表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

70/76

魔界へ

 昼夜を問わず、歩き続けた。


 みんなが疲労困憊で、向こう側に行ってもこれと同じだけまた山を下らなくてはならないと思うと、気が遠くなる。

 だが、それでもひとまずの終わりは嬉しい。

 切り立った岩山の、すぐそこに結界がある。実際には目には見えない。

 けれど、そこを境に、空の色が違う。


「……やっとだ」


 この向こうに、この世界を変える全てがある。


「結界を破れば、向こうにも我々の侵入は気づかれてしまうでしょう」

「この山に向かってくるだろうけど、……山全体を包囲することはできないでしょう」


 ナアマは地図を広げて、ルートの確認をしている。


「私とマルバスは、街に入り込むわ」

「我々は人間の村に入る。例の石で結界が張られているから手引きがなければ悪魔は入れない。安全だろう」


 エリゴールは長いまつ毛を何度も瞬かせる。不安がそうさせるのだろう。


「……バティムが……人間の村に戻っていれば良いんだが。ーー少なくとも、あの記録は人間の村に残されている。マリア様の最初の転生場所が記録されていることを祈ろう。マリア様の石を見つけて……」

「我が主を連れ帰る」


 無口なラーラが、はっきりと言い切った。


「息子を探さないと……」

「……お母さん、大丈夫だから」


 アンナが深く頷く。その手をしっかりと握って、隣に寄り添った。

 アンナは一瞬驚いた顔をして、すぐに私の手を握り返してくれた。

 その目の奥をじっと見つめる。

 必ず、ルシファーを連れ帰る、一層強く決意する。


「この向こうには、強大な力をもつ悪魔が住んでいるという言い伝えが……」

「ハイハイ、それはもうわかったって」


 エリゴールの忠告を聞き流して、マルバスの背に乗っていたバアルを抱き上げ、結界に近づく。


「バアル、お願いできる?」


 バアルは私の手から離れ、浮遊しながら結界に近づく。

 小さなバアルの手が触れたところから、亀裂が走り、裂け目が開いた。


「行くよ」


 その裂け目をマルバスとナアマが通り抜けていく。戸惑いながらモートル、勇者とラーラと続く。私はその後を追い

 向こうの世界に足を踏み入れた。そして、裂け目で踵を返す。


「エリゴール、ここまでよ」

「……何を言っているんですか、マリア様」

「バアルはこの世界にいないと困る。あの悪魔たちにバアルを奪われたら、どうしようもないんだよ。絶対にバアルを守って」

「ばかなことを」

「……エリゴール、ごめんなさい」


 エリゴールの背後に、アンナが立っている。

 アンナがエリゴールの背中に触れると、エリゴールは崩れ落ちる。


「お母さん、バアルをお願いします」

「私の息子を頼んだからね」


 アンナの手には、マンバにもらった石が握られている。


「バアル、大好き。愛してるよ。パパと一緒に帰ってくるからね」


 結界を破るバアルに触れて、その柔らかい頬に口付ける。

 甘い匂いを、胸いっぱい吸い込んで、その丸い手に触れた。

 温かいバアルを、本当は力一杯抱きしめたかったけれど、それはできない。


 ずっとずっと一緒にいたかったのに、今はできない。

 その可愛い巻き毛にずっと指を絡めていたかった。

 その柔らかいほっぺにずっと触れていたかった。

 甘えるような泣き声を、あやして微笑みに変わる瞬間を、ずっとずっと見ていたい。


「バアル、行ってきます。ばあばといい子で待っててね」


 バアルの目が、大きく見開く。

 この子にはわかっているんだと思うと、胸が張り裂けるように痛い。


「大好き、大好きよ、バアル」


 私は、バティムにもらったあの粉を、バアルの鼻先に振りかけた。

 バアルの大きな目がゆっくりと閉じる。その次の瞬間、バアルの体は一気に下降する。

 アンナがバアルの体を受け止めるのを見て、私は一歩大きく下がった。


 結界はみるみる修復されて、私とバアルは、生まれて初めて離れてしまう。


 アンナがバアルを抱いて、私に手を振った。


 胸が張り裂けそうになる。

 今離れただけなのに、こんなにも痛い。

 触れられないということが、こんなにも辛い。


「マリア様……!」


 今起こった出来事を、呆然と見守っていたみんなが、私に駆け寄ってくる。


「相談もしないでごめんなさい……でも、エリゴールはこうでもしないと納得してくれないから」


 泣いている私の腕をとって、ナアマが歩き出す。


「……早くここから逃げましょう。魔族軍はここに向かってきます。それに、きっとバアル様はこちらにいると思っているはず。こちらに奴等の気を引き付ければ、人間界でバアル様は安全です。絶対に捕まるわけにはいかないんですよ」


 私を引っ張るナアマの目が赤くなっている。


「ナアマ、ありがとう」

「ーーご立派でしたよ、マリア様」


 そう言って私を振り返るナアマは、泣いていた。そうだ、ナアマだって、ずっとバアルの世話をしてくれていた。私とバアルの絆を、一番間近で見続けてくれていた。


「ナアマ……!」


 私がその頬を拭うと、ナアマが驚いた。


「……私、泣いているんですか?」


 不思議そうに聞き返されて、思わず微笑む。ぎゅっとナアマを抱きしめて、その肩に顔を埋めた。

 そうだ、もう覚悟を決めて、さっさと仕事を終わらせて、一刻も早くバアルの元に戻らなくちゃいけない。


「ーー私も、ナアマも泣いてないよ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