とある一家と迷子
アタイがいつ生まれ、どう育ったのか、とっくに忘れてしまった。
人間が言うには、アタイは猫と言う生き物で、神様なのだそうだ。
おや? 神様とやらは生き物ではなかったか。まぁそんな事はどうでも良い。
長いこといろんな命を見てきたが、人間は比較的息の長い部類のはずなのに、何故か皆随分と忙しなく生きている。
だからこそ、見ていて飽きないのだけどね。
「猫神様、私はどうしても行かねばなりません。ですから、妻と武史をどうかお守り下さい」
『猫に頼む内容じゃないねぇ』
コイツの名は河津望。アタイを神として祭っている神社の神主に当たる。
しかしどうやら、自分の嫁と子供を置いて出稼ぎに行くつもりのようだ。
『自分で家族を守れない場所に行ってまで、稼ぐ必要があるのかい?』
「それもありますが、これは私がずっと叶えたかった夢なんです。妻も行く事に賛同してくれています」
『……そうかい』
まぁアタイがどうこう言う立場でもなし、これ以上は口を噤んだ。
そしてヤツは出て行った。妻の兎羽と、一人息子の武史を残して。
兎羽はあまり聡明とは言えず、神社の運営と子育てとの両立は困難を極めた。
結果一人では手が回りきらず、猫が色々と担う事になった。主に武史の遊び相手の役目を。
今思えば、それがいけなかった。武史は時間があれば猫とばかり遊ぶようになり、母以外の人間とはどんどん疎遠になっていった。
「あっ、猫神様……最近太りました? 猫としてありえない大きさになりつつありますよ」
『余計なお世話だよ』
言ってはみるが、兎羽にアタイの言葉は届かない。むしろ会話が成立するのは、今はいない望を除けば武史だけだ。
「ところで、武ちゃん見かけませんでした?」
『そこの茂みの中だよ』
「そこにいるのですね、ありがとうございます」
しかし、アタイの視線から直感で理解する。
こう言う感覚的な部分は妙に鋭いのに、行動はやたらと要領が悪い。見ているこちらが気が気で無くなる程に。
「武ちゃ~ん、ご飯ですよ~……きゃっ!」
足元の木の枝に引っ掛かってこけた。
「お母さん、むりしないでください。呼ばれればちゃんと行きますから」
慣れた様子で母を起こすこの子供が武史だ。
目の前に良い反面教師がいるからか、幼いながらもしっかりした人格を獲得しつつある。間違っても将来、家族を放って出ていく様な真似はするまい。
「また猫ちゃんと遊んでたの? お友達とかいないの?」
「ひつようありません。猫さんたちがいれば……」
しかし同時に、厄介な性格を拗らせつつもあった。
そんなある日……
「武ちゃん、ちょっとお使い行ってきてくれる?」
「わかりました。買うものは……このメモですね。行ってきます」
「大丈夫かしら」
『アンタが行くよりはよっぽど安心だよ』
「あっ、今失礼な事考えましたね? それより、やっぱり心配だから見守ってあげてくれませんか?」
『やれやれ』
どうせ何事も無く帰って来るだろうし、適当に散歩でもしてくるかね。
「ねぇ君、ちょっと道教えてよ」
意外なモノに遭遇した。
武史と同じ位の女の子が、鉄の箱に乗った男に道を尋ねられている。
それだけならどうと言う事も無いが、何か嫌な予感がする。事実、女の子の後ろから迫る、もう一人の男の姿があった。
『これは……人さらいか? まったく。いつの世も、人間はこうなのかねぇ』
これを見過ごすのも目覚めが悪いので、アタイは一計を案じる事にした。
周囲の猫達を呼び、二人の男を相手に少々本気でじゃれてもらった。
「ぐわああぁぁ!」
「な、何だよこれ!」
男達が猫に動きを止められてる隙に、女の子はちゃんと逃げ出していた。
幼子の行く末が少々気になり、アタイもついて行く。
「ねこさん、ここはどこ?」
ひとしきり走った後、女の子は後ろにいたアタイに涙目で話しかけて来た。
無我夢中で走る間に道が分からなくなったらしい。
しかし、アタイに教えてやれる事は何も無いので、適当に来た道を戻るように歩き始めた。
しばらくついて来ていたが、やがて見知った場所に出たようで、表情を一変させてどこかへ走って行った。
走り去る彼女が背負った鞄に、分かりやすく"あさだ ゆみ"と書かれていた。幼いうちから自らの名を晒すのもどうかと、ふと思う。
『ま、並べて世は事もなしってね』
それはともかく、録でもない事態にならずに済み、存外に悪くない気分で、アタイは悠々と帰路に着いた。
ちなみに武史は、アタイが騒動に巻き込まれていた間に無事に買い物を終え、ちゃんと帰宅していた。