第9話 「お姉さん、と呼んでください」
「ぐえっ」
少女にあるまじき嗚咽を漏らして、彼女の体は地面に沈む。
この学園の序列5位であり、オルランド共和国が誇る登録魔術兵士であるクリスティーナ・ビスマルク。そんな彼女が、ほんの数秒で。……敗北を喫していた。
「ひゅ~、やるじゃねぇか」
ゼノが口笛を吹きながら、ユーリィのことを褒める。
それだけ彼女の早業は完璧であった。クリスティーナが撃つ直前に、自分は銃を捨てて間合いを詰めていた。そこから一撃で彼女の意識を刈り取ると、その勢いのまま投げ飛ばしたのだ。
共和国のスパイとして育てられ、様々な暗殺術を教え込まれたユーリィにとって、これくらい造作もないことなのかもしれない。
以前、ランキング上位のチームと戦った時、ほんの一瞬だが彼女の本気を見た。敵からサブマシンガンを奪い取ると、そのまま次々と敵を屠っていた。その姿は、まさに暗殺者。あの時から、ユーリィの得意とする武器は接近戦のサブマシンガンではないかと、とシローは確信している。
「おいおい、隊長が秒殺だぜ」
「へぇ。やるな、あのチビっ子」
ユーリィの動きに驚いていたのは、クリスティーナのチームメイトも同じだった。
実際の戦場を経験している彼らが称賛するのだから、やはりユーリィの実力は本物なのだろう。
「ほらっ、賭けは俺の勝ちだな」
「くそ~。また負けたぜ」
「隊長も、せめて1分くらいは粘ってくれないと。賭けにならねぇよ」
男たちは軽口を叩きながら、学食の食券を手渡していく。自分たちの隊長が負けたことを、気にもしていない様子だ。
「さて、勝負は私の勝ちですね」
にっこり、とユーリィが笑う。
白目をむいたまま気絶しているクリスティーナを一瞥すると、満足そうな顔でシローの元へと駆け寄ってきた。
「えへへ。これで私たちの邪魔をする人はいなくなりましたね」
そう言って、ぎゅっと抱き着いてくる。
シローの胸元に顔を擦りつけては、すぅーと思いっきり息を吸う。
「あぁ、シローさんの匂いです。やっぱり、誰かに渡すなんて考えられません」
尻尾がついていたら、ぶんぶんと左右に揺れていただろう。
飼い主が大好きな子犬のように、ユーリィはシローに体を寄せたまま離れようとしない。仕方なくシローが頭を撫でてやると、幸せそうに顔を緩ませた。
「えへへ。シローさん、大好きです!」
そこまでして、ようやく気が済んだのか。シローから離れると、ユーリィは機嫌良さそうに歩き出す。
「さぁ、帰りましょう。今日は一日中、お部屋でまったりと過ごして―」
だが、そんな彼女に、待ったをかける者がいた。
「……ま、まだよ」
ぐらり、とよろめきながら立ち上がる少女の姿。
綺麗に整えられた金髪は乱れて、服は土と砂で汚れてしまっている。だが、それでもクリスティーナは立ち上がるのだった。愛用の銃を片手に。
「まだ、終わったわけではないわ。……私は、戦える!」
「あれ? もう、目を覚ましましたか? もっと寝ていてもいいのに」
「この、……チビ女!」
スナイパーライフルで体を支えながら、キッと睨みつける。
「さっきは少し油断しただけよ。まだ、私は負けていない」
「えーと、そうは言われましてもですね」
さすがに困惑顔のユーリィ。
だが、少し考えた後。何かを思いついたようで満面の笑みを浮かべた。
「そういえば。私が勝った時のことを、まだ決めていませんでしたね」
ユーリィは笑いながら、立ち上がったばかりのクリスティーナを見る。
「もし、私が勝ったなら、……私のことを『お姉さん』と呼んでください。それを約束してくれるなら、もう一度だけ勝負してあげます」
「は、はぁ!?」
クリスティーナが信じられないというような声を上げた。
「ば、馬鹿じゃなの! 誰があなたのことを、姉だなんて呼ぶわけが―」
「嫌ならいいですよ。私たちはこのまま部屋に戻って、まったりと過ごすので。……そうですね、とりあえず一緒にお風呂に入るとして」
