次期魔王・バアル
あれほどいた魔族軍は、塵のように一瞬で消え失せ、その名残か風が強く吹いた。
ただ、荒れ果てた村だけがそこにはある。
燃えている家屋に、ドラゴンが凍てつく呼気であっという間に鎮火させていく。
焦げた匂いと、逃げ惑う人々の巻き上げた土埃で、視界はまだ不明瞭だった。
目の前で起こった出来事が、理解できないまま、マリアは石を抱き、その場にしゃがみ込む。
難を逃れたという安堵感と、理解力以上のことが起こってしまったという放心で、もう立っていることはできなかった。
「ママ!」
駆け寄るバアルは、もう小学生くらいで、とてもかわいいけれど、なんでこんなに寂しいのか。
「ハイハイもアンヨもまだだったんだよぉぉぉ!?」
「そこ!?」
勇者が思い切り突っ込んでくるけれど、そんなことは気にしない。こんな小さな子供を、矢面に立たせてしまった罪悪感に、胸が痛む。
「ごめんね、バアルにあんなことさせて……」
「……ママ、あの人たち、すっごく遠くに飛ばしただけで、死んでないからね」
「えっ、そうなの!?」
「すっごく遠くに飛ばしたから、魔力使えるようになっちゃうし、戻ってくるかもしれないから、逃げたほうがいいかもしれない」
困った眉毛がハの字になって、唇がとんがっているのがたまらない。石を地面に置いて、ぎゅっと抱き寄せて叫ぶ。
「……うん、やっぱり、かわいい!」
「ママ……もぅ……! しょれどころじゃ…にゃ……」
バアルがシュルシュルと小さくなって、地面にべったりとおすわりしている。
「ああああああ、可愛いぃぃぃ〜〜〜!」
「そこ!?」
バアルを抱き上げて、頬にチュッチュしていると、冷たい目をしたエリゴールが近づいてくる。
「……これで正式に、私たちは魔族に反旗を翻しました」
「ごめん……、こんなつもり……」
「さて、今日から私たちは完全な魔族の敵となるわけですが、魔王様があちらの世界で眠らされているということは、フラウロス様も危険……ただ、魔界の現状がわからないのです」
「現状?」
「魔王様が眠っていれば、こちらの世界には悪魔は行き来できないはず……魔王は、あちらにいるのかそれとも……」
頭を抱えるエリゴールを尻目に、勇者が何かブツブツ言っている。
「……臣下に裏切られるとは、本当に魔王は人間につこうとしたのか……」
勇者は困惑した声で唸りだす。理解の範疇を越えると、処理できないの、わかる。納得しかけて、我に返る。勇者にこれだけは文句を言っておかなければいけない。
「ていうか、あなたが単品で強いと思ってたのに、ドラゴンって何よ!?」
「はぁ!? 魔族軍相手に、俺一人で戦ってるわけないだろ!? 俺が率いる王都軍があるんだ」
「王都……?」
「お前、何も知らないんだな」
「記憶を消されたからじゃない?」
「単なる世間知らずかもな」
「むっかつく〜〜〜!」
怒った私が、勇者をゲンコツで叩くふりをしていると、空から大きな羽音がして、ドラゴンが舞い降りてくる。
「あれが王都最強の氷のドラゴンだ」
「氷の……ドラゴン……」
バティムは……確か炎のドラゴンだった。
「他にいるの?」
「いや、この世界のドラゴンは、彼女だけだ」
「かの、じょ?」
地におりたドラゴンは、羽をたたみ、丸くなる。その表面を氷が覆い、ぎゅっと小さい塊になったかと思うと、その球体は光を放つ。眩しくて目を閉じて、ゆっくりと瞼を開く。残像が残っているのか、影がチラチラと動くが、よく見るとそこには、少女が立っていた。
さっきまで背中に乗っていたアンナがさっと自身のマントをかけてやり、彼女を隠す。
「初めまして、私はラーラ」
美しい、けれどもまだあどけない彼女は、キラキラと氷の結晶をまといながら、進み出てくる。
「王都は現在、壊滅状態です。王都軍といっても、義勇軍と変わらぬ寄せ集め。先の戦さで、ずいぶん人を失いました……」
銀色のまっすぐな、腰まで伸びる長い髪に、透き通るようなコバルトブルーの瞳。美しい人形のような彼女を、私はうっとりと眺める。
「マリア様……?」
「あ、はい」
「……この世界は、いま、過渡期にあるのです。アンナ……」
ラーラの呼びかけに、アンナは駆け寄る。
「アンナは、私の乳母です。……ずっと卵だった私を孵化させた」
「アンナ……どういうこと?」
「……それが、石の力なのよ、マリア」
アンナの強張った言葉に、私はおもむろにその石を拾い上げた。