知らない世界
悪魔はふわりと浮かんで慰霊碑の上に腰掛けた。
先程の大男の姿とは違い、長い髪の少女の姿をしているが、妖しく光る金の眼や気配は悪魔のそれであった。
『お前は…!聖槍の力で完全に消えたはず…』
「そう。だから安心して?あなたたちに何かする力なんて残ってない。獣頭たちも出せないし」
その証拠に、悪魔と対峙しても先程のように力が吸い取られるような苦しみは全くなかった。しかし金の眼をくるりと動かして見下されると、思い出して目眩がしそうだった。
「セイラ弱ってたから殺す気でいったのにずいぶん耐えたなぁって。頑張ってたのはあなたたち?」
聖人と一智佳様は魔から身を守る術を知っており、星水晶の魂が体から離れた後も一智佳様だけが心臓を動かし続けることができたのは、そのためだった。
『何の用や?フィーネやったら逃げてしもたで。あんたが何もしてこおへんならうちらも敵対するつもりはないんやけど』
すると、口元だけ笑みを作って悪魔は言った。
「2人にいいことを教えてあげようと思って」
『…そういうの、うちらの世界では悪魔に魂を売るってゆうねん』
「消えたあの子について、フィーネが知っていてあなたたちが知らないこと。」
それを聞いてこれまで冷静だった聖人の態度が変わった。
『話だけは聞こう』
『あかんで。ご先祖さまの時代でも言われてたやろ!?タダより高いもんはないって!』
『たとえ嘘だったとしてもこちらの優位は変わらない。情報を精査すればいいだけのことだ。』
一智佳様は乗り気ではなかったが、最終的にはため息をついて聖人に任せた。
「あの子はこの世界に生まれることができずに死んでいった。その時に残したものがある。」
『残したもの?』
「あの子にまた会いたいでしょ?だったら方法は一つ。セイラが目覚める前にあの子の欠片を見つけて封印を解くこと。」
『ちょっと待ち。封印は放っといても解けるんちゃう?
九堂の封印術なら解除できるっていうし、なんでわざわざそんなん探すねん。』
フィーネ様はいずれ封印が消えて解放されると言っていた。ということはわざわざ封印を解く必要はない。
「フィーネはあの子がいる場所にあなたたちが入れないようにしてる。入るためには欠片が必要なの。
それに、セイラが目覚めると同時にあの子は天国に行くけどあなたたちは一緒には行けないんじゃないかなぁ?」
『…っ!』
聖人は既に人ではなく、通常の方法では天国に行くことはできない。
一智佳様も星水晶を守護する者である以上、この世界から自由に離れることはできないのだ。
一智佳様達は文子様とともに星水晶が死んだ時に守護霊として共に行くつもりだった。
それがもう一度文子様を現世から解放する唯一のチャンスだったのだ。
しかし、文子様は既に星水晶の中にいない。
『文子さんを星水晶に戻すしかないってことか…』
『これを教えてあんたに何の得があるんや』
「なくはないけど…全部フィーネの思い通りになるのも癪に障る。」
悪魔と、一智佳様、聖人はフィーネ様と敵対しているという点では仲間だった。
「それに悪魔は人間としか取引しないからあなたたちは対象外。あとは自力で頑張ってね。」
『文子さんの欠片はどこを探せばいい?』
「ミレーユという元巫女が手がかりよ。」
そう言うと悪魔は去っていった。
『どうする?星水晶のとこ戻るか、それとも欠片を探すか。』
『…式神にもう少し探らせて、それでも見つからないなら欠片について調べてみよう。』
星水晶の中へ戻っても神殿からはすぐに動けない。それなら単独で動いた方がいいと考えた。
『せやね…真狒を置いてきたからまだもつと思うわ。万が一、危なくなったら戻ろか。』
こうして、一智佳様は星水晶とは別行動を取ることになった。
神殿では、審問官たちによる合議が行われていた。星水晶の巫女試験の合否についてである。
ヨハネス審問官が、ジルド支部長とヤン審問官に、実技試験で起きたことについて話し合っていた。
「彼女は聖具を全て使って神託を行ったように見えました。」
「しかし守護霊に代わった後だろう、本人の資質については疑問だな。」
「シスター・セイラを起こした時、不思議な体験をしたんです。ええ、不思議としか言いようがない…喋る猿と羊に会ったんです。」
「は…?」
「あの光の中に天国を見たと言いたいのか?」
「羊が言うには門が開いたと。猿はまだ作っている途中だと言っていました。」
「議事録として報告書にも記録するが、本当にいいんだな?」
経典で門といえば神そのものであり、人に触れて神の国を見たというのは教えに反するだろう。
異端審問にかけられる可能性もあったので、ヤン審問官はヨハネスのことを思い遣って訂正する。
「聖具に起こったことの記載で充分だと思いますよ。それより、審問を続けましょう。
俺は、今回の試験は通常とは違うことが多すぎると思うんですよ。」
