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お前は誰だ?

書き手:道化者

 とある晴天の昼下がり、那楼大学の廊下を1人の青年が歩いていく。

 目に掛かる独特な癖っ毛をした青髪が、彼を文芸サークル最強のツッコミ要員、『ぎゃん』こと銀雪であると教える。

 彼は小脇に数枚のノート束と筆箱を挟み、急ぐでなく歩を進めていた。

 考え事でもあるのか、少しぼんやりしているようだ。その為に、抱えているノートが一冊、脇から滑り落ちて床に着いても気付かない。そのままの足取りで、先へ行こうとしてしまう。


「銀さん、ノート落ちたよ」


 そんな銀雪へと、背後から声が掛かった。

 呼ばれて初めて彼は気付き、慌てて後ろへ振り返る。


「あ、悪い」


 言いながら視線を背方へ巡らした時、銀雪の側へとノートが差し出されてきた。

 落ちたそれを拾い上げ、彼へ渡し返してきた相手。正面に示されたノートを受け取る最中、銀雪はその相手を視界に収める。


「ん?」


 だが、そこで彼は怪訝な顔を作った。

 何故なら正対した相手が、自分の予想に反して全く面識のない、見ず知らずの相手だったからだ。

 黒いスーツを着た男。齢は20代前半だろうか。数cmばかり銀雪よりも背は低い。赤い髪をオールバックにし、眼鏡を掛けている。顔には柔和な笑みが刷かれ、人の良さそうな印象を受けた。

 しかし銀雪は、その男を知らない。男の所作や雰囲気にも覚えはなかった。ただ声だけは、どこかで聞いたような気がするのだが。それさえも判然とはしない。総じて言うなら、完全に記憶にはない相手。

 なのに相手は、銀雪の事を知っているようなのだ。それが余計に彼を混乱させる。

 そもそも銀雪とは、文芸サークルで使われる彼のペンネームであり、無論のこと本名とは違う。その彼を『銀さん』と呼び止めるのは、少なくとも文芸サークルと縁のある者の証拠。けれどその男をサークル内で見た事はないし、文芸サークルと懇意にしている茶道部でも同様。

 何よりも決定的なのは、男から文芸サークル関係者固有の特性とも言える変人オーラが、全く感じられない事にあった。男にあるのは極めて普通の、ごく一般的な常人的気質。文芸サークルとは似ても似つかない、まともな人間に思える。

 それ故に男と自分の接点を、銀雪は見付けられないでいた。


「僕の顔に、何か付いてるのかな?」


 銀雪の表情を見て、男は微笑のまま小首を傾げる。

 特に気を悪くした様子もなく、穏やかな雰囲気に変化もない。この反応1つ取っても、サークル所属者とは違う。


「あ、いや。ノート、あんがと」


 男の言葉で我に返った銀雪は、差し出されているノートを受け取って、軽く礼を述べる。

 相手の調子はどうにも気安い。銀雪自身としては初対面と思うのだが、相手にとっては違うようだ。まるで以前からの知り合いであるかのように、フレンドリーである。

 だからといって、どれだけ考えても銀雪には思い当たる節がない。全然知らない他人から親しみを持って語り掛けられる、それはなんとも奇妙な感覚だ。


「えっと、それで、あ〜……あんた、誰だっけ?」

「おいおい、酷いな銀さん。僕の事を忘れてしまったのかい?」


 銀雪が率直な疑問を口にすると、男は微苦笑を浮かべて、少しだけ傷付いた顔をしてみせる。

 尤も、それは冗談めいた部分が濃く、本当にショックを受けているという風でもない。その反応がまた、気さくで柔軟で、余計に文芸サークルとの関連性を遠ざけた。


「同じ、文芸サークルの仲間じゃないか」

「は? え……えぇ!?」


 朗らかに笑う男の言葉に、銀雪は思わず驚きの声を上げてしまう。

 それ程に男の一言は衝撃的だった。

 『文芸サークルの仲間』。男は確かにそう言った。銀雪は自分の耳でそれを聞いた。間違いはない。

 男が嘘を言っている可能性、今の言葉が冗談である可能性、双方共にゼロではない。寧ろジョークの類である方が自然であるし、その可能性の方が格段に高いのだ。なにせ文芸サークルの一員である銀雪自身が、その男を知らないのだから。

