悪魔の手先
「……悪魔の手先だったとはな」
勇者の表情は険しく、深く刻まれた眉間のしわが、悪魔への嫌悪を示していた。大きな剣を構える姿は、さっきの軽薄さなんて微塵もなくて、恐怖を感じる。
それでも、ここで戦いたくない私は、震える足で一歩前に出る。
「待って、戦う気はないわ」
「……しゃしゃり出るな、死ぬぞ」
構え直した剣がかちゃりと鳴る。大きな剣だけれど、よく鍛えられた剣は、冴え冴えとした光を放っている。
あの大きな剣を振り上げて、微動だにしない様子を見れば、かなりの剣豪だということはわかった。
ただ、いくら剣術が優れていても、魔族にはなんの意味があるのだろう。
彼らには魔力がある。
「は、笑止!」
ナアマが両手を頭上に掲げ、何か呪文を唱えると、その指先に炎が灯る。その指先を勇者に向かって振り下ろした。
炎が一直線に勇者に向かって走る。
「やめて!」
私が叫んだ瞬間、その炎は勇者に当たり、大きく燃え上がった。
「……ああ」
何もかも台無しだと、絶望したとき、煙の中で何かが光る。
「あぁ、お前たちは、俺がどうして過去最強と呼ばれるか、知らないようだ」
勇者の持つ刃が、キラキラと光を反射していた。
「俺の能力は、魔力の無効化。お前たち、ここら一帯で魔力を使うことはできないぞ」
その自信に満ちた風貌に、この男が勇者と呼ばれる由縁を知る。
カチャリと音がして、エリゴールが前に進み出る。ずた袋に隠していた剣を引き出していた。
「ならば、お手合わせ願おうか」
「ーーいいだろう、少年。名は?」
「ふざけるな。私はお前よりも遥か長い時間を過ごしている、貴様こそ名乗れ」
エリゴールは、ゆっくりと剣を構えた。美しい、洗練された姿だった。
「なかなかやるようだな」
不謹慎にも楽しそうな様子で、勇者もじりじりと進み出てくる。
「待って! 待ってよ!!」
その間に走り出ると、二人の突き刺すような眼光が痛い。
「邪魔をするな」
怒った様子の勇者に、私は向き直る。この勇者を引かせるには、今はこの方法しか思いつかない。
「私が人質よ、連れて行きなさい」
「いいや、いくら美人でも悪魔の手先には興味はない」
「いいえ、あなたの知りたいことを、私は知ってるわ」
石を拾い、地面に文字を書く。
「あなた、転生してきたのよね」
「……だから、なんだ」
「私も転生してきたの。日本から。あなたは?」
「え、俺もだ……」
「じゃあ、これで大丈夫なはず」
ーーあなたの子供の行方を知っている。
「な、んだと」
ーーマンバとブリトニは、魔界にいる。今は無事。彼女たちを救うには、私たちの協力が必要よ。
「さぁ、私を連れて行きなさい」
見る見る顔色を失っていく勇者を、みんなが固唾を呑んで見守っている。
「マリア様、いい加減にしてください! 人質なんて、とんでもない! 私の剣術で必ずや倒してみせます」
「黙りなさい、エリゴール」
自分でも思ってもみない低い声が出る。その声には、どこか威厳が滲んでいたのかもしれない。いつもはかしましい悪魔たちが、反論もせず黙る。
「……アンナ、あなたの家で待っていてくれないかしら。それと、モートルを呼んでおいて」
「わかったわ」
どこか責めるような視線を感じながら、私はバアルを見つめた。バアルもまっすぐに私を見ている。
「マンマ」
「いい子ね、バアル。みんなをお願いね」
バアルの真っ赤な瞳が揺れている。もうこの子を怖がらせたくない。魔力を無効化されて、今は飛べないバアルは、アンナに大人しく抱かれている。息をするように使えた力が、急に使えないことに、動揺しているはずだ。
近づいて、抱き上げる。
これがバアルの重み。
「ふふふ、大きくなったね。とっても重たい。飛んでばかりじゃダメね。ハイハイして足を鍛えないと。……ばあばと一緒に待ってるのよ」
丸いほっぺにキスをして、ぎゅっと抱きしめてから、私は勇者に向き直る。
「さぁ、どこなりと連れて行きなさい」