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マチルダ文書の行方

 巫女試験が終わり、ジルドは聖ロマリア国の中枢にあるロマリア大聖堂に向けて馬を走らせた。巫女試験の報告書を届けにきたのだ。機密情報のため、手紙のように送るというわけにはいかなかった。


 大聖堂には大きく分けて三つの組織がある。

 まず、教皇庁。教皇を長とした、主に儀式や教皇の補佐をする部署。巫女は大聖堂に入った後はこちらの管轄になる。

 次に国務庁。大聖堂や神殿、各地域の教会を取りまとめている。ここは聖ロマリア国の要と言ってもいい。

寄付金の管理などの総務、各教会への神官の派遣、近衛兵の養成などは人事部が行っており、ジルドら審問官も国務庁の巫女審問部に属している。

 最後に教典庁。教典や巫女の神託についての研究保存及び異端審問を行っている。


 大聖堂派と呼ばれる派閥は国務庁が主体であり、教皇派は言わずもがな教皇庁が主体だ。

なお、教典庁は中立となっている。


 教皇庁は年間スケジュールから逸脱することはなく儀礼的に回っており、過度な予算を要求して争いになるようなことはない。

この派閥が効力を発するのは、次の教皇を決める時だ。


 ジルドのように無所属の者もいるが、上位者に関しては、出世の足がかりとしていずれかの派閥に入っているはずだ。

 今からノックする部屋にいる巫女審問部の部長も例に漏れず、最大派閥である大聖堂派の中心人物だった。


「失礼いたします。報告書をお持ちしました。」


「入りなさい。」


 フィリス枢機卿は色素の薄い髪の天辺を剃り、金糸の刺繍の黒いミトラを被っていた。

 ジルドより5才くらいは年上だろう。枢機卿としてはかなり若い。顔はすこし脂が浮いて子供のようにつやつやとた赤い頬をしている。

フィリス枢機卿は微笑を浮かべ頷きながら報告書を読み、問いかけた。


「天国を作る方法…実に興味深いですね。なぜ不合格になりましたか?」


「合議の結果です。詳しくは議事録に記載しています。」


「では再調査の依頼です。」


 微笑を一切崩さないまま間髪入れずに命令され、ジルドは信じられないという目で枢機卿を見つめた。


「試験はつい数日前ですよ!こんなことは認められません!」


 ジルドはたまらず少し声を荒げた。審問官の信用に関わることだったからだ。


「ジルド神官、あなた…エヴァ様を自由にしてさしあげたいんでしょう?」

 

 そう言うと、フィリス枢機卿は手を組んで顎を乗せ、上目遣いでジルドを見つめた。  

表向きはまるで理解のある父のような、いたずらっぽい微笑を浮かべているが、ジルドには脅しのように聞こえた。


「どういう意味で仰っているのですか?」


「心配しなくていいのですよ。次は構成を変えて…君以外の2人は私が選んだ審問官を行かせますから。」


 フィリス大神官が目配せすると、部屋に控えていた体格の良い審問官たちが隣に並んだ。ジルドは両側を固められて有無を言さず部屋を出された。


(巫女審問部にこんな奴らいたか…?)


 ジルドは審問官を辞めて国務庁の別の部署で働いていた。その間に採用されたのだろうか。


(それにしては貫禄があり過ぎる。)


