第二話
そんなある日、俺は親方に工房の裏の草っ原に呼び出された。
難しい顔をして迎えた親方は、周りに目線を配りながら、声を殺して用件を話し始めた。
「さっき祈祷場の護衛兵から聞いたんだが、お前、あの巫女様と頻繁に会っているそうじゃねえか」
「……」
「いやに最近、自分から運び役を買って出ると思っていたら、そういうわけだったのか」
「……」
図星を突かれ、気まずさから目をそらす俺の肩に、親方は両手を乗せて顔を覗き込んできた。
「いいか、あの人たちと俺たちは住んでいる世界が違うんだ。本気で惚れちまう前に諦めろ」
(惚れる? 俺が? あの人に?)
そんなこと、考えたこともなかった。
俺とあの人は、たまに会って少しの時間話をしているだけだ。
俺は口がきけないから、正確にはその会話さえ成り立っていない。
そう思いながらも、胸の中は激しく乱れ、呼吸は自然に荒くなっていった。
「しかもあの巫女様は、噂によればもうすぐヤマトの皇子様の元へ嫁ぐんだ。悪いことは言わねえから諦めろ」
「!!」
その瞬間、俺は親方の腕を振り払って走り出していた。
「クチナシ?」
丘の上へ駆け上がると、背後から聞き覚えのある声が俺の名を呼んだ。
振り返れば、やはりそこには朱鷺がいた。
「……!!」
肩で息をしながら彼女の腕を掴み、必死に問いただそうとする俺を見て、朱鷺は悲しげに笑った。
「私がヤマトへ行くことを、誰かから聞いたんだね」
「……!!」
「……ごめんね……」
そう言って朱鷺は、その場に泣き崩れた。
「実は私の父は、伽耶の長だったんだ」
しばらくして落ち着きを取り戻した朱鷺は、いつもの木陰に座って、少しずつ話し始めた。
伽耶の長といえば、最近まで吉備を治めていた王のことだ。
数ヶ月前、突然ヤマトの皇子が兵を引き連れてやってきて、伽耶の長を殺した。
朱鷺はその娘、つまり伽耶の媛君だったということなのか。
驚きのあまり、俺は目を見開いて乾いた息を呑み込んだ。
「父が殺された時、咄嗟に巫女の群れに紛れて身を隠したんだが、とうとうこの前、ヤマトの兵に正体がばれてしまったんだ」
「……」
「兵からの報告により、伽耶の生き残りがいることを知ったヤマトの大王は、命が惜しければ父の仇である皇子の妻になれと……」
そう言って、再び朱鷺は膝に顔を埋めて泣き始めた。
「それを受け入れなければ、私だけでなく、私をかくまった巫女たちをも皆殺しにすると……。だから仕方がないんだ」
ふと、顔を上げた朱鷺は、突然俺の両腕を掴み、濡れた大きな瞳でまっすぐ見つめてきた。
「もし生まれ変われたら、今度は共に生きられるかな」
そう言って、彼女は俺の胸に飛び込んできた。
「一年ほど前、祭祀でここを訪れた時、初めてお前が作った壺台を見たんだ」
俺の胸に頬を寄せて、朱鷺は震える小さな声で言った。
「あんなに綺麗なアジロを目にしたのは、生まれて初めてだった。だからそれ以来、どんな土師が作っているのだろうと気になっていた」
「……」
「そしたらこの前、壺台を背負ってくるお前を見かけて……。それで思い切って声を掛けたんだ」
「……」
「実際に会ってみると、お前はあのアジロのように実直で、繊細で、思っていた通りの人間だった。でも、お前に会う前から、私はお前が描くアジロに惹かれていたんだよ」
その瞬間、思わず俺は朱鷺を強く抱きしめていた。
「ヴァ……!! ヴァ……!!」
言葉にならない嗚咽が口から溢れ出し、目からは涙がとめどなく溢れた。
「だめだよ。逃げることなんてできない。巫女たちを見殺しにはできないよ」
俺の心を読んで、朱鷺が優しく説き伏せるように言った。
「もしも生まれ変われたら、今度は一緒になろう」
涙で濡れた俺の頬を手のひらで包み、朱鷺は悲しげに笑った。
そんな彼女の頬も涙で濡れていた。
「その時、もしお前が話せるようになっていたら、私の名を呼んでくれ」
