロゼに向けて、ヒューが楽しげな口調で話し始めた。



「魔王は数百年に一度封印が解ける。復活は避けては通れない出来事でした。その度に時の王は、神託を受けて勇者を送り出すのです………表向きには」


「表向き?」


「王達は狡猾でね。自分にとって邪魔な人物、疎ましい人物に白羽の矢を立てる。もちろん討伐隊や魔術師も、そういった人物から選出されました」


「ひぇ……、それって……」


「神託は偽りだった、なんて、どうでしょう?」



 政敵や反対勢力の人物に、神託と称して勇者の称号を与え、討伐の旅へと送り出す。歴代の王達は、自分の都合の良いようにこの手段を悪用して、厄介払いをしてきたのだという。


 妙に真実味のある話に身を固くしていると、ヒューが人好きのする笑顔をずいと寄せてきた。



「神を騙り、罪無き国民を貶める。そんな悪どいやり方を受け継いで来たなんて、魔王よりたちが悪いですよね。まぁ、元々魔王顔負けの悪事を繰り返してる人達ですけど」


「えぁ? あはははは…………」


「そうと知っていても、これまでは行動に移すことが出来ませんでした。しかし今は違う。そういう腐りきったのは根っこから断ち切って、新たな道を踏み出す方がいいと思うんですが、どうです?」


「は、はは、……ねぇ?」



 笑うしかない。ロゼは力なく笑う。

 貧民街に住む身としては、王家に思うところはたくさんあるけれど、彼のようにその喉元に噛み付こうなどと考えたこともない。

 非常にコメントしづらいヒューの話を愛想笑いでなんとかいなしていると、部屋にノックの音が響いた。



「………おっと、君の待ち人が来たようですね」



 部屋の扉が勢いよく開いて、見覚えのある男が入ってきた。

 その姿にロゼは思わず立ち上がり、じっと彼を見つめると、彼らしいはにかんだ笑顔を返された。

 整えられた黒髪の下、深い緑の眼差しは毅然とした光を帯びて輝いている。そしてその周りに散らばる赤色も、変わらずそこにある。ギルは無事に帰ってきたのだ。



「…………、ギルさん」


「約束通り、戻ったぞ」


「よく、よくぞご無事で……! 良かった……!」



 見たところ大きな怪我もなく、人柱になることもなく、帰ってきた。

 想いが胸にグッとこみ上げてきて、眼の奥が温かくなる。先程までのロゼの憂いはあっという間に消えてしまった。

 感極まってギルに思わず抱きつきそうになるロゼよりも先に、言葉を発したのはヒューだ。



「お疲れ様でした。首尾はいかがです?」


「滞りなく解決した。除籍をなかった事にした叔父上の目的はおそらく俺の褒賞金、陛下は今後の事を考えて俺のご機嫌取りをしたいのだろう。ご自分たちで体よく追い出したくせに、簡単に手のひらを返してきたので、今後についてぎっちりと概要をご説明差し上げたら、言葉もないご様子だった」


「なるほど、ありがとうございます。王女殿下は?」


「そちらも問題ない。喜んで婚約解消してきたくせに、お慕いしておりました、などと世迷い言をおっしゃるので丁重にお断りした。あんまり必死で食い下がるので、私もあなたも別の婚約の準備があるとお伝えしたら泣き出した。泣くほど嬉しかったのだろうな」


