表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

左遷されてから

 

  ーー私は今、史上最大規模の敵から逃げていた。


「はぁっ……はぁっ……」


  奴ほどの速さで地上を侵略できる存在が他にもいるだろうか? いや、いまい。

  何を以っても、奴の侵攻を阻むことはできないだろう。

  それこそ、この世界最強の武力でさえ、アレには太刀打ちできまい。

  そもそも触る事さえ叶わない存在に向かって、何が出来ると言うのか。

  アレの前には、私には、ただ逃げるという選択肢しか無かった。


「おい! 落ち着け! 『おやつも』を思い出すんだ!」


  飯尾が背後から声を掛けて来た。

  『おやつも』は、非常時における行動指針を分かりやすく示したものである。


「お、落ち着く!」

「オーケー、『や』だ!」

「や、休む!」

「『つ』!」

「躓かない!」

「も!」

「目的を持って行動する!」

「それで、お前が今すべきことは?」

「はぁっ……! 身を隠す場所を探す!」

「そうだろ! おい、あそこの木陰に隠れるぞ!」


  目の前には、丁度二人が座って身を隠せるくらいの大木が聳えていた。

  ここならば、何とかなるかも知れない。


「はぁ、はぁ……お前こんな足速かったか?」

「フィールドワーク勢の体力舐めんな……ハンミョウや、アシダカグモに、追いつけるからなぁ……」

「流石、基地外」

「嬉しくない」


  やっと一息つけた私らは、息も絶え絶え、二人で腰を下ろした。

  アレが樹木を回り込んで追撃を仕掛ける兆しはない……今はまだ。


「はぁ、一体何が起きたのか……」

「俺にも、分からん、な……はぁ。ま、今分かって、いる情報を、まとめてみるかぁ」

「そうだね、それしか無さそうだ」




  時は遡って数刻前。


「ホーウホウホウ、ホーウホウホウ」


  どこかでフクロウの仲間が鳴いている様だが、視界は暗く判然としない。林内独特のカビの匂いのする何かに包まれており、その暖かさにうとうとするが、その微睡みはカサカサという音とゆさゆさと体を揺さぶられる衝撃で解けてしまった。


「起きろー起きろー、あ、タカチホヘビの一部色素欠如種が見つかったって」

「マジで?!」

「あ、起きた。嘘だ」

「嘘か……」


  いつもの寝起きのやりとりで少しは目が覚めた。

  まだはっきりしない頭を振り、目を覚ますと、そこはどこかの森林であった。

  樹木がわっさわっさと葉を揺らし、フクロウっぽい鳴き声が聞こえて来た。

  頭を揺すると髪を伝って枯れ葉がひらりと落ちた。


  トラックに轢かれたと思った私と飯尾は、見知らぬ森に二人、倒れていたらしい。

  飯尾の方が少し早めに目が覚めたため、辺りを見回していると、何か落ち葉の中に膨らみがあり、「もしかしたら……」と思って落ち葉を掻き分けると私がいたらしい。

 コイツの「もしかしたら……」は「もしかしたら(この下に死体が?!)」を期待していたのだろうが、残念だったな! 私はまだご存命だよ! と、奴の企みが挫かれたと思うと少しは嘘を吐かれた事による溜飲が下がった。

  しかしいくら見回そうとも、祭のまの字もトラックのトの字も見当たらない。

  有るのは飯尾と森林と私だけだ。

 みんな違って、みんないいのさ……は置いておいて。

  私はポケットにぞんざいに入れていた軍手をはめた。肌寒さを和らげようと思ったからだ。

  そしてまだ落ち葉を靴で搔きわける飯尾にこう尋ねた。


「飯尾、ここはどこなのだろうか」

「見たところ、建造物も何も無し。樹木は落葉しているから季節は秋っぽいけれど……寒くはないな?」

「確かに、冬と言うほど寒くは無いが……肌寒くは無いか?」


  若干吐く息が白い事からもやはりこの場の気温はかなり低いと予想できる。

  服も着ているから鳥肌が立つほどではないが、このままずっと体を休めていると風邪を引く程度の寒さだった。軍手をはめた指先はまだ冷たかった。

  飯尾は私の言葉に不思議そうな顔をした。


「え? 全く」

「飯尾お前……冬なのに海岸で薄着で骨拾いなんかしているから、とうとう感覚までおかしくなったのか」

「そう言う早崎だって、目が底光りして……夜間活動し過ぎてとうとう反射板まで手に入れたんじゃないか?」

「本当か? やったな、早く鏡見たいな」


  その冗談と一蹴出来ない態度とその内容に、不安と好奇心がくすぐられた。

  夢であれば醒める前に是非人類が道具無しでは成し得なかった暗視が可能な証拠を見たい。

  夢といえば、最近の『VRモノ』もこの様に進化しているらしいが、まるで現実と見分けがつかない事などあり得るのだろうか?

  それに、単純に疲れからの誤認であれば良いのだが…… この寒さを感じない飯尾は頭大丈夫なのか?

  そうか、もう手遅れだったか……そうかそうかと一人納得すると疑わしげな目で飯尾に覗き込まれたため、早期の話題転換に努めることとした。


「で、どうする?」

「そうだね……早くインフラの整った場所を目指したい。私はこんな得体の知れない森に放り出されて長く生きられる都会人だが……虫は食えるし、毒草食草大体把握しているからすぐには死なない根性はあるけれども……道具ないと火を点けられないし……」