規定年齢16歳を超えての試験であること。
調査期間の短さ。
守護霊の出現。
聖なる指輪に起こった異常。
実技試験後半で起こった現象。
それら全て、ヤン審問官には違和感があると言った。
「これは神様からのサインだと思うんです。
立ち止まりなさいと言われているような…俺はそれに従って一度ゼロから考え直した方がいいと思う。」
「今回は不合格にしたいということだな。」
「そんな!ここで神託があったのをお二人も見たはずです。あれこそ天啓です。」
「けどなあ、その実技試験で聖具がわからなかったのも事実だよ。」
「私も、はっきり確信が持てる瞬間がなかったので見送りたい。聖槍の力を持っているなら儀式中に何も起こらないのはありえない。真に巫女であるならば、いずれ必ず見出されるだろう。」
しかし、星水晶はもう17歳になっている。中には幼少期から修行をしている巫女もいるのだ。遅れればそれだけ苦労するのに、とヨハネスは唇を噛んだ。
他にもいくつか協議を重ねたがジルドとヤンの意見は変わらなかった。
実技試験で起こったことは他の巫女の神託とは全く違っていたのでそれを理由に合格にするのは難しかった。
結果、星水晶は不合格となった。
帰る前にヨハネスは星水晶を呼び出した。
「セイラさん、少しお伺いしたいことがあります。」
2人は屋外のベンチに移動して腰掛けた。
「あなたのいた世界についてお話を聞きたいのです。」
星水晶はそれを聞かれると思っていなかったので驚きながら応じた。
「あなたの世界では…動物は喋りますか?」
ヨハネスが真顔でそんなことを言ったものだから、星水晶は口を手で覆って、笑ってしまうのを何とか堪えた。
「あ…オウムという人の声真似をして喋る鳥はいます。あとインコや九官鳥…」
「それならこちらの世界にもいます。猿や羊は?」
「喋らないと思います。ですが人と同じように感情があり思考していますから、言葉以外でコミュニケーションが取れますよ」
「…あなたの世界では、空は何色に見えますか?」
「難しい質問ですね…藍色、青、水色、オレンジ、赤…夏の日没後のピンクから紫のグラデーション…」
記憶を反芻するように星水晶は目を閉じて指折り数えていた。
「卵の黄身のような色は?紫の砂地はありますか?あと、黄金の道も。」
ヨハネスが身を乗り出して質問責めするのに苦笑して、星水晶は答えた。
「夕空のオレンジ、紫の砂浜、光でできた黄金の道…全て私の故郷にある風景です。」
それら3つは星水晶が今まで見た中でもとりわけ好きな風景で、心に留めていたものだった。
ヨハネスは、あれは天国ではなく星水晶の記憶なのだろうかと思い、すとんと座りなおした。
しばらく沈黙が続いた。
外に長くいると肩やお尻が冷える季節だ。
「我々審問官は明日、ここを発ちます。
以前もお伝えしましたが、不合格だからといってあなたの価値は何ら変わりません。どうか気に病まれませんよう…」
「ありがとうございます。」
ヨハネスは、体には触れず、軽く星水晶の背に手をまわし、別れの抱擁をした。
その際耳元でささやいた。
「ネオアウスはまだ作っている途中だけど、きっといいところになるよ。皆君を待ってるから。」
「ヨハネス審問官…?」
「伝えてくれと言われたから。いや、わからなければいいんだ。きっと君はまだ目覚めていないだけなんだね。」
そう言ってヨハネスは手を離した。
不合格になったが、ヨハネスは星水晶には何か使命があるように感じていた。
審問官が選ばなくても、白い猿や羊が彼女にとってより良い時に覚醒させるのだろう。
不思議そうに首を傾げる星水晶に別れを告げて、ヨハネスは審問官の部屋へ戻った。
(美凪様、真狒姫、ネオアウスって何かわかりますか?)
『うーん、あそこのことだと思うけど。』
『わたくしが封印されていたところ?』
つまり、星水晶の無意識領域だった。
ヨハネスが他人の意識に触れることができる能力を持っていたのだろうと星水晶は考えた。
魔法がある世界だし、試験の一環だったのかもしれないと。
(真狒姫がいたのはどんなところでしたか?)
『快適だったわ。家から出られなかったけど、欲しいものは何でも手に入るし、住めば都。』
(そうなんですね。)
星水晶は動物とお喋りをして優雅にティータイムを楽しむ真狒姫を思い浮かべた。
登場するのが喋る猫に喋るウサギだったら、何だか不思議の国のアリスのようだ。
『ヨハネスが言っていた通り、紫の砂地がずっと続いていて、白っぽい卵色の空があって…あと透明な湖と島があるの。』
『あたしが見たのは喋る犬と鶏だったな。真狒姫の家を訪ねる時、鍵をくれたのは地味な毛色の犬だったわ。あと…その犬、箱に入ってた。』
メルヘンのような世界で星水晶は行ってみたいと思ったが、現実的には先に行くべきところがある。
エヴァ様の指示で、旅支度と別れの挨拶が済み次第、テーベ王国に出発することになった。




