侍女、女悪魔・ナアマ
「寝〜て〜よ〜」
きゃっきゃと元気そうな様子で、宙を掴んで遊んでいるバアルを抱いて、ずっと部屋中を歩き回っている。
自力で宙に浮かべるくせに、この子は抱いていないと寝ない。
カンガルーケアとかなんとかをするべきところで、思い切り引き離されたせいもあるのか、あれ以来、少しでも私と離れると、部屋をめちゃくちゃにして泣きわめく。
私もこの馴染みのない世界に、私をこんなに思ってくれるのはこの子だけだと思うと、ついつい甘やかしてあげたくなって、あれ以来ずっと抱いている。
それに、ツノを無視すれば、この子はとっても可愛いのだ。
「ねー、バアル」
「あー」
小さな手で、私の髪を掴んで小さく引く。
「ふふふ……って、イタイイタイイタイ」
力一杯髪を引っ張られて、あまりの痛みに涙が出る。小さな指を開いて、自分の髪を助け出した。
「マリア様」
あの女悪魔が、小さな声でおずおずと話しかけてくる。
あの後、彼女を責めるアザゼルに私が自分でこの子に会いたいと言ったのだと、言い含めてから、私を少し信用し始めているのか、彼女は私に優しくなった。
彼女の名前はナアマというらしい。
「なに?」
「……お食事は……」
正直、すごくお腹が減ってる。
だけど……ここの食べ物、特殊すぎるんだよね……。
彼女が持ってきたワゴンに乗っているスープ皿には、トカゲっぽい何かの尻尾が飛び出している。
「ちょっと……それ……食べ慣れてないから」
「すごく元気になるスープだから、一口だけでも……」
紫色なんだよねぇ……匂いもなんだか生臭いし……。美食家ってわけじゃないけど、これは……食べたくない……。
「でも、顔色が……」
「悪いけど、下げて。水だけ置いていってくれればいいから」
それに、食欲なんかどっか行っちゃうくらいにめちゃくちゃ眠い。世の中のお母さんたちは、こんな風に子育てしているのかと、改めて感心する。
仕事で0歳児も預かるけれど、自分の子供と預かっている園児では全く違う。一対一の感覚というか、当然だけれど早番も遅番もない。休憩なしの24時間勤務なのかと思うと、ゾッとする。
合間に休むだけじゃ、ぜんぜん疲れが取れない。連続十時間眠り続けたい気分。
それに、一番の問題は……。
「食べないと、母乳が出ません」
ーーーーそれな。
視線を落として、凝視する。
どうやらこの胸は、一向に母乳を作る気がない。
この子もおなかを空かせているんだと思うけれど、この子はナアマが与える不思議なスープをなんともない顔で飲んでいる。
離乳食には早いと思ったけど、この子は悪魔。
私の常識なんか、関係ないようだった。
腕の中で少しおとなしくなったバアルを抱いたまま、ロッキングチェアに座った。
ゆらゆらと揺れながら、腕の中の温もりにうっとりする。
あの赤ん坊特有の甘い匂いがしないのは、私が母乳をあげていないからかなぁ。
「ごめんね、バアル」
自分がダメな母親だと思えてきて、たまらない自己嫌悪に陥る。
この子が栄養失調になったらどうしよう。
食べなくちゃ、食べて母乳を出さなくちゃ。
焦れば焦るほど、食欲も気力も削がれていく。
初乳が大事って、聞いたけれど、出ないものは出ない。もしかしたら、この子には必要ないのかもしれない。
そもそも、母親が水しか飲んでないないなんて、いいわけないのはわかっているけど。
ふと、思った。味噌汁が飲みたい……。
白いほかほかご飯が食べたい。
いや、ご飯は喉を通るかな……。
「和食食べたい……」
「ワ、ショク?」
「アァアァァァ!!! 我慢できない!!! キッチンに連れてって!!!」
「キッチン……?」
「ご飯作るところよ、厨房、かな?」
「あぁ……構いませんが、どうなさるんですか?」
返事をせずに、私は部屋の中を見回す。このままじゃ、料理なんてできない。
ベッドのシーツを引っ張り出して、縦に引き裂く。
「マリア様!?」
「ごめんね、これがいるの」
「破壊行為は快感ですね、理解できます!」
「そうじゃないけど」
引き裂いたシーツで簡易抱っこ紐を作って、体にバアルを縛り付けた。
「よし、苦しくないね。さ、連れてって!」
*******
連れてこられた厨房は、地獄そのものだった。
虫が這い回り、汚れている。腐敗臭がして、立っているだけで、吐き気がする。
あまりに不潔すぎる……。
あまりの惨状に吐きそうになって、ここのものをまだ口に入れていないことを心から喜んだ。
こんなところで作ったものを、これ以上バアルに食べさせられるわけがない。
「責任者は誰!!」
血管が浮き上がるのを感じる。全身が怒りで震えた。
ホルモンバランス(そんなものが今あるのか知らないけど)は、バッチリ狂っていて、ヒステリーなら、誰にも負ける気がしない。
「こんな不潔な状態で、食事作るとか何考えてんのよ!! 子供の口に入れるもの、こんなとこで作っていいと思ってんの!? 掃除しろーーーーーー!!」