文芸部事件ファイル No.000518
書き手:づけまぐろ
確かに那楼文芸部は平和であるけれども、いつもぼへらっとしているかというと、案外そうでもないのだ。
なんとなく読者の方の中には、ここがまるで年中5月病サークルだと思っている方もいるのでは、と。だから俺はひとつ、こんなエピソードを話したい。
そう、それは俺が入部してから間もない、春の日差しうららかなある日のことだった。
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そろそろ大学にも慣れ、そして疲れが溜まって来る時期。
ジーンズとシャツ。そして首にはタオルを巻き、跳ね上がった金髪をもつ青年。今は授業の時間だが、その頭はこっくりこっくり、確実に夢の国へのカウントダウンを数えていた。
教師による三角関数の説明を受けながら、もしもこの先生の音声をグラフで表したら、完璧なsin波を示すのかもしれないと思いながら、ゆっくり、ゆっくり……眠、って……。
起きた時には、授業は終わってしまっていた。起こしてくれなかったと友達に愚痴を吐くのもちょっと情けないので、ため息をひとつ吐いてから立ち上がった。
今日はもう授業はない。だから、ぶらぶらしながら部室に向かうことにした。
――桜、もう散っちゃったなぁ
散って地面にたまった花びらが、まだ微かに香りを放つ。微妙に寝過ごしたため、学生はすでに帰るか、次の授業に向かってしまった後のようだ。道に人がいないので、なんとなく感傷的な気分になる。
「ん?」
部室棟の入り口付近で誰かを見つけた。棟の2階を超える高さを持つ大きな樹の、上の方をきょろきょろと見ている。赤い髪をポニーテールにしたあの少女は。
「こんにちわー、亥月さん。なにやってるんですか?」
俺の方に振り向くや否や、人差し指を口の前に出した。
「しーっ、静かに。やっと成功したんだから」
成功、一体なんのことだ?
正直、この子のことは良く分からない。
俺と同じ学年らしいが、この背を見る限り、俄かには信じられない。
またたいていの場合、何か会話が成立する前にぎゃんさんの気配を感じ取って、そのまま猪を伴って走り去ってしまうのだ。今日は珍しく、ぎゃんさんも猪も、近くにはいないようだったが。
彼女は、そういえばといった風でこちらに向き直った。ポニーテールが翻る。
「うす、づけまぐろさん。どしたの?」
――それは、こっちのセリフじゃないか?
「いえ、部室に行くついでに、棟内探検でもしようかなって」
一瞬、彼女の目がキラリと光ったような気がした。空耳だろうか、あの猪の、ブヒッ、という鳴き声まで、セットで聞こえてくる。
「おお、いいすね。俺も部室までなら付き合いますよ」
「あ、ありがとうございます」
早速仲間が増えた。
ただひとつ気になるのは、樹の根元に、ロープやら板やらが散乱していることだ。
「あの、これ――」
「ねね、早く行きましょう」
「あ、はい」
少し気になるのだが、まあ、いいか。
亥月さんはもう入口の扉に手を掛けていた。行動が早い。小走りで追いかけた。
部室棟に入ると、外との落差で一瞬視界が黒くなった。いつの間にか、随分日差しが強くなっている。
「しっかし、静かっすね」
「確かに。あんまり人は通りませんよね、この辺りって」
それもそのはず、文芸部は部室棟の中でも一番端、しかもその2階に位置している。今俺たちが入った入口も、たぶん裏口みたいなものなのだろう。
「そういえば、この辺りに茶道部の部室がありますよね」
左を向くと、茶道部と書かれた看板が目に入った。
「なんだか、入るの怖いですね、って……」
「おじゃましまーっす」
隣の亥月さんが、何のためらいもなく扉を開けてしまった。この行動力は……。
部室の中は、襖で仕切られていた。多分奥の方にあるのが茶室なのだろう。
「あら、こんにちわ。亥月さんとづけまぐろさん」
襖をあけて出てきたのは、茶道部部長のほしさんだった。和服というか、お茶を点てる時の服装をしている。手には盆を持っていて、なにやら美味しそうな大福が乗っかっていた。
俺の物欲しそうな目に気が付いたのか、
「おひとつどうぞ」
ほしさんは笑顔でくれた。
凄くいい人だ。
亥月さんと俺と、一つずつ盆の上の小ぶりな大福を取る。
「うわ……おいしいです!」
「ほんと、おいしー!」
皮と餡のバランス、砂糖の量、水の量……がどうなっているのかは分からないが、とにかくとても優しい味だった。
「そう、それは良かった。今から文芸部の方に持って行こうと思っていたんです。ところで……」
ほしさんは目を細め、こちらを見た。
