左遷されるまで
もし、変人が別の世界へ左遷されたら
ここから始まるのは、私の物語。
まず、君達に私の自己紹介をしても良いのだが、自己定義で得られた特徴を挙げつらうよりも、私の活動から君達が定義をした方が分かりやすく、また自然であると考えると為に、これ以上の前書きはいらないであろう。
こんな所で、よく変人奇人と言われる私の人となりの一片でも滲み出ただろうか……私の奇行を見ていれば説明も不要であるかも知れない。これでも自分語りが好きな方であるので、説明はここまでにしたい。
一つのきっかけとなったその日、私は近所の祭に参加していた。決して大きくは無いが、お祭りで供される綿飴やかき氷といったある種の珍味を求めた子どもや、少し大人となると近所の幼馴染達と会う口実として来る者や、はたまた他人と騒ぐ事を好く好き者が集まる小さな地元の祭であった。
小さいとは雖も、出店は道を挟んで30軒程点在していた。その一つ一つを回る気の無い私は、目的とする公園まで脇目も振らずに歩いていた。
すると前方に雑踏と喧騒の中、一人の男に目が止まった。
紺の浴衣を羽織り、仮面ライダーのお面を付けて、腰に水鉄砲を差している約20代の男が、腕を組んで誰か待っているように古びた街灯の柱にもたれかかっていた。祭という場では周りから浮く程の格好では無いが、いい歳こいた大人として如何なものかと私は呆れた。
パトロールと見るならばどこのヒーローを自称しているのだろうが、それよりも軟派という風が強そうに見えたが、あまりにちらちらと見ると失礼かと思う半分、目をつけられると面倒だと半分で僅かに向けた視線を外そうとしたのだが、そうは問屋が卸さなかったらしい。
「……うわぁ」
その時、そう私の心の声が漏れてしまっても仕方が無いだろう。今は農地から直接買い付けの時代か、と訳もなく問屋を恨めしく思った。
何故ならば、その男は私を見つけるや否や脇目も振らずにずんずんと私の方向へ進んで来たからである。
私は右も左も分からなくなる程動揺した。この様な男が待つのは浴衣美人と相場は決まっており、私がその様な動きにくい格好をするはずがない。では何が理由か……分からない。分からないが、一般ピープルというのはナンパ合コンなる方法を好むという訳のわからない生態をしている事から私は詰め寄られる原因も分からず一瞬、蛇に睨まれた蛙の様に萎縮してしまった。
そしてかなり狼狽した。机の中に入れてあった標本にカツオブシムシが集って悍ましい状況になっていた時以来の焦りであった。あの時は机から虫が飛び出して来たのだ。
その男は滑らかな発進と減速で私の右手前45度に停止した。仮面の為表情が読み取れない。口を開いた時に、思ったよりも半音低い声だと思った。
「少し話をいいかな?」
「嫌です」
男の誘いには即答で拒否し、歩き去ろうとする私の行く手を防ぐ浴衣の男。
左へ、右へ、いきなりバックステップと方向転換をしようにもすぐに回り込まれてしまう。
逃げられない! どんな課題よりもしつこかった。イグアナの誕生を狙うヘビの群れを思い出した。
その様な私を脇目に更に男は謎の言葉を繋げていく。この時には既に、私の足首はこの俊敏で貪欲なヘビに巻きつかれていたのかも知れない。
男は私の内心を知ろうともせずに話し続けた。
「君程、親和性の高い人を見たのは初めてなんだ。我が同志にならないか?」
「は?」
「今なら、ハッピセットも付いて来るんだが……」
「意味がわかりません、では」
「え、ま、待って!」
その通行妨害罪前科一犯の男は、正に意味不明なこと並べ立てた。
親和性? ハッピセット? 半被をもらってどうするんだ? 祭りなら参加しないぞ? と私の中では様々な疑問が渦巻くが、それを吟味するのは後回しにし、会話中も逃げようとしてはいるが逃げられない。影並に逃げられる気がしない。
「ちょ、ちょっと待て! 分かった、すぐ! すぐ済ませるから! ちょっとだけだから!」
「……はぁ……話なら聞きますよ」
何故ならばこの男、中々に高い俊敏さを持っている様で、私が足を踏み出そうとする度に進行妨害を行う。ボディタッチという一線を超えた行為が見られない為、その件で訴えることも出来ないと歯噛みした。
本当に話を聞かない限り通してはもらえなさそうである。
しかし、友達の言う、所謂『まわりこまれてしまった!』をこれ以上繰り返す程私は暇では無く、この様な軟派紛いの不審者の為に時間を無駄にもしたくはない。
