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楽園アポトーシス  作者: 耳 a.k.a 曇りmegane
第一章『魔眼覚醒』
2/9

第二節『ボーイミーツガール』


2話目です。メインキャラが2人出ます。女の子です。

 


「……ん」



 泥沼から足を引き上げたかのような、重苦しい目覚めだった。

 昨晩の就寝時間がかなり遅めだったからだろう。ただでさえ寝起きは良い方じゃないのに、今日は一段と酷かった。

 その証拠に目を開けているつもりなのに、いつまでも視界は真っ暗なままで――――



「いや、ちょっと、待て」



 徐々に頭に血液が戻ってきて、流石に今置かれている状況がおかしい事に気が付いた。

 明らかに目を開けているのに視界は真っ暗、そして身を捩っても身動きが取れず、四肢には圧迫感がある。

 察するにこれは、



「拘束、されてるな」



 諦観のこもったボヤキが、黎児の口から漏れた。

 しかもロープなんて生易しい物じゃない。身動ぐとゴトンという思い音がした事から、手錠のような物で拘束されているのだろう。

 往生際悪く身体をねじって抜け出そうとしていると、ここ数日ですっかり聞き慣れてしまった声が頭上から降ってきた。



「お目覚めですか、黎児様」

「あの式条さん? コレ、どういう状況?」

「上層部の命令により一時身柄を拘束させて頂いております。私たちの意思では覆せない故、どうかこのままで」

「……また上層部か。今に始まった事じゃないけど、人の身体雑に扱いすぎだろ」

「返す言葉もありません」



 式条の声には隠しきれない疲労が浮かんでいた。普段感情を出さない彼にしては珍しい。しかしその事を指摘する前に、



『ふふ、あまり式条くんを責めないであげてください。こう見えても彼、上層部から出された拘束の命令に最後まで抗議していたんですよ?』



 柔らかい。手触りの良さそうな女性の声が、頭上から降ってきた。

黎児の国の言葉ではなく共通言語。久しぶりに聞いたそれは無意識の内に脳内の知識と結合し、意味を成す。



『……シスター・レヴィア。私語は慎むように」

『もう、相変わらず他人行儀なんですから。昔みたいにレヴィアさんって呼んで欲しいです』

『残念ですが、あの時とは立場も関係も違いますので』

『えー、この前の同窓会ではへろへろになって甘えてくれたのに?』

『……記憶にございません。シスター・レヴィア、繰り返しますが私語は慎むように』

はーい』



 声の主は式条の知り合いだろうか。かなり親しげなやり取りが頭上で繰り広げられている。式条に対しては機械のような印象しか抱いてなかったため、少々意外だった。



「んんっ、黎児様、後五分ほどでエルヴァーナに到着します。到着次第拘束を解きますので、どうかそれまでは」

「分かった。……抗議、してくれたんだ」

「はい。ですが、大した効果はありませんでした。申し訳ありません。私の力不足です」



 静かな、悔いるような声。責められるはずがない。機械みたいだとか、何考えてるか分からないいけ好かない奴だとか思っていたど、黎児のために色々と動いてくれていたのは確かなのだ。



「……俺もちょっと言い方キツかった。エルヴァーナへの強制送還は式条さんが決めた訳じゃないのに、八つ当たりしてた。ガキみたいな態度取って、ごめん」

「いえ、黎児様のお気持ちは当然です。家族、親しかった友人、お世話になった人々、住み慣れた街、その全てを捨ててエルヴァーナに強制送還されるのですから。……こちらこそ申し訳ありません。昨日の、感情を早めに清算しろという発言を撤回致します」

「いいよ。ムカついたのは本当だけど、お互い様ってやつだし。あとここからは『共通言語』で良い。いちいち使い分けるの面倒でしょ」

「……ありがとうございます。ではそのように」



 直後、しゅるりと衣擦れのような音を立てて塞がっていた視界が開いた。長時間塞がれていたからだろう。視界が滲む。

 少し落ち着いたところで辺りを見渡してみる。

置かれている状況は実に分かりやすかった。

 乗り物。それも空を飛ぶ類の、飛行機のようなものに乗せられているらしい。

いや正確には転がされていた、だろうか。

黎児の身体は座席と座席の間の通路に雑に転がされており、強制連行というタイトルが実にお似合いの有様となっている。



「クソ、結構高いんだぞこの服……」



周囲に聞こえないぐらいの声量で毒付く。

コンパスのようなマークのワッペンが特徴的な黒の綿ジャケット、同色同素材の細身のカーゴパンツが汚れていないかを確認していると、耳が良いのか、女性が随分とあざとい――――可愛らしい仕草で小さく手を合わせてきた。しかも、僅かに赤い舌を覗かせるというおまけ付きで。