「あっはっは。素晴らしい」


「え? え?」



 業務報告のような会話についていけないロゼは、キョロキョロと二人の顔を窺う。

 除籍? 婚約解消? 首を傾げるロゼを見て、ギルが嬉しそうに微笑んだ。



「これでもう何の心配もない。安心して平和に暮らせるぞ」


「は、はぁ………、ありがとうございます……?」


「なんで疑問形なんだ? ……まぁいい」



 ギルはそっとロゼの手を取って、優しく包みこんだ。

 そのうっとりとした眼差しに、ロゼの顔の温度が急激に熱くなる。



「来てくれてありがとう、ロゼ」


「え、ええと、お疲れ様でした。本当にご無事で良かったです。それで、私はなぜここに呼ばれたのでしょう」


「あぁ、早急に釘を刺さねばならない奴らがいたので、それが片付き次第会えるように、ひとまず君に来てもらった。少しでも早く会いたかったから、だな」


「…………早く、会いたかった……?」


「後のことはヒューに任せておけば大丈夫だ。街のみんなにお土産をたくさん買って、美味しいものを食べて帰ろう」


「帰るって…………、だってギルさんは公爵家の息子で、王女さまの婚約者で……いや、新しい婚約があるんですか?」



 ロゼの言葉を聞いて、ギルはわかりやすく眉間にシワを寄せた。

 あさっての方向に目線をやり、何かを思い出すように宙を睨みつけた。



「……あいつら本当に、くだらない事を……。もっとギッチギチにキツく締めてやるべきだったか……」


「? なんです?」



 冷ややかな目付きでぶつぶつと呟くものの、こもった声は聞こえづらくてロゼが首を傾げると、途端に優しい表情が戻ってくる。



「ロゼは何も気にしなくていいんだ。あれは全て、全部彼らの勘違いで、流言だから。とにかく、これでずっと一緒に居られる」


「ず、ずっと? ずっとってなんですか!?」


「俺と、結婚してくれるのだろう?」


「け、けっ!?」



 したり顔のギルから決定事項のように告げられた言葉に目を丸くしたロゼは、すぐにあの夜に提案した脱出計画に思い当たった。



「あの、あ、あれは苦肉の策で出てきた言葉ですから!」


「それではロゼは、俺をもてあそんだというのか? ひどいじゃないか、俺は君との結婚生活を夢見て魔王を倒したというのに」



 恥ずかしくて俯いたロゼの顔を、悪戯っぽく笑うギルが覗き込んでくる。

 夜のベンチで話をした日から、彼の雰囲気がとんでもなく甘くなった気がする。これまでの気安さだけではなく、熱のある気配がまっすぐにロゼへと向けられる。

 どんどん近付いてくるとろけそうな視線に、混乱したロゼが思わず承諾の返事をしそうになったその時、ヒューがクスクスと笑いだした。



「さて,独り身にはツラい話になってきましたね。僕は最後の仕上げに取り掛かりますので、この辺で失礼しますよ」



 ヒューはよいしょと立ち上がると、ギルの肩をポンと叩いた。

 穏やかに微笑むヒューに、ギルが改まって頭を下げる。



「ヒュー、…………いろいろと感謝する。俺……、いや私は、いつでもあなたの剣となることを約束します」


「お礼を言うのはこちらです、ギル。世界だけではなく、国の将来も救っていただきました。これからも、何かと頼りにしていますよ。もちろん友人としても」


「……ありがとう、本当に」



 堅く握手を交わす二人を眺めながら、ロゼはギルの変貌を眩しく感じていた。人を頑なに拒むでおなじみのギルが、友人を作るまでになったなんて……と、そんな事を考えていると、ヒューがくるりと振り返った。



「ロゼさんも、またお会い出来るのを楽しみにしていますよ」


「は、はい。ありがとうございました……」



 サラリと美しい銀髪をなびかせて、ヒューが部屋を出ていった。

 改めて見ると、ヒューという男は非常に堂々としていて、自信に溢れる強者の風格の持ち主だ。

 気づかなかったのが不思議なくらい、まるであえて気配を消していたみたいに……?

 ぼんやりと思いつき、ロゼが呟いた。



「ヒューさんて、ただ者じゃないですよね」


「そうだな。王弟だから」


「…………、はは、もう何が起きても驚きませんけどね」



 納得の答えに、ロゼは薄ら笑う。

 自分とは関係のない世界の話だと思っていた事が、すぐ手の届く範囲にあることに感覚が麻痺しているのかもしれない。もうお腹いっぱいのロゼに、ギルが追い打ちを掛けるように、知りたくない情報をさらっと伝えてきた。



「あぁでも、もうすぐ国王になる」


「…………そうですか」



 王家の知られざる裏事情、普通に生きてきて知ってはならない事を知ってしまった。

 容量の限界を迎え、ロゼは今にも卒倒しそうだった。




 ◇




 それからすぐに、国王の勇退が発表された。

 病気療養のため、郊外の居城に移り住むこととなり、政務からは完全に退くこととなった。

 後任は、王位継承権第一位の王弟であるヒューベルトへと引き継がれる。


 王女マグダレナは、新たに国交を開いた砂漠の国の王の第6側室として嫁いで行った。

 彼女と勇者ギルバートとの再婚約を望む声もあったが、砂漠の国との親交を深める事を重要視されたため、それが叶うことはなかった。


 勇者ギルバートの生家であるラスト公爵家当主も、引退を余儀なくされたが、彼の場合は病気療養のためではない。

 内部告発により、税収の不正が報告され、拘束されたのだ。

 勇者がラスト公爵家の出自であることから、拘束された公爵に変わって当主に据える案も上がったが、命懸けで国を救った彼に愚かな領主の後始末をさせるのは良くないと立ち消えになった。

 他に後を継ぐ者がいないため、爵位は返上され、公爵領は王家の直轄地となるという。


 今回の討伐で、人知れず貢献した人物がいる。

 彼女のお陰で勇者は無事に魔王討伐を果たす事が出来たと言っても過言ではない。


 日々の戦いの最中、勇者は魔王の罠に嵌まり、記憶を無くしてしまった。彷徨い歩いた勇者が辿り着いたのは、王家の直轄地とされながら、あまりの貧困な土地ゆえに見捨てられた過疎地域。

 その地で行き倒れていた名も知らぬくたびれた男を、教会のシスターが保護して世話をしたのだ。


 住民達も協力的で、貧しくも人のために尽くそうとする清い心の者ばかり。その中でも特に、シスターの優しく献身的な姿はまるで聖女のようで、勇者の行方を探し当てたヒューベルトは、いたく感動したという。