「それ最早都会人じゃないわ」

「そうか……? 都会に住んでいるのがステータスだと思っていた」

「意味が違うわ、野蛮人め」

「言ったなこの死体漁りめ」


  都会に住んでいるからと言って、都会人では無いらしい。

  都会人の定義は難しい。都会に住むだけでは十分条件は満たせないようである。

  飯尾はその言葉は耳に入れなかったらしく、私の服を摘んで引っ張って来た。


「行くアテ無いんだ、試しにあっち行ってみないか?」


  飯尾がそう言って指したのは北の方角。

  しかし、私は東の方角を指して、反論した。


「私は、あちらの方に人がいる様な気がする」


  特に何だからとは言えないのだが、そういった感覚がした為にそう言ってみた。こういった自然の中ではその感覚は捨て難い。

  因みにやや手入れされる森林ではあるが、大きな建物等は見受けられず、電車や救急車などの音も全く聞こえない為、都市近郊の線はやや薄い。

  そこで、飯尾は自身の意見と私の考えの間をとって本当に中間の方向を指差した。


「じゃ、間を取ってあっちで。途中で建物が見えたらそこに行こう。途中で死体があったらせめて頭蓋骨だけでも拾おう。OK?」

「OKOK。ほんと、骨好きな」

「当然だ。骨は素晴らしいからな」


  そう言うと奴はどこか遠くを見つめる様に視線を彷徨わせた。大方今ポリデ○トに浸けられているというタヌキの頭蓋骨の事を思い出しているのだろう。

  タヌキから意識が帰ってきた飯尾は、唐突にこんな事を言ってきた。


「いつも思ってんだけど、お前も本当、飾り気も可愛げもない話し方だよな」


  少しムッとした為、望み通りに一般的と思われる女性の口調を真似てみた。


「……では、『飯尾さんってカッコいいですね、きゃっ』の方がいいか?」

「お前の口から『きゃっ』とか出ると気色悪くて背筋がぞわっとするからやめろ」

「分かってもらえて何より」


  自分で言ったが、口の端がむず痒くなった。私に標準搭載されるのはこの男の様な口調と敬語のみであるようだ。


  こうして、自分たちのペースを少し取り戻した私達は、二人の意見の間を取って北東の方角へと進む事にした。

  すると、前を歩く飯尾が唐突に振り返った。


「早崎、ここって」

「あぁ、星座も出鱈目、星もあんな綺麗に見える訳が無く、月にリング……があり、植物も一見似ている様で見たことの無い種しかいない。何だこの巻きひげは。一箇所から10本以上出てるぞ気持ち悪い。これが俗に言う『触腕』か」

「それを言うなら触手な」


  付け加えるとこの植物はコナラに酷似しているが、樹皮はどちらかといえばマユミの様であり、あの植物は(略)……である。

  虫も同様に落ち葉の上にはゴキに似た虫や、樹皮にはアリに似た虫はおり同様の生態だろうと予想はつくが見覚えがない。

  図鑑でも見たことが無く、標本にできる環境があるならば是非全て持ち帰ってよく見たいとは思うがその拠点すら定かではない現状では高望みできない。


「早崎は、最近のラノベ……ライトノベルの文化とか知ってる?」


  横を歩く飯尾が突然そんなことを聞いて来た。

  そこでコイツも少しは森を歩けるのなと感心する。

  よく骨拾い……もとい、身元不明の死体(動物)を探して歩いているからかと納得した。

  それで軽い小説? 何が軽いのだろうか?


「何を突然。私が図鑑以外で幅5cm以下の薄い本なぞ読む訳が無い」


  人差し指と親指で本の幅を示しながら飯尾にそう言えば、ふひゃひゃと笑った後まぁそうだよなと小さく呟いた。

  その笑い方はどうにかならないのかと毎度思うのは私だけではないと信じたい。

  反対に私は聞き返した。


「それとも、飯尾の言う『一般常識』にそれはあるのか?」


  私は、自身の知識が偏っている事を知っている。知ってそのままにするのは愚か者だと、最近のブームの言葉を飯尾に聞き、それを使うようにしているのだが、いかんせん本場を知らない為かたまに意味を間違う事がある。今回のその『ラノベ』はその類だろうと当たりをつけたのだ。

  飯尾は悩む様にに眉間を抑えていた。


「そうだなぁ……いやな、今こう言うラノベか流行っているらしいんだよ」

「こういうとは?」


  首を傾げた私をどこか面白がりながら、しかしそれでいて面白くなさそうに飯尾は説明を始めた。


「まず、トラックで轢かれる等で死亡した後」

「序盤で痛い死亡か。初っ端から終わってるな」


  最初から主人公が死ぬ話はあるのか?

  成り立つのか甚だ疑問であった。

  その思いが飯尾にも伝わった様で、彼は説明した。


「そこで終わったらマジで話にならねぇよ。で、次に真っ白空間で神様に何か役立つ能力をもらう。俗に言うアレだ」

「あ、知ってるぞ! 英語で『ずる』という奴か! 最近そういった表現が増えてるのな」


  死んだら神頼みというのは非常に日本……いや人類らしい。そういえば、手話の出来るゴリラは死について『暗い穴に入っていく様だ。怖くは無い』と言ったというニュースを思い出した。

  そんな私をよそに飯尾の話は続く。


「チートな。で、異世界……つまり、地球とは別次元にあるお話の中の世界の様な場所を、そのチートを使って無双したり」

「もらった力で暴力的な解決か。言葉を尽せよ」


  力での解決は何も生まないと歴史で習わなかったか?

  理系選択で歴史を習わなかったのは私の方か。


「……日本文化サイコーとしたり」

「その気持ちはよくわかる。米は最高だ」


  自身の文化を投影したくなる気持ちは分かる。それが最も『過ごしやすい』所であるからだ。違う文化圏というのは往々にして驚きに満ちており、慣れなければ疲れてしまう。


「……敵、例えば魔王的な存在を討伐したり」

「まず討伐が挙がる辺り、かなり野蛮だな……」

「野蛮さなら……いやいい。他に、ハーレム形成したりする体験を読む事で、現実ではあり得ない世界を楽しむのがコンセプトであるジャンルであるらしい」

「ハーレムとは……男はおとなしくハトの様に年がら年じゅうヘコヘコとメスに頭を下げるオスくらいで十分だろうに……とりあえず、ぶっ飛んだジャンルであることは理解した」

「今何気なく酷いこと言ったな。俺はまだ理解があるからいいが、他の人には言うなよ……まぁそんな感じのジャンルが一部どころでは無く流行っているという訳だ」


  飯尾の話から、初めてその異世界に赴き神に会って色々もらってから色々するジャンルがラノベであることは分かった。


「それで……? その、えぇと、異次元のハーレムとやらがどうした?」

「ふへっ! 異次元の……ぷくく……。いやな、この状況ってさ……似てたりしないかなー、なんて」

「私らの状況がか?」


  そう聞くと、神妙な顔で首肯する飯尾。

  恐らく、笑いを必死に堪えているのだろうが非常にまともに見えるから不思議だ。

  この男が真面目そうな顔をすると、何となく『殺人事件が起こるかもしれない嵐の屋敷に取り残された主人公』に見えなくも無い。その場合はこれから殺害されるのは私だから縁起でも無い。

  私? 私が主人公だなぞとは烏滸がましい……恐らく二番目の殺人を言い当てて犯人に迫ろうとした瞬間、三番目に死ぬくらいの人物になるだろうと思っている。

  そう言われて、私は空を見上げると……確かに何度見ても見覚えのない夜空で星が瞬いている。

  飯尾も額に手を当てて遠くを眺めていた。


「確かに、星の位置は見る場所によっては変わるが、ここまで見覚えが無いことはまずあり得ない。加えてあの月は……あれは月では無い…何と呼べばいいのか。ただ例えば……私らが夢を見ているだけという可能性は無いのか?」


  ずっと考えていたその可能性は飯尾にすげなく否定された。

  怪訝そうな顔をし、『とうとう頭も自然に帰ったか?』とでも顔に書いてある様であったため、少しイラっとした。

  そして呆れた様にこう言った。


「リアリストが夢オチなんて言うなよ……ここまでリアルな夢ってあるか?」

「無いな……」


  確かに無かったため、そう言わざるを得なかった。


  また暫く歩き続けていると、空が白み始めてきているのが梢越しに見えた。

  そこで私は、ある重大な事実に気づいた。


「あ!」

「何だ、早崎」

「今は夜に違いないな?」

「もうすぐ明けそうだけどなぁ」

「飯尾。私ら、今まで何も灯さずに夜の森を歩いて来たけれど、おかしくないか?」

「……早崎、お前も気づいたか。普通、真っ暗で何も見えない筈…だよな?いくら、月が明るかろうが、限度はあるよな?俺ら、猫である訳じゃないしな……ずっとお前目がピカピカ光っているけど」