気恥ずかしさと気まずさで視線をさまよわせていると、くすり、とからかうような息遣いが耳をかすめる。



「さて、拘束具も外さないとですね。式条くん、鍵を貰えますか?」

「それは構いませんが、シスター・レヴィア。貴方が外すのですか?」

「ふふ、見ているだけ、というのもなんだか忍びないので。それじゃあ失礼しますね」



 女性はそう言うと、黎児のすぐ傍まで近付いてきた。

 恐らく二十歳前半――――黎児の5つほど上だろう。

女性はいわゆるシスター服と呼ばれる装いに身を包んでいた。余裕のあるシルエットのためボディラインが出にくい服装のはずだが、シスター服を内側から押し上げている圧は相当のものであり、内包する豊かさはわざわざ不躾な視線を向けなくとも容易に図り取れた。薄いベールのような被り物から覗く濃藍(こしあい)の髪は腿の辺りまで伸びていて、毛先は僅かにレイヤーが利いている。

髪の毛の手入れなんてろくにしない黎児の勝手な想像だが、この長さの髪を手入れするのはさぞかし大変な作業だろう。



「窮屈な想いをさせてしまってごめんなさい。今拘束を解きますから、もう少し我慢して下さいね」



髪の毛と同じ、濃い青色の瞳に至近距離で覗き込まれる。

女性は、近所どころか都会ですら滅多にお目にかかれない美人だった。

理想的と言える卵型の輪郭と明瞭な目鼻立ちは端整であるものの、鋭さを感じさせない柔和な印象を見る者に与える。浮かべている笑顔も午睡を誘う日向のようで、その印象に拍車をかけていた。同時にどこか困ったような表情にも見えるのは目の下にある泣きボクロのせいだろう。

男なら誰もが弱い――――と言うのは主語が大きいかもしれないが、(あで)やかな大人の女性の雰囲気にやられてしまう人は多そうだ。



「どうかしましたか?」



 眼前の女性が不思議そうな表情を浮かべて首を傾げた。不躾に視線を向け過ぎたかもしないなと反省しつつ『いえ、何でも』と同じ言語で返し、視線を外す。その後も女性は拘束具を外すために手を動かし、十秒程で四肢の拘束が解けた。



「はい、外れましたよ。どこか痛いところとかありませんか? 黎児くん」

「痛みは特にないです。それで、貴女は? 俺の名前を知ってるみたいでしたけど、初対面ですよね?」



 その誰何から隠しきれない不安と緊張が滲んでいる事を、黎児はどうしようもなく自覚する。

目の前の女性は神徒(ステラ)だ。愚徒(ゲイザー)の俺とは違う人種、いや、違う生き物とさえ言っていい。



 ――――脳裏で歴史の教科書が捲られる。

 今から二千年以上前、まだ神徒と愚徒という区別が存在せず、世界が空と地に分かたれていなかった時代の話だ。



 原因は今も定かではないが、ある時から、人類の中に常人にはない不思議な力、『魔力』を持つ人々が現れ始めた。

 魔力で出来る事は個人で異なり、病気を癒したり、海を割ったり、未来を言い当てたり、地を震わせたり、水を操ったり、兎に角多岐に渡った。



 そして魔力を持たない人々、後に愚徒と呼ばれる人々はその力を、理解出来ない『異端』を恐れた。

 そこから先は力を持つ者にとっては苦痛の歴史。

 道を歩けば石を投げられ、少しでも逆らえば女子供であろうと徒に拷問され、殺されるような地獄だった。

 しかし、地獄の中にも一筋の希望はあった。

 後に神徒(ステラ)と呼ばれる事になる人々は、生まれながらに与えられた使命があったのだ。



 それは、『楽園』へと至り神の住まう天空に帰る事。



 極めて抽象的で何のこっちゃと言いたい所であるが、歴史の教科書にそう書かれている以上そういうものだと納得するしかない。

 神徒は物心ついた時から例外なくこの使命が与えられており、使命を遂げる為に一人の賢者が立ち上がった。

 賢者は自分が住む土地を離れ、放浪の旅の中で同志を増やし、 その数は最終的に百人を超えたという。

 そして賢者とその同志――――『賢者たち』は艱難辛苦を乗り越えて『楽園』へと到達し、楽園に該当する大地を魔の力を用いて空に浮かべ、一つの国を作った。



 それが、空域魔導大陸エルヴァーナ。

 黎児がこれから強制送還される場所であり、『科学』により繁栄した地上に対し『魔術』と呼ばれる特別な力によって繁栄した、もう一つの文明である。


 これが、あくまで過去から現在にまで伝わっている歴史の概要。この迫害の歴史はきっと神徒の間でも過去から現在に伝わっているだろう。

 故に恨まれ、嫌われ、疎まれるのは当然なのだ。

 実際、そういった悪感情が引き金となり幾度となく天空と地上の間で争いがあったらしい。


 争いはまだ銃火器の類が存在しなかった時代から始まり、創世歴1939年に地上で起こった『第二次列強大戦』まで続いた。

地上各国がその『内戦』に手一杯となったため、当時発足して間もなかった『国際魔導迎撃機構(IESO)』はエルヴァーナに休戦協定締結を申し出た。結果、幾つかの条件と共に休戦協定を締結。

