第19話 「保健室と、包帯と…」
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西の空が、夕暮れに染まっている。
二人のいる保健室にも、カーテン越しに橙色の光が差し込んでいた。
「無茶はするな、そう言ったはずだが」
「……ごめんなさい」
保健室のベッドに腰を掛けているユーリィが、しゅんと肩を落とす。その姿を、シローが憮然とした表情で見ていた。
本日のランク戦が終わってから、既に数時間が経過していた。
勝敗の結果は、……無効試合。
ユーリィと戦っていたニーヒル兄弟の兄が、ランク戦の途中に試合中止を申し出たのだ。監督していた教官は何が起きたのかわからず、すぐさま彼らの元へと駆け寄った。その後、戦闘を継続しているシローたちに、無効試合の決断を言い渡したのだ。
シローは嫌な予感がして、急いでユーリィの元へと向かった。
そして、傷だらけの彼女を見て、言葉を失うこととなった。
保健室に運ばれた彼女は、軍医の教官と《衛生兵科》の上級生による治療が行われた。ランク戦で使用されている模擬弾では、致命傷にはならないが、酷使した右手だけは、彼らにもすぐには治せなかった。
今の彼女の手には、白い包帯と固定用のギブスが巻かれている。
「俺は謝ってもらいたいんじゃないんだよ、ユーリィ」
シローが厳しい視線で彼女を見つめる。
「どうして、こんな無茶をしたんだ。その右手だって、ランク戦が始まる前から痛かったんだろう」
「そ、それは……」
否定することができず、ユーリィが下に俯く。
包帯の巻かれた手を握りしめて、脅えるように肩を震わせている。その姿は、叱られている以上の感情が見え隠れしていた。
だが、シローはそのことには気づかずに、淡々と言い放つ。
「もういい。ユーリィ、お前はランク戦に出るな」
「っ!」
ユーリィが顔を上げて、目を見開く。
彼女の瞳は、大きく揺れていた。
そこに浮き出ている感情は、……恐怖。シローの言葉に、彼女は心から恐怖していたのだ。
「な、なんでですか!? 私は、まだ戦えます!」
「そういう問題じゃない。そもそも、そんな手で銃を撃てるわけがないだろう」
「関係ありません! 右手が使えないなら、左手で撃ちます! 狙いが定まらないなら、狙える距離まで近づきます! もし、銃が撃てなくなっても、シローさんの身代わりくらいにはなります!」
がしっ、とシローの服を掴んで、彼女は懇願する。
その声は、今にも泣いてしまいそうなものだった。親と離れたくない子供のように、ユーリィは涙声で縋りつく。
「だから、お願いします! 私を、……私を見捨てないでください!」
それが彼女の本心であると、すぐに理解できた。
どんなときだった笑みを絶やさなかったユーリィが、こんなにも必死になって縋ってくるなんて、今まで想像もできなかったことだ。
「私にとって、シローさんが全てなんです! シローさんに必要とされなくなったら、私はどうしたらいいんですか!? なんのために生きたらいいんですか?!」
慟哭。大声を上げて泣きながら、ユーリィはシローの服を握りしめる。
そこには、いつも気丈に振る舞う少女はいなかった。
不安で、ただ不安で、見捨てられることが耐えられない孤独な女の子であった。
「……ユーリィ?」
そんな彼女に、シローは穏やかな態度を見せた。
泣きじゃくるユーリィへと手を伸ばして、その小さな頭にのせる。そして、そのまま自分の方へ引き寄せたのだ。
彼女のことを優しく抱き留めては、子供をあやすように髪を撫でる。
「お前は本当に不器用だな。なんで、そうやって一人で抱えようとするんだよ」
その声は呆れながらも、どこか優しい口調であった。
「なぁ、ユーリィ。よく聞けよ。……お前の目の前にいる人間は、いったい誰だ?」
「……え?」
その質問に、ユーリィが顔を上げる。
彼女の瞳は涙で濡れていた。
「し、シローさんは、……シローさんは―」
どう答えていいのかわからず、戸惑っているようであった。
その様子を見て、シローはしっかりとした口調で言い切った。
「お前は、自分の婚約者も信じられないのか?」
「っ!?」
驚きに、目が見開かれる。
「ユーリィ。俺が成り行きだけで、お前の婚約者でいると思うのか? もし、そうだったら大きな間違いだぞ」
シローが、ユーリィの黒い瞳を見つめる。
「俺は自分の意思で、お前の傍にいることを選んだ。だから、お前のことが心配だ。自分のことさえ道具のように扱ってしまい、次のランク戦でも無茶をするとわかっているから」
「……シローさん」
「俺には、お前が必要だ。お前といるから、こうして学園生活が満ち足りたものになっている。……だから、見捨てないでください、なんて寂しいことを言うなよ。それじゃ、まるで俺が信頼されていないみたいじゃないか」
「そ、そんなことありません! シローさんがいたから、私はここにいるんです! 私がシローさんを信用しないなんて、そんなことありえません!」
ぎゅっ、と服を握る手に力がこもる。
「だったら、もうこんな戦い方はしないでくれ。……あんまり心配をさせるなよ、このバカ」
「……はい」
「あと、怪我が治るまでは、ランク戦は休むこと。強敵とぶつかることになったら、その時がお前の出番だ。いいな?」
「……はい、わかりました」
ユーリィは涙を拭うと、そのままシローに顔を埋める。
「……シローさん、大好きです。私はあなたのことを愛しています。ずっと、これからも、永遠に―」
「あぁ、そうだな」
シローも優しい手つきで、彼女の頭を撫でていく。
それ以上は言葉は交わされず、穏やかな雰囲気となる。二人だけに許された時間が、歩くような速度で過ぎていった。
まさに、そんな時だった。
保健室の扉が勢いよく開かれたのは。
「姉さま! お怪我は大丈夫ですか!?」
クリスティーナ・ビスマルクが金髪を乱しながら駆け込んできたのだ。
そして、そのままの勢いで目の前にいるシローを突き飛ばす。ガンッと鈍い音を立てて、壁に崩れ落ちた。
「あぁ、なんてことでしょう! ランク戦でお怪我をされたと聞きまして、すぐに駆けつけたのですが、まさかこんなにも重傷だったなんて」
「……あの、シローさんが凄い勢いで飛ばされてましたが」
「こんな手では学園生活もさぞ大変でしょう。……ですが、ご安心ください! このメイドの名家出身のクリスティーナ・ビスマルクが心を込めてお手伝いをします!」
ごろごろと頭を抱えて悶絶してるシローのことなど気にも留めず、クリスティーナはその場に跪く。
「おはようから、おやすみまで! このクリスティーナにお任せあれ、ですわ!」
にこにこと生き甲斐を見つけた少女のように、彼女は満面の笑みを浮かべていた。
鞄の中からメイド服を引っ張り出し、頭にのせるヘッドドレスを律儀に身に着ける。
それから、ふと床に倒れている人間を見て、不思議そうに尋ねたのだ。
「……あれ、兄さん。そんなところで何をしているのですか?」
きょとんと首を傾げるクリスティーナ。そんな彼女を見て、シローは久しぶりに女の子を殴りたいと思っていた。




