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九州大学文藝部・書き出し会

Moving

作者: 蝶美偽名

 引っ越しの準備をしていたら思いがけないものが出てきた。鞄の下の方で、ぺしゃんこに潰れていた。地下の集団移住区域に、小学生だった妹と一緒に急いで避難したあの日、慌てて鞄に詰め込んだのだろう。でも結局そのことを忘れたまま、随分時間が経ってしまった。

 今日は、二回目の引っ越しだ。

 私たちの国が打ち上げた探査機が小惑星の欠片を持ち帰ったのはもう十数年も前のことだ。欠片を入れたカプセルは、生命の起源に迫るだとか、宇宙の成り立ちのヒントを得るだとか、とほうもなく巨大な目的達成に近づくためのきっかけになるかもしれないと、散々もてはやされていた。玉手箱とまで揶揄されたそれが、開けてはならぬパンドラの箱であると世間が知るのに、そう時間は掛からなかった。カプセルの中身は、特別なものだった。私たちが到底予期し得なかった程に。

 箱の中身がどんなものなのか、幼かった私にはよく分からなかった。実際、今でもよく分からない。でも、箱の中身をみんなが欲しがっていた。世界戦争は気づかないうちに始まって、気づかないうちに休戦状態に入った。人々のほとんどは地下に潜った。地上の空気に数秒でも触れることは、永遠の眠りに就くことを意味していた。見上げるといつも、配線コードと剥き出しの水道管がくっついた暗い天井が見えた。不安と恐怖にのみ込まれそうで眠れない夜は、満点の星空を瞼の裏に描いた。

 私たちの国が、国民をこの星から逃す準備を始めたのは数年前のことだった。全員が脱出できるのかどうか、誰もが知りたがった。結局、段階を踏みながら、最終的に全国民を脱出させると政府は約束した。最大十年。それは、この国のあらゆるライフラインと食料が限界を迎えるとされる年数だった。

 十年が経ち、私に渡航の通告が来た。出発は今日だ。

 鞄の中から出てきたのは、チケットだった。映画のペアチケットの、片方。

 地下の集団移住区域への避難が勧告されたあの日、私は中学生だった。多分友達を映画に誘ったのだろう。あの日は土曜日だった。サイレンが鳴ると、マンションの隣の号室のおばさんがやってきて、私と妹に、必要なものを急いでまとめて頂戴、逃げるわよ、と言った。その時、私が何よりも先に鞄に入れたのが、きっと、その日の午後行く予定だった、友達といく予定だった、映画のチケットだったのだ。

 その友達の名前も、顔も、よく覚えていない。男の子だった。中学生で男女ペアで一緒に映画って、そんなの今の私だったら緊張して仕方がない。余程じゃないと行きたくない。多分当時の私はもっとそうで、それでも行きたかったということは、多分そう。

彼とはその後、会うことはなかった。

高校生以上の年齢の男の子は、みんな戦争に駆り出されていった。


「お姉ちゃん、大丈夫?」

部屋に入ってきた妹は、膝から崩れ落ちて嗚咽を上げる私を見ると、驚いた様子で駆け寄ってきた。

「ねえお姉ちゃん、こんなの見つけたのよ。私、お姉ちゃんに渡してなかったの」

 妹の手には、紙きれが握られていた。

 「それ、何?」

 「チケット」

  え?私は聞き返して、それを凝視した。

  私の持っているペアチケットの、もう片方だった。

 「どうして、あなたが持ってるの」

 「ええとね、もらったのよ。もうずっと前、ここへ避難してくる、一週間くらい前に。さっき思いがけず見つけたの。鞄の下でぺしゃんこになってた。」

 「男の子から、受け取った?」

 「うん。あの、お父さんが、確か政治家の。」

 そうか。彼は早い段階で、避難のことを知らされていたのかもしれない。

 私は妹の手からチケットを受け取った。チケットの裏側の真っ白な所には、また今度行こう、来週は行けない、と走り書きがしてあった。私は無言でしばらくそれを見つめた。

 やがて我に返り、「行くよ」と妹に声を掛け、部屋を後にした。

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