第142話 「Raise the counter Attack Frag. 死にたいと、思ったことはないか?(ゼノ・スレッジハンマー②)」
「な、何が起きた!?」
助手席に座っていたシローが驚くように声を上げる。
突然、カレィがハンドルを握る車両が、左右に大きく揺さぶられたと思ったら、その場で急ブレーキ。静かになった車内で、運転席から小さな呻き声が漏れる。
「……銃声が、したな。前方、距離は400ってとこか」
ゼノが他人事のように呟くのと同時に、シローは運転席のほうを見て言葉を失う。
腹部から、真っ赤な染みが広がっていく。
撃たれていた。
カレィは自分の手で出血する腹部を押さえつけるが、今度は背後から血が零れていく。
「ぐっ、……不覚」
「動くな、カレィ先輩! 出血が酷くなる!」
運転席のドアに寄りかかりながら、腹部と背部を押さえつける。綺麗な銃創だった。通常の銃弾であれば、こんなに綺麗に貫通しない。相手になるべく大きなダメージを与えるように作られているため、もっと内臓器官を損傷させているはずだ。
いや、そもそも。
猛スピードで走る装甲車両を正面から撃って、その装甲を貫通させ、様々な車のパースを削り取りながら、寸分の狂いもなく運転手を狙撃するなど、通常は不可能なのだ。
それを可能としてしえるなら、それは。
悪魔や、英雄の仕業だろう。
「……『貫通魔法』か」
ゼノがつまらなそうに呟く。
その次の瞬間。
わずかに、前方で何かが光った、……ような気がした。
「外に逃げろ!」
後部座席に座っていたゼノが、運転席に乗り出して、カレィのことを蹴り飛ばした。
バタンッ、と勢いよく運転席から転がり落ちて、カレィが苦しそうな息を吐く。
「……ゼノ、お前」
「だから、言っただろう? 外に逃げろって」
カレィを蹴り飛ばした、ゼノの右足。
それが、ぶらんぶらんと力なく揺れている、膝関節を撃ち抜かれて、貫通した穴からは骨と体の組織が見えた。ゼノが蹴り飛ばさなかったら、膝を撃ち抜いていた銃弾は、カレィの頭部を貫通していただろう。
「ちっ、痛ぇな。傷は治るからべつにいいけどよ、撃たれていい気はしねーよな」
そう言っている間にも、膝の傷口は閉じていき、数秒ほどで元の傷のない姿へと戻っていく。
「なぁ、シロ。この魔法は」
「……エドヴァルド大尉の放った『貫通魔法』だ」
ぎりっ、とシローが悔しそうに唇を噛む。
その感情にはまったく共感できないが、ゼノはようやく後部座席から腰を上げる。
「じゃあ、しゃーねぇな。あの元隊長サンは俺がやってやるから、お前は先に行きな」
「なっ!? おい、ゼノ!」
ゼノはシローの静止を聞かず、そのまま車外に出る。
視線の端では、カレィを介抱するように彼のチームメイトが寄り添っていた。機関銃の弾も、もう残っていないのだろう。一人だけが銃を構えて警戒しているが、他の二人は止血するために手を貸していた。
あれなら、もうしばらく持つだろう。
そう思った矢先。ダンッ、と遠くから銃声がする。
だが、気にすることなく助手席にいるシローへと声をかける。
「どっちにしろ、ここからは走るしかねぇ。そこのカレィとそのチームメイトは俺が守ってやるから、お前は後ろを向かず、前へ進め」
また銃声がした。
放たれた銃弾は、ゼノの脇腹から貫通していくが、彼が気にする様子はない。
「ここで止まるわけにいかねーだろ?」
「……ゼノ」
わずかに視線が揺れるが、すぐさま覚悟を決める。
シローは助手席から飛び出した。
白いスナイパーライフルを両手で抱えて、少しでも撃たれないように前傾姿勢で走っていく。向かう先は、展開されている黒い魔法陣の、その中心だ。
それに対して、ゼノは。
動かない。
その場に立ち尽くし、じっと時が経つのを待つ。
鉛玉が飛んできて、自分の血肉が飛び散っていく。
気分のいいものではない。
死ぬことができず、痛みだけが蓄積していく。
なるべく深く考えないようにしているが、それでも。体が、心が悲鳴を上げそうになるときがある。リーシャ・E・K・ナハトムジークという女がいなかったら。彼女という心の支えがいなかったら、俺なんてとっくに壊れていたかもしれない。
「……そろそろ、頃合いか」
シローの後姿が見えなくなり、自分を貫通していった弾を数えるのも飽きてきた頃。くるくると旧式のライフルを回して、とんっと肩に載せて。
腰を屈めて、両足に力を溜めていく。
呼吸を整えて、全身に血液を巡らせる。
「本当を言うと、あんまり本気を出したくないんだよなぁ。体中が痛くなるし」
どくん、どくん、と血液が脈を打つ。
体温の上昇と共に、筋力が膨張していく。
片手で握っているライフルのストックが、その手の形に軋んでいく。常人ではあり得ないほどの握力に、銃の方が耐えられなくなっていた。
「じゃあ、行くか」
小さく呟き、ゼノが地面を蹴る。
同時に、小さな地響きが起こり、足の形に地面が窪む。駆け出した男の姿は、既に人の姿とは言い難く。その速度も、軍用車両ですら追い越している。
握力も、脚力も。
筋肉の細胞が崩壊するまで酷使して、常人ではあり得ないほどの力を生み出させる。一歩、踏み込むたびに、足の筋肉と靭帯がボロボロになってしまうが、次に踏み込むまでには完全に再生している。
どれだけの銃弾を浴びても、その疾走が止まることはない。
眼球を撃ち抜かれても。
喉仏に風穴が空いても。
脳を破壊されても。
ゼノ・スレッジハンマーは止まらない。邪魔しようとしてくる死人、……登録魔術兵士の死人たちが立ちはだかろうとも、彼に触れただけで塵となって散っていく。拳ひとつ、蹴りひとつ。神速とも呼べる速さで薙ぎ払われる一撃で、死人たちを屠っていく。
そして、最後に。
スナイパーライフルを構える、第九魔術狙撃部隊の軍服を身に着けた男へと辿り着くと。
「そういや、てめぇ! 生きていたころに賭けで負けた分、俺に払っていなかったなぁ!」
豪快に薙ぎ払われた旧式のライフルは、その死人を上下真っ二つに切り裂いた。
残された頭部から、耳障りな声が漏れるが、ゼノはその頭を空中で掴むと。
「お前がいると、シロの気が滅入るんだよ! もう、二度と俺たちの前に現れるんじゃねーっ!」
ガパンッ、と片手で握りつぶした。第九魔術狙撃部隊、初代隊長。エドヴァルド大尉の階級章も。黒い塵となって消えていった。
いつか、自分も。
こんなふうに、塵になって消える日がくるのだろうか。
死ねる日が、来るのだろうか。
老いとは、誰にも与えられた平等な言い訳で。
死とは、誰にでもある平等な救済だ。
それが奪われるなんて、どれだけ不幸なことなのか。
……まったく、俺が何をしたっていうんだよ。
他の登録魔術兵士の死人たちが群がってくる状況で、ゼノは自嘲するように口元を緩める。
「まぁ、いいや。とりあえず、お前たち全員。俺が始末してやるから。覚悟しておけ」
オオォッ、と奇声をあげて死人が襲い掛かるのと、その死人が悲鳴を上げて肉体を砕かれるのは、ほぼ同時であった。




