第1話 「その人物を、ある人は英雄だといった」
その人物を、ある人は英雄だといった。
ある軍の関係者は、優秀な軍人だと褒めた。
ある新聞社は、自らを犠牲にして国を守った人物として讃えた。
そして、ある教授は。彼がいたからこそ、オルランド共和国は戦争に勝てたと熱弁した。
……だが、実際に同じ戦場に立っていた兵士は、顔を歪めながら吐き捨てる。
ヴォルマ・ビスマルク大佐。
奴ほど最低な指揮官は存在しない、と。
――◇――◇――◇――◇――◇―
小鳥の囀りに、シロー・スナイベルは自室のベッドで目を覚ました。
まだ、朝も早い時間で、部屋のカーテンがわずかに明るくなったくらい。登校時間になると急に騒がしくなる男子学生寮でも、今だけは静寂に包まれている。
「……眠い」
目を細めながら、不機嫌そうに呟く。
シロー自身は朝に弱いわけではない。だが、寝不足というものは人の機嫌を損ねる。その原因が自分にあるのなら無理にでも納得することができるだろうが、他の誰かのせいで眠れないとあっては、不機嫌になっても仕方ないというもの。
「まったく。何でいつも、同じベッドに潜り込んでくるんだよ」
シローは軽く体を起こしながら、自分を抱き枕にしている少女を見た。
黒髪の少女だった。
肩口にそろえられた黒い髪は、清らかで純真な印象を与える。また、彼女自身が幼い体格であるせいもあって、とても可愛らしいものがあった。その容姿は、幼女といったほうが正しい。
彼女の名前は、ユーリィ・ミカゲ・スナイベル。
数週間前にオルランド魔法学園に編入してきて、帝国との争いに巻き込まれて、……シローの将来のお嫁さんになった人物である。
「はぁ。なんで、こんなことになった」
シローは眠りながらも自分にしがみついている少女を見る。
二年前に終結したオルランド共和国とガリオン帝国の戦争。
苛烈を極めた戦時中において、ユーリィは共和国へのスパイとして育てられた。そんな彼女を利用して、再び戦争を引き起こそうとする集団がいた。
帝国内に潜む『過激派』。
彼らは、ユーリィを誘拐した後、独断で共和国へと攻め入ってきたのだ。数十台にもなる戦車隊は、戦時中と同等の戦力といえた。
その問題に対処したのが、誰も正体を知らない戦争の英雄『ホワイトフェザー』、……シローであった。
シローは囚われているユーリィを助けだすと、攻めてきた『過激派』の戦車隊を殲滅。誰にも語られない戦いを終えて、再び落ち着いた学園生活が戻ってくる。……そのはずだった。
「俺は、ただ身元保証人になっただけだぞ」
はぁ、とため息を漏らす。
ユーリィが学園に通うためには、誰かが彼女の保護者にならなくてはいけない。それをシローは軽い気持ちで了承した。それがいけなかった。
未成年が身元保証人になるということは、婚約することと同義。という共和国の習慣が頭になかったのだ。
その結果。
シローとユーリィの婚約は成立してしまい、今や学園中の生徒が知る関係となっていた。そして夜になると、こうやって他人の目を憚ることなく部屋に忍び込んでくるのだ。
「せっかく女子寮に住めるようになったのに、これじゃ今までと変わらないだろう」
穏やかな寝息を立てている彼女を見ながら、シローがぶつくさと呟く。
すると、少女はわずかに身じろぎをして目を覚ます。眠そうな顔でシローの胸に頬ずりをしたあと、細めた目でこちらを見つめる。
「……ふわぁ。おはようございます、旦那様」
「……その呼び方だけはやめてくれ、と言ったはずだが」
シローが優しい口調で諭すと、ユーリィも素直に頷く。
「はい、そうでしたね。おはようございます、シローさん」
薄暗い部屋のなかで、黒髪の少女がにこりと笑う。
どうやら、『不幸体質』は今日も幸せのようだった。
――◇――◇――◇――◇――◇―
オルランド魔法学園の日常は、平穏そのものであった。