その瞬間、思わずここから逃げ出したい衝動に駆られる。その金色の瞳には、まるで玩具を探す無邪気な子供の如き残酷さが秘められていた。
――ああ、やっぱりこの人も普通じゃない。気配が、普通じゃない。
隣を見ると、無意識なのか、亥月さんが酢昆布をかじっていた。その面持ちはこころなし、緊張しているように見える。やはりほしさんの気配に少し気圧されているようだった。
「ぎゃんの居場所を、知ってますか?」
「い、いや、俺達まだ部室に行く途中で……」
「銀ちゃんは、これから追い詰……探すところだよ」
「そう……」
残念そうな面持ちで、ほしさんは頷いた。
「じゃあ、私も一緒に探そうかな」
そう言って、ほしさんはさっさと2階に向かってしまう。このままではぎゃんさんが危険なので、仕方なく付いて行くことにした。
2階の廊下を登り切り、部室の扉の前へ辿り着く。
扉を開けると、レーサーが着るようなつなぎを着た男の人が目の前に立っていた。腕組みをしている。
「あの、どちら様、ですか?」
精一杯身を低くして尋ねる。
彼は口を横一文字に結んだままで、何もしゃべろうとしない。まるで部室の番人だ。
「あ、こちらは工場長さん。3回生、です」
ほしさんが、フォローに入ってくれた。黒髪の男性が微かにうなずく。
――なぜ自分で喋らない?
「ちなみに、茶室の壁はもう直っていますよね?」
ほしさんが黒髪の人に訊ねる。
男の人は、わずかに顔を歪めたような気がした。怒りのためだろうか。
――いや、違うな。今のは、恐怖の表れだ。
何となく悟ってしまう。哀しいことに。
「先輩、こっちに銀ちゃん来てません?」
工場長さんは、なんだか急に朗らかな顔つきになった。亥月さんの方を向く。
「いや、こっちには来てないみたいだが。……ところでも一回先輩って言ってくれないか?」
――わ、分かりやすい
「先輩」に、何かこだわりがあるようだ。どれ。
「せ、先輩、ちょっとここ、通してくれませんか?」
何か、工場長さんがすごい勢いでこちらを睨んできた。
「男が、先輩と呼ぶなっ!!」
すんごい怒られた。
「あ、あの……ごめんなさ――」
「あ、銀ちゃんの気配!」
俺の謝罪は亥月さんの叫びにかき消された。
亥月さんが、工場長さんの腹部に突進、うめき声を上げて倒れこんだ工場長さんを飛び越えて部室へと消えた。
恐ろしい破壊力とバネだ。今度から亥月さんの直線状には立たないようにしよう。
「まったく、亥月さんったら」
「だ、大丈夫ですか? 工場長、さん」
「あ、ああ、大丈夫だ……ガッ?!」
中から銀雪さんが飛び出してきた。後ろに亥月さんが続く。
工場長さんはその後頭部を、したたかに打ちつけられていた。頭を抱えてのたうちまわる。
ほしさんがお盆を持ちながら、工場長さんの傍に座る。
「う、うぅ……後輩に、やられるなら、本望、か……」
うわごとを繰り返す工場長さんのそば、ほしさんが、一瞬何事か考えるそぶりを見せた。そして楽しそうに工場長さんに告げる。
「今とどめを刺したのは、ぎゃんですよ?」
工場が、完全に稼働停止した。
「と、止めを刺したのは、ほしさん、です……」
俺は、そう突っ込むことしか出来なかった。
部室には、PC画面に向かう望月さんがいた。窓際の特等席に座り、開いた窓から、涼しげに風を受けている。
イヤホンを付けて、なにやら真面目な顔つきをしている。
「やあ、どうしたの?」
俺に気が付いた望月さんが、イヤホンを外して訊ねる。
「いえ、ちょっと探検に来ただけで……」
そういえば、目的地に辿り着いてしまった。
「そういうおいちゃんさんは、またモゴゲーですか?」
思わず呆れ気味な口調になってしまう。たーさんの話によると良い所もある、らしいが、ちょっと疑わしい。たーさんにはどうにも、お人好し過ぎるきらいがあるのだ。
「そうだよー、づけさんもやる?」
「い、いえ、遠慮しときます」
しかし、なんだろうか。こう、ぬるま湯の中にいるような。
さわさわと擦れ合う木の葉の音が、部室の中にも届いていた。もう初夏か。
「でもなんか、平和ですねぇ」
気がつくと、俺はそう呟いていた。5月の風が後押ししたのかもしれない。
「そうだねぇ」
背もたれに肘を載せ、窓の外を向く望月さん。外から覗く木々の緑に金髪がなびき、なんだかとても絵になる光景だった。これでPC画面が美少女でなければ、ホント切れ者、って感じなんだけれど。
だが、それも一瞬だ。
「みんな、ちょっと来て!」
銀雪さんの声だった。
俺と望月さんが廊下に出ると、既にそこには、ほしさん、工場長さんと、亥月さんに銀雪さんがいた。なぜか皆無言だった。
亥月さんが、銀雪さんに抱きついている。
――これは、引きはがして欲しいのかな?