「やるわよ! やってやるわよ!」
売り言葉に、買い言葉。
冷静さを欠いたクリスティーナは、金色の髪を逆立たせながら叫ぶ。
それを見ていた彼女のチームメイトも一緒に活気づく。
「おっ、第二ラウンドか!?」
「賭けだ! 賭けができるぞ!」
男たちは食券を片手に、どちらが勝つのか叫びあう。……まぁ、正確に言えば。クリスティーナが勝つことは誰も期待していないのだが。。
「15秒! ……いや、10秒以内だ!」
「馬鹿め! さっきの隊長のやられっぷりを見なかったのか? 俺は5秒以内に負けると見た!」
「よし! 俺は大穴で、……隊長が30秒は立っていられることに賭けるぜ!」
自分たちのリーダーが負けることを前提に、賭けをする男たち。そんな熱気に当てられて、ゼノも大声を上げながら参加していった。
「俺様も賭けるぜ! クリスティーナが一度も勝てないのに、学食の食券1カ月分だ!」
「「おぉ、そいつは手堅い!」」
男たちの歓声に、クリスティーナがいよいよ怒り出す。
「あなた達! 他人事だと思って、遊ばないでください! これから私たちの真剣勝負が―」
チームメイトを諫めようと、ユーリィから視線を外す。
その瞬間のことだ。
彼女の体が、再び宙を舞っていた。
――◇――◇――◇――◇――◇―
「ぎゃふん!」
金髪の少女が頭から落ちていく。
「げふん、げふん!」
金髪の少女が地面をごろごろと転がっていく。
「あばばばばばっ!」
金髪の少女が、エビぞりにさせられて関節技を決められている。
見目麗しい可憐な少女が、一方的にやられ続けている。それが屈強な男が相手なら、誰かが助けに入ってきそうだが。残念ながら、彼女が戦っているのは同じくらい小さな黒髪の少女である。
もはや、銃声すら聞こえない。魔術兵士を育てるための魔法学園において、これほどまでに泥臭い戦いはないだろう。
「さて、気が済みましたか?」
ユーリィが涼しい顔で問いかける。
息切れひとつ見せずに、力なく倒れているクリスティーナを見下ろす。
「私の勝ちですね。約束通り、これからは『お姉さん』と呼んでもらいますよ」
にこり、と笑いかける。
それは勝者の顔であり、強者の表情であった。
「……嫌よ。絶対にやだ」
だが、クリスティーナは反抗を続ける。
ぐすん、と涙目になりながらも、負けを認めようとせず。その度にユーリィへ戦いを挑むが、すぐに返り討ちにあってしまうのだ。
「……あなたを姉と呼ぶなんて、死んでも嫌だもん」
その姿は、意地になっている子供である。
ここに大人がいれば、勝負のことなんて有耶無耶になっていただろう。だが、彼女の前にいるのは、にこにこと笑っている黒い髪の悪魔であった。
「はぁ、しょうがないですね」
彼女は笑いながら、クリスティーナに優しい視線を向ける。
そして、そっと手を伸ばして彼女の頭に触れた。
「聞き分けの悪い子は、あまり好きではありません。……なので、ちょっとばかり教育をさせていただきます」
「きょ、教育!?」
「えぇ。でも、心配いりませんよ。自分から私のことを、『お姉さん』と呼ぶようになるだけですから」
ぞっ、とクリスティーナの背筋が凍り付く。
ここにきて、ようやく彼女も理解した。目の前の黒髪の少女は、一度たりとして、その目が笑っていなかったことに。
「ひっ! や、やめ―」
「それでは、シローさん。この子をちょっと借りていきますね」
ユーリィはクリスティーナの襟首を掴むと、そのまま無理やり引きずっていく。
「いや! やめて! 放してくださーい!」
少しずつ遠くなっている悲鳴を聞きながら、シローは何とも言えない虚無感に襲われていた。
そんな彼に、ゼノが近づく。
賭けに勝ったのか、その手には大量の食券を抱えていた。
「腹が減ったな。シロ、飯にいこうぜ」
「……そうだな」