ここはおとなしく立ち向かう定石に則ろうかという思いで私は男の態度に折れた。折れなければ先に進めなさそうであった。
その様子を見た男はどこか嬉しそうな様子で両手を広げて語り始めた。
「あー、どこから話そうか……あぁ、悪の権化、独裁者! ここにもいるのだろう? アレに手を焼いているのだよ、我々は」
「はぁ……」
やはり男の言う事の意味が分からず、私は眉をひそめた。
もし男が仮面だけでは無く言動までどこぞのヒーローものに成りきっているのならば、それは非常に痛々しい大人だと断言できる。
これ以上このような理解不能な宇宙人に付き合ってはいられないと他人に助け欲しさに見回すと、周りの人々は新手のナンパか宗教勧誘か、自分に飛び火しない様にと遠巻きに眺めている。
これこそサイレントマジョリティ、傍観者である。いじめの現場に登場する加害者の一種である。この状況に舌打ちをしたくなった。
男の話はまだ続く。
「だからな、この際一網打尽にしようと思い、『ゴミ分別キャンペーン』を開催する決心をしたのだよ。その為に、ここいらから5人程手伝ってもらおうと思ってな?どうだ、必要なものはこちらで用意しよう」
「……!」
ぐっと握り拳を上げ、振り下ろす男はどこかアメリカンなコミックに生息するというヒーローのようなオーバーリアクションで話していた。今時の日本でここまで感情を大きく表現する人は珍しく、少し面食らってしまった。
ここで余計な視覚情報を無視し、男の言葉を繋げていくと、一つの考えに思い至った。
私は分かった。この男、悪の権化、独裁者、ゴミ分別、5人程……と、一見関連のないワードを並べてはいるが、つまりこういうことだろう。
『悪の権化』=ゴキブリを大量に湧かせている家主。
『独裁者』=その家主に対して、大量の『ゴミを分別』して捨てようと思っているから、5人ほど人手が欲しい。
つまり、ゴミ屋敷の掃除をして欲しいという事だと私は当たりをつけた。
「もしかして……割の良いバイト……とかですか?」
「そうだ! その認識で間違いない。どうかね?」
「ど、どう……」
私の捻り出した推測を躊躇いなく肯定する男の言葉に、私は少し言葉に詰まった。
もちろん参加するかどうかーーではなく、どう誤魔化してここから去るかーーである。
当たり前だろう?
誰がこんな場所で振られたバイトを餌に怪しい輩について行こうと思うのか。是非とも家庭科の教科書p285を見直してから出直して欲しい。
因みに内容は、『うまい話には裏がある。まずい話にも裏がある。裏を読んでこその世渡りである』だ。
「……分かりました、お受けしましょう」
「おお! して、名前は何という?」
「あ、私は平井早希、えぇともう一人は……藤牧子希と言います」
私は眩しいくらいの笑顔(自称)でそのバイトを受けようと頷いた。
ウソ(鳥)も真っ青な嘘である。
この手の人物は断ってもしぶとく食い下がる為、一度屈したと見せかけて行かないのが吉だと思い付いたためそれを実行したのだ。
押してダメなら引いてみろ、引いてダメなら乗ってみろの法則である。そして二人である方が現実味を増しそうだという理由で傘増ししてみた。
平井早希は私のSNSの偽名、藤牧子希は友達の牧希(男)と、近藤真規子の二人を示す愛称をもじったものだ。
私は仲の良い二人を合わせて『まきこまれ』と心の中とサークル内で呼んでいる。
理由はよく巻き込まれるから、以上。
どこかで『一緒にするな!』と声がした気がするのは気のせいだろう、そうだろう、うんうんと一人で何度も頷いた。二人を巻き込むのは主に私ともう一人ともう一人と……あれ、結構いた事を思い出した。
男は不思議そうに額に拳をコツコツと当てていた。
「二人いるのか……? まぁ良いか、貴女には先に渡しておこう。もう一人は、また後で渡すとしよう。ほら、手を出すといい」
男が『手を出して』と人差し指で自分の方に招くので私はしぶしぶ右手を差し出した。
何か名刺等を差し出されたら、即座にお祭りのゴミ箱に捨てる所存である。
今度は男が『近づいて』と右手の親指以外で右肩を叩くので近寄って再度手を差し出した。
すると突然その大きな右手で私の手を握り、左手で私の肩をポンと叩いた。
温かく、思ったより大きく、そして硬い……どこか職人の様な手であった。
私は珍しく呆けてその握手を受け入れてしまっていた。
はっ! と私は現状を把握し素早く手を振り払うと素早く息を吸った。
「ちか……」
「さぁて、今晩迎えに行くから待っているといいぞ」
痴漢です!