――――皮肉な事だが、争いによって争いが止んだのだ。


しかし、完全に争いが止まったとは言い難い。

現在に至るまで休戦協定は維持されているもののそれは仮初の平和に過ぎず、争いが再開する可能性は充分にあるというのが専門家の見解だ。

それに、戦いを止めたところで、互いに殺し合いを続けてきた人々の感情までをも止める事は出来ない。

本来ならば言葉より先に、石を投げつけられてもおかしくないのだ。



――――少なくとも、黎児たちはこれまでそう叩き込まれてきた。

神徒とは相容れない。手を取り合う事など夢のまた夢であり、同じ姿形をしていようと、否、同じ姿形をして意思の疎通が取れるからこそ、神徒は『外敵』に過ぎないのだと。



「は……」



 結果、動悸が早くなったのは無理もあるまい。

 目の前の女性は黎児の事をどう思っているのだろう。

 表面上は笑顔だが、内心では分からない。そんな不安だけが、頭の中をぐるぐると回っていた。

 しかしそんな黎児の心境とは真逆に、女性はクスリと小さく笑みを零すと、



「妙にかたいなと思ったら、そっか。自己紹介をしていなかったんですね。ごめんなさい、うっかりしていました」

「っ」



 女性はそう言うと、まだ腰を下ろしたままの黎児と目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。女性の顔がすぐ近くに迫ってきて、思わず目を瞑る。

思春期特有の青臭い条件反射ではない。

黎児はただ、恐怖から目を背けただけだ。

 愚徒が神徒の前に立つ。それはかつて自分達の先祖がそうしたように、あらゆる義憤、あらゆる誹り、あらゆる迫害を向けられる覚悟を背負う事に他ならない。

 故に強制送還を言い渡されたあの日から、自分なりに覚悟を決めてきたはずだった。

だが所詮は付け焼き刃。

現実にはこうして、向けられるであろう悪意から目を背ける事しか出来なくて――――



「ほら、こっちを向いて」



ともすれば蕩けてしまいそうな声が耳を撫でた。加えて冷たく、靱やかな感触が頬に添えられる。

 驚きに目を開く。

 女性はあまりにも穏やかな表情のまま、黎児の頬に手を添えていた。

 初めて目が合った。そんな気がした。



「……こほん。では改めまして。私の名前はレヴィア=エリファス。この格好を見て察しているかもしれませんが、教会でシスターをしております。これからよろしくお願いしますね、黎児くん」



 名は、主に捧ぐ信仰のように厳かに。しかし同時に、他者を包み込む暖かさを伴って告げられた。

呆気に取られる黎児を前に女性改めレヴィアは、微笑みの質をからかうようなものに変えると、




「はい、それじゃあ次は黎児くんの番です」

「え? いや名前……」

「私が知りたいのは黎児くんがどんな子なのかという事です! 好きな食べ物とか趣味とか好きな女の子のタイプとか、色々あるでしょう?」



 レヴィアの表情が悪戯っぽい笑みに変わる。

 至近距離で見詰められるのは居心地が悪かったため身を捩ったが、存外強い力で頬を固定されてしまっており逃げ場がない。



「……じゃあ、改めて。名前は神代黎児。好きな食べ物、というかよく食べてたのは牛丼。趣味は特にないですけど、強いて言うなら筋トレとかですかね」

「こら。好きな女性のタイプがまだですよ? ほらほら、恥ずかしがらずにぶっちゃけちゃいましょう!」


 グリグリと人差し指で頬をつつかれる。見た目だけなら大人しそうなのに、かなり積極的な性格をしているらしい。

 しかし困った。自分でもどうかと思うのだが、黎児には好きなタイプというものが分からない。

一年間の高校生活では、年頃の男女らしく恋愛の話題には事欠かなかった。それでもついぞ答えを出せなかったため、そもそも恋愛への興味が薄いのだろう。

――――その結論は何故か腑に落ちなかったが、そうとしか考えられない。



「ちなみに式条くんは包容力がある人らしいです。仕事中は堅物ですがプライベートだと案外甘えn」

「シスター・レヴィア」



よほど困りきった顔をしていたのか。レヴィアは標的を式条に変えて、微妙になりつつあった雰囲気を霧散させた。

それにしても、包容力がある人か。

式条の事は感情を覗かせない機械のような人だと思っていたが、女性の好みに関しては案外普通の趣味をしているらしい。



「ふふ、この場で問い詰め過ぎてしまうと後々の楽しみが無くなってしまいそうですし、この質問はまたの機会にしましょうか」

「それは助かります。けど……」



言うな、という自分とレヴィアの本心を確かめたい自分が相反する。緊張で口の中が乾いていくのを感じながら、黎児は恐る恐る口を開こうとして――――



「っ」



 直後、ガクンと機体が揺れた。何とか近くの座席に捕まり、振動と衝撃をやり過ごす。



「予定より少し早いですが到着のようです。黎児様、危険ですのでご着席を」

「……床に縛り転がしておいて良く言うよ、全く」



ぶつくさ文句を垂れてから大人しく座席に着く。

そして数十秒後、振動が止まった。

船内が僅かに慌ただしくなる。

――――エルヴァーナに、到着したのだ。













 飛空挺というらしい飛行機に似た乗り物から伸びたタラップを下りる。滑走路ではなく格納庫のような場所に直接機体を入れたらしい。エルヴァーナで初めて目にした光景は、青色とは程遠い閉塞的な空間だった。



