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楽園アポトーシス  作者: 耳 a.k.a 曇りmegane
第一章『魔眼覚醒』
6/9

第六節『異端審問、執行』

6話目です。感想などお待ちしています。

 ズン、と。

 男の巨体が黎児の腹部に沈み込む。

 直撃の寸前、僅かに飛び退いたがそんな小手先でいなせる威力ではない。

 黎児の身体は面白いように吹き飛び、消化器官の壁に背中から突っ込んだ。



「かっ、は……」



 顔が激痛に歪む。

 それは、消化液によって背中が焼かれる熱感すら霞む程の、身体の芯まで届く衝撃だった。

 視界が明滅する。

 逆流した血液が、ごぽりと喉奥から吐き出される。

 折れてはいないだろうが、肋骨に罅ぐらいは入っているか。身体を動かそうとする度に骨が軋みを上げているのが分かる。



「ぶ、ふ。ようやく、つかまえ、た」



 男の声は耳元から。

 粘ついた吐息が耳朶を掠める。

 あまりの嫌悪感に麻痺していた身体が反発する。しかし、幾らもがいても男の肩が押し付けられているせいで脱出は困難だった。

 銃は突進を受けた際に取り落としたらしく、何の感触も返ってこない。



「こ、の……」



 せめてもの抵抗とばかりに男の後頭部に拳を振り下ろすが、突進の影響で力が入らない事もあり、全くといっていいほど効果はなかった。



「っ、ぐ」



 今にも気を失いたくなる状況だが、消化器官の壁によって背中を焼かれている痛みで正気を取り戻す。

 しかし。それ以上の痛みが、黎児の肩を襲った。



「ぎ、あ……ッ!?」



 ぞぶり、と男の黒ずんだ歯が黎児の肩口に突き刺さる。

 そのまま一口分食いちぎられた。

 体験した事のない類の激痛に絶叫が絞り出される。

 男は黎児の肉を咀嚼し、堪能した後に喉を鳴らして嚥下した。



「ば、は。おいしい。おいしいよ、おにいちゃん。もっと、もっとたべさせて――――!」

「ッ――――!」



 恐怖が痛みを上回る。

 男の乱杙歯が迫る中、黎児は何とか抜け出そうと両腕を振り回し、コツン、と。

 手の甲に伝わった硬い感触に目を見開く。

 見えないものの間違いない。

 黎児は男の肩に手を伸ばし、肩口に刺さったままだったナイフを引き抜いた。

 そのまま、今まさに黎児を頭から齧り取ろうとした男の口内にナイフを突き入れる。



「ぎ、いぇぼ」



 男の力が緩む。その瞬間にずるりと滑り落ちるようにして男の拘束から逃れ、転がりながら男から距離を取り、同時に落ちていた銃を拾う。



「はっ、はっ、はっ――――っ、!」



 助かった。そんな安堵は肩の痛みで霧散した。

 黎児は震える手でジャケットの中に手を伸ばし、弾倉(マガジン)を取り出す。

 グリップ側面のマガジンリリースボタンを押し、手のスナップを加えて横に空の弾倉を放る。

 即座に左手に持った弾倉をグリップの底に叩き込むようにして挿入。スライドストップを親指で弾き、ホールドオープンを解除しつつ薬室(チャンバー)に弾丸を送り込んだ。

 再装填(リロード)を一秒と少しで終え、黎児は右手だけで銃を構える。



「うえ、おにいちゃん、すこしでちゃった。もったい、ない」



 喉奥にナイフを突っ込んだせいだろう。

 男は吐き出した胃の中身を手掴みで口に運び、ぐちゃぐちゃと咀嚼していた。



「本当、悪夢だ」



 口振りとは裏腹に黎児の口角は上がっていた。

 痛い。

 余程男の一口が大口だったのか、肩口からの出血量は夥しい。ジャケットも中のシャツもぐっしょりと朱色で濡れている。

 血液(よけいなもの)が流れ出たせいだろう。

 絶望的な状況において、思考はこれ以上なく鮮明(クリア)だった。

