第4話 「帝国の選民思想」
「すまないね、休日に面倒な仕事を押し付けてしまって」
学園を案内していたシローに、ザルモゥが親しげに声をかけた。
その表情は穏やかなものだが、やはり気の許せない何かがあった。
「いえ、大丈夫ですよ」
シローも平然を装って答える。
そもそも、相手が帝国軍の情報部の人間であろうと、無為に敵対する必要はないのだ。帝国との戦争は終わっている。これからは、互いの発展のために手を取り合う時代だ、と『永久平和条約』にも記されている。
なので、シローは警戒心が強くなるのをどうにか抑えて、学園の主要施設を案内していく。
誰もいない教室。
楽しそうに会話の華を咲かせている食堂。
廊下を歩けば、見慣れないザルモゥに笑顔で挨拶をする生徒たち。
戦争中にはなかった穏やかな時間が、ここにはある。
「……平和ですね、この学園は」
ふいに、ザルモゥが口を開く。
彼は三階の窓から中庭を見下ろしていた。学園の生徒たちが子供のようにはしゃいでいる姿に、そっと目を細めている。
……戦争は終わりましたから、とシローが言おうとした。
その時だ。
彼の口から出た言葉に、思わず背筋が冷たくなった。
「本当に、……平和ボケをしていますね」
「……え」
瞬間。
シローの警戒心が、最大に跳ね上がった。
反射的に、いつでも行動できるように身構えてしまう。何がそうさせるのか、彼自身にもわからない。だが、やはり気を許してはいけない相手だと、直感で悟ったのだ。
戦時中の市街戦で、壁の向こう側に敵兵がいるかもしれない緊張感。それによく似ていた。
「……どういう意味ですか?」
シローは、感情を抑えて尋ねる。
ザルモゥが答える。
「あぁ、言葉通りの意味ですよ。我が帝国との戦争が終わって、まだ数年だというのに。この学園の生徒を見ていると、そんなことを感じられないほど緊迫感がありません」
その言葉の節々に、どこか冷たいものがある。
「まるで、もう戦争が起こらないと信じているかのようで。……いやはや、何とも滑稽なものですね」
そこまで言われて、シローも流石に神経を逆なでにされた気分になった。
穏やかな学園生活を、言うに事を欠いて滑稽とは。それでは、この男が再び戦争が起こることを望んでいるようではないか。
「……戦争は、もう終わったのです。今のオルランド共和国とガリオン帝国は、同盟関係にあります」
「ははっ、そうでしたね」
ザルモゥが薄い笑みを浮かべる。
まるで、今のところは、とでもいいだけな雰囲気だった。
……なんだ、この男は。
……帝国軍の情報部所属とはいえ、あまりにも危険な印象がする。今にでも、隠してある銃で撃たれるのではないか。そんな過去の経験が警鐘を鳴らしている。
「スナイベル君。私はね、あの戦争に参加していたんですよ」
唐突に、ザルモゥが言い出した。
「とはいっても、前線ではなく後方の司令部勤務だったのですがね。我が帝国の圧倒的な軍事力をもってすれば、共和国など一月で滅ぼせるという算段でした。戦車もなく、大砲もない。あるのは旧式のライフルと、古くさい伝統だけ。帝国が勝てない理由など、万にひとつもありせんでした。……それが」
ザルモゥの表情が、不快感に歪んだ。
「……魔術兵士なんてものに、後れをとってしまうとは。栄光あるガリオン帝国に泥を塗られた気分です」
彼は表情を歪めながら、シローのことを見た。
「あの戦争は、帝国の勝利で終わるべきだったのです。優秀な人間である我らが帝国の民こそが、より多くの土地を治めるのに相応しいのに。……長期化して泥沼になることを危惧した上層部は、早々に和平へと動いてしまった。あと、もう少しで、共和国を撃滅できたのに!」
ザルモゥが厳しい視線を向けてくる。
まるで、シローを憎んでいるようであった。
「ここまでにしてください、ザルモゥ・クレバドス中佐」
そのシローが、彼を諫めるように口を開く。
「軽率な言動はあらぬ誤解を生みます。これではまるで、帝国の人間だけが正しい、と言っているようではありませんか?」
冷静になるように、と言っているつもりだった。
自分勝手な理屈をまき散らされて、シローだって良い気はしない。何より共和国の人間として、これ以上の侮辱は許せなかった。
だが、そんな考えとは裏腹に。
ザルモゥは、さも当然のように言い放ったのだ。
「はっ、何を今さら。選ばれた人間である我々が、共和国の豚どもを統治してやるのだ。感謝してほしいくらいだよ」
歪んた笑みを浮かべている。
これは、……選民思想だ。
ガリオン帝国の人間の中には、自分たちこそ選ばれた人間だと勘違いしている者がいると聞く。だが、共和国との同盟や、周辺諸国との和解もあって、そういった偏った考えは減ってきているはずだが。……どうやら、この男は根っこから選民主義に染まっているらしい。
「……今のは、聞かなかったことにします。軍人であるあなたが、公共の場でそのよう偏った発言をするのであれば、帝国内での立場も危うくなりますよ」
「ふふっ、ご忠告を感謝するよ」
ザルモゥは不気味な笑みを浮かべたまま、シローのことをじっと見つめる。
「ちなみに、私が一番憎んでいるのは、『戦場での要注意人物』の一番上に載っている人物です。あなたも知っているでしょう。臆病者の狙撃手、『ホワイトフェザー』のことを」
「……」
シローは慌てることもなく、平然と受け流す。
それでもザルモゥは続ける。
「数多くいた『登録魔術兵士』の中でも、あの男だけは許せない。単独で一個師団を壊滅させた、などというデマのせいで、和平への道が加速してしまった。あの男さえいなければ、そんなことはなかったのに」
「……次の場所に案内します」
シローは会話することを諦めていた。
きっと、この男に何を言っても無駄だろう。自分は優秀であり、自分は特別な人間だと思っている人は、どこか遠い場所で幸せになってもらえればいいんだ。すぐに故国に帰って、司令部のあるオフィスでコーヒーでも飲んでいろ、と心の中で罵倒する。
だが、それよりも。
この男には確認しておくことがあった。
「……ザルモゥ中佐。あなたは司令部勤めと聞きましたが、なぜ『あの男』の噂がデマだとわかったのですか?」
「はっ、そんなこと簡単さ」
ザルモゥは得意顔で続ける。
「一万人規模の師団部隊と、たった一人で戦えるわけがないだろう。あんな話、でっち上げに決まっている」
ふんっ、と馬鹿にするように鼻で笑われた。
そんな彼を見て、シローは静かに納得していた。
……ふん、素人め。
……お前みたいな奴がいたから、帝国は戦争に負けたんだよ。