 だが、しかしである。銀雪個人としては、男が嘘を吐いているようには、どうしても思えなかった。

 一癖も二癖も裏も表もある文芸サークル員を日々相手にしているのだ。特に彼はその中でもツッコミという重要極まりないポジションに立つ逸材。自然、人の言動に対する機微には敏感となってくる。巨大な荒波の如き曲者達に揉まれ、望まざるうちに鍛え上げられた銀雪の観察眼は、凡百のそれなどお話にならないまでに高性能だ。

 そんな彼が、たおやかな笑顔を浮かべる男の発言に、嘘の成分を感じ取れていない。これは果たしてどういう事か。

 単に銀雪の能力の問題として片付ける事も出来る。だがそうでないのだとしたら、それは男が本当の事を、あやまたず事実のみを告げているという結論に至ろう。

 即ち男は、男自身の言うように文芸サークルの一員であり、銀雪とも面識のある人物という事だ。或いはそれは、男が銀雪を知っているだけという一方的な物かもしれないが。

 どちらにせよ、銀雪にとっては返答に理解に困る所だ。


「おっと、いけない。もう行かないと」


 僅かの時間に無数の思考を脳内に走らせる銀雪を余所に、男は左手に嵌めたデジタル式の腕時計に目をやる。

 そして何かに気付いたらしく、時計から視線を離し、再び銀雪へと向き直った。

 顔には穏やかな微笑が浮かべられたままだ。どう見てもまともな人物である。


「ウサたんと待ち合わせをしていてね。新作の構想で意見が聞きたいらしいから、こころんと一緒に見てあげようと思って」


 そう言って笑う男の顔には、慈父の面差しが優しさと共に添加されていた。

 一方の銀雪はといえば、そんな男の表情に注意を向けるでなく、発せられた言葉にこそ意識を注ぎ込んでいる。

 取り分け彼に考える余地を与えたのは『ウサたん』と『こころん』という人物名だ。どちらにも聞き覚えがある。

 ウサたんとは、文芸サークルのウサ的コスプレ少年たーの事を指し。こころんとは、その姉で包丁を常備する黒の姫ハーツ・ザ・リッパーこと霧咲ココロを指す。

 そしてこの2人を、ウサたん或いはこころんという独特の呼称で表現するのは、文芸サークル内に1人しかいない。そこまで思い至り、しかし銀雪は自らの思考を心の内で否定した。


(いやいや、そんな筈はない。だってアイツとこの男じゃ、どう考えたって別人だ。同じ人物である筈がない。というか、同じであっていい筈がない!)


 胸中で拳を固め声高に叫ぶ。あくまでも己の精神世界でだ。

 勿論、実際に廊下の真ん中でそんな事はしない。したら確実に不審者である。ここは文芸サークルの部室でもないのだ、あまりエキセントリックな行動をする訳にもいくまい。


(だとしても、これは何だ? 新手のギャグなのか? それとも俺への高度な精神攻撃? よもや本格的に頭が逝っちまった訳でもあるまいし。なんにせよ、此の世の中にコレ程ツッコムべき瞬間も無いと思うんだがな〜)

(いや待て、俺は俺自身をツッコミ担当とは認めていない。周囲の状況に流され、俺はツッコミに回らざる負えないだけだ。断じて俺は、自ら望んでツコッミに走っている訳ではない!)