無言の圧力に一瞬ひるんだが、いつものパターンだと俺は考え、軽口を飛ばした。
「ぎゃんさん、もしかして、亥月さんに告白されちゃいました?」
一方の望月さんは何も言わず、ただ銀雪さんに近寄る。今まで見たことがないくらい真剣な顔つきだ。
「どうしたの?」
望月さんが銀雪さんに訊ねる。
いつもなら人をからかうのが大好きなはずなのに、何も言わない望月さん。そこでやっと、俺は気が付いた。
亥月さんは、顔を歪めて泣いていたのだ。
阿呆な軽口に対して、激しい後悔が体を締め上げる。謝りはしたが、いまさら遅い。
「一美が、目の前の木に登って降りられなくなったらしい」
銀雪さんが答える。一美というのは、確か亥月さんが飼っている猪の名前だ。
「え?」
目の前の木、それは先ほど見た、2階を超える高さを持つ巨大な樹のことだった。ちょうど部室前廊下の窓から、その樹冠がはっきりと見える。
いた。
その良く茂った葉の中から、巨大な猪が顔を覗かせていたのだ。威風堂々のその顔にも、少し困惑が表れているように見える。
ミシミシと嫌な音が、樹の方から響いてくる。急がないと、まずいかもしれない。
空白。それぞれの焦りと思考が混じったような、密度の濃い沈黙。
だがそれも一瞬だった。誰かが肺に息を吸い込む音がする。
「さて、皆。まずは落ち着こう。ほしさん。今動ける人を、調べてくれる?」
望月さんだった。ほしさんは頷いて、懐から携帯を取り出す。なぜ2機もある?
「づけさん。まず下に行って、クッションを作ってて」
「あ、茶室に座布団があったはずです。これ、鍵ですよ」
ほしさんが、携帯を両手に持ちながら、器用に鍵を取り出す。俺はそれを受取り、階段を駆け降りた。
急ぎ、茶室に向かい、鍵を使って扉を開ける。
「座布団座布団……」
大きなタンスを3つ開けて、ようやく紺の四角い座布団を見つけた。よく手入れされているのか、どれもふかふかだ。
座布団を重ね持ち、俺は出口へと向かう。持てるのは、7つが限度だった。
笑点の山田さんの技を身につけたいと、これほど切に願うことは、多分後にも先にもこのときだけだ。
部活棟の出口をくぐり、樹の根元に辿り着く。
「いたな」
イノシシの一美。その白い腹が見える。改めて見ると、亥月さんは一体どうやってこんな場所に上げたのか、不思議でしょうがなかった。
――まあいい
その真下に、座布団を並べて配置する。だが、あの巨体ではこの程度、クッションにならないような気がする。
再び部室棟へ向かい、入口付近で望月さん達と合流した。恐ろしく大きな脚立を、工場長さんと望月さんが運んでいる。ほしさんは携帯をかけまくっていた。二人を手伝い、脚立を根元まで運ぶ。
「いい? これから、一美救出作戦を決行する。まずこの脚立を彼女の足もとで立てる。それから、あの窓に板を渡して、彼女を渡らせる、って塩梅。分かった?」
想像はついた。
「あと、もうひとつ脚立が必要なんだけど、ほしさん?」
携帯を、ぱたりと閉じるほしさん。微かに微笑んでいた。
「大丈夫ですよ。板も、脚立も。皆さん頑張ってくれていますから」
「よっしゃ、じゃあ俺も手伝って来るか!」
そう言うが早いか、工場長さんはいつの間にか引っ張ってきたハーレーに乗りこんで行ってしまった。
「あ、お、俺も……」
そう言いかけて、止めた。まだ自分の仕事を果たしていなかったことに気が付いた。
「俺、座布団、取ってきます」
望月さんは、軽くうなずく。
座布団をもう一度取りに行き、帰ってきた時には人数が倍以上に増えていた。なんという仕事の早さ。
「脚立、もうちょっと左、もっと、そうそこ!」
「板、ずれてるずれてる!!」
すでに板の道は半分出来上がっていた。後は中継の脚立から、窓への板をかけるだけとなっているようだ。
トンカチをふるう音が響く。板と板を固定しているのだ。
「おれ、この釘を打ち終わったら、下に降りるんだ……!」
イソさんが、金槌を振るっている。
死亡フラグがガンガン打ちこまれていることに、当人は気付いているのだろうか?