朱鷺がヤマトへ嫁いで半年が過ぎた。
伽耶の媛が皇子の妻になったことで、吉備は完全にヤマトの属国になった。
吉備の信仰は廃止され、神の依代だった神石はことごとく破壊された。
伽耶が造り上げた吉備の港も、ヤマトの役人が取り仕切るようになり、信仰も、交通も、経済も、ヤマト主導になってしまった。
陸路では出雲、航路では筑紫島と伊予之二名島、そして何より、南海道の要所である吉備は、ヤマトにとって是非とも手に入れておきたい国のひとつだったのだろう。
吉備の信仰が廃止されたことで、従来の巫女や巫は解任され、俺たち土師も、神器である壺台を作ることができなくなった。
以来、庶民が使う質素な器などを細々と作る日々だ。
また壺台に限らずアジロを描くことは、未だに伽耶を崇拝していると捉えられ、厳しく禁じられた。
そのような状況にやりがいを失い、工房を去って行く者もいた。
そんなある日、親方が外出先から戻るなり、土師たちを一所に集めた。
「さっき、ヤマトの役人に呼び出されて、役所に行ってきたんだがな」
また何か不条理なことを言われたのではないかと、一同は眉をひそめた。
これまで何度か親方が呼び出されたことがあったが、その度に品質を落としてでも器を大量に作れなど、土師としての誇りが傷付くような仕事を強要されてきたのだ。
「これからヤマトの政権下になった諸国に、独自の墓を築いていくらしい」
つまりは、労働者を集めて来いと言われたのだろう。
そう早読みして、俺たちは落胆のため息をついた。
自分たちはこの先もう、神器はおろか、土師として器を作ることさえ許されず、畑違いの土木工事に従事させられるのだ。
「その新しい墓の周りには、壺台に似た焼物を並べるそうなのだが、ヤマトにはあのようなものを作る職人がいない。そのため吉備の土師をヤマトに派遣させよとのことだった」
「え?」
思いがけない内容に、土師たちは親方に向かって一斉に身を乗り出した。
「墓に並べるということは……。ヤマトに行けば、また、神器を作れるのか?」
土師たちの間に、にわかに期待が膨らみ始めた。
「また、アジロを彫れるのか?」
「おそらく」
俺の隣にいた男の問いに、親方は大きく頷いて見せた。
「やったな!」
「俺たちの腕を、ヤマトも認めているのだ!」
色めき立つ男たちに囲まれながら、俺の中では別の期待が膨らんでいた。
(ヤマトに行けば、あの人に会えるかもしれない)
「では、希望する者は手を挙げろ」
親方がそう言った瞬間、俺は高く手を掲げていた。
それから間もなく、俺たちはヤマトへ向けて旅立った。
二十人ほどの仲間たちと手漕ぎ船に乗り込み、吉備の港を出発して南海道をひたすら東へ進んだ。
天候にも恵まれ、五日とかからずヤマトへの玄関口である河内湖へ着き、船を停泊させたのちは、徒歩で山越えをした。
蛇行する川沿いの道を、道具を詰め込んだ重い荷物を担いで黙々と歩く。
だが、俺たちの顔に疲れの色はなかった。
皆、再び神器作りに腕を振えると、希望に胸を膨らませていたのだ。
南北に横たわる山並みを越えて峠から東側を見降ろすと、四方を山に囲まれた盆地が広がっていた。
その中には大小の池と沼らしき水溜りが点在しており、その周りを田畑が取り巻いている。
この盆地の東の果ての山裾に、俺たちが目指すヤマトの都があるらしい。
目的地が近いと聞いて、俺の胸は高鳴った。
「あの都があるあたりに、まずは巨大な墓を造るそうだ」
先頭を歩いていた親方が、そう言って前方を指差した瞬間、土師たちの間にどよめきが起こった。
「その仕事が終われば、ヤマトが支配する国々へ、同じ形状の墓を築造していくらしい。これから忙しくなるぞ」
続く親方の言葉に、男たちは腕まくりをして目を輝かせた。
「腕がなるな」
「吉備の土師の技術を、ヤマトの奴らに見せつけてやる」
そうして、誰からともなく、軽やかな足取りで山道を駆け下りていった。