「イノシシでもあるまいし……タヌキではない筈なのだが……何だろうね、夢で片付けたくなってきた」

「奇遇だな、俺もだ」


  先程の冗談は本当に冗談では無かったらしい。

  反射板は人間の眼には存在していないのだが、どうやって私の目が採光してものを見ていたのか気になる。めちゃくちゃ気になる。

  空はどんどん明るさを増し、星と月の光しか存在しなかった黒い布が、黒から濃紺、青、元の空色に染め上げられていく。

  曙とはかくも美しきものか。やうやう白くなりゆくやまぎは……。

  なんて空を見上げて呆けていると、不意に背筋にピリっと何かが走った。


「飯尾、私何だか危険な気がするんだけど気のせいか?」

「奇遇だな、俺もだ」


  試しに採取用の軍手を外して掌を太陽に透かしてみると、ちりっとした痛みが走る。


  ちなみに服装はパーカーにジーンズであり、この森で目を覚ましてからはポケットに入れていた軍手をしていた……誰だ、色気が無いと言った奴は。

  生き物にしか見られていない生き物屋に色気なぞ必要ないのだよ!

  自身の一般常識に言い訳をしてから、私は飯尾に向き直った。

  飯尾もこちらを向いていた。


「早崎、準備はいいか?」

「飯尾、勿論だ」


「「逃げろおぉぉぉ!」」


  こうして、冒頭に繋がる。


「本当に、いきなり『掌をお日様にー透かしてみると〜♩ 真っ赤に爛れる〜♫ 僕の皮表〜』とか、笑えない」

「くっひぇひぇひぇ、ぶくくくくく、あっはははははうヒヒヒ……超ウケるわ」

「……」

「すまんすまん、いやぁでも不思議だなぁ」

「不思議だなぁで済めば科学者はいらない……確かに、不思議である事は認める」


  樹木の陰から手を出し入れすると、酷い日焼けをしてはそれが治るを繰り返している。

  肌はものの20秒と経たずに赤くなり、治るのには1分くらいかかった。こんな時に時計が欲しい。

  面白い、ひりひりするけれど滅茶苦茶気になる……超知りたい。

  物理的にこんなことは可能であるのか? もし紫外線が有害であったのなら、そこらの白っぽい花や何かの反射でもダメージを受ける事になるかも知れないのだが、そんな気配は無い。熱か光エネルギーにて傷ついているのだとすれば、一度火などで実験する必要がある。

  だが、この意味不明な状況に於いて日光を避けねばならないというのは大きくマイナスであり、行動を阻害するだろうと考察できた。

  また、懸念事項も無い訳では無い為、私は大人しく軍手をはめ直した。


「やり過ぎると皮膚細胞の老化、分裂可能回数の減少に繋がりそうだからやめとく」

「老化……ねぇ。流石、マッド早崎だわ。俺にはこんな状況でもそんなお前を見習えんわ」

「何を言う。この状況でも死体があれば拾って解剖解体骨拾いだろ、このシデムシめ」

「おま、シデムシ専務はすごいんだぞ、現場に駆けつけるのは誰よりも早くて、無償で肉削ぎを手伝ってくれる気のいい先輩だぞ!」

「それはともかく……ずっとここには居られない……太陽が南中するまで日本と同じならばあと約6時間、手持ちには水分も食料も何もない」

「……まぁそうだな」


  鞄を背負っていた筈なのだが、二人とも手ぶらで倒れていた。

  現状、持ち物はお互いに自分の服くらいだ。

  私には軍手もあるがな! よし勝った。


 くー、きゅるきゅるきゅる……。


  こんな時に……こんな奴の前で……お腹が鳴ってしまった……。


「……随分と可愛い腹の音だな。本人と違って」

「一言多いな……全く、こんな時まで」

「というか、ほんとこれいつ帰れるんだ……俺はこのマッド早崎とやっていく自信はないぞ?」

「私もな! ……ただ、まぁ……何だ、見知らぬ誰かよりはお前でよかったよ」

「え? 何か言った? 俺がイケメン?」

「耳鼻科の診療を薦める」


  こうして軽口を叩き合えるだけでコイツと一緒で良かったと思わなくも無いというだけだ。

  トラックに当たったあの時、多分私を庇った感謝なんてしてやるものか。


「そんな話は移動しながらでもいいだろう……これがいかに巨木と言えど、太陽が南中する頃には日陰は狭くなる筈だ」

「あー確かに。さすが理系」

「何言ってる、お前もだろ」


  既に少しずつ日が昇って来ており、心無しか長く伸びた影も少しずつ小さくなっている。

  私は飯尾に三本の指を突き立て、一本ずつ折り曲げていった。


「まず。食糧を確保。次に、拠点を確保。安全に留意しつつ、文明の探索を続行……こんなものか?」

「OKOK、あー、お前腹空いているもんなぁ? 次に拠点か……確かにな。で、文明と言うけれど恐らく近いと思うぞ。ここら一帯、株断ちしているし、どことなく雑木林に似ている」

「雑木林、か……」


  辺りを見回せば、確かにこの明るい林床とまばらな立木は雑木林に通ずる所がある。

  全く見覚えの無い樹種である上に、日本のものと比べると太さと年季が段違いではあるが。


「ま、イチゴでも拾い食いしながらいこーぜ……早崎はそれで大丈夫か?」


 私はパーカーのフードを被り、なるべく肌の露出を避ける格好を取った。


「ん?飯尾にも心配の心があったのは驚きだが、私は大丈夫さ……さぁ、行こうか」

「お前は俺を何だと思っているんだ……」

「気狂い」

「否定できないな」


  こうして、木漏れ日溢れる朝の森林での当てのない散歩が始まったが、何となく気が晴れない。

  飯尾と一緒だからかも知れないので、本人に訴えてみれば解決の糸口が見えると考えた。


「何となく気が晴れない」

「あー、うん多分……早崎、夜行性の動物って、朝から活動するか?」


  そう言うと、予想外にまともな方向からの発言が返ってきた。


「あ、それもそうか。しかし私は……一体何なのだろうか……」

「今んとこ、セオリー通りなら一番何か知っていそうなのはあの嬢ちゃんなんだがな……」


  そう言って飯尾が見つめるのは未来とも過去とも知れない何処かであった。

  何故分かるかというと、視線の焦点がどこにも合っていないからである。

  何故飯尾は直前まで煩わされたあの子どもが関わっているというのだろうか?