ではなく、『痴漢行為に相当する可能性があるのでやめて頂きたい』の言葉が間に合わない程滑らかかつ素早い動きで踵を返した男に、熟練した技術を感じた。
恐らく、お面の下では憎たらしい程に爽やかな笑みを浮かべているのだろう……畜生。
これがプロのバイトリーダーというものなのか……生き物屋の私でさえ勝てる気がしない素早さであった。
「また後でな」
ポンポンと自分の胸を拳で叩き、軽く別れを告げる男の言葉は嘘を言っている様には感じず、後で本当に会えると信じている様な口ぶりだった。
そこにストーカー気質の様なものがあると気づくと、背筋に冷たいものを感じ、私は少しの間硬直してしまった。
何故ならば、住所一つ伝えていない偽名の人を家まで迎えに来るというのは……つまりそういうことだろう。
ストーキング一択である。
何なのだあの不審者……もとい、変態は。
後で不審者として交番に突き出してやろうかと思い振り返るが、もうそこにあの男はいなかった。
やはり素早い、オオムカデ程度の素早さを持ち合わせていると見た。
いや、ナミハンミョウか?
男が去った後、気がついたら握られていた右手を見たが、握手と共に何かを渡された風の掌の上には何も無かった。
地面にも何も落ちている様子はない。
ここは、普通名刺や連絡先の一つを持たせるところでは無いのだろうか?
私はその手のことには疎いけれどそういった話は耳にした事がある。
本当に何だったのだ……先程の変態は。
これが新手のバイト斡旋に見せかけたナンパなのかも知れないと私は認識を新たにし、 一先ず目的地であった公園を目指すことにした。
男がストーキングしていないか、一々後ろを振り返りながらであったため、普段追う側の私は少し気疲れしていたのかも知れない。
「ねぇ、ほんとにいるんだよぉ? しんじてよぉ」
「ちびっこよ、残念ながらそれはフィクションだ」
平穏とは言えずも、祭りからは少し遠ざかっている公園ならば、静かに散策ができると思っていたのが間違いだった。
公園に入った瞬間何故か見ず知らずの子どもがこちらへと走って来て、私に絡んで来たのだ。
因みに第一声は、「おねぇちゃーん!」である。
誰が、誰の、姉だと言うのか。
即刻、血縁関係を科学的に証明出来たら姉呼びでも母呼びでも認めよう。
ただ、赤の他人であるというなら即刻離れろ鬱陶しい子どもめ。
今日は私に疫病神でも付いているのか?
嘘を付かないと言われる子どもの話であっても、物的証拠が無い限り、空を単体で飛行する人物の実在なぞ信じられない。テレビの見過ぎだろう。
現在、大気中で人を浮かす程の浮力を生む方法なぞ耳にした事が無いからである。
「これ! すっごくつよくてあぶないんだよ!」
「物的証拠を持って来たら信じようか。さぁ、出しなさい物証を。さぁさぁさぁ。無いとは言わないよね、そこまで自信があるんだからね?」
私はしゃがんでその子どもの目線に合わせ、本日二度目の眩しいくらいの笑顔(自称)を向けた。
今にも泣き出しそうな子どもの手には、くしゃくしゃに握られた紙があった。
しぶしぶと見せてくれたその紙には、蚯蚓ののたくった様な絵と、辛うじて人と分かるようで分からない謎の物体から棒が生えた絵が描かれていた。
子どもはそれを指して空を飛ぶ人物なるものの危険性を私に説いて来ているようであるのだが、正直1μmも理解できない。
「悪いが子どもの相手は苦手なんだ。危ない人のお話は、優しくて寛容な大人にでもするといいよ、アデュー」
何故、毎度毎度フリーダムに祭りを楽しもうという私の邪魔をするのか。
迷子ならば、大人しく子ども好きな大人に頼ればいいものを、この子どもは何故か私にまとわりついて離れない。ダニか何かか?