(そ、そうか、判ったぞ! 奴め、普通人を装うという常軌を逸した変態的行動に出る事で俺をツッコミへ駆り立て、自他共に認めるツッコミ野郎へ昇華させるつもりだな!? これはその為のトラップ! おのれ、小癪な真似を)

(……ふっ、しかし、お前の策謀に気付いた俺の勝ちだ。残念だったな。俺はツッコム為に文芸サークルに入ったんじゃない。俺を永久ツッコミ機関へ進化させようという貴様の策も、俺が見破った今、これで終わりだ)


「ああ、そうだ。銀さん、コレを」


 銀雪の妄想的葛藤など露知らず、男は何かを思い出し、ズボンのポケットから1つの袋を取り出す。

 それを銀雪へ差し出し、その行動によって反射的に手を前へ向けた彼の掌へ、静かに乗せた。

 思わず出してしまった手へ、そっと置かれた小包を、銀雪は不思議そうに眺める。


「酢昆布?」

「いっちょんが禁断症状を起こしたら困るだろ? だから保険さ」


 首を傾げる銀雪へ、男は微笑みながら説明する。

 その口から放たれた呼び名『いっちょん』は、文芸サークル随一の短身長を誇り、酢昆布とフランスパンをこよなく愛するミラクル少女、亥月を指す。

 これが聞こえた時点で、銀雪は男の正体を断定した。たーをウサたん、霧咲ココロをこころん、亥月をいっちょんと呼ぶのは、この3人の兄しかいない。そして銀雪を陥れようと張り巡らされた計略の異常さ(誤解)から見ても、彼が導き出した答えに間違いは無さそうだ。


「いっちょんは君の事を気に入ってる。何かと迷惑を掛けるかもしれないけど、宜しく御願いするよ」

「は? て、ちょ!」


 男はにっこりと、邪気も悪意も不気味さも恐怖も危険も一切存在しない笑みを浮かべる。

 対する銀雪は言葉の意味を一瞬考え、それからなんとも言えない表情を作って相手を見た。

 されどこの時にはもう男は歩みを再開して、彼の隣へ並んでいる。


「はははは、それじゃーね。未来の義弟おとうと君」

「なッ!?」


 楽しそうに笑いながら、男は銀雪の肩を叩いて横を抜けていく。

 これへ見せた銀雪の反応は数瞬の絶句。次いで顔に赤みを交え、既に遠退きつつある男の背へ、声にならない叫びの一端を投げ付けた。

 けれど男は振り返らず、悠然とした足取りで銀雪との距離を開きつつある。離れ行く背中を見詰める銀雪は、気を取り直す為に1度大きく息を吸った。

 自身の内側に燻る気恥ずかしさ。これを掻き消す為に彼が取った行動は、抑えていたあの衝動を解き放ち、確かな言葉として相手へ叩き付ける事だ。

 銀雪は自らの精神的安定を取り戻す為に、去り行く男へ焦点を合わせる。そして。


「お前は、本当に、道化者なのかぁぁァッ!!」


 有らん限りの力を込めて、腹の底から、大声で叫び上げた。

 頭と心は数多の感情が駆け巡り、これを落ち着かせる為に手段を選ぶ余裕もない。周囲を気にする事も忘れる程に。

 背後から届けられたサークル仲間の雄叫びへ、男は懐から取り出したピエロ風の仮面を、泣き笑い顔の奇妙なそれを、右手に持って頭上で振った。

 それは銀雪への別れの挨拶のようであり、彼を煽る為の演出のようでもあり、問い掛けへの返答でもあるようで。結局最後まで、男の意図は掴めないまま。

 後に残された銀雪は、奥歯を噛み締めるような顔で頬を紅潮させながら、遠退く男の背中を見詰めていた。



 文芸サークル最変人たる道化者。

 今回彼が見せた姿は、普段のそれとは大きく異なっている。果たしてどちらが真実の姿なのだろうか。

 彼の謎は深まるばかりである。

今回は、サークル活動外でのお話。

番外編的な感じ?

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