訝しんでいると、2人のうち1人が口を開いた。


「休む間もなく恐縮ですが、東の聖殿へ参りましょう。」


「いや、すまないが一寸…リュカ大神官からの預かり物がある。それを届けてからでもいいかい?…教典庁なんだ。」


 体格の良い審問官たちは頷き合い、入口で待つという条件で訪問を許可した。


 ジルドは星水晶の実技試験で起こったことについて疑問点があったので、リュカ大神官に相談していた。

すると、巫女の神託を保存、分析している研究者に話を聞くように言われたのだ。

彼は神託を読むだけでどの巫女のものかわかる変態…いや優秀な研究者だと言う。

 バーディー部長。名前を聞いて思い出したが、かつて神官見習い時代にジルドの講師だった人だ。


 教典庁は薄暗く、資料の保管のために密封された空間だった。

空気が淀み、どことなくひんやりとしている。


 高い書架を置くための広い空間に、机で区切られたたくさんの部署があり、目的の机にたどり着くまでに4人ほど声をかけて聞いたので、時間がかかった。

書類の山の陰にその人の姿を見つけた時にはどこかホッとした。


 バーディ部長…神託管理部のリーダーである壮年の神官は、近眼で眼鏡をかけていて、顔色が悪く、目の下には濃い隈を作っている。

 巫女審問部も最近は忙しく常にクマを飼っているが、バーディ部長のそれは年季が違う。

髪には艶がなく、後頭部はあらぬ方向へはねている。

 風呂に入っていないのか、近づくにつれて汗の匂いとかびたような書物の匂いが混じって、早くここから出たいと思わされた。


「バーディー部長。お久しぶりです。」


「…どっかで会ったかな?」


 何人もの神官が受けていた講義だ。覚えていないのも無理はないだろう。


「ええ、以前講義で…国務庁審問官のジルドです。つい先日までは別の部署にいたのですが、出戻りまして。」


「ああ、そうか。で、何の用だ?」


 バーディー部長はジルドのことを思い出したのかはっきりしない様子だったが、それにかまわずジルドは聞きたいことがあると話し始めた。


「私が担当した巫女候補に、変わった現象が発生したのです。」


 ジルドは説明しながら報告書の写しを手渡そうとしたが、バーディー部長は目を瞑って聞いており、受け取ろうともしない。


「…過去にこういった方法で神託を受けた巫女はいるのでしょうか?」


「ない。巫女が祈るたびに倒れてたら神託を聞くのは誰か?」


「その時はたまたま私たちが聞きました。

"天国を作る方法"について心当たりは?」


 ようやく顔を上げたバーディー部長に、ジルドは机に報告書の写しを置いて見せた。


「ふむ…それはおそらくマチルダ文書のことじゃないかと思うんだがね。」


「マチルダ文書?」


「神暦1755年10月10日。その日だけ神託書がここに送られる前に盗まれたのか、全ての内容が不明のまま欠損となっている。

その失われた神託書を指して我々はマチルダ文書と呼んでいる。 

当時の研究員も何の疑問もなくハイじゃあこの日はナシって、普通おかしいと思わんかね?」


 マチルダというのは、おそらく当時在籍していた巫女の名前と思われるが、詳しくはよくわからないらしい。


「私が着任するずっと昔の話だ。

巫女の神託は教典庁で管理保存されている。

神様の教えそのものなのだから広く永く伝えられねばならん。

だが、高く売れるとも思えんし関係者が罰当たりなことをしてまで盗むだろうか?

であれば、何らかの理由で秘されたという可能性が高い。」


 実際、過去にもそういう事例はあったが、教典庁に回って来ないのはこれ以外は例のないことだという。

日々の神託書は教皇のもとで作成、保管しており、すり替えは一切できないようになっている。

なら、マチルダ文章は誰がどうして隠したのか。


「当時、こんな都市伝説があった。」


 ある日、治癒士が大聖堂に呼ばれて行くと

黒焦げの人が寝かされていて治すよう言われた。

体をきれいにしなくては最後の審判の際、天国に行けないから、と。

こんな酷い状態は見たことがない。無理だ、手に負えないと治癒士が言うと、自分はそんなに酷いのかと黒焦げの人がはっきりと喋った。

 意識があることに驚いて何も言えず、治癒を施したが間もなくその人は亡くなったという。


「噂話だが、妙に記憶に残るだろう?」


 ぞっとするが、これが失われた神託と、なんの関係があるのだろう?


「都市伝説を耳にした当時の教皇は、その話を大聖堂への冒涜だと厳しく批判した。

その時側にいた神官が聞いたのは、ありえない、天国を作るなんて…という言葉だった。」


 これはあくまで噂だ。確認しようにも、当時の教皇はすでに亡くなっている。

側付きの神官を特定するのも難しいだろう。


「この話が出始めたとされる時期と、マチルダ書の紛失時期が重なることから因果関係があるんじゃないかと…あくまで私の憶測だが。

ちなみにこれはもう提出したのかね」


「はい。」


「なら、じきにこっちにも回ってくるかもしれんな。これは神託だよ、間違いなく。

ところでジルドくん。二度同じ神託があった場合はどういう意味だと思う?」


「警告…?」


「ふむ、お前もそう考えるか。

 マチルダについて調べるなら気をつけなさい。都市伝説の方は大聖堂派の連中が酷く嫌って噂を潰してまわっている。」


 だが、調べようにも出口で屈強な審問官二人が待ち構えている。

マチルダという巫女の確認は審問部でできるかもしれない。

ジルドは別の方向から調査することにして憂鬱そうに出口へ向かった。

 その後、ジルドたち審問官はすぐにサンタマリア・クレール神殿へ引き返したのだが、星水晶たちは既にテーベ王国へ発った後だった。

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