「ふ、ふぇ……」
「迷子ならば、迷子センターは射的屋を右折して目の前の文房具屋を左折後、横断歩道を渡って左手の店の並びから三番目にあるから自分で歩け。な? わかっ……」
「う、うう……うえぇぇぇん! いやぁぁぁあ! ピギァぁぁぁぁ!」
何とこの子ども、折角説明している私の声に被せる様にして泣き始めたではないか。
しかも『ピギァぁぁ』って……どこの怪物だよ。
しかも、その騒ぎを聞きつけた大人が集まって来た。
サイレントマジョリティーの無言の圧力!
同僚のあいつのいう『急所にあたった!こうかは抜群だ』だよクソッ!
さしもの私もそう詰め寄られる様な雰囲気ではたじろいてしまう。
「これでは、私が虐めたようじゃないか………はぁ……仕方がない、迷子センターまでだよ?」
「ずびっ……ぐずん。うん!」
このガキャ……私が譲歩した瞬間コロっと態度を変えやがった。
これは、『子ども版当たり屋』に等しいではないか……全く、嵌められた気しかしない。
近頃の子どもはませているとはよく聞くが、ここまでとは……噂で過小評価されるというのは初めて聞いた。これに尾鰭付けるとすると子泣き爺の如く妖怪化しそうであるなと考えたところで腰の辺りに衝撃を感じ、そちらを向いた。
「……んっ! ……んんっ!」
私を引き留めるに飽きたらず、剰え、その女児は屈託のない満面の笑みで手を出して来やがったのだ。
言葉を話せよ、それではどこの傘を押し付けてくる少年だぞ。
あの少女とは違うが、クスノキでどんぐりを貯蔵する青灰色の毛並みを持つ謎の力を持つ獣にそのまま飲まれてしまえば良かったのにな。
私がそのまま歩き出そうとしても、その子どもはその姿勢で立ったまま歩こうともしない……それどころか、若干涙目になってきているようにも見える。
手を繋がないと動かないという意思が垣間見える。
コイツは人に引き摺られないと歩けないのか? 手に取り憑くヒルか何かか?
「はぁ、何で私が……」
そう言いながらも、周りの目が怖くて手を差し出してしまう。
確かにこうして引き摺っていけば、また泣き叫ばれることも見失うことで泣き叫ばれる事も無さそうだと自分を納得させ、涙と鼻水で濡れた温かな手を握った。
汚いが仕方がない。
これは私の我慢を試されていると考えることにした。
すると、子どもは何か気づいた様にこちらを見た。
遅ればせながらやっと、自らの非礼を詫びるか、礼を言うかしようと思ったのだろうか?
