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楽園アポトーシス  作者: 耳 a.k.a 曇りmegane
第一章『魔眼覚醒』
4/9

第四節『悪食の庭』

4話目です。

 


 全速力で見知らぬ風景を駆け抜ける。

 短距離走の走り方では恐らく五分と保たない。三分ほど走った辺りで僅かにペースを落とし、それでも止まることなく足を動かし続ける。

 それなりに走りに自信があった事が幸いした。一度も立ち止まらず三キロ程の距離を八分と少しで走破し、目的のバス停らしき場所に到着する。

 バス停には丁度一台のバスが停まっていた。知らない土地で行き先を確認しても意味はない。黎児は即座にバスに乗り込み、空いていた座席に腰を下ろした。

 直後、車体が浮いた。

 どうやらエルヴァーナのバスは空を走るものらしい。十分程前ならそれなりに感動を覚えていただろうが、今はそれどころじゃなかった。



「アイツ、大丈夫なのか」



 走った事により暴れる心臓と僅かに上がった息を整えている中で、無意識にそんな言葉が漏れた。

『蒼銀の魔女』。銀色の少女はそう呼ばれていた。

 詳細こそ知らないがそれが彼女を指す言葉であり、畏怖の対象となっている事は見て分かった。

 そのおかげで、黎児も逃げ出す事が出来た。

 しかし――――



「本当は、俺も立ち向かうべきだったんじゃないのか」



 最善に背こうとする自身の中の後悔。あの場に留まったところで邪魔にしかならないと理解していても、いつもより早くなった心臓の拍動が、逃げた自分を糾弾する。



「そうだ。この場から逃げ出したところで、またあんな事が起きれば………」



 次も、イヴに頼るのだろうか。

 無意識の内に両拳を固く握りしめる。

 そのまま、三十分ほど経っただろうか。地上のものより幾分か乗り心地が良いバスは緩やかに降下し、微かな振動を伴って着地した。

 イヴは銀貨一枚を投げ渡し行けるところまで逃げろと言ったが、どうやら終点まで直行するタイプのバスだったらしい。

 始めから行先は一つしかなかった訳だ。

 黎児は運転手に銀貨一枚を渡し、数枚の銅貨を受け取ってからバスを降りる。



「う、酷い匂いだな」



 鼻を押さえて周囲を見渡す。

 降りた先は賑やかさや華やかさとは無縁の、活気がない場所だった。

 道は舗装されていないしあちこちから饐えたような悪臭がする。

 建物自体は多いものの、そのどれもがろくに手入れもされていない民家だった。蔦が絡みついた家、窓ガラスが割れているどころかドアがない家、中には壁や屋根が崩れている家もあった。

 驚いたのは、そんな家にも人がしっかりと住んでいるという点だ。

 よく見れば床に寝転んでいる人影が見える。昼下がりの微睡みという訳ではあるまい。あれは恐らく無気力からくる停滞だ。



「『グレイ通り』、か」



 薄汚れた立て札に書いてあった文字を読む。

 朽ち果てた民家と転がる酒瓶、舗装されていない道と壁に寄りかかり物乞いをする人々。

 こんなような光景をインターネットの映像で見た事がある。

 スラム街。

 そんな単語が脳裏を過ぎった。



「けどアイツ、後から合流するとか言ってたけどどうやって合流するつもりなんだ?」



 イヴからすればどのバスに乗って何処に黎児が向かったかなんて分かりようがないはずだ。

 どうするべきかとグレイ通りの入口で頭を回していると、壁に寄りかかっていた物乞いが落窪んだ瞳で黎児に向けてきた。厳密には、黎児が着ている服に。

 上下合わせて新社会人の月収に届くそれは、グレイ通りの物乞いのお眼鏡にかなったらしい。



「……」



 連れと離れ離れになった時はその場に留まるのが定石だが、この場に留まるのは身ぐるみ的にも精神的にも宜しくなさそうだ。

 目の前にぶら下げられた選択肢は二つ。

 このままグレイ通りを進むか、もう少し治安の良さそうな場所に移動するか。

 当然後者を選択するべきだ。

 しかし、どうしても脳裏にあの光景が脳裏を過ぎる。

 神代黎児がここに居る。

 そう判明した時の、通行人の奇異の視線が、まだ脳裏にこびりついている。



「……立ち向かう云々の前に囲まれればどうしようもないしな。人目は避ける方向で動くか」



 なるべく争いは避ける。

 しかし、イヴという頼りになる存在が居ない以上、もしもここで絡まれれば自分で対処するしかない。

 ――――その場合、逃げるにしろ立ち向かうにしろ、グレイ通りのような地形の方がやりやすいだろう。

 色々と言い訳がましい理由をつけて、黎児はグレイ通りの奥へと歩を進めた。






 ずっと同じような光景が繰り返されていた。

 民家が広範囲にわたって左右に林立しており、その間を縫うようにして続く道を俺は歩いている。先程から何度も等間隔で存在する十字路に行きあたっていたが、右を見ても左を見ても同じような光景が続いていたため、余計な進路変更はせずそのまま真っ直ぐ歩いている。

