これじゃ自分も同じじゃないか。
「なあ、菅谷くんってどこで飯食ってると思う?」
俺たちは午前の3限を終えて教室で昼食を摂っていた。
いつものように島田の発言から俺たち3人の会話が始まった。
「そういや毎日姿見ないよな。」
幹が反応した。俺はやはり黙って2人の会話を聞いていた。
「実はさ...俺この前見ちゃったんだよ。菅谷くんがこっそり秘密基地に入るところを」
「秘密基地?なんだよそれ」
島田はまるで隠された財宝のありかを仲間に語るように興奮していて、幹は幹で秘密基地という言葉に惹かれたのか身を乗り出して話を聞いていた。だから俺の反応がなくても、2人はそれを気にも留めなかった。
「ああ、先週体育で忘れものしてたから昼飯前に取りに行ったときがあったろ?そのときに菅谷くんが体育館の前歩いてたからさ、こっそり跡つけたんだよ。
そしたら体育館の裏の方に行って周りをキョロキョロしだしてさ、どうしたのかなーって見てたら体育館と部室棟の間に入り込んでいったんだよ」
うちの学校は体育館と二階建ての部室棟が隣り合って建っている。
「え、まさかあんな狭いとこで毎日食ってんの?」
「いや俺もそう思ってさ、放課後そこにこっそり行ってみたんだよ。そしたらあの隙間の奥の、部室棟がコの字になってるところに配電盤?かなんかわかんねえけど、それがフェンスで囲われてあってさ、ちょっとしたスペースみたいになってるんだよ。多分菅谷くんはそこで飯食ってるんだと思う」
「マジかよ」
幹は驚いた様子だった。かくいう俺も驚いた。そんなスペースがあったのも初めて知ったし、菅谷がそんなところで飯を食ってたのも今まで知らなかった。
「ということで、じゃんけんで負けたやつが今から菅谷くんにおすそわけに行くことにしました!」
「え?」
「ほらさとーもやれよ。出さなかったら不戦敗で菅谷おすそわけの旅とジュースおごりだぞ」
俺は焦った。
「やめてやれってwさすがにかわいそ過ぎる。」
俺はいつものふざけた調子を取り繕って言った。
だが彼らはやめようとする気配など一切無いし、俺の発言もまったく間に受けていない。
「はー?くそおもんないんじゃさとー。お前陰キャか?陰キャだから参加しねーのか?あ?」
「だからやめろって」─────その言葉は頭に浮かんでからすぐに心の底へと沈み、消え去っていった。2回。2回だ。2回やめろと言えばそれはもうパフォーマンスでもふりでもなくなる。そして俺らの関係にもひびが入る。この空気も、この関係も崩れ去る。
だから俺は言ってしまった。
「しゃーねえな...ちょっと本気見せてやるわ。」
「はい、さとー参戦しましたー」
でも俺にはまだ勝算というか、かすかな希望があった。ここで負けて、行くふりだけするか、あるいは臆病を装って菅谷に声をかけずにうやむやにすれば、菅谷は傷つかずに終わる。そして俺自身も、あるべき自分を失わずにいられる。
「いくぞ。せーの、じゃーんけーんポン!」
だが運命は無慈悲で、結局島田が負けた。
「...嘘だろ?今のは完璧さとーが負ける流れだったって」
「いや、今のは言い出しっぺの島田が負けて完成する流れだった」
2人が盛り上がっている。だが俺は、島田を阻止する方法を考えるのに精一杯だった。心臓の鼓動が徐々に速くなって、はっきりと
脈打つのを感じる。
「やっぱルール変更!全員で行って2人が後ろから見守るってことで!」
「チキッてんじゃねえよ島田」
「うるせぇ!おら、さとーも行くんだぞ」
「お、おう...」
好都合だった。全員で行くのなら考える時間が伸ばされるから。
俺は2人と歩きながら、うまく阻止できる方法を捻りだそうとする。
でも焦りが募るだけで、良い方法など全く浮かびそうもない。そもそも島田の性格的にどう誤魔化しても菅谷へ声をかけそうだった。
心臓が高鳴る。脳は働いているようで働いてなくて、思考が詰まって前に進まない。
(くそ...どうすればいいんだ...?)
そこへ、担任の教師が通りかかった。
「あ、ちょうどよかった佐藤。今朝提出した健康診断調査表、不備あったからちょっと書き直してくれないか?」
「しゃーねぇなさとー。ここは隊長の慈悲で許してやる」
「ん?佐藤たち何か用事があったのか?それなら放課後でもいいぞ」
「あ、いえ。大したことじゃないんで」
なぜか俺は即答していた。まるで助けにすがるように。
「そうか。じゃあ書類は職員室にあるから今からついてきてくれ。」
そして2人と別れ、俺は職員室へ向かった。
2人と別れてしばらくは、何か胸に詰まるものがあった。心臓の上の辺りが固くなったような気がした。
(止められなかった...)
自分が止められなかった後悔、菅谷への罪悪感、菅谷が遊び道具として扱われるという事実の痛ましさ...
でもそれらは、自分でも驚くほどあっさりと消えていってしまった。その代わりに心を満たし始めたのは安堵感。厄介で難しい問題から逃れられた時の解放感。
受け入れまいと、思い浮かべまいとして逃れようとする程、頭の中で形作られていく思い。
(...あー...めんどくさかった)
思えば今朝もそうだった。あの女には傷ついたと言ってNHKに入るのを断ったが、正直大して傷ついてなどいなかった。
────ただ単純にめんどくさかったのだ。あのいじめられていた少年を擁護して社会に抗うことが。自分の安寧を賭してまで弱者を守ることが。
(これじゃ自分も同じじゃないか。今朝の電車のやつらと。)
そこへ急に、校内放送が入った。
『緊急放送緊急放送、校内でNHKらしき女の侵入が目撃されました。校内の生徒は直ちに近くの教室に入りなさい。』