「おねぇちゃんのてって、とってもつめたいね。こころまでつべたいの?」
「……ぞ、俗説をホイホイと信じるものではないよ」
違った。
感謝なら受け取ろうと油断していたら、何の屈託も無い言葉が心に刺さった。
何なんだ、コイツは?! と一瞬キレそうになった自分を抑えた。
我慢だ。
子どもは無知なものだ、無知は罪ではないからな……。
我慢だ。
しかし、子どもの相手は辛いな……。
「おねーちゃんって、こころがつめたいから、ひとりぼっちだったんじゃないの?」
「そ、そう思っているといいよ……」
言い返せない所が辛い……。
一人でも別に大して寂しくは無いが、そんな所でガキと張り合っても仕方がない。
我慢するんだ……。
さっさと済ませようと子どもの手を繋いで歩き始めると、祭りに参加する人々の視線が変わった。
今までは、空気の様に移動できたというのに、若干の生暖かい視線を感じる。
あれだろう? 『姉妹でお祭りね〜あらあら手まで繋いじゃって。ウチの子もこのくらい仲良くしてほしいわね〜』だろうと予想した。
手を繋いでいる分、動きにくいのも視線を集める要因の一つであるだろう。
非常に邪魔で鬱陶しい。
「お、仲良しな姉妹さん! サービスしとくよー」
「……」
出店の主のおばさまに直接話しかけられた。
仕方なく、笑顔で会釈という、当たり障りの無い拒絶にてやり過ごそうとしている。
面倒臭い……。
我慢だ、この程度で音を上げては自称ほぼ大人が廃る。
「あらあら、可愛いわねぇ。うちもサービスしちゃうよ?」
とうとう射的屋の手前にあったりんご飴を売る恰幅の良いおばさんにまでそう言われてしまった。
クイ、と手を引かれたのを感じて例のあの子の方を見下ろすと、キラキラした目をしてその場を離れようとしない態度が見て取れた。
ここ数メートルは静かだと思っていた矢先にコレだ。
「……んっ」
「せめて……何か口で言わないと分からないと思うよ」
「おねぇちゃん! みき、りんごあめ食べたぁい!」
墓穴を掘った。
と見せかけて、これは値引き作戦の一環だ。
ふっ……私は諦めの良い女なんだ。
ここで立ち止まられた時点で奢る以外の選択肢を選べないならば、後は周りの同情をどれだけ引けるかにかかっていると思っている。
情けないとか言うな……悲しくなってくる。
「悪いね、お姉ちゃん今500円玉しか無くてさ、君の分まで買ってあげられないんだよ」
「えっ……おかねが足りないの?」
りんご飴は一つ300円という布は遠くから見えていた。500円では二つ買うには足りない。
何とかならないもんかねと困った顔をおばさんに向けてみる。
困った様に小首を傾げる子ども……お前には何も期待していないから静かにしているといいよ。
「……いいさ、まけてy」
「じゃあ、みきのぶんだけでいいよ! おねぇちゃんって、あんまりりんごあめすきじゃないもんね!」
なんと言うことか、子どもは値引きしてくれそうになっていたおばさんの言葉を遮ってほざきやがった。
こんのクソガキぃぃぃ!
ちーがーうーだーろ?
値引き作戦の意味を無くすなぁぁ!
確かにりんご飴好きではないけれども!
と、思いながらも笑顔を崩さないように気をつける。
また何か言われては堪ったものではない。
我慢するのだ……。
お金を渡すために踏み出した一歩が石畳を踏みしめてジャリリという感触がした。
「で、っ……では一つお願いします」
「……いいのね? はい飴と200円」
ここまでで大分気力を持っていかれたが、この子ども……の皮を被った悪魔を迷子センターまで送り届けるまでの辛抱だ。
りんご飴に夢中になってくれた為に、射的もチョコバナナもわたあめもスルーすることが出来た。
子どもが私の都合をスルーしている事からは目を背ける。
後で、酒の席の笑い話にすれば良い。
あの、かなり浮世離れした仲間の中でも大受け間違いなしだろう。
畜生……何で私がこんな……と思うのも今だけの辛抱だ。
「このびん、なーに?」
「あ、やめ、触るな危ない! ……それは、毒瓶だよ」
「ん? モンスターをかるのにゆみでもつかっているの?」
「……えっ? モンスター? 生き物をとる時は基本網か素手か軍手だよ……じゃなくて、それは取った虫を殺す為のビンだよ」
「うーん……わかった! おねぇちゃんは、むしをころすわるいフレンズなんだね!」
「フレンズやめろ」
私の腰の鞄からは、試験管のようなビンがいくつか覗いていた。
中に酢酸エチルなどを染み込ませて、中に入れた虫を上手い具合に殺して標本にする毒瓶である。