墓の築造現場の近くに工房を与えられた俺たちは、そこでまず壺台の試作に取り掛かった。
半月ほどかけて試作品が完成した頃、ヤマトの役人が仕上がり具合を確認するためにやってきた。
この周りで採れる土は、吉備のものとは勝手が違い、土の調合や焼き上げる温度を調整するために時間を要したが、形状も、その側面を飾るアジロも、吉備の土師の技術を結集させた完璧なものに仕上がった。
難しい顔をして胡座をかく役人の前に、できたばかりの壺台が置かれると、土師たちは誇らしげに腕を組んで鼻を鳴らした。
そこに仲間の土師が、二人がかりで底の丸い大きな壺を抱えてやってきた。
「いや、その壺はいらん」
土師たちが台の上に壺を置こうとした時、そう言って役人が彼らの動きを止めた。
二人の男は壺を抱えたまま、戸惑いの表情で親方の顔を見た。
「あの……壺台は、壺を載せるためのものなんですが……」
親方がそう言いかけると、役人は面倒そうに右手を翻した。
「お前たちが作るのは、壺台ではない土筒だ」
「土筒……?」
聞きなれない言葉に、顔を見合わせる俺たちの前でおもむろに立ち上がった役人は、壺台のそばへ近付き、今度はアジロを指差した。
「そうだ。だからこのような装飾もいらん。墓の周りに隙間なく並べるために数が必要なんだ。こんな手の込んだことをしていると、納期に間に合わんだろう」
「そんな……アジロのない壺台なんて……!」
ざわつく土師たちを、役人は大きな咳払いをして黙らせた。
「だから我々がお前たちに求めているのは壺台ではないと言っておろう。だいたいこのアジロは伽耶の象徴ではないか。伽耶の文様を彫るなど、反逆行為とみなされても文句は言えんぞ!」
ここでようやく俺たちは、自分たちの置かれた状況を理解した。
つまり彼らは、神器というより、墓の資材を大量に作らせるために、俺たちをこの地に呼び寄せたのだ。
「ああ、その透かしだけは残しておけ。孔をあけておけば焼き時間の短縮になるし、見栄えもいいだろう」
帰り際、役人がそう言い放った瞬間、怒りに任せて立ち上がった若い土師を、親方が手を引いて止めた。
親方に目でも制されて、若い土師は、悔しそうに唇を噛みしめてどかりと腰を下ろした。
壺台の透かし孔は、無意味にあけられているものではない。
アジロの一部なのだ。
それを文様は彫らずに、透かしだけを残すなど、俺たちにとっては屈辱以外の何物でもなかった。
怒りに震える俺たちを一通り見渡した役人は、突如、腰に下げていた剣を鞘ごと抜き放ち、高い位置から振り下ろした。
次の瞬間、目の前に赤い破片が飛び散った。
目を見開く俺たちの前で、美しかった壺台は一瞬で瓦礫と化した。
「いいか、二度とこんなものを作るな。今度見つけたら、連帯責任で全員を罰するぞ」
そう言い残して、役人は工房から去っていった。
翌日から、俺たちは土筒作りに従事させられた。
後から聞いた話では、吉備に配属されていたヤマトの役人が壺台を持ち帰り、それを気に入った大王が墓に並べるよう命じたらしい。
はじめのうちは、現地から取り寄せていたのだが、もっと多く、もっと大きくと大王の要望が拡大していくうちに、土師を呼び寄せてこの地で作らせれば良いということになったそうだ。
墓を祭場としていた吉備と違い、ヤマトの墓は内外の人々に威厳を示すために造られる。
基本的に遠方から見上げるものだから、土筒に細かい装飾は不要なのだ。
その代わり、幾重も積まれた段上に隙間なく並べるため、墓を一つ造るごとに数千から数万の土筒が必要となる。
そのための要員として、大量の役夫(税を労働力で納める民)が工房に派遣され、彼らに土師の技術を教えることも俺たちの仕事になった。
朝から晩まで、土をこね、乾いたものから火に入れる。
一つ一つの土筒に手を掛ける暇などなく、ただただ飾り気のない土の筒を、俺たちはひたすら作り続けた。
