料理人の溜息
俺の勤めている屋敷には狸がいる。
ふっさふさの毛玉のような子狸である。
呑気な足取りで蝶々を追っかけている姿や庭先で日向ぼっこして眠っている姿には大変癒される。ちょこちょこと誰かの手伝いをしているのもとても可愛らしい。
だが、しかし。
調理場の目と鼻の先で、くりんとした真ん丸な目玉でじーっと見つめられ、後ろ暗い思いが全く湧かない訳ではない俺は、ぎこちない動きで目をそらした。
なのに狸は、その短い脚でとてとてとやって来くるのだ。
うん、わかっている。お使いなんだろう。
きゅいっと得意げに鳴かれて、俺はがっくりと膝を突いた。
(何故、その姿で料理人の前に出てくる……っ!)
こてりと傾げられた狸の首に括りつけられているのは唐草模様の風呂敷包みだ。その隙間からはにょっきりと長ネギが飛び出し、茸が頭を覗かせている。
その様はまさに、鴨葱……違った、狸葱。
俺の心の叫びを知らず、心配したように近づいた狸に鼻先を寄せられ、きゅうと小さく鳴かれた。
返事を返さない俺に狸は少し後退る。それから、小さな音がして。
「大丈夫?」
まだあどけない女の子の声が聞こえた。
顔を上げると円らな目をした少女が膝を突いて俺を覗き込んでいる。その首には緑色の唐草模様の風呂敷包み。
姿は変わろうとも我が家の狸である。
「ネリ」
「?」
悪気がないのはわかっている。たぶん、こいつは何も考えちゃいない。
身体を起こし、俺はネリと呼んだ少女の肩をがっちりと掴んだ。
真ん丸な瞳の中に、完全に据わった眼をした自分が映っているのを捉えながら、とりあえずこれだけは言わねばと思う。
「材料運ぶときは人の姿で来い。どう見てもお前事具材にしか見えん」
今日のメニューは狸鍋だ。
言葉にされない無言の献立発表に、一瞬で顔色を青くし、つま先から頭の先までガクブルさせた少女が、頭が取れそうな勢いで頷いた。
少々可哀相な気もするが、しかし、自覚は必要である。
(旨そうだな。なんて思ったなんて領主様にばれたら……)
こちらこそ、鳥肌では済まないのだから。
大変短い小話ですが、狸さんが顔を出したのでお裾分け。
ちょっとした気分転換になることを願って(*´ω`*)