私は今日、この祭りの灯りに集まってくる歩行性の昆虫を取りに来ていた。
ここにモンスターなんていないだろ……こんな小さくとも親はゲームを持たせているのだろうか、世も末だ。
フレンズの方は知っていてもおかしくは無い程度に流行っているらしいが、色々怖いのでやめて頂きたい。
そうこうしている内に文房具屋の前を過ぎ、横断歩道が見えてきた。
祭りということもあって、多くの人が信号待ちをしていた。
それよりも少ない車が、轡を並べて整列している姿からも、いつもの閑散とした通りの様子を伺わせない。
下げられた提灯の灯りに照らされた横断歩道さえも、いつもとは違うどこか浮世離れした雰囲気を漂わせていた。
「おねぇちゃん、いっしょにわたろうよ」
青になった信号を見て、子どもは私の手を引いて催促してきた。
勝手に転んで泣き叫ばれたら私の責任を問われかねない為、この提案ばかりは賛成であった。
「……みきちゃん、一緒に渡るから、人が多いからゆっくり行こうね」
こいつが自称していた名前を呼びながら、前に前に行こうとする幼女を押し留めた。
人の間をすり抜けて前にいこうとするなんて……一緒に渡るという宣言は何だったのか。
信号待ちで並ぶのは当たり前であり、順番を待つのは、かけた時間が裏切らないと皆信じているからだ。
いい加減、笑顔が引き攣ってきている気がするのは気のせいだ。
気のせいの筈だ……。
「いーこーおーよぉー、おーそーいーよぉー」
「ああん? あ、はぁぁ……はいはい……はぁ」
その癇癪というには可愛らしく、お強請りというには大きすぎる声に、周りの人々が軽く同情したのか、ぶつかられると困ると思ったのか、目の前には二人ほどが通れる空間ができ、少し道が開けた。
同情するなら代わってくれ! 誰か! と心の中で悲鳴を上げるも気づく人はいない。
子どもに急かされる様に、横断歩道を渡っていく。
もう少し、もう少しの辛抱だ……。
ギリと奥歯が音を立てた気がした。
「ねぇ、ほんとにきてくれるの?」
「へ?」
他に気を取られて話を聞いていなかったが、どこかに一緒に行くというのか。
横断歩道を渡り切った私に、子どもらしい甲高い声がそう尋ねて来ていたのに気づいた。
「私が行くのは迷子センターまで。後はお母さんを探して家に帰りなさい、いいね? お願いだから、いいね?? わかったね??」
私はその小さな悪魔に言い聞かせようと、少し道から外れた場所にて、わざわざしゃがんで奴の目線に合わせてやってからそう言った。
顔を上げるとそこには迷子センターの赤い天幕が見えていた。
この様な子どもは、一刻も早く引き渡して、他の人にも迷惑を掛けず、早々に布団へ入って寝て欲しい。
「ううん、おねぇちゃんはみきといっしょにいくの!」
「だから、行かないって……」
「いーやーだ! やー!」
何と聞き分けの悪い子だろうか。
だから、こんなガキには接触もしたくなかったんだよクソッ!
額に青筋が浮かんでも(多分)、怒りから手が震えて来ても、笑顔を保つんだ表情筋よ!
我慢だ……我慢するしか無いんだ……。
民衆という大多数に囲まれる中では、個人はいとも容易く消されてしまうのだ。
と、自分の事に気を取られ過ぎていたのだろう。
私は、それの訪れに気づいていなかった。
「よっ、何か獲れたか? ……お前の妹か?」
絶対に見られたくなかった、同僚の存在に……。
絶対、笑われるからな! 公道の真ん中で! 言いふらすからな! 大学の知り合い中にな!
しかし、背に腹は変えられないのも事実。
非常に癪に触る事実であるが、子どもの扱いに長けているのだコイツは……『まきこまれ』を巻き込む元凶その1、飯尾は。
「はぁ……そう見えるか?」
「そう見える、見えるぞー。お似合いだねぇ。子ども嫌いのお前には勿体のない可愛い妹さんで。こんばんはお嬢さん」
言葉の選択をミスった。
私の家族構成を知っておいて……コイツはこういう奴だったよ!
「こんばんは、おねぇちゃんのみきです」
「おい。違うよね? 迷子になっていたから、迷子センターに届けるところだよ、全く。飯尾、というわけだ」
これでいいだろ? と言わんばかりに睨みつけてやると、口元を押さえて痙攣している。
「あん? 何が面白い?」
「くっひぇひぇひぇ……超面白い……が、からかってやる余裕も無さそうだな、お前。連れてってやるよ、迷子はあそこだろ?」
「えっ……本当?!」
変な笑い方なのはいつもだけれども、コイツってこんな空気読める親切な奴だっけ……?