「それでは黎児様、こちらの方へ。ドックの出口までは引き続き私が案内致します」

「ん、出口までって事はそこから先は式条さんは着いてこないの?」

「ええ。ドックを出てからの案内はシスター・レヴィアに引き継ぎます」

「レヴィアさんが?」



 後方を振り返ると、レヴィアがお任せ下さいと言わんばかりに微笑みを返してきた。そういえばこの人は何故同行しているのだろう。上層部の命令を遂行する式条達とは違い、シスターであるレヴィアが同行する理由は無いように思える。



「一介のシスターでしかない私が案内を任されている事、気になりますか?」



 黎児の疑問を孕んだ視線に気付いたのか、レヴィアは自分からそう切り出した。

 黎児が頷くと、レヴィアはどこか嬉しそうな、はにかむような笑顔を浮かべる。



「神代黎児くん。いきなりの事でびっくりするかもしれませんけど、今日から私は貴方の保護者となります。里親、というやつでしょうか」

「……え?」



 その申し出に、思わず目を丸くする。

 黎児は今までの人生で親という存在が出来たことがない。

 いわゆる孤児というやつだ。物心ついた時には養護施設に居て、小学校に入る前までそこで過ごした。

 施設の人は皆を平等に良くしてくれたものの、如何せん子供の数が多かったせいか、親というより親身になってくれる先生ぐらいの感覚だった。

 だから、分からない。

 初対面の人から急に里親になると言われて、どんな反応をすれば良いんだろう。

喜べば良いのか。それとも撥ね除ければ良いのか。

親という存在を知らない黎児には、戸惑う事しか出来ない。

 それに――――



「あはは、こんな事急に言われても困りますよね」



 黎児の表情を見て察したのだろう。少し申し訳なさそうに、レヴィアは言った。

訂正しようと口を開けかけて、閉じる。



「……ごめんなさい。レヴィアさんが悪い人じゃないっていうのは、何となく分かってるつもりです。けど少し考えさせてください。今日はちょっと、疲れてるんで」



 黎児はそれだけ言って、レヴィアを振り切るようにして歩き始めた。

そう、悪い人ではないのだろう。内心では分からないが抱いている感情を表に出さないだけで黎児にとっては有難い。

 しかし、今は()()()()()()をする気分にはなれなかった。

 黎児は住み慣れた街、親しい友達を全部、無理やりかなぐり捨てさせられてここに居る。

 昨日の今日だ。当然、その傷はまだ癒えていない。

 だから今はこれ以上何も考えたくないし、したくない。

 現状を受け入れるだけで、受け入れようとするだけで、精一杯なのだから。



「黎児様」

「悪いな、式条さん。男らしくないのは分かってるけど、やっぱりさ。簡単には受け入れられないよ。……あの街、たった一年しか居なかったけど、大好きだったから」



 式条は何も言わなかった。いつも通り無機質な表情で黎児の言葉を受け止め、「では、こちらへ」とだけ残し、先導を始めた。黎児とレヴィアはその後ろを黙って着いていく。

 飛空挺の格納庫を抜けると、細長い通路が口を開けていた。

 通路には小さな覗き窓。

 窓から軽く外を覗いてみると、視界には一面の青空が広がっていた。点々と、まるで間違いのように白い雲が浮かんでいる。見通せる範囲に陸地は見えない。ここがエルヴァーナの『果て』なのだろう。その光景は寂しくも美しく、思わず感嘆の息を吐いた。



「ふふ、ここはエルヴァーナの中でも端の方ですから、空と雲しか見えないでしょう?」

「ですね。けど、この高さからこんな風にゆっくり眺めた事はなかったんで、新鮮です」



 そうなんですか、とレヴィアは興味深そうに黎児の視線を追う。

空が近い。

飛行機の開発により、地上の人間がこの領域に踏み入れるようになって随分と久しい。

しかし、眼前に広がる空は高速飛行により漫然と後方へ流れていく風景とは根本から異なる。

実感があるのだ。空が確かにそこに在る。そう思わせてくれるような実感が。

そうして景色を楽しんでいるうちに、ターミナルのメインロビーらしき場所に出た。黎児が知る地上の空港はオフィスめいていて飾り気が無いが、エルヴァーナのそれは高級ホテルを思わせるような内装をしている。

そんな瀟洒極まるロビーには一見、黎児達以外の利用者は見当たらなかった。

到着と同時にブーイングの嵐、なんて展開を覚悟していた黎児にとっては少々拍子抜けだ。



「ここは一般の方々には公開されていないターミナルですので、利用者は要人に限られます。表向きは十三円卓評議会が所持している別荘という事になっているので、このターミナルならば黎児様が想定しているような事態はまず起こらないでしょう」



