社会秩序維持増進法
松瓦駅周辺は4~5階ぐらいの小さなビルが多く立ち並ぶ街だが、ここら一体は飲み屋街の裏路地ということもあって平日朝の時間帯は人通りが著しく少なかった。
「俺なんかと一緒にいて大丈夫なんですか?」
「どうして?」
「いや...実は俺さっきまで松瓦駅の駅員に追いかけられてて...」
「ああ、あの二人組の駅員でしょ?あの人たちならぐっすり眠らせといたから大丈夫よ」
「ああ...そうなんすね...」
さも当然のように眠らせといたなどと言われると、自分も同じことをされるのではないかと少しぞっとする。
「それより...さっきは大丈夫だった?」
「ええ..とりあえず矯清会に捕まらなかっただけよかったです。」
「そう...あなたの気持ちを詮索するつもりはないけど、もしあのことで傷ついてるならその必要はないわ。あなたの言動に間違いなんてなかったわけだし。むしろすごく立派な行動だったと思う。」
この時なぜか、自分の行動が賞賛されたことに後ろめたさのようなものを感じた。なぜだろうか?その理由を自分で考えてみるがよくわからない。そもそも俺はあのことで傷ついたのだろうか。確かにあの時、心に何か感じるものはあったが、あれは傷ついたというのとはまた少し違っていたような気がするのだ。とにかく俺は、自分の気持ちを自分でうまく整理しきれていないようだった。
ふと気が付くと、会話がしばらく途切れていたので、俺は思い浮かんだことをとりあえず口に出してみた。
「正直あれは異様だと思いました。そもそも弱いものいじめでいじめてた方が擁護されるなんて..こんなの初めてです。」
「そうね...わたしもおかしいと思う。あんな光景。でもあれはある意味必然的なことなのかもね。」
「え...?必然的ってどういうことですか?」
いじめられたあの子と、あの子を擁護した俺が一緒に非難されたのが必然だと...?
「君はなんで社会秩序維持増進法なんて法律が制定されたのか知ってる?」
「えっと...確かSNSとか動画サイトで炎上する人が増えて風紀が乱れてるからだってテレビで言ってたような...」
「残念ながらそれは建前。本音は全く違うのよ。」
「本音?」
「ええ。あの法律が制定された真の目的はずばり社会不適合者の排除よ。そもそもネットの炎上なんて悪質なものなら現行の法律で十分取り締まれるし、悪質じゃなくても垢BANなんかで十分よ。なのに新しく法律を作るなんてちょっと大げさすぎない?」
「確かにやり過ぎかなとは思いますけど...でも炎上が増えてたのは事実だししょうがないんじゃ...」
「あなたみたいに納得して受け入れる人もいたけど、法案が制定された当初はむしろ反対する人の方が多かった。言論統制に繋がると言って、毎日のようにデモが起こったし、法律制定直後も何件もの訴訟が起きた。でもどの判決もまるで口を揃えたように「合憲」の一点張りだったの。実際裁判官が裏で巨額の賄賂を受け取ったとか、あるいは政治家に脅されたとか、そういう話も聞いてるわ。それでも彼らは負けじと法律に反対し続けた。けどね...徐々にその声も小さくなっていったのよ。なぜだかわかる?」
「単純にデモに飽きたとか?」
「まあ確かにそれもあるかもだけど...一番の要因はこの法律で得した人が多かったことね。
この法律で罰せられたら生活秩序指数─────つまり国民に付けられた点数が引かれていく。この点数は就職とか銀行・クレジットカード・公共交通機関の利用に直接関わるものだから、点数が低いと就職しづらいの。どの会社も表向きは点数なんて関係ないとは言ってるけど、点数でも選考してるのは明らか。それでもデモが起きないのは大多数の普通側の人間が有利だからよ。それに社会不適合者側に政治に声を上げるような人も少ないしね。
さらに言うと企業側も体育会系の人の方が使いやすいし、人が減ったところに多少賃金が低くても働いてくれるような外国人労働者を入れやすくなった。
つまり得する人が多すぎるのよ。この法律は。」
「でもなんか全部憶測というか...ネットでよく聞くような陰謀論としか」
「今話したことは全部わたしの父が言ってたことよ。」
「え...?お父さんがどうかしたんですか?」
まさか「私のお父さんはネット中毒の陰謀論オタクです」とでも言うつもりか...?
「わたしの父は秩序維持法制定を主導した国家議員のひとりで矯清会の幹部。その父に仕掛けた盗聴器から聞こえてきたのがさっきの話よ。」