そんな日が数ヶ月続いたある日、一人の土師仲間が土をこねながら、役夫から聞いたという噂話を始めた。
「伽耶のお媛様もかわいそうにな」
「……」
伽耶の媛と聞いて、俺にはすぐにそれが朱鷺のことだとわかった。
「側室としてヤマトに連れてこられたというのに、皇子様に寵愛されることもなく、今は西のはずれの粗末な屋敷で寂しく暮らしているらしい」
「……」
「結局ヤマトは、媛様を妻にすることで、吉備を手中に収めたかっただけなんだろうな」
その夜、いてもたってもいられなくなった俺は、仲間たちが寝静まるのを待って、寝床にしている小屋をこっそりと抜け出した。
昼間土師仲間から聞いた、朱鷺が暮らしているという西のはずれの屋敷を目指す。
月明かりを頼りに草むらを抜け、さらに川沿いの道を西へと走る。
やがて、群生する葦の向こうに古びた屋敷が見えてきた。
門や塀もなく、護衛兵の姿もない。
屋根には所々穴が空いており、一見するとそれは廃墟のようだった。
難なく屋敷の壁際まで辿り着いた俺は、わずかに開いた跳ね上げ窓に近付き、中の様子に耳をそば立てた。
「私のことはもういいから、お前ももう休め」
窓の向こうから聞き覚えのある女の声がした。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
先ほどの声に、年配らしき女の声が答えた。
俺は壁に背中を貼り付けたまま、身じろぎもせずに二人の会話を聞いていた。
最初に聞こえた若い女の声は、間違いなく朱鷺のものだった。
この壁の向こうに彼女がいるのだと思うと、心臓が大きな音を立て始め、息苦しさを覚えた俺は、胸を押さえてその場にうずくまった。
「誰?」
その時、木がきしむ音とともに女の声が頭上から聞こえてきた。
恐る恐る見上げると、そこには跳ね上げ窓の戸板を持ち上げて俺を見下ろす朱鷺がいた。
「ざまないだろ。こんな朽ちかけた屋敷に閉じ込められて」
「……」
屋敷の壁にもたれかかり、寂しそうに月を見上げる朱鷺を、俺は直視することができなかった。
本意でないとはいえ、ヤマトの皇子の元へ嫁いだ彼女は、宮殿で贅沢な暮らしをしているものとばかり思っていた。
だが、彼女が身につけている衣は、絹とはいえ質素なもので、髷も結わず無造作に束ねられた髪には、かんざし一つ飾られていなかった。
「私はがさつで言葉が汚いからさ。皇子様に嫌われているんだよ」
「……」
「でも、吉備の民を黙らせるためには、私を妻にしておく必要があるんだ。だからここに、生かさず殺さず置かれている」
「……」
突然、朱鷺は俺の手をとり、月明かりのよく当たる場所へ連れ出した。
「懐かしいな。土師の手だ」
俺の爪の中に入り込んだ土を見つめて、朱鷺は目を細めた。
「お前たちがここへ来て、土筒を作らされていることは噂で聞いている。お前が得意なアジロも、もう彫ることができないらしいな」
俯いて唇を噛みしめる俺から、朱鷺は視線を外して月を見上げた。
「もう、伽耶という一族がいた事も、伽耶の紋章であるアジロも、この世から消えて忘れられていくんだろうな」
そう言った朱鷺の頬を、涙が一筋流れ落ちた。
「お前ももう、私のことは忘れてここへは来るな。見つかったら殺されるぞ」
俺の方へ向き直り、そう言った朱鷺の目には強い思いが込められていた。
「……!!」
思わず俺は彼女の手首を掴んで、言葉にならない声で訴えた。
「ありがとう。でも私は、ここから出ていけないんだ」
このままどこか遠くへ二人で逃げよう。
そんな俺の心の声に、彼女は切なげに首を振った。
俺だってわかっている。
朱鷺がここから逃げ出せば、ヤマトは見せしめとして吉備の民を傷つけるかもしれない。
そして、俺が彼女を連れ出したとわかれば、親方や土師仲間も罰を受けることになるだろう。
「さよなら。クチナシ」
そう言って俺の手をほどき、小さな背中は屋敷の中に消えていった。