学生寮から登校した生徒たちは、それぞれの学科に別れて授業を受ける。ある生徒は教室で忙しそうにペンを走らせたり、またある生徒は朝から実弾訓練を行ったりもする。それら授業内容は、各学科によって大きく異なる。
この学園にあるのは、四つの専門学科。《普通歩兵科》、《狙撃兵科》、《衛生兵科》、《砲兵科》。あとは、特殊な人間だけが選ばれる《特別技術兵科》だ。
シローは狙撃銃の扱いを専門とする《狙撃兵科》に所属しており、ユーリィは正式に編入することが決まってからは《衛生兵科》に入っていた。
最近は、医学の本が入った大きなカバンを持って、とことこと歩く姿をよく見かる。シローの部屋では、べったりとしている彼女も、学園では別々に行動することも多い。
そんな二人だが、学年全体で受ける『共通科目』の授業では、仲良く肩を並べて座っている。
「朝から歴史の授業か。なんか、眠くなるな」
「そうですね。でも、私は好きですよ。歴史の授業」
シローがぼやくと、ユーリィがにっこりと笑う。
大きな講義室の後ろの席。
まだ、講師の教授が来ていないということもあって、ざわざわと私語が絶えない。そんな中、早くも居眠りを始める男がいた。シローとユーリィの隣の席。背が高く、首には金槌の刺青がある。どこか凶暴そうな印象を持つ男子生徒が、大きないびきをかいて寝ている。
彼の名前は、ゼノ・スレッジハンマー。
シローとユーリィのチームメイトであり、シローにとっては同じ戦場を生き抜いた戦友でもあった。また、帝国が恐れたという『登録魔術兵士』の一人であり、彼の持つ『死ねない呪い』は魔法は、今でも恐怖の代名詞となっている。
そんなゼノだが、授業中では外見の印象を裏切らず。いびきをかいて寝ていることが多かった。特に、この歴史の授業では、一度だって起きていたことはない。
「起こしたほうがいいですか?」
「放っとけ。どうせ、すぐ寝てしまうさ」
シローが肩をすくめていると、教壇に歴史の講師の姿が見えた。それと同時に、騒めいていた空気が引いていき、多くの生徒が授業を受けるために姿勢を正した。
「オルランド魔法学園の生徒の皆さん。ごきげんよう。今日の授業は、ある軍人の話をしようと思う」
教授は一度、言葉を区切ると、講義室をぐるりと見渡した。
その時、いびきをかいて寝ているゼノのことを見たが、何も見えなかったかのうおうに無視をする。何を言っても無駄だと諦めたのだろう。そのまま教授は授業を開始した。
「その人物の名前は、ヴォルマ・ビスマルク大佐。私が知っている中でも、最も勇敢で知性に溢れた指揮官だ。本日は、彼が奮闘したギガナ高地での戦いを振り返そうと思う。……その前に」
教授は自分が入ってきた講師用の扉のほうを見て、そちらへ手を招く。
「クリスティーナ君。入ってきたまえ」
「はい」
凛とした声が響いた。
それと同時に、一人の少女が講義室へ入ってきた。
小柄な少女だった。
ふわりと揺れる金色の髪。意思の強そうな瞳は、どこまでも透き通った蜂蜜色。オルランド魔法学園の制服に身を包んでいて、その青いリボンタイは高等部の一年生であることを示している。
一目で美少女だとわかるその人物を見て、男子学生からため息が出るほどだ。
だが、残念なことがあるとすれば。
その少女はどこまでも、不機嫌そうな表情をしていた。
「紹介しよう。彼女の名前は、クリスティーナ・ビスマルク。二年前に終結した戦争で、名誉の戦死を遂げられたヴォルマ・ビスマルク大佐のご息女である」
「……クリスティーナ・ビスマルクです。どうぞ、よろしくお願いします」
にこりとも笑わず、人形のように表情を緩めない。
だが、彼女とシローの視線が重なった瞬間。その表情を、更に険しいものにさせたのだ。それはまるで、親の仇を見つけたような目つきであった。