「よーし! みんな、脚立をしっかり押さえてて!」
望月さんが、音頭を取る。それに合わせて、必死に脚立を抑える文芸部の面々。皆自分の役目を果たそうと一生懸命だった。
「なんか……」
俺は不謹慎にも、ちょっと笑いがこぼれそうになった。
「なんか、皆カッコいい……」
ついに、窓まで板が渡された。亥月さんが、そろりそろりと一美へと近づいて行く。
皆が固唾をのんで見守っていた。とはいっても、板のために姿は見えないのだが。
俺はクッション代わりの座布団を持って、その真下をうろうろしていた。
「ほら、大丈夫。怖くないすよ」
上空から、亥月さんの声が聞こえる。散々な目に遭った一美は、どうやら興奮状態にあるらしい。
下からでは状況が良く見えないので、ほしさんの携帯が伝える、銀雪さんによる報告が一番の頼りだった。
「ブヒッ!」
「うっ……ほら、怖くない、怖くない」
一体、何があったのか。
まさか、噛まれた、のだろうか。
”え〜、あ、今、いっちゃんが、一美ちゃんに酢昆布を与えています。言っとくけど、噛まれちゃいないよ?!”
ナイスツッコミ、です。銀雪さん。
脚立が、ぐらぐらと動く。一美がその上を渡っているのだ。軽快な音を立てて、蹄が板に当たっている。
”いっちゃん、一美ちゃん、あと少しだよ。ファイト”
銀雪さんからの報告も熱を帯びる。
と、唐突に、風が吹いた。気まぐれな、突風。
あ、と思った時には、亥月さんは板からはみ出していた。
「危ない!!」
俺は座布団を抱え、彼女の真下に向かった。が、上を見ていたせいで、地面を転がっていた石に蹴躓いてしまう。
終わった。
俺は、地面に転がったまま、下を向いていた。
そして、地面に激突する、カツンという音が響いた。それだけだ。
「……え?」
恐る恐る、落下物の方を見る。コンクリートの地面には、壊れた携帯が落ちていた。
わっという歓声が響き、つられて上を見た。
銀雪さんが、亥月さんの右手を掴み、板の上に留めていた。
……ちなみに一美は、先に渡り切っていたようだった。
あまりにほっとして、俺はふかふかの座布団の上に頭を沈めてしまう。
たーさんが嬉し泣きしているのが聞こえる。そういえば、たーさんは亥月さんの、兄、だったっけ……。
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目が覚めると、あおむけだった。綿雲のある青い空を見上げても、脚立も板も見当たらない。
「夢、か?」
間違いなく部活棟の入り口だったが、あの騒ぎはどこかへ消えていた。
ふと、薄い水色の髪の少年が、樹の根元で寛いでいることに気が付く。まだピントが上手く結べないが、あれは多分かけだし作家さんだ。
「か、かけさん。何やってるんですか?」
かけさんが、こちらに気付いてやってきた。
「何って、づけさんが気絶しちゃうからでふよ」
「あ、わざわざありがとうござ……ってそうではなくて。あの騒ぎは、夢じゃないんです、よね?」
かけさんは頷いた。
――そうか。
「いやあ、驚いたでふ。いきなりぶっ倒れるんでふから」
「そ、そうらしいですね」
少し、恥ずかしい。
「皆もう、部室に集まってるでふよ? パーティをやるみたいでふ」
俺が何か言うのを制して、かけさんは続ける。
「づけさんがあんまり気持ち良さそうに眠ってたから、皆起こさないでくれてたんでふよ。感謝感謝、でふ」
寝顔を見られていたのか。ますます恥ずかしい。
「あ、はい。そうですよね。かけさん……待っててくれて、本当にありがとう」
なんとなく、皆の優しさが染みた。
と、かけさんは事もなげに呟く。
「いやぁ、あと3分もしたら、水ぶっかけるとこだったでふ。良かった、良かった」
……いや、今のは、聞かなかったことにしよう
かけさんと並んで、俺は騒がしい部室へと向かったのだった。
そう、変人だらけの未熟者同盟は、実は結構ガッツのある、思いやりあふれる集団らしい。
要するに俺は、ここが好きなのだ。
はいオワター!
記念すべき(?)30話目に、gdgdをやってしまいました。
えっと、これを読んで下さった皆さん、出演して頂いた皆さん…
すごく面白いですよね!
ええ、もちろん他の書き手さんのお話のことですw