式条に疑問を投げてみると、そんな答えが返ってきた。

疑問は氷解したものの今の言葉は少し引っかかる。



「この場所ではって事はつまり……」

「黎児様の受け入れに反対を表明している団体が各ターミナル前にて陣取り、デモ行為を行っているようです。しかしご安心を。先に説明した通り、この別荘にドックが併設されている事は一部の人間しか知りません」

「なら良かった、なんて手放しで喜べる状況じゃなさそうだな」

「はい。現時点では黎児様の顔が割られていないため過激派も容易に動く事は出来ないでしょうが、それも長くはありません。暫くの間護衛を付けて対策する予定ですが――――」

「要らない。護衛を付けられる煩わしさはこの数日間で嫌ってほど味わったからな」



ピシャリと式条の提案を切り捨てる。

トイレに行くのすら一言断らなくてはいけないような環境に身を置くのはもうごめんだった。式条は黎児の一蹴に特に食い下がる事はせず、「かしこまりました」と短く返してきた。

 一行はそのままロビーを縦断し、出口を通過する。



「ここが、エルヴァーナ……」



 本日二度目の感嘆。

 元々、エルヴァーナに渡った人々が地上でいうところの西洋で生まれ育った人が多かったからだろう。その文化を色濃く受け継ぎ、時代の経過と共により洗練された街並みは、まるでおとぎ話の舞台のようだった。



「黎児様。私の案内はここまでですが、最後にこれを貴方に渡しておきます」



 そう言って式条は、黒い革製のアタッシュケースを黎児に向けて恭しく差し出した。B4サイズ程のそれを両手で受け取り、予想以上の重さに目を丸くする。

恐らく6、いや7キログラムはあるだろうか。ケースの重量が精々2キログラム程度とすると中身は相当に重い。

 


「これ開けてもいいの?」

「どうぞ。今この瞬間から、その品は貴方の所有物です」

「じゃあ、遠慮なく」



 貰えるもんなら貰っとくかぐらいの気持ちで、黎児は留め金を指で弾き、ケースを開ける。

 途端、身体が硬直した。

そこに入っていた物があまりにも予想外であり――――何より、最近になってようやく薄れかけていた忌々しい記憶の一端を呼び起こす物だったからだ。



「……式条さん。これは?」

「一時的な護身用の武器として、十三円卓評議会の一角であらせられるモーゼ様が黎児様に下賜された品です。黎児様はこれから魔術を習う身ではありますが、魔術とは一朝一夕で習得出来るものではありません。ですので魔術を習得するまでの繋ぎとして使うようにと、モーゼ様が」

「護身用にしても過剰だろ。式条さんは知らないかもしれないけどコレの殺傷能力は本物だ。護身どころか、相手を殺す事になる」

「――――ええ、殺して下さい」



式条は淡々と、黎児にとって異常な言葉を吐き捨てる。それがあまりにも淡白な言い方だったからだろう。衝いて出ようとした反駁が喉奥で締め上げられた。



「今のエルヴァーナにおいて、どんなに強力な魔術や武器を用いたとしても、過剰防衛となる事はありません。ですので、その時が来たならば躊躇いを捨ててください。迷えば殺されるのは黎児様、貴方です」



脅しでもなんでもない。式条は本気で、黎児に『殺せ』と命じている。

あまりにも現実離れした言葉だ。故に受け入れ難く、嘘偽らざる言葉であっても首を横に振るしかない。



「いやでも法律とか……」

「そこはご安心を。黎児様が住んでいた国には武器の所持に関する法律が定められていたと存じますが、この国にそういった類の法は存在しません。無論、正当な理由なく他人に振るえばその限りではありませんが」

「法律以外にも、色々あるだろ。こんなの一介の高校生に渡していい代物じゃないし」

「……本当に一介の高校生に過ぎなかったのなら、私も同じ考えを抱いた事でしょう。しかし黎児様。貴方の『経歴』は一介の高校生と呼ぶにはその範疇を些か以上に超えています。故に問題はない、そう判断しました」



 淡々と、決して聞き流す事の出来ない情報を式条は口にした。



「経歴って、中学の時の?」

「ええ。かなり優秀な成績を収めていたと聞いております」

「……」



重い溜息をつく。当然と言えば当然だった。異物をエルヴァーナに招くにあたり、素性を調べないはずがない。

しかし黎児は、今の今までその可能性を意図的に排除してきた。

何故なら、



「……分からない。俺の経歴を洗ってあるなら、尚更こんな形で連行する理由はないはずだ。自分で言うのもなんだけど、不穏分子ここに極まってるような存在だぞ」

「……申し訳ありませんが私の口からは何も言えません。その質問に答える権限を与えられておりませんので」

「ちっ、そうかよ。……確かに、扱い方は知ってる。けどさ、曲がりなりにも『魔術』とやらが実在する国なんだろ。それなら振るだけで炎や雷が出る杖とか、そういうのをくれればいいのに」