 勇者はその地域を報奨にと、新国王ヒューベルトに願い出て、辺境伯の爵号を賜った。

 直轄地の一部を含む国境付近を領地として、恩返しとばかりに地域経済の回復を図り、人々の暮らしを支え―――――



「ちょ、ちょっと待ってください、それ…………本当に私達の話ですか?」


「そうだが?」



 住み慣れた街に向かう馬車の中、隣り合わせで座るギルから表向きに公表されたという話を聞いて、ロゼは顔を引きつらせる。



「そうだが? じゃないんですよ。大体、献身的なお世話なんてした覚えはありませんよ。完全に労働力として利用していたのに」


「……だが、俺が君に救われたのは本当だ」


「…………、またそんな事言う。私がやりたくてやったことで、そんな殊勝な話じゃないです」



 ギルの甘さは相変わらずで、隙あらば熱量の高い視線をロゼへ送ってくる。直視できないロゼがフイと視線を外す、このところこれの繰り返しだ。



「俺が帰ってこれたのは、その思いの強さが大きいかもしれない、とヒューが言っていたよ。俺は何が何でも、君の笑顔を一番近いところで見ていられるように、ここに戻って来たいと思っていた」


「ギルさん……」


「そう思わせてくれたのは、ロゼだからな」



 過去の勇者達がどんな思いを抱えていたのか、今となっては知る由もないけれど、とヒューが語っていたという。

 偽りの神託により選ばれ、世界に裏切られたように絶望したまま、なすすべなくただ人柱となってしまった勇者達。

 ロゼは想像の中の彼らの姿と、貧民街に姿を現した頃のギルとを重ねて、彼がそうなっていたかもしれないと考えて身震いした。


 自分が彼の希望になったなんておこがましいけれど、彼が無事に戻って来てくれた、その原因に少しでも携わる事ができたのなら、世間にどう風潮されようと気にすることではない。ロゼはギルの方へ体を向けて微笑んだ。



「元気で帰って来てくれて嬉しいです。おかえりなさい、ギルさん」


「…………、ロゼ……」



 ギルがじり……と体を寄せてくるのをロゼが素早く躱す。

 あまり広くはない馬車の中、少しでも動くだけで二人の距離がグンと縮まった。

 相変わらずとろんとした目を向けてくるギルの肩を、ロゼはしっかりと押し返す。



「なぜ避ける」


「ち、近すぎるからです! こういう馬車って向かい合わせに座るんじゃないんですか?」 


「そうだが?」


「だから、そうだが? じゃなくて…………なんで隣に座ってるんですか!」


「君を口説こうと思って」



 ギルの発言に、ロゼは勢いよく彼の顔を見る。

 城に滞在していたせいか手入れの行き届いたツヤツヤの黒髪、深いグリーンの眼は少し潤んで見える。あれほど気にしていた赤いアザは、もう一切隠すことなく堂々とそこにある。だが今、彼の顔の赤みはアザのせいではない。

 それを至近距離で目の当たりにして、つられてロゼの顔も真っ赤に染まる。



「そっ……、どっ、どこで覚えてきたんですかそういうの」


「ヒューに教わった。好きな人に自分の想いを伝えるためには、近くにいるのは大切な事だと。愛してるよロゼ」


「へ?」


「愛してる。側にいたい。結婚して欲しい」



 直球ストレートの愛の言葉は、ロゼの心臓をわしづかみにした。

 掴まれながらも心臓が大暴れするものだから、息苦しくて言葉が出て来ない。うつむくロゼに不安そうなギルが言葉を掛ける。



「……駄目だろうか」


「〜〜〜〜駄目じゃない、です」


「…………良かった!」



 キラキラと弾けるような笑顔とは、きっとこの事を言うのだろう。初めて見るギルの満面の笑みは、わし掴んでいたロゼの心臓をトスンと正確に撃ち抜いた。

 この間までツンとした野良猫みたいだったのに、眼の前には飼い主に甘える子犬がいる。いや、結局どちらでも、ロゼはギルの事が好きらしい。



「…………ね」


「ね?」


「…………猫が犬になっちゃった」


「……君の言うことは、時々本当にわからない」



 困惑するギルをよそに、いろいろといっぱいいっぱいなロゼは両手で顔を覆い、甘い空気に悶えるしか出来ない。

 一足先に我に返ったギルが、窓の外の遠くの景色に目を向けた。



「これから忙しくなるな。結婚の準備に領地を見て回って、立て直しの計画を立てて……」


「はい」


「ロゼはなにも心配はいらない。何人たりとも付け入ることが出来ないように、君をしっかりと守るから。もちろん領民たちと領地も」



 我に返り、目をキラキラと輝かせてこれからの事を語るギルを見ていると、その隣に居られることがとても嬉しく感じる。



「早く帰って、院長に報告しなきゃ」


「…………今、それだけが俺の懸念事項なんだ……」



 二人を載せた馬車は、まっすぐに帰路を突き進むのだった。










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[良い点] ロゼさんがとても男前でかっこよかったです。 野良猫をわんこにしてしまう浄化気質の女性に出会えたギルさん、よかったねぇ! ヒューさんもどうやら今までとても苦労していた感がするので、幸せになっ…
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