  ふと重さを感じてポケットを漁ると、朝から一度もいじっていないスマートフォンを発見した。

  やはり、圏外以前にうんともすんとも言わない。充電は残っていたはずなのだが。


「あっ、そうだよ早坂。なぁ聞いているか?」

「聞いてるけど……また何かやらかした?」

「いや、いや、そういう訳じゃ無いんだけどさ!」


  そうしていると、無理に明るさを演出しているような声で飯尾が話しかけて来た。

  こう言った時は、何かを隠している事が多い……前回は研究室のゴミ放置問題だったか。

  あの時は臭かったな……本当に。


「そーいえばさー、日光が苦手なファンタジー種族ってさ、大体アレしか無いよなぁ」

「アレとは何だ、アレとは」

「アレって、そりゃあアレだな……吸血鬼だよ」

「吸血鬼? それは病気の一種ではなかったのか?」

「は?」


  飯尾は何を言っているんだコイツという顔でこちらを覗き込むが、コイツこそ現実とフィクションを混同しているだろう。


「以前、その……吸血鬼に纏わる物語を読んだ際に調べたのだが、確か何かの欠乏症の様な病気に罹患すると、日光や刺激物に過剰な反応を示し、患者がその不足したものを取り入れようと他人の血液を欲した……ではなかっただろうか。ハッキリ言って、血液は汚くて危険なものだろう。他人の保有する病原菌を何故体に取り込まねば生きていけないのか……しかも、経口接触が好まれるとも聞く。正に、病原菌を媒介する蚊やダニといった衛生害虫に相応しい存在では無いだろうか」

「早崎……今すごい……いや、確かにそうだけれども! もう少しお前は夢を見てもいいし、オブラートに包むという事を覚えた方がいいと思うんだが! こう、最近のアニメみたいに『俺には君が……必要なんだ』とイケメンに迫られたらこう……女子はゾクゾクするもんじゃ無いのか?」

「実際には分からないが、体内の保有血液を好んでロストしようとは思わない。知っているか? 血液は体重の約13分の1……私で言えば4kgも無い。その20分の1の200mlを失っただけでも体調を崩す患者もいる。結論として、ゾクゾクしているのは体温が低くなっているからだと思われる。以上」

「あー、お前に情緒を求めた俺がバカだったわ…コイツ、女子()だったわ」

「アニメの情緒なぞ知った事か……何だその性別の分類は」

「まぁ……お前は変わっているってことだ」

「それは……否定できないな」


 ザッザッザッザッ

 ザッザッザッザッ

  まだ分解されきっていない落ち葉のある林内は、傾斜もなく緩やかであった。

 ガササッ!


「あ! タイワンリ……スでは無いあれは何だ?」

「知るか。あ、早崎知ってるか? リスってうまいらしいぞ」

「ほー、そうなのか………くそ」


  伸ばした手首がお天道様に焼かれてしまった。

  咄嗟にリス? の方面へ出した軍手をした手をポケットに引っ込めた。

  一部、顔もひりひりする。

  日光NGとは本当に厳しい条件である。

  私の様な、生物屋にとっては特にそうだろう。

  異常に紫外線を避ける人々は一体どのようにして生活を送っているのか甚だ疑問である。

  雨も降っていないのに傘を差すのか? たまにそんな人を街中で見る事があるため、やや一般的であるのかも知れない。


「そういえば、飯尾は大丈夫なのか」

「あー、こう、ヒリヒリ痛んだりする訳では無いんだが…」

「何かあるのか?」

「分からないんだよ、温度というか……温かさが」


 袖を捲ると、いつもより確実に血の気の無い腕が露わになった。

 その手を振り回したり、樹木の肌に触れたりと色々している。


「あーやっぱり……何か感覚が鈍い気がするわ……ま、お前みたいに痛いよりはマシか」

「という事は……私と一緒にお前さっき全力疾走する必要なかったのか」

「それは途中で気付いたんだが、ノリは重要だと思って」

「下らない事に労力注ぐよな、飯尾って」

「それはお前もな」


  そんな無駄口を叩きつけあいながら歩いていったが、一向に食べられそうなものが見当たらない。

  既に腹時計では1時間半は歩いているつもりだが、民家も、傾斜も、イチゴも食べられそうなキノコも見当たらない。

  日本人として、やはり斜面が無いと少し不安を感じる気がする。

  それにつけても何だこの植物は。

  つる性の樹木が渦を巻いて自立しているとは… …まるで、ばねが直立しているようだ。

  春の様な麗らかな陽気だけに。

 冗談だ。

  恐らく、中央に聳えていた樹木が枯れた後、このつるだけが残った結果だろう。


「……そういやさ、早崎は定番のアレはしないのか」

「指示語で言われてはアレが何を指すのかは分からないが」

「あー、あぁ。俺らさ、大分意味の分からない状況に置かれているじゃん? こういう時、『私達の身に何が起こったのか』的なナレーションを入れるのが普通だと思うんだよ」

「へー」

「へーって……こう、何かさ、何か無い訳? 『ねぇ……私たちはどうなるの? もしや……』とか言ってみようとは……思わなかったコイツ早崎だった」

「あぁ……成る程そういうことか。こういうのを……そうだ、『旗を立てる』だ! 思い出した、この前言ってたな」

「フラグな」


  何故いきなりこんな事を言うのかと考えると、もしかすると飯尾は不安なのでは無いだろうか。

  いきなり目を覚ますと、明らかに地球上に存在し無さそう……というより、図鑑を読み漁っていた私でも見たことの無い植物の織りなす植生帯、いつ食糧が手に入るか、どこで野宿できるか分からない先行きの不透明さ、骨を見つけたとしても、それを保管する環境も無く……。

  先程から無駄に話そうとしてくるのはそういった事情があってこそかも知れない。

  無駄? 無駄は私の嫌うものの一つだよ。


「そうかそうか、朋弘くんは不安なのかな? フフフ」

「馬鹿にすんじゃねーよ! 空気よ……めなかったわコイツ……まぁ、確かに不安ですわなぁ」

「まぁ……私も不安ですわなぁ」


  私自身もこの状態が不安であった事を思い出した。

  そう言いながら、木漏れ日に向かって手を出し入れしてみると、やはり軽い火傷と回復を繰り返す。

  細胞分裂のスピードが尋常では無い……こんなに早いという事は何かのリソースをゴリゴリと消費しているに違いない為にやはりなるべく日光を避けるべきと思いつつついつい面白くて何度もやってしまっている。

  何か夜目が利く上に私は日光にやられ、飯尾自身は感覚がいまいち鈍いらしいのも、もしかすると不安の原因かもしれない。


「あぁ……これからどうやって日中のフィールドワークをしようか」

「そっち⁈」

「いや、それ以外に……ビーチコーミングや林内散策、山登りに島での調査と、結構制限されるのか」

「は、はぁ……」


  私の漏らした言葉に驚く飯尾。

  何を驚く事があるのか。

  当たり前だろう、フィールドワークイズマイライフだぞ。

  風の向くまま、好奇気の向くまま、公序良俗を守りながら、今日も危険運転を避けましょうを目指すのが私だぞ。


「例え、私がキャトルミューティレーションされて記憶を改竄されようが、キャトルミューティレーションされて屋内活動を余儀なくされようが、キャトルミューティレーションされてどこか違う惑星に連れて来られようが、未来からキャトルミューティレーションされたロボットが人間関係に縛られて過去に囚われようが私は何も変わらない」

