第5話 「私の方が先に…」
「ぜ、絶対に嘘だというのはわかっています! そんなことはないと確信しているのですけど、それでも心配になって! もしかしたら、悪い女にたぶらかされているんじゃないかと」
「……そうか」
シローがそっと視線をそらす。
そして、それ以上は何も言おうとはしなかった。
「兄さん?」
クリスティーナが不安そうな顔をする。
「ど、どうしたのですか? 何か言ってください。嘘なんですよね? デマなんですよね? 兄さんみたいな素敵な人が、誰とも知らない女と婚約なんて―」
直視できなかった。
シローは視線を外したまま、何も言えずに堪える。
確かに、望んだことではなかった。
突然、婚約なんて言われて戸惑いもした。だが同時に、彼女の笑顔が頭に浮かぶのだ。どこか幸薄そうな黒髪の少女が、自分と一緒にいるだけで幸せそうにしている。その光景を思い返すたびに、婚約を破棄するなんて気持ちになれなかった。
「……まさか、そんな」
目の前にいるクリスティーナの顔色が悪くなっていく。顔面を蒼白にさせて、よろっと体が倒れそうになった。
だが、次の瞬間。
彼女の瞳は、強い意志に輝いていた。
「兄さんは騙されています!
小さな手で拳を作って、シローに詰め寄る。
「兄さんが学園で、……いえ、世界で一番、素晴らしい人だと知って、近寄ってきたのに違いありません!」
ばたばたと地団駄を踏む。
「どこの馬の骨だか知りませんが、私は許しません! 兄さんをたぶらかそうとする泥棒猫は、この手で駆除してやり―」
クリスティーナがわなわなと手を震わせながら、何やら物騒なことを言いだした、その時だ。
それまで黙っていたシローが、静かに口を開いた。
「よく知りもしない人を、悪く言うもんじゃない」
シローの注意するような言葉に、彼女は顔色を変えた。
信じられないというように目を見開いて、シローのことを見つめている。
「そ、そんな」
じわっ、と涙が溢れていた。
クリスティーナは流れる涙を拭おうともせず、じっとシローのことを見る。その瞳から、真意を求めようとする。
だが、それ以上はできなかった。
感情が決壊してしまったようで、ボロボロと大粒の涙が零れていたのだ。とうとう彼女は、両手で自分の顔を覆いながら、足早に教室を出ていった。
最後に、子供じみた捨て台詞を吐いて。
「兄さんのバカっ!」
――◇――◇――◇――◇――◇―
黄昏の夕日を浴びて、クリスティーナはとぼとぼと歩いていた。
次から次へと流れる涙を拭いながら。
「えぐっ、ひっく。……兄さんの、兄さんのばかぁ~」
そんな彼女の後ろを、チームメイトの男たちが歩いている。彼女のことを慰めるように、そっと後ろからついていく。
「ほらな、俺の言ったとおりだっただろう」
「ちっ、隊長に賭けるんじゃなかったぜ」
「ほら、学食の食券だ。好きなだけ持っていけ、馬鹿やろう」
訂正。男たちは賭けの清算をしながら、学生食堂の食券のやり取りをしていた。
そんな彼らに、クリスティーナが不機嫌そうに睨みつける。
「あ、あなたたち! ちょっとは空気を読みなさい! 人のことで賭け事なんて、最低です!」
キッ、と強い視線を向けるが、彼らの態度は変わらない。
「いやぁ、とはいってもですよ」
「隊長は不器用すぎるんですって。いつも機嫌が悪そうにしているし」
「だよなー。それに少尉殿から見たら、隊長は妹というか、ただの年下の女の子くらいにしか見えていないのかも」
彼らの言葉に、クリスティーナは再び泣きそうになる。
「そ、そんなぁ~」
えぐえぐ、と泣きながら途方に暮れる。
「ひっく、……許さない。私から兄さんを奪った女なんて、絶対に許さない」
いつの間にか、彼女の胸に怒りの炎が宿った。
クリスティーナ・ビスマルクは金髪の髪を逆立たせながら、子供のように地団駄を踏む。そして誰もいない廊下にて大声で叫ぶのだった。
「私の方が先に、……兄さんのことを好きになったんだから!」