 どうすればこの男を止められるか。

 下らない煩悶だ。

 今までは意図して急所を外してきた。

 それは未練だったのだろう。

 まだ綺麗なままでいたい。そんな、浅ましい未練だ。



「――――殺して、やる」



 それは、一体誰に向けたものだったのか。

 黎児は揺らぐ視界の中、ピッタリと男の頭に照準を合わせる。今までは意識して狙わなかった、急所に。

 迷いも恐怖も全て血液と共に流れ落ちた。

 漂白された思考のまま、黎児は引き金に指を添える。




 ――――そして、銃声は響かなかった。




 代わりに聞こえてきたのは野太いエンジン音。腹に響くようなそれは、やがて引き裂くようなスキール音との二重奏へと変化する。



「伏せて!!」



 声が聞こえた。

 脊髄反射に衝き動かされ、地に伏せる。

 そして、轟音。

 信じられない事だが、大型のバイクが上空から降ってきた。着地点は男の胴体。あの巨体も凄まじい速度で突っ込んできた鉄の塊には勝てなかったのか、10メートルほど吹き飛ばされる。



「な……」



 絶句した。尻餅を着いたままポカンと口を開けて、そりゃあもう間抜けな表情で固まった。



「まったく、確かに行ける所まで逃げろと言ったわよ。けどよりによってこの場所で、しかもしっかり悪魔憑きに襲われてるなんて……よっぽど前世の行いが悪かったんじゃないの、君」



 嘆息混じりの声。

 バイクに跨っていたのは少女だった。少女はふわりと銀色の髪を風に流しながら、軽やかに地面に降り立つ。



「イヴ、か?」

「当然。こんな美人、まさか忘れたとは言わせないわよ。加えて命の大恩人なんだから、ちゃんと胸に留めておきなさい」



 少女――――イヴはバイクのスタンドを蹴り下ろすと、不敵な笑みを浮かべて黎児の前に立った。



「お前、どうして」

「そんなの迎えに来たに決まってるでしょ。それより黎児くんこそ、その怪我大丈夫なの?」



 イヴが黎児に向かって手を差し出す。その手を躊躇いがちに取り、立ち上がった。



「っ、ああ。肩を少し齧られただけだから」

「……そう。案外男の子ね、君」



 イヴは心底呆れたと言わんばかりにため息をつくと、蒼の双眸を男に向けた。



「う、ぶぁ……い、だい。いだいいだいいだい……ッ!!!」



 絶叫が響き渡る。男が離れた所で頭を抱えて悶絶していた。

 ひっくり返った亀のようだ。じわじわと地面に赤色が染み込んでいく。あんなにも凄まじい勢いでバイクに追突されたのにあの程度の怪我で済むなんて、やはり化け物か。



「……下がってろ。アイツは危険だ」



 イヴを男から庇うようして前に立とうとした。

 しかし、



「下がるのは君の方よ。足でまといになりたくなかったら下がってなさい」

「舐めんな。こんな奴俺一人で……」

「えい」

「いっ、だぁぁぁぁ!!」


 し、信じられない。

 この女、食いちぎられた肩の傷に指突っ込みやがった――――!!



「な、何しやがるこの悪魔!!」

「私の言う事を聞こうとしない罰よ。これ以上そこに居たら君ごと吹っ飛ばすから」



 平然とイヴは言い放ち、涙目になってのたうち回る黎児の横を、散歩でもするかのようにすり抜けていく。

 そしてツカツカと重みを感じさせない足取りで、蹲る男へと近づいた。



「こんばんわ、悪魔憑きさん」

「おねぇ、ちゃん、は」

「イヴ・フラグメント。ただの魔術師よ。

 さて、突然で悪いんだけど、貴方には今二つの選択肢があるわ。一つはこのまま大人しく私のお縄につく選択肢。そしてもう一つの選択肢は、私に抗って動けなくされてからお縄につく選択肢。貴方の好きな方を選びなさい。ま、どちらにせよ……」