「お前の中にはこの状況に対してキャトルミューティレーション説しかないのか! しかも最後のはどこのドラネコ型ロボだよ、お前と何ら関係ないだろ」

「まぁね」


  相変わらずどこか的確で面白みの無いツッコミだと思いつつ、一息置いてから、私はまだ誰にも言った事のないその思いを吐き出した。


「そうだ、私がここにいる」

「あ、あぁ」

「どうせ、常に細胞分裂を繰り返しているために、今の身体は三ヶ月前の身体とは全く違うとも言われているのだろう? 私がここにいるから私がここにいると考えるのだよ。我在り、故に我思う……だろう?」

「いや、逆だろ。そういうこっちゃ無いんだがなぁ……何だかお前を見ていると悩んでいる俺が馬鹿らしくなってくるわ」


  口の端を歪め、やれやれと言いたげな表情を作る飯尾に何だか釈然としない気持ちになる。

  何でだよ……折角慰めてやったのに、その『はいはい、早坂早坂』みたいなノリは。


「けっ……勝手に悩ませておけば良かった」

「素直じゃないなぁ……はいはい、早坂早坂」


  そう言って、飯尾はポンポンと私の頭をソフトタッチした。

  絶対下に見てるぞコイツ、幾ら身長で上回っているからと言って毎度やらせてたまるかモキー!

  と思い、シュタっと頭の上に置かれた手を両手で掴んだ。


「ん、何だ?」

「ねぇ、ちょっと実験してみないかな?」

「な、何をだ?」

「勿論気になるじゃないか、どれだけ感覚が鈍っているのかさ……さぁ、実験しようか?」


  何か嫌な予感がしたのか、無警戒でぼーっと手を取られるがままであった飯尾は手を振り解くという選択肢を思い出したようだ。


「うわっ……や、やめろ! 本能が逃げろと言っているんだ!」

「ん? 世界の中央で春を叫びたがっているようだ? まだ秋だぞ?」

「お前わざとやってんだろ! ……よしっ!」


  流石に、男に腕を本気で振られては握り続けることは叶わなかった。

  誠に残念である……温点、冷点、圧点、そして痛点と一通り試してみようと思ったのに。


「あぶなっ……やっぱコイツマッドだわ、マッド早坂だわ」

「マッ……! まぁ、また必ず機会はあるだろうから今回は諦めよう」

「……おい……」

「あ、本音が漏れてたか」


  こちらを被害者の様は目つきで凝視する飯尾が、この前脱走した時に鷲掴みにした実験中のパンダマウス にそっくりだった。

  あの事件も相当に大変だったな……。


「ほら飯尾、日が昇りきる前に食料でも探すぞ」


  多少飯尾を脅かせて溜飲を下げた私は、催促する飯尾に置いていかれないようについていった。

  そんな時だった、それが来たのは。


「おゥ、めーずらシい組み合わセね! お二人さん、こンナ日なのにどうしタね?」

「なっ……」

「……」


  音もなく、影もなく、いきなりそれは現れた。

 何も無い空間からまるで扉を開けるように現れる人影を、私たちは絶句しながら見守るしかなかった。

  服装だけを見れば、お洒落な人物だった。

  上質な絹で作られているのか、鬱陶しい木漏れ日を滑らかに跳ね返す黒の中折れ帽には銀のリボンが眩しく見える。

  キャメル色のトレンチコートの下には、草臥れたシャツと、これまたシルクの様なズボンを穿いている。

  磨かれたエナメルの靴は長身痩躯に良く似合っていた。

  異様だったのは、見えている肌という肌に巻かれた包帯だった。

  つまりは、ミイラの様な状態でお洒落な服を着ている……不審者である。


「えぇと……どちら様で?」

「そこから聞くか……」

「どちら……? とこロで!」


  とりあえず相手の素性を伺う所から着手してみたが、軽く流されて話題を転換されてしまった。

  そして、次にその不審者から発された言葉はそんな瑣末な事を吹き飛ばすに十分な威力があった。


「ワタシをアイしてはくれないカね?」

「は?」

「へ?」


  あまりに予想外な言葉に、私は飯尾と二人で間の抜けた顔を晒してしまった。

  そんな私らに、不審者は次々とまくし立てた。


「アイを知らなイ? アイはすーばらしキもの、至高で不可侵、至上で不滅なもの。ワタシに足りないのは、アイ! それね。あなタは、アイしてはくれませンか? はい、いいえ、どちら?」

「いっ……」


  どちらと答えていいか迷った挙句に、飯尾は何かを言いかけていた。

  それにしても変わった話し方をする御仁であるなぁと思った。


「では、あなタは?」

「あー……申し訳ないが、初対面の貴方に特別な感情をすぐに抱けるかと問われればいいえとしか答えられない」


  私は思った事を素直に答えた。

  すると、その不審者はヒュウと僅かに息を飲み、少しの間俯き、顔を上げるとこう言った。


「ワタシは、そウ、受け入れられない……そう、それは残念ね、では……」

「ただし、時間を掛ければどうなるかは分からない。当たり前だろう、時間の為すことは偉大だ」

「……俺はお前のその貫きっぷりが偉大だと思うぞ」


  私は相手に誤解を与えない様に言葉を被せる様にこう補足したが、何故か飯尾に感心されてしまった。


「何か変な事を言ったか?」

「いいや、早坂早坂」

「そのようなジャーゴンで全部片付けるな、語彙が減るぞ?」

「じゃあ……」

「うぇっ?! な、何用なのかな!」


  真意を問い正そうと飯尾と私がいつもの言い争いを始めると、そのミイラ不審者は犬の様に私に密着するようにの匂いを嗅いだり、さわさわと触ったりしてきた。

  現代の日本ならばこれだけでセクハラに当たるだろうが、嗅がれて減るものでは無いからいいかという心の底の油断が困惑して振り払う腕を鈍らせていた。

  すると、突然不審者が後ろに後ずさったかと思えばわなわなと震え出してこう叫んだ。


「あ、あ、ありエない! ワタシが、ワタシは、なぜ、なぜなぜナゼナゼ!」

「なっ、わ、私の臭いに何か疑問でもあるのか……よく分からないが」

「早崎、こういった人とは距離をとろうか……」


  まるで有り得ないものでも見るように、包帯の隙間から僅かに覗く錆色の目を見張った男が更に私を掴もうとした。

  私はその予想外の動きに対応しきれず、抵抗し損ねてしまったが、そこで見兼ねた飯尾がミイラ不審者を押しのけると、抵抗無くそのままその不審者は後ろへよろめき、呻きながら頭を抱えて蹲ってしまった。