「そういった類の『秘蹟霊装』もあるにはあるのですが、あれは魔力さえあれば魔術適性の有無を問わず魔術行使を可能とする代わりに、莫大な魔力を必要とします。エルヴァーナに来たばかりの黎児様が扱うには少々厳しいでしょう」

「ふーん。案外夢がないというか、融通が効かないんだな」



 これ以上はゴネても無駄だと判断し、受け取る方向に意識をシフトする。本当なら受け取らず突き返したいところだが、式条の尋常ならざる様子を見るに備えとして一応持っておいた方が良さそうだ。

緊急時以外は絶対に使うまいと肝に銘じつつ、黎児は革のケースに収まっていた武器――――『拳銃』を手に取った。

 グリップに手を這わせると、質量以上の重さが黎児の手にのしかかる。

 冷たい。

 グリップから伝わる冷気が針のように手のひらを抜けていく。そのどこか懐かしさを覚える無機質な冷たさに戦慄しながら、黎児はスライドの右側面に刻印されている字を読んだ。


 ―――― Versus(ヴェルサス)M96 SILVER BRIGADIER。


 それが、この銃の銘らしい。

 M9という名称には聞き覚えがあった。

 とある大国の軍隊で七十年以上採用されていた45口径拳銃。その後継装備として数ある拳銃の中から選定された9mm口径の半自動式拳銃が、Versus社が開発したM9だ。

 使用する弾薬は一般的な9×19mmで装弾数は15。その無骨ながらも流麗な形状と右利き左利きどちらでも扱いやすい汎用性の高さから、今なお根強い人気を誇る半自動式(セミオートマチック)拳銃(ピストル)である。

 撃発機構は雷管(プライマー)撃針(ファイアリングピン)越しに撃鉄(ハンマー)で叩いて撃発させるハンマー式で、最近主流となっているストライカー式の拳銃と比べるとやや大振りな印象を受ける。そしてこれまた最近主流となっているポリマーフレームではなく、言ってしまえば前時代的な金属フレームとなっているため重量も上記のものに比べると増しているだろう。

 しかし、前時代的である事が必ずしも劣るという訳ではない。

 改めて全てのパーツに目を落とす。

 まず、フレーム。

 グリップパネルは通常のモデルと比べると僅かに薄型だろうか。グリップパネル、グリップの前後であるフロントストラップとバックストラップには各々深めの滑り止め(チェッカリング)が施されており、汗や雨――――血による取り落としを最大限防いでいる。バックストラップは僅かに後方に反ったデザインをしており、加えてハイグリップで構えやすいように上部が窪んでいた。M9の改良型にはバックストラップが直線に改良されたものがあるらしいが、黎児の手のサイズを考慮すれば従来の曲線を描いたバックストラップの方が寧ろ扱いやすいだろう。

 グリップエンドは傾斜を強く作る事により弾倉(マガジン)挿入口にゆとりを持たせている。弾倉(マガジン)を挿入し易くする事で再装填(リロード)時の操作はより確実、より迅速に行える事だろう。

 フレームの下部には3つのロッキングスロットで構成された20mmピカニティーレール。これによりフラッシュライトやレーザーサイト等のアタッチメントを取り付ける事が可能となる為、更なる拡張性が期待出来そうだ。

 次に、スライド。

 スライドは上部が大きく切り取られ銃身(バレル)が露出した、M9特有のものとなっている。露出した銃身は濃いダークシルバーで塗装されており、黒を基調とした銃に色のアクセントを生んでいた。機能美のみで象られたこの銃における、唯一の遊び心と言ったところだろうか。

 銃の銘であるSILVER BRIGADIERからも分かる通り強装弾に対応したブリガディアスライドを採用しており、特にロッキングブロック周辺の厚みが増した事で耐久性が大幅に強化されていた。スライド後方、スライドストップの上部には滑り止めのセレーションが刻まれており、スライドを引く事による排莢と薬室(チャンバー)への装填を滞りなく、スムーズに行えるだろう。

 フレーム部分の特徴は以上だが、他にも銃口(マズル)の先端部分にはサプレッサーやコンペンセイターが取り付けられるよう14mmのネジが切られており、トリガーには反動(リコイル)時のズレを防止する目的で滑り止めの(グルーブ)が施されている。

 上記を含めた全てのパーツ一つ一つ、どれをとっても一級品と呼ぶのに相応しい。一般に市販されているものや軍で配備されているものと比べれば精度は雲泥の差だ。値段をつけるとすれば、この一丁だけで恐らく7桁近くの値がつく事だろう。