 言いながら、イヴは左手を前方に掲げた。

 糾弾するかのように、手を差し伸べるかのように、男に対し人差し指を向ける。



「どちらにせよ、貴方の自由を奪う事には変わらないけど。

 ――――魔術輪胴(キャスト・シリンダー)、起動」



 ――――瞬間、右手を中心にして、蒼色の光を帯びた幾何学模様が華のように咲き乱れた。

 その、六角形を真ん中に据えて一角一角に円を取り付けたような幾何学模様を、黎児は知っている。

 かつて行われた地上の人類と天上の人類同士の争い。その争いの中で天上の人類が用いたとされる数多の奇蹟、『魔術』。

 天上の人類は光る幾何学模様をどこからともなく展開し、超常の力を行使したという。

 それは魔術輪胴(キャスト・シリンダー)と呼ばれ恐れられていた、死者が生前最期に目にする光の供花。

 今まで教本上の存在でしかなかったそれが、黎児の目の前で現実の物として展開されている――――




「三層、術式装填(ロード)。」



 魔術師が静かに音を踏む。瞬間、魔術輪胴の表面に生じるものがあった。

 確か、『魔術陣』とかいったか。

 魔術輪胴の幾何学模様を薄く薄く輪切りにしたようなそれは、イヴの言葉通り三層のみ生じ、展開された魔術輪胴の表面にガチンガチンと音を立てて噛み合った。

 魔術陣は最初こそ無色透明だったが、やがて緑色に発光し、夕闇の中で亡霊の如くぽう、と浮かび上がる。

 六角形(キャストシリンダー)の中心にはまるで照準器のような十字(レティクル)が刻まれており、三層の魔術陣は十字に向かって螺旋を描くようにして回転しながら砕け散る。

 砕け散った破片はやがて無形へと生まれ変わり――――



「ま、こんなもんかな」



 場違いな軽い声と共に、イヴはパチン、と指を鳴らした。

 その直後。無形が十字を貫き、形を成して実体化する。

 現れたのは、何十本もの硝子細工のような(ツタ)だった。

 蔦はのたくり回る蛇の如く男へと向かっていき、巨体を雁字搦めに絡め取り、地面へと縫い付けた。

 ――――あれが、魔術。神徒にのみ行使を許され、地を駆ける者達を恐怖の底に陥れた、超常の力。



「は、ぶぁ……!?」



 男は土下座でもするみたいに地に頭を擦り付け、膝を折った。

 魔術に詳しくない黎児でも分かる。両者の差は何をしてもきっと埋まらない。

 両者の関係は何があろうと強者と弱者。蹂躙する者とされる者でしかなく、結果は既に目に見えている。



「ひどい、どうじて、おねぇちゃんどうして……」

「どうしても何もないでしょ。悪魔との契約に手を出した以上、私みたいな魔術師に追われるのは必然。それぐらい理解していたんじゃない?」

「ぼくはただごはんがたべたかっただけだ! おとうさんもおかあさんもいなくなって、こうしなきゃごはんがたべられなかった! おとなになること、できなかったのに!!! どうじて!! どうじで!!!!」



 激昂と同時、男の身体から黄色の体液が染み出した。先程までとは比にならない異臭が周囲に立ち込め――――直後、ジュッという音と共に蔦が溶解する。

 溶解は蔦のみならず地面にまで及んでおり、それが人間の肌だったなら、と恐ろしい想像が脳裏を過ぎった。

 しかし、イヴはその光景を見ても変わらず涼やかな表情で男の姿を見据えていた。



「……それが貴方の動機、『権能』なのね。貴方は死ぬような辛い目にあって、そこから救われるために悪魔との契約に手を出した。それはきっと仕方の無い事なんでしょう。そうしなければ、貴方は死んでいたのだから」



 滔々とイヴは語る。恐ろしく整った顔が光に照らされて、その神々しさに背筋が凍った。



「……けど、ごめんなさい。私は貴方たち悪魔憑きの味方はしてあげられない。貴方たちは始まりこそ各々で違えど、結末は決まっているから」

「けつ、まつ?」

「末路って言い方の方が正しいかもね。人間が満たす事の出来る欲求には限界がある。その総量には個人差があって、それを強引に超えようとする事、身の丈に合わない欲求を実現させようとする行為――――即ち、悪魔との契約には常に代償が付き纏う。