「なぜ、なぜ……なぜなぜなぜ……ワタシでもワタシでもあの方でもいとうしい人でも無く……分からない分からない分からない」


  珍妙な行動の一端でも理解しようと耳をすますと、ぶつぶつと意味の通らない呟きを延々と繰り返しているだけであった。

  言葉だけでは分からないと思い、飯尾に腕を引かれながら更にそのよく分からない不審者の観察を続けると、ゆっくりと上体を起こしながら体制を整え、鋭い視線を私に飛ばした。


「おマエは!」

「うわっ」


  突然、どこで息継ぎをしたのか全く分からないのに大声を出されて私は驚いた。

  そして、まだ不審者の言葉は続くようだ。


「おマエは! なゼ! おマエが選ばれた! ワタシは選ばれない! ワタシはこんなにも敬虔であるのに! 何年も、何年も何年も何年も。あぁぁぁああああああ!」

「に、逃げるぞ早崎! 何だか様子がおかしい」


  突然頭を抱えて叫び出した不審者に何かを感じたらしい飯尾は、尚も観察を続けていた私の腕を無理やり引かれた。


「そうだな飯尾。叫ばれては会話にならん」

「そういう問題じゃないぞ!」


  確かにそうだなと観察を中断し、飯尾に続いて私は踵を返して不審者に背を向け、走り出した。

 揺れるフードの隙間から顔が焦げ、すぐ治った。


「逃がさない……ワタシからユーリを奪ったあいつを! アイツ……あぁ、フフフフフ、ハハハハハハ! わかった、わかったんだ! アナたは望んでいテ、望まない。ワタシは、ワタシをこうすればいいんだろう?」

「まだ何か独り言を叫んでいるが、精神は大丈夫なのだろうか?」


  飯尾と森を走り、届く声が次第に小さくなる事から不審者はその場で独白を続ける様に言葉を発しているのが分かるが、その内容がさっぱり分からない為に飯尾にそう聞いてみた。


「アホか! ダメだから叫んでるに決まってるだろ! 真面目に走れ!」


  飯尾は走りながらも語気を荒げてそう言った。

  よく走りながらこんなに話せるなぁと感心しながら走る私の意識は、一瞬不審者から逸れていた。


「ゴめんよ? 悪く思わないデクれ」


  恐ろしい程丁寧で優し気な声が耳元で囁かれたと思った時には、右肩口を切り裂かれた様な衝撃と痛みが走った。


「 大丈夫か?! 早崎」

「あー、びっくりした。まさか、そういう系の変態不審者だったとは」


  パンパンと不審者に何かをされたらしい右肩を左手を回して叩くと、痛む傷口から溢れた血がぬるっという感触とともに私の手に付着した。


「ソレはワタシからの餞別サ……アナタのおーもい通りには、させない。させてはナラない……絶たイに」


  そう小さく呟くと、まるで最初から誰もいなかったの様に、瞬きをする僅かな時間でその不審者の姿は消えていた。


「何だったのだろうか……あの広域警報レベルの不審者は」

「さあな、しっかしまともな人ではない事は確かだな。ミイラ男ばりに包帯巻いていたしな」

「状況証拠から傷害罪で摘発できるだろう。現行犯では厳しかったか……」

「は? 傷害罪? おい早坂、何された。見せてみろ」

「私もよく見えないのだが……」


  だぶだぶと余裕のあるパーカーを脱ぎ、その下に着ていた黒地のTシャツ姿となると、私は飯尾にその傷口を見せた。

  自分では良く見えないが、上着のパーカーまで濡れてきている気がする。


「あの不審者、ハロウィンはまだ先だと言うのに仮装なんかして、気がは……や……ぃ」

「早崎?! どうした、しっかりしろ!」

「ん?あつい……ねむい」

「あ、おい、ヤケドするぞ?! 日陰に移動するぞ!」

「んぬ? らじゃぁ……」


 〜〜


「おい! ここいらにアイツ現れなかったか?! ほら、アイツだよ!」

「あれがあいつを……待て! 逃げたぞ! 誰かいるのか?」

「あ、そこ!アンタだよ!それ……」


 〜〜


「起きろよ」

「んくぅ……むにゃあ……後3分20秒……」

「随分具体的な……。あ、新種のフグが沖縄近海で……」

「どんな生態をしているんだ? 詳しく!」

「お前は起こすのが簡単だな……」

「おはよう、飯尾。大変なのよりはマシだろう。あー朝か……というか、朝か。寝たい」

「あぁ朝だぞ。全く、お前と言ったら……。おら、飯だ。今食わないと片付けるぞ」

「あ、ありがとう。これは……小麦粉の塊を野菜のスープで煮た洋風すいとんのようなものか?」

「それっぽいが、浮かぶ野菜が見たことないものばかりだなぁ……あ、ところで私はあの後どうなった?」

「あぁ、それなんだがな……」


「そろそろ起きたー? なーんだ、起きたら起きたって言ってくれればいーのに」

「無理を言うものではない。彼女の体調は万全ではないため仕方ない」


  頭の上の方から間延びした低めの女性の声と、丁寧でどこか厳かな男性の声が聞こえ、これは一般的には初対面の人に挨拶する場面と思い、重い体を起こして、見知らぬ人々に正対し、自己紹介をした。そうすれば、丁寧な第一印象を植えつけられると思った。


「ど、どうも。私は早坂です……失礼ですが、どちら様で?」

「あたしゃアーゲラ。好きに呼びな」

「自分はマニクー・カイゼンと申す。一介のしがない准神官である」

「しがない奴は傭兵の真似事なんてするわきゃねーだろハゲ。な? ハヤサカもそー思うだろ?」


  鎧の隙間からよく日に焼けて鍛えられた肌が覗く、ライオンのメスの様に獰猛で逞しそうな女性(褒め言葉)がア……もう忘れたで、アメリカバイソンから毛を取り払った様な厳ついおっさんがカイゼンというらしい。

  不思議な名前であった。日本名では無い。ア……の煤けた蜂蜜色の髪や、二人の顔立ちもモンゴロイドでは無い。

  しかし傭兵云々は全く知らぬので適当に答えておく。


「あ、えぇ? 判断しかねます……」

「あー、悪ぃ、お前も記憶喪失だったっけこのイーオってのと同じなんだよね。名前と言葉以外を忘れて放り出されるだなんて、『花嫁の復讐』みたいだよね」


  何だその設定はと飯尾の顔を見ると、「そういう事にしておけ、そして余計な事を言うな」と視線で釘を刺してきた。やはり器用な奴である。


「あ、ははは。そうですね。その『花嫁の復讐』が気になるところですが……」


  そして私が口を開く前に自分は屈託もなく微笑みながら質問する余裕さえ見せているぞこの野郎。お前だって一皮剥けば私と同じだろこん畜生!