超ありがたい!
超助かる!
もうそろそろ限界が見えていた!
「おら、にーちゃんが連れてってやんよ。手ェ出しな?」
「にーに? ふわぁ! 飴さんだー」
ほら、餅は餅屋、野菜は八百屋、子どもはにーにに任せるべきなのだよ。
飯尾にーにはその小さな悪魔と何やら二人で話した後、小さな手を引いて迷子センターまで連れて行ってくれた。
「助かった、ありがとう」
「いいよ、礼なんて。感謝はやっぱ、物品で示すものだろ?」
「そういう奴に貸し作った私が馬鹿だった!」
呆れる程爽やかな笑みで金を示すハンドサインを作る飯尾に、私は自分の失態を悟り、地団駄を踏み拳を腿に叩きつけた。
何が親切な奴だ!
ただの飯尾だった。
もうすぐそこに迷子センターが見えていたのだからもう少し頑張れば良かった。
分かっているだろうと言わんばかりに飯尾は口の端を吊り上げて、ニヤリと音が出そうなくらいに笑みを深め、頷いた。
無駄にルックスが良いから絵になるところも鬱陶しい。
「アメナマとギギの透明標本でこれまでの貸しもチャラにしてやってもいいぞ」
「はぁ……分かった分かった、作るよ。コレクションからはあげられないからね」
飯尾はこの通り、標本と骨を愛する変態である。
そこのわたあめ持ったお姉さん、キラキラした目で「かっこいい……」と見惚れない!
見た目に騙されていますよと声を大にして言いたいのだが、もう今日は他人と関わるのには疲れ切ってしまった。
飯尾の骨好きはおかしい……この前だって……おっと、こんなことを考えながら歩いていると、目の前に横断歩道が現れた。
「ビーレビーレシー」
青信号になると、半分くらい壊れているだろう音が流れてきた。
誰か必要としている人か、それともいたずら好きな子どもが押したのかもしれない。
「透明標本な……手間かかるんだよなぁ……はぁ」
「魚の骨くらいは提供するさ」
「身は無いんかい! ……いや、骨だけじゃできないことくらい知ってるでしょうに」
「くひゃひゃ、面白くてつい」
全く、何が面白いものか。
こちとら何も面白くは無いと言うのに毎度毎度一人だけ楽しそうで。
その形の良い鼻をへし折ってやろうか? おおん?
ふざけた飯尾に注意を傾け過ぎ、気がつくと信号が点滅していた。
「急ぐよ」
「相変わらず真面目だなぁ。大丈夫だって」
「万が一、車が来たら……」
遅い飯尾の手を無理やり引いて渡らせようと、後ろを振り返った私は言葉を失くした。
「ん? 車なんて……」
「ピッピー! ブヴゥンブヴン!」
騒がしくなった背後に流石の飯尾も後ろに振り返った。
こちらに真っ直ぐに、2-3トンのトラックが走って来ていた。
銀の車体にお祭りの光が反射して、幻想的にさえ見える。
正面に、トラ猫のロゴが見えるから、割り込みの多いトラ猫尾張の宅急便のトラックだろう。
それが横断歩道を巻き込みながら、信号の下まで突っ込んで来ようとしている。
私はその姿を見て、「危ない!」だとか「逃げろ!」だとかいう真っ当な反応ができなかった。
ただ、一言。
「ど、道路交通法違反……」
その一言を残して、痛みと衝撃で体ごと意識を吹っ飛ばされた。
・私 この物語の主人公。生き物が好き。押しに弱い。
・仮面の男 イタイ格好をするいい大人。人を探している。ストーカーの嫌疑がかかる。
・みきちゃん 幼い子どもが何をしても許される訳じゃ、許されるねやっぱり。小悪魔を通り越して悪魔に達している凶悪さ。
・飯尾 骨が好き、子どものあしらいも上手い、イケメン。主人公に対して上手。
・トラ猫尾張 自動車教習所での路上研修中でも割り込みを仕掛けてくる余裕のない宅配業界の大手。一部ではボス猫とも呼ばれる。