それだけ注ぎ込んでおきながらも余計な構成やデザインには決して寄り道していない。

機能美だけを残し、射撃という一つの目的にのみ専心する徹底ぶりは、最早感動すら覚える程だ。



「Versus社って事は当然地上で造られた銃だよな。どうやって調達したんだ?」

「詳しくは聞かされていません。なのであくまで私個人の推測となりますが、エルヴァーナの上層部と地上の上層部との間で何らかの取引があったのでしょう」

「うえ、プレゼント兼餞別って訳か」


 腹の底に湧いた不快感を宥めるように、SILVER BRIGADIERのスライドを指でなぞる。

相も変わらず冷たいままだ。突き刺すような冷感は、この一年で薄れかけていた忌まわしい記憶を否が応にも呼び覚ます。



「……経歴を洗ってあるなら、『あの事』についても当然把握してるはずだ。その上でこんなもん渡すなんて、悪趣味にも程がある」

「否定は致しません。しかし、黎児様の生命を守る事が最優先事項です。どうかご理解下さい」



苛立ちが正論で打ち返される。「ああ、理解ってる」とだけぶっきらぼうに返し、黎児は銃をケースの窪みに収納した。

ケースの中に入っていたのは銃だけではない。銃本体用のレッグホルスター、予備の弾倉(マガジン)が三本、弾倉用のショルダーホルスターと革製の鞘に入ったコンバットナイフ、アンクルホルスターと小型の折りたたみ式(フォールディング)ナイフが入っていた。



「念の為全て装着しておいて下さい。この先、何があるか分かりませんので」



 ――――本当に、一体全体何が起きるってんだ。

黎児は戦々恐々としつつ、大人しく指示に従った。

コンバットナイフは逆向きにショルダーホルスターに吊り、アンクルホルスターに収納した折りたたみ式ナイフは左足首に装着。これらは完全にジャケットで隠れるが、銃用のレッグホルスターは右足の太腿辺りに装着されているため、僅かにホルスターがはみ出てしまっていた。



「……」



身体に、質量以上の重さが加わる。それは今すぐ放り投げてから蓋をして閉じてしまいたい程、黎児にとっては忌々しい『枷』だった。



「……これでいい?」

「問題ありません。私はここで失礼いたしますが、何かご不明な点などございますか?」

「ああ、うん。いや、ちょっと待った。俺がここに来る前に頼んだ事、ちゃんとやってくれた?」

「はい、その件に関しては滞りなく。しかし、本当に宜しかったのですか?」

「なんだよ。感情を清算しろって言ったのは式条さんだろ?」



 黎児は苦笑混じりに言ったが、式条の顔は険しいままだった。



「黎児くんは、式条くんに何かお願いをしていたのですか?」

「大したやつじゃないですけどね。後処理的なことを、少しだけ」



 出来るだけ平静に努めて、黎児は嘘を吐く。

 そう、大した問題じゃない。

 ――――地上に残してきた親友達及びその周辺の人間から、『神代黎児』という人間が存在していた記憶を消しただけ。

如何なる手段を用いたのかは不明。しかし、そんなものはどうだっていい。

重要なのは結果だ。

式条が滞りなく進行していると答えた以上、今頃は黎児に関する『記憶』を失い、実は神徒だった不届き者というただの『記録』に成り下がっている事だろう。

 


「……では私はこれで。最後に、一つだけよろしいでしょうか?」

「ん。いいけど、何?」



 式条は立ち上がると、黎児の胸にトン、と軽く拳をぶつけてきた。

 突然の行動に驚く間もなく、式条は口角をぎこちなく、不器用に歪ませた。

 そんな妙な表情を最後に残して、今まで機械のようだった男は他の黒服を伴いこの場を後にした。



「あれ、もしかして笑った……というか、励ましてくれた?」

「ふふ、不器用でしょう? 彼、笑顔が下手だから笑おうとするとああなるんです。お酒に酔った時は大口開けてケタケタ笑うんですけどね」



レヴィアはクスクスと笑って、式条の人柄を語る。

式条は式条なりに黎児の身を案じてくれていたのだろう。笑顔も励まし方も不器用極まりない。全身が痒くなる程下手くそだった。

しかし、今のは良い不意打ちだった。

呆気に取られて礼を言えなかった事を、悔いるぐらいには。


 

「さて。それでは寮の方に向かいましょうか」

「寮?」

「はい。黎児くんがこれから『魔術学院』へ通う事になるのは、もう知ってますよね?」



何日か前にそんなような話をされたのは憶えている。

確か、学院に身柄を預けた方が安全だからという理由だったはずだ。



「一応聞かされましたけど、俺学生寮に入るんですか?」

「そうなります。……さっき保護者の話をしたと思うんですけど、残念ながら黎児くんと私が同じ屋根の下で暮らすのは確定なんです。私、学生寮の寮母をしてたりするので」



 あはは、とレヴィアは申し訳なさそうに弱々しく笑った。もしかしなくとも先程のやり取りが尾を引いているのだろう。

見ているこっちの胸が痛くなるが、あれは黎児の偽らざる本心というやつだ。訂正する気はない。



「その、学生寮って事は他の学生と一緒に過ごさなきゃいけないんですよね?」



 恐る恐る聞いてみる。幸い今まで会った2人は黎児を邪険に扱うような人物ではなかったが、他の人達もそうである保証がないのは実際にデモが起こっている現状から明らかだ。



「やっぱり、不安ですか?」

「……分かります?」

「それはもう。黎児くんは顔に出やすいですから」



そこまで分かりやすい表情を浮かべている自覚はなかったが、内心では自分が思っているより不安が強いのだろう。溢れないよう表情筋を引き締めつつ、黎児はある提案をレヴィアに持ち掛ける事にした。