  という意思を込めた目で視線をレーザービームの様に撃ち出すかの様に飯尾の方を覗くが、視線が合わない。


「うん? そんなにイーオを睨んで、ハヤサカは何か言いたい事があるのか?」


  そんな事をしていると、不思議そうにア……に問われてしまった。


「い、いや……助けて頂いて恐縮ではありますが、今後我々はどうすべきなのかと不安になりまして」


  どうだ! と飯尾に誇る気持ちよりも、突然の問いを返せた安心感の方が強くなり、飯尾を睨み続けるのを忘れたとそちらに目を向ければ、あからさまに胸をなでおろしたという顔をした飯尾がいた。

  失礼だと思ったため、今足でも踏んでやろうと思ったが、ベッドに腰掛ける私とは距離があるため、後でやり返す事にした。


「あー、あぁ。何も分かんないもんねー。めんどくさいから、ダルマよろしくー」


  首を傾げた後、得心した様にそう明るく宣言すると、呼ばれたダルマの方は苦々しいが嫌々を装いながらもどこか得意げに話し始めようとした。


「えー、どこから話すべきであるか……まず自分が何故この道を目指したのか、そこからであるな」

「その話長くなる? って聞かなくとも長くなると思うから、あたしは行ってくる」

「あ、あぁそちらは任せた。自分は説明」


  バタンと扉が閉まり、ダルマの話は途中で遮られてしまった。やはり、ネコ科の香りがするア……は、自由で奔放を良しとする様である。私とは違うタイプである。


「……説明をして進ぜよう。あの女はいつもああなのだ。人の話は金よりも重いという言葉を分かろうともせん。あの女と共に旅をするのなら、この程度はアリル川に流せる程度でなければ神経が持たん」


「はぁ……」


  飯尾と私は二人で「そうなのですか」と返事をするしかなかった。


「しかし、あの女の言も一つ見習うべきであるのも確か。掻い摘んで説明しよう。そうだ……今はこれだけでいい。お主ら、自分らと共に本部へ来い」


「はぁ? 本部?」

「ぶふぁ!」

「おい早坂! お前は何でご飯を食べながら聞こうとしているんだ! 失礼だろう?!」

「美味しい時を逃したり、私が話に集中できない程腹が減ってる方が失礼かと思っていた」

「空気を読め!」


  朝っぱらから飯尾に怒鳴られてしまい、また後でやり返す事項が増えた。


「……異論はあるか?」


「ありませんね」


  私は飯尾が何か言う前にその問いに即答した。


「なぁっ?! 早坂お前、少しはなぁ!」


  予想通り飯尾は食ってかかって来たが、それを説得する材料がここにはあった。ついでに飯尾の口に芋の欠片を突っ込むと落ち着いた。


「私は昨日倒れた後は知らんが、飯尾。お前が一人で私をここまで連れてきて、寝かせて、ご飯を出すまでができたのか? 私らは記憶喪失であり、ネギも肉も付いていないカモだと言うのに猟師から匿おうとする人々が他にいるとは思えないのだが、いかがかな?」

「……。それでも迷うフリくらいはしろよ。ネギ背負ってのこのこと付いていった結果、鍋にされるのがオチかも知れないぞ?」

「ならば、鍋にされるまで最も長くなりそうな彼等に付いていくしかないだろう。何も知らないままではそれこそいいようにされてしまう。間違いはありませんね、ダ……カイゼンさん」


 飯尾を黙らせた私は、カイゼンさんにそう確認をとった。

 カイゼンさんは重々しく頷いて肯定した。


「今ダルマと……概ね通りである。お主らは見てくれからして御し易そうな上に何も知らないと来た。ここらでは一部の真っ当な警吏か、国防局の人間しかまともに対応しないばかりか、その連中でさえ現状を知れば手を離さざるを得ないな。お主らにとって一番良いかは保証せんが、すぐさま殺される事からは防がれよう」

「ほら見たことか」

「当たり前だろ! 騙す前に騙すという詐欺師がいるか! あっ……」


 飯尾は自分の失言に気づいたのか、白い顔を更に少し青ざめさせた。

 今の飯尾は本当に血の気がない。

 もしかすると、あまりに死体を集めすぎたから死体に呪われたのかも知れないな!

 それは良いとして、飯尾の言葉にカイゼンさんは苦笑いをしていた。


「良い。無理も無かろう」

「わかった……どうしようもなくなる前に夜逃げしよう」

「……詐欺師呼ばわりして悪かった。カイゼンさん、今後ともよろしく」

「信用する材料がお主らに無い事は分かる。であれば、その現状というのは……お主、咬まれただろう?」


 咬まれた? 祭りから今までで何かそんな生物に出会っただろうか?

 咬まれたというからには牙を持つ動物……ヘビも、トカゲも、その他哺乳類(人間以外)にも出会っていない。


「咬まれた? ヘビ等には出会っておらず残念です」

「早坂、その包帯だよ」


 包帯? と思って見ると、確かに右肩の辺りに清潔で薬臭い細い布が巻かれていた。

 しかし、私自身それが巻かれた際の記憶がなかったので、正直に言う事にした。


「あぁ、あの時か。申し訳ありませんが、その際は記憶にございません」

「違うだろ! 誰がボケろと言った!」

「心外だな。本当だ。あの時はあのミイラが私の耳元で何やら囁いた後、肩口に痛みが走って、気がついたらケガをしていたのだ。恐らくどこかの枝に引っ掛けたのだと思うが確かに奴の責任もあるはずだ」

「この話の流れでどうして枝という結論になる……」


 正直に言ったのだが、飯尾に呆れられてしまった。

 何故だ、お前の方が世間的には呆れられる人物では無いのか?

 そう思っていると、カイゼンさんからも否定されてしまった。


「ハヤサカよ、それは違う。その傷は確かに奴が咬みついた事によるものだ。自分が確認した」

「うわ……失礼ですが消毒などは行って頂けましたか? 唾液を血管内に侵入させる趣味はありませんので」

「消毒? それに当たるかは分からんが、しかと表面上の痕跡だけは拭い去っておいた。二次的な被害は防がれよう。だが、やはり納得できんのだ。何故お主がこうして普通にして生きていられるのか、皆目見当がつかん」


 カイゼンさんは首を捻っているが、私は不審者に唾液をつけられた気持ち悪さで一杯だった。

 何か知らない菌が入ったらどうするのだ。

 しかし、現状無事ではあるので、それは伝えるべきだろう。


「はぁ……生きているからここにいる、ではダメなのでしょうか」

「まず、前例が無い事づくめなのだ……自分らの手には余るのか……これも自分らの為か」


 カイゼンさんはやれやれと言いたげに目を伏せた。


「そこは説明してもらっても良いですか?」


 飯尾はそれが気に食わなかったのか、ほんの少しだけ性急になって詳しい説明を求めた。


「もちろんだとも。まずは、お主らが襲われた怪物、『愛される者』からだ」


 そこから、何かの説明書の様な懇切丁寧な説明が始まったのであった。


  あの怪物は、突然現れた。人に自分を愛せるかと聞き、その者が拒否するとそのまま殺し、恐怖から愛すると言った者は嘘を見抜かれて殺された。出会った人物は殆ど殺されているのだが、唯一生き残った者の証言で奴の存在が露わになった。それは、盲目の年老いたシスターであり、彼に純粋に愛を説き、愛を伝えた。それ以後、正直に問いに答えた後、木彫りの聖印を掲げる事で逃げると知られてはいるが、殺される者は後を絶たない。自分はあの女と、奴に引導を渡すべく追っているのだ。