 上から見たら碁盤の目のような構造になっているのではないか、と黎児は推測する。

 グレイ通りにまで黎児の顔が広まっていないのは一時間も歩けば理解出来た。

 すれ違う通行人は黎児にさほど興味を示さず、時折向けられる警戒の視線もこの場では浮き気味な服装に向けられたものだった。

 ただ、この三十分間に二度も財布を盗られかけた。

 最初の印象通り、グレイ通りの治安は相当に悪いらしい。

 特に二人目なんて黎児より一回り体格が良く、盗られるのを寸での所で阻止した途端にナイフを手に襲いかかってくる始末だ。



「多少のアクシデントはあるけど、やっぱりこっちの方に来て正解だった」



 盗人から押収したナイフの刃をへし折って路地裏に放り投げ、独りごちる。

 一過性の、特に欲望を源泉とした悪意はこのように対処しやすい。

 問題はあの時向けられたような、恨みや正義を源泉とする悪意だ。

 あれはダメだ。跳ね除けるだけでは根本的な解決にならず、あるとすれば原因となる存在が消える事しかない。



「……俺は結局、嫌われたくないだけなんだろうな」



 高校一年間で人と真の意味で触れ合う経験をした。

 受け入れて、受け入れられて、好かれ、好きになり。

 そんな関係性が心地よかった。

 ――――自分の何を犠牲にしても、失いたくないと思う程に。



「情けねぇぞ。さっきイヴにああ言われたばっかだってのに……」



 一人になったからだろうか。

 イヴと一緒に居た時は多少前向きだった心が、今は萎みつつあった。

 そんな一人の心細さを、せめて身体だけでも前へ進ませる事によって誤魔化す。

 だが、所詮そんなものは現実逃避に過ぎない。

 歩こうが走ろうが、いずれ現実は黎児に追い付く。獲物を仕留めんと、鋭い牙を携えて。



「だいぶ陽が落ちてきたな……」



 歩き始めてから随分経った。

 陽が昇っている時ですら薄暗いグレイ通りは、一層見通しが悪い。

 そして同時に、人の気配も極めて薄くなっていた。

 先程まではまばらに聞こえていた談笑の声や、子供達のはしゃぎ声も聞こえない。

 ザ、ザ、と未舗装の道をスニーカーが踏みしめる音だけが、グレイ通りに吸い込まれている。



「っ」



 その中で、妙な音が耳に引っかかった。

 眠っていたら耳の中にガラス片を突っ込まれた気分。

 同じような風景、同じような音が繰り返されていたせいで麻痺していた脳が、活動を再開する。



 じゅる、ず。



 よせばいいのに立ち止まる。

 音の発生源は右手にある民家からだ。

 グレイ通りではあまり見なかった、小さいが庭が付いた民家だった。



「何だ、この音」



 何が起きているのか、ここからでは見えない。

 確認するには庭へ回り込む必要がある。

 ザリ、とスニーカーが土を擦った。

 今まで培ってきた常識が、黎児を後退させたのだ。

 しかし理性が働いたのはそこまでだった。

 何故、と疑問を挟み込む隙もなく、後退した足は民家に向かって進み始める。



「はっ、ふ……」



 熱のこもった呼吸を一つ。

 身体が熱い。

 こんな緊張(こうふん)を、つい数時間前に味わった気がする。




 ぐち、びちゅ……ずっ、ぐちゃ。



 水音に富んだオノマトペ。

 聞こえてきたというより噛み付いてきたそれが、頭蓋を震わせる。

 左目が刺すような痛みを放っているが、構わない。

 音の発生源は民家の中ではなく庭であると感覚で判断し、正面の扉を無視して庭へと回り込む。

 知らず、息を潜める。

 不快な音は途絶えず、音だけでなく鼻が曲がりそうな程の異臭も押し寄せてきた。

 グレイ通りの臭いに慣れてきた鼻が音を上げる程の異臭。

 質量すら伴っているとすら思えるそれが、次の瞬間意識から弾き出された。

 音や臭い、そんなものがどうでも良くなるような光景が、黎児を待っていたからだ。



「んむっ、ぐむっ……ぐっ」



 庭の中央には、全裸で何かにむしゃぼりついている男が一人。

 そしてその何かとは、身体の半分以上が消失した()()の遺体だった。



「……は?」



 黎児の口から出たのは間抜け極まる疑問符だった。

 食っている。まるで普通の肉にそうするみたいに、男は辛うじて人体と分かる遺体の肉を、腐敗して半ば液状化し始めている肉を咀嚼している。

 歯を突き立て、じゅるじゅると水音を立てて。

 遺体には蛆と蝿が群がっていたが、男はソイツらも肉と一緒に咀嚼し、胃の中へと詰め込んでいた。

 落陽の緋色。淡い色を掻き消す赤と黒の攪拌が、目に痛い。



 これは何だ。

 これは何だ。

 何なんだ、これは――――!



 声にならない悲鳴が全身に反響する。

 末端すら動かす事の出来ない自分と心臓の鼓動が、爆発じみた相剋を起こす。



「お、おいお前……っ、」



 声をかけようとして、その残虐極まる行為を止めようとして近付いた。しかし足下に大量の肉片が転がっているのを見つけて、足を止めた。

 これは犬、それに猫、だろうか。頭だけは残すタイプなのか、首から下が存在しない動物の死骸が、十以上も転がっていた。



「う、ぁぅ」



 唇を噛んで悲鳴と嘔吐を堪える。

 ――――頭が痛い。惨状を前に、身体が異常を訴える。

 逃げなくては。これは、半端な正義感とかで何とか出来る問題じゃない。そう思って後ずさろうとしたが、



「だ、れ?」



 今までご馳走に夢中になっていた男が、こっちを向く。

 脂肪で殆ど塞がれている瞳を向けて、獲物(レイジ)を認識した。




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