 ……その欲求が、たとえ生きるためにどうしても必要な欲求だったとしても。身の丈に合わないのなら、代償は捻じ曲げた貴方とその周囲の人間を容赦なく滅ぼすわ。絶対にね」



 それは、救われたいと願う者にとってみればあまりにも冷たい現実だろう。

 高望みをするな。

 自分の身の丈に合わない欲求は諦めろ。

 それがたとえ人間が享受して当然のものであったとしても、当人のキャパシティを上回る願いなら、それは。



「じゃあ、どうすれば、いいの? ぼく、たべないと、しんじゃうんだよ?」

「分からない? 私は遠回しに死ねと言っているの。普通のやり方で理不尽な状況に抗うというのなら、私は応援する。

 ……けど、悪魔との契約は自分と周囲が不幸になってしまう。理不尽な目にあう人が増えるだけの、蔑まれるべき行為だわ」

「そんな、の。わからない。わからないわからないわからないわからないわからないわからないわからない――――!!」



 じゅっ、という焼けるような音と共に周りの民家の外壁が溶解する。今度の溶解はかなり広範囲に渡っていたが、イヴと黎児の周りに被害はなかった。

 イヴの前方に展開された、薄い盾のようなもの。それが代わりに奴の溶解を受けたのだ。盾は役目を終えたと言わんばかりにひび割れ、破砕音を伴って砕け散る。



「……聞く耳持たないってワケ」

「ごろず、ごろじで、やる……!!」



 男はイヴを睨みつけ、怨嗟の言葉を繰り返す。

 殺す、と悪魔とやらに憑かれたアイツは口にした。

 ――――畜生。

 黎児は内心で歯噛みする。後ろで何も出来ずにいる自分が、恐怖で足が竦んでいる自分が、あまりにも情けない。



「結局こうなっちゃったか。黎児くん、もう少し後ろに下がった方が良いわよ」

「……分かった」



 こうも圧倒的な実力差を目の当たりにすれば、頷かざるをえなかった。

 黎児が下がったのと同時、男が聞くに耐えない叫び声を上げて地を蹴る。飛び散った汗が地面に落ちる度、ジュウジュウと地面が焼け爛れていくのが見えた。

 ――――直後、青く眩い光が魔術陣を走った。砕け散った魔術陣の数は六。生まれ変わった魔術陣は一箇所に収束し、形を結ぶ。



「――――異端審問(インクイジション)装填(ロード)



 厳かに。悔い改めよ、と少女は告げた。

 欲望に濡れ、異端に身を浸し、生命を食い散らかした獣に、少女はその身に刻まれた罪科を問う。

 ――――黎児はまだ知らない。

 少女が持つ特異性を。

 少女が何と呼ばれ、恐れられているのかを。

 そして、知る事となる。

 本当の化け物は一体どちらなのか。

 本当に恐怖すべき存在は、どちらなのかを。

 蒼と銀が入り交じった光が収束、膨張する。

 光が見えていないのか、男は赤色の布に突撃せんとする闘牛のようにイヴに向かって突っ込んでくる。

 その距離、五メートル。

 接触までは恐らく数秒もない。

 この期に及んでもイヴは余裕を崩す事なく、男を蒼色の瞳の中に捉え続けていた。光で塗り潰されているため、どんな感情を浮かべているかは分からない。ただ、冷然と蒼い瞳を掲げているに違いないと、そんな確信めいた予感がした。

 終わりの時は刻一刻と近付いている。コンマ何秒というコマ送りの世界の中、静かに佇む少女と気炎を上げて疾駆する男はどこまでいっても対称的だった。

 そして、両者の距離が2メートル程まで縮まった直後、



「――――裁定終了(ジャッジ)。第一から第六魔術輪胴(シリンダー)、順次崩壊。処罰形式(バレル・フォーマット)散弾(バック)……吹っ飛べ!!!」




 炸裂する。凄まじい光の奔流が男を呑み込み、巨体がイヴの視界から消え失せる。

 身体を大きく抉られ何十メートルと転がる肉塊。目の前に残ったのは、地面の焼け跡と夕闇に映える光の残滓だけだった。

 ――――悪魔憑きの末路は決まっている、と少女は口にした。

 全くその通りだ。

 今日、この時、この瞬間。

 男は自分の行為の代償として、一人の少女の手により、その末路に追い付かれたのだ。




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