  奴を斃すには、奴を知らなくてはならない。奴は神出鬼没で、どの時間帯であれ、どの地域であれ、出没報告は上がった。殺人鬼が包帯を全身に巻き、殺害欲求を満たす為に活動しているかと思えばそうではない。長年目撃報告があり、たまたま遠視をした者からも、あれは人間ではないという結論となっていた。しかし、悪魔の類であれば教会の治める地にはいられぬ筈で、獣の類としては寿命が長過ぎ、狡猾で婉曲なやり方でそぐわず、ならば神仏の類かと思えばそれも違う。結果的に呪われし一族の特殊な個体なのではないかとあの女も言っていた。邪悪なる輪廻の神の眷属であるのならば、陽光を避けるために布を巻いている容姿にも納得でき、他の諸々にも説明がつく。だが、決定的な証拠が足らなかった。それは、あの悍ましい行動が観測されていない事であるのだ。


「つまり、他者の血液を啜るという……奴等の悍ましい行動がな」

「ほぇー……」

「バカ、お前を襲った奴だろ」

「私はそのような記憶は無いからな。決定的な証拠にはならないのだよ、目撃者が身内ではな。」

「ではなじゃねぇよ! 俺を信用しろよ!」

「……話を続ける」

「「すいません」」


 私達はいつもこうして言い争ってしまうのだ。



  牙を持つ者共は、その身に呪いを宿している。単なる食事以外に、例えばその呪いを受けるに足る人間に感染させる事があるのだ。その感染率は個体それぞれに違い、かの有名な「魔王」は、感染率60%、致死率35%であったそうだ。感染から発現まで期間を要することもあり、長くて2年程であるらしい。感染した者は、狂う。その例外はない。


「もしや狂犬病……? 私はそろそろ儚くなるという事でしょうか? 辞世の句くらい考えさせて欲しいですが」


  飯尾のこの構えは見たことがある……「最早何も言うまい」の構えである。

 カイゼンさんは「落ち着け、そうとは決まった訳ではない」と言った。


「慌てるな。まだハヤサカが感染したと決まった訳では無い。それに感染していたとしても手遅れでは無い。その為に本部へお主らを連れて行くのだ。その前に手始めにここにある支部に連れて行く」

「ほー、分かりました」


 カイゼンさんの説明では何だかよく分からん単語も多かったが、とりあえず私は狂犬病にかかっているかどうかを確認されるためにどこかの診療所みたいなところに連れて行かれるらしい。

 私は一応は納得して大人しく付いて行こうと思ったが、飯尾は納得しなかった様子で、私の耳に向かって小声で話しかけてきた。


「お前いいのか? その本部とやらが安全である保証は無いんだぞ? それにあのおっさんが嘘を吐いている可能性だってある。病院じゃないんだぞ?」

「詐欺であったら見抜く術は無い。それに、私も馬鹿では無い。その感染とやらを確かめる為に支部に連れて行くのなら分かるが、あの坊さんは「本部に連れて行く」事をまず最初に、さも当然だと語った。どこまで裏があるかは分から無いが、全てが出鱈目な程嘘を吐き慣れていたらその時はその時。幸い、その本部とやらとここは距離がある。お前が相手に噛み付いてくれて話が進めやすくて助かる」

「お前な! そうやって人を振り回すんじゃねぇよ。お前の言っている事も分かるが、相手に譲歩させる事も考えろよ。後噛み付かれたのお前だろ」

「まぁ結果を見てからでもいいだろう? 殺害や監禁や捕縛が目的ならば、森林の中での飯尾を襲った方が速かっただろう」

「ったく。俺がお前を振り回す側だろう……クソッ。何でお前は余裕綽々なんだよ。狂犬病(仮)に感染しているかも知れないんだろ?」

「いやもう何か狂うとかそこらは現状がこれだからもうどうにでもなれと」

「お前が狂ったらどうなると思う?」

「すみません老後の世話はどうぞよろしくお願いします」

「だから安売りするなって……いいか」

 

 カイゼンさんに何度も噛み付いていた飯尾は気づいただろうか? 彼等の話には齟齬があった。


「という事で、どうやって生き残るかを考えようか」

「は?」


 ここまでの長い話はすべてひそひそやっていたが、カイゼンさんは何も言わず、何も追求もしなかった。

 大人だった。




「オーケーだってさー」

「お主ら待たせたな。支部から許可が下りた故、そろそろここを立つ。もう一人はどこへ行った?」


  早坂が「お花摘みに行って来ますわ」と言い、部屋を出て行ってからすぐにあのハゲが現れた。太い眉を上げ真っ先にそう問うてきた為、こちらも少し不機嫌になる。

  俺はあいつの付属品じゃない。


「早坂なら手洗いに行った。少しかかるかも知れない」

「そうか、では待つ間に……お前はハヤサカとはどのような関係であるか? アレか?」


  ハゲは人差し指と中指を十字に交差させて握るジェスチャーをしたが、何の意味だか全く分からない。

  首を傾げているとハゲは「恋人だ恋人」と笑う。


「違ぇよ、あんな奴!」


  俺は慌ててそう否定した。あんな完全変態のどこに惚れればいいのか。

 カブトムシやアゲハチョウじゃねぇんだぞ?


「あれだけ仲が良いのにそんな訳は無いだろう。彼女とはどこまでやったのだ? ん?」


「だから何もやってねぇよ! 大体あいつとだって大学が……っ」


  しつこく聞くハゲに口が滑ってしまった。畜生、あのトラックに轢かれてからロクな事が無い。ハゲの目が光り、獲物を捉えたと言わんばかりだ。自分の事だが苛立たしい。


「……それは、あの森に来る前の事であるのか?」


「……関係ないだろ」


  これ以上何も伝えない様に顔を背けるが、ハゲは回り込んで視界に入ってきた。皮にしがみついて離さないダニの様で非常に鬱陶しい。


「あの森の奥に行った者は誰一人として帰って来た者はいない。この意味が分かるか?」

「知るかよ」

「無理には聞かぬが、いつか話せ」

「……」


  話す事は無いだろうと思った。

  その瞬間、扉が開いた。


「おまたせー、いこいこ」

「さて、行くとしよう」


 早坂、お前はこんな奴らを信用するのか?


ごめんなさい……。

とりあえずこの先は、一話の伏線をガンガン回収しつついく予定ですが、ですが!

余裕が無くて細かな設定はあっても、プロットとかそこらへんは全然進んでいないのです。

いつか、この先を投稿できたら良いなぁ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