「まあ、そういう事なんでいきなり共同生活とかは厳しいかなって。既に入寮している学生にとってもハードルが高いでしょうし、近場に安価な宿泊施設とかないですか? 情けない話、まだ神徒の学生と対面する勇気が心の準備が出来てないんです」

「あーそれは……」

「?」



如何なる理由からか、今度はレヴィアの方が顔を曇らせる。何だろうと不思議に思った直後、レヴィアはとんでもない爆弾を投下した。



「そのぉ。私、黎児くんのお迎えのためにクラスの代表をここに呼んじゃったんですよね〜」

「……まじ?」

「まじです。皆に紹介する前にクラスの代表の子と仲良くなっておいた方が良いかなぁって」

「……」

「……」



 黎児の目から放たれる無言の圧力に耐え切れなかったのか、えへへ、とレヴィアがはにかむように笑った。

 笑い事じゃねぇぞ畜生――――!!

と叫びたい気持ちに全力で蓋をし、即座にこの場から逃走を図ろうとした直後。

 


「いたいた。おーい……って、なんでそんなトコでぼうっとつっ立ってるんですか2人とも」



 一人の少女が、こっちに向かって歩いてきた。



「あ、イヴさんちょうどいい所に! 私はこの後ちょっと予定があるので、後は若いお二人でどうぞごゆっくり!」

「ごゆっくりって、ちょっとま……」



 少女が止める間もなく、レヴィアは長いスカートを気にも留めない全力疾走で走り去っていった。



「もう。レヴィアさんってば勝手なんだから」



 ブツブツと何か言いながら、少女が近付いてくる。

 一歩一歩、一音一音靴音を響かせて、近付いてくる。

 ――――喧騒が聞こえない。

 普通なら目立たないはずの音が、掻き消されるはずの音が脳内に反響している。

 そしてその音に追随するように自身の鼓動が重なった。

 心臓(ポンプ)がイカレちまったのだろう。熱を帯びた血液が堰を切ったかのように溢れ出し、血管を拡張しながら全身を駆け巡る。

 溶けていくような前後不覚。立っているのか座っているのか寝ているのか頭を垂れているのか嬉しいのか悲しいのか怒っているのか気持ちいいのか。自分という存在がピンボールみたいに定まらない。

神代黎児という輪郭が、境界線を見失った気がした。



「ま、そういう訳だから。私が一人で寮まで案内するけど、良いわよね?」



 少女の意識が、蒼い双眸が初めて黎児に向けて流される。

 瞬間、ゾクリと皮膚が泡立った。

 灼熱の血液は極寒へ。血液にガラス片でも混ざっているのか、拡張されるような鈍痛は突き刺すような鋭い痛覚へと変貌する。

 これ以上視界に収めれば壊れる自覚があるのに、一瞬たりとも少女の姿から瞳を外す事が出来ない。

 白目が蝋にでもなった気分。固定された瞳は絶えず少女の姿を写し続ける。何となく、脳裏に蜘蛛の巣に絡め取られた哀れな蝶のイメージが沸いた。



「あの、もしもし聞こえてる? おっかしいな。バイリンガルって聞いてたけど、もしかして共通言語わかんない?」



 聞こえている。分かっている。何か言わなくてはならない事も、理解している。しかし溶接された喉が、その行為を許してくれなかった。



「参ったなぁ。この状態で放っておくとか、レヴィアさん正気?」



 少女が呆れたように嘆息する。

 知っている名前が出たからだろうか。乱れていた自分が僅かに戻ってきた。

 黎児は動悸の激しい胸を押さえつけ、深呼吸で肺に酸素を取り込む。

 辛うじて話すぐらいは、出来そうだった。



「……ごめん。少しぼうっとしてた。聞こえてるし、共通言語も問題なく扱える」

「ぼうっとしてたって……まあ、良いけど。まだここに来たばかりって話だし、そういう事もあるか」



 ふむ、と得心した様子を見せた少女は改めて黎児の事を見据えた。

後退りそうになる足に踏ん張りを入れて、真正面から蒼色を受け止める。



「それじゃあ改めまして。私はイヴ=フラグメント。

帝国式第一魔術学院所属の魔術師よ。よろしく」



 神託のように告げられたその名を胸に刻み付ける。

 ――――かくして俺はこの日、この瞬間、運命に出会った。

 自分でもどうかと思う一文だが、そう思える程、この出会いは神代黎児にとって特別なものだったのだ。




出てきた銃のモデルはベレッタ社のM9A1です。

ライセンスの規則にあまり詳しくないので会社の名前だけ名前を変えて登場させましたが、M9A1の部分はそのままなのでもしご指摘頂いたらその部分も変えます。



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