第40話 「ふつつかものですが」
銃弾は放たれ、空の薬莢が落ちていく。
乾いた火薬の匂いが鼻につき、耳鳴りのような残響が鳴っている。
あまりの出来事に、シローは言葉を失っていた。
そんな彼を前にして、グラン大佐が口を開く。躊躇なく銃を撃った男は、先ほどまでと変わらない顔をしていた。
いや、よく見れば。その表情はわずかに、疲労を滲ませているのが見て取れた。
「残念だ。このような形で、不安の種を野放しにすることになるとは」
はぁ、とため息をついて。
シローを守るように立っている、彼女のことを見た。
……ユーリィは撃たれたわけではなかった。
大佐は銃を撃ったが、その直前で銃口を真上に向けたのだ。学園長室の天井には、真新しい銃痕が残っている。
「少尉、こんなことが何度もあると思うな。この女の処分と、貴様の狙撃手としての腕。天秤にかけたら、どちらがこの国にとって重要なのか。それを判断しただけなのだ」
ぎろっ、とシローのことを睨む。
「だが、覚えておくことだ。一人の人間が助けられるものには限りがある。目に映るもの全てを救うことは、絶対に無理なのだぞ」
そう言って、大佐は拳銃を机の引き出しに戻すと、再びイスに寄りかかる。
ギシギシと軋む音は、グラン大佐と同じように不機嫌そうであった。
「……え、えーと」
きょとん、と首を傾げるユーリィ。
彼女は自分が無事であることに少し戸惑った後、シローの方へと振り返る。
そして、いつものように微笑むのだった。
「えへへ。生きていました」
その屈託のない笑顔に、シローは今度こそ脱力してしまう。
立ち上がる気分にすらならず、床に腰を下ろしたまま彼女のことを見る。
「……ったく、無茶をして。本当に撃たれたのかと思ったぞ」
「ふふっ、私もそう思いました」
にこり、と笑いながら彼女は続ける。
「でも、庇ってくれた姿は格好良かったですよ。ますます、惚れてしまいます」
「そう言っている本人に助けられたんじゃ、笑い話にもならないな」
乾いた声で笑いながら、天井に開いた小さな穴を見る。
そして、嬉しそうに話しているユーリィと、不機嫌そうに黙っているグラン大佐を交互に見つめた。これまで、大佐がこんな判断をしたことがない。これが戦時中であったのなら、シローが助けに入る隙もなく撃っていただろう。
そこまで考えて、その事実を改めて思い出す。
……そうだった。
……戦争は、とうに終わっていたのだ。大佐がこれまでにない柔軟な判断をしたもの、そういった背景があるのかもしれない。
「学園長! 先ほど銃声が聞こえましたが、何かあったのですか!?」
突然。慌てた様子で、一人の教官が部屋に入ってきた。
「あぁ、ちょうどよかった。ケイネス教官」
大佐は視線だけを向けると、気だるそうに言った。
「すまないが、死体袋を一つ持ってきてくれないかね」
「し、死体袋ですか?」
教官は驚いたように目を丸くさせる。
「そうだ。たった今、帝国のスパイである女を射殺した。この国の未来を揺さぶりかねない存在だ。すぐに遺体を回収して、焼却施設へと運んでくれ」
何のことをいわれているのか、教官はわからなかった。
だが、彼は機微に通じている人間だった。何より、グラン大佐やシローのことについても、よく知っている者でもある。
たっぷりと数秒間。
顎に手を当てて考えると、シローの側に寄り添っているユーリィを見て、何かに納得したように目を輝かせた。
「なるほど。そういうことですね」
そして、この部屋から出ていくと、数分足らずで戻ってきた。
その手には、学園の授業で使っている、死体袋の教材が抱えられている。教官はそのまま部屋の真ん中で袋を開くと、人を抱えるような動作で、何もないものを袋へと詰め込んでいく。
「……中が、スカスカですね。何か一緒に燃やしたいものは?」
「ならば、足元に散らばっている書類を頼む」
「手紙のようですが?」
「あぁ、女からの手紙だ」
「愛人からのラブレターですかね」
「いや、妻からの離婚届けと、裁判所からの最後通告だ」
床に散らばっている書類に目を落として、今度こそ疲れたように溜息をついた。
「はぁ、女という生き物は恐ろしい。傍に置く人間は、よく考えた方がいいな。そうは思わんか、少尉?」
「じ、自分は何とも言えませんが」
言葉を濁すシロー。
すぐ傍では、じっとユーリィが見つめている。ここで不用意のことを言えば、後が怖いと肌で感じていた。
「それでは失礼します」
教官は大佐に声をかけて、律儀にもシローたちにも敬礼をして、この部屋から出ていった。
嵐が過ぎ去ったような沈黙が続く。
その沈黙を先に破ったのは、意外にもグラン大佐であった。
「……さて。これで始末するべきスパイは死んだ。この部屋にいるのは、私とスナイベル少尉。そして、事件に巻き込まれた不幸な少女だけだ」
シローとユーリィ。
二人のことを、静かに見つめる。
「そこで、これからどうするつもりだ? そこにいる少女は、私とは何も関係のない他人だ。身元を保証できる人間がいなければ、この学園に居場所はないぞ?」
「っ!」
ユーリィが、静かに息を飲んだ。
親も親戚もいない天涯孤独の彼女には、身元を保証できる人が誰もいない。今までは、グラン大佐が保証人になっていたが、それも彼女の自由と引き換えに失ってしまった。
このままでは、ユーリィが学園から去らなければいけない。
「……シローさん」
縋るような目で、シローのことを見た。
不安に瞳を揺らしている。これまで自分の力だけで生きてきた彼女が、こうやって誰かを頼ろうとしているのだ。だったら、手を差し出すべきだろう。
「わかりました。自分がユーリィの身元保証人になります」
シローは淡々と言った。
彼にとっては深く考えるようなことではなく、書類上の名義を貸すくらいに思っていた。
だが、そんな彼とは対照的に。
ユーリィとグラン大佐は、心底驚いたような表情を浮かべるのだった。
「な、なんと。それは随分と思い切った選択だな」
……思い切った?
シローは上官に言い回しに首を傾げる。
おかしなことは、それだけでない。
シローの言葉を聞いて、ユーリィが両手を口に当てたのだ。
信じられないというように目を見開いて、涙が零れそうなほど瞳が濡らしていて、その頬を真っ赤に染めていた。
その姿は、嬉しすぎて声もでない、という様子であった。
「わ、私、なんかで、いいんですか?」
震える声で、彼女が言う。
「そ、その、私は『不幸体質』です。シローさんのご迷惑になるかもしれません。身体だって、子供みたいなお子様体形です。胸もぺったんこで、食べごろになるまでは時間がかかるかもしれません―」
……ちょっと待ってくれ。
……一体、何の話をしているんだ。
「で、でも、頑張ります! シローさんの相応しい女になれるように頑張りますから!」
涙をこぼしながら、幸せそうに微笑む。
「ふ、不束者ですが、どうかよろしくお願いします」
ユーリィの言葉に気押されて、とうとうシローは何も言えなかった。
……何か。
……何かがおかしい!
シローは言いようのない不安を感じながら、今にも抱き着いてきそうなユーリィから視線をそらした。
そして、数日後には。
自分のやったことの深刻さが、その身に降